もっふもふな悪役令嬢
侯爵令嬢スカーレットは、激しく叩かれる自室の扉を見つめていた。
「開けるんだ、スカーレット!」
「ブルータスお兄様、あなたもですの!?」
兄の怒鳴り声に、彼女の青ざめた頬を涙が伝う。勝ち気そうな美貌は悲しみに色褪せて、まるで萎れた花のようだった。
「このままでは、火刑にされてしまうわ」
スカーレットは日本からの転生者である。ここプリズム王国を舞台にした乙女ゲームの記憶が、鮮明に残っている。
ゲームでの彼女も、シルヴァス王太子殿下の婚約者だ。殿下へ接近する男爵令嬢プリティを闇魔法で呪殺しようと目論むが、夜会の席で婚約破棄され、火刑に処される悪役令嬢なのだ。
死亡フラグを折ろうと高潔な令嬢に成長したが、実はプリティ嬢こそ邪悪な魔女だったのである。殿下は勿論、側近一同が精神呪縛をかけられ、ついに兄まで操られた。
「火刑は嫌よ。さようなら、殿下。お慕いしておりました」
液体が入った小瓶を握る。万一に備えて怪しい商人から買った『苦しみから解放される薬』だ。きっと猛毒に違いない。薬液を一気に呷る。
「ううっ……」
スカーレットの体がくずおれた。
□
夜会の場にシルヴァス殿下の声が高らかに響く。
「スカーレット侯爵令嬢!」
「妹なら、ここに」
歩みでたのは、ブルータスであった。ギラリと底光りしていた双眸は正常に戻り、滂沱の涙を流している。場違いな毛玉を両腕に抱えていた。
「猫?」
真っ赤な毛をした雌のメインクーン。丸々太った体、不細工な面構え、しまい忘れた舌。人懐っこくもアホなのが一目瞭然のけしからん猫だった。
「宮廷魔法使いに鑑定させました。妹は変化の薬を飲んだようです」
元々、シスコンだった彼は、妹が猫に変わったショックで魔法の呪縛が解けている。
「ふん! 逃げようったって無駄よ。殿下、この邪悪な猫を殺して!」
プリティ嬢が叫んだ刹那、アホ面のもふもふが身動いだ。
「ンアァオォ~」
ぶさ猫らしい残念な鳴き声。腹減ったと主張する悩みの無いもふもふボイスが、殿下の心を撃ち抜いた。
こんなアホ丸出しのもふもふ毛玉が、邪悪な筈がない!
最愛のスカーレット+ぶさ猫=尊い! 正義!
熱い想いが殿下を呪縛から解き放った。
「この女こそ魔女だ、捕らえよ!」
「なんで!?」
魔法封印の手枷が、プリティ嬢を戒める。こうして王国の危機は去った。
一ヶ月で薬の効果が消えたスカーレットは、殿下と予定通り結婚した。
──これが、王国の諺『猫のひと鳴き』の成り立ちである。