表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
鐘の音が鳴るその先へ  作者: 由良梨乃
1/6

第1話

 季節は冬。時折、冷たい風が頬に髪を撫でつける。

 視界の端に揺れる前髪を気にすることなく、俺はただ足を動かし続けた。


「…………」


 気まぐれに揺れる視線がとらえたのは、どこかどんよりとした雲に覆われた薄暗い空。

 そして、誰かがポツンと腰かけるベンチだけ。


(随分……寂れた公園だな)


 公園は賑やかな場所という印象が強かっただけに、少し驚かされる。

 だからと言って、感情のまま声をあげるわけでもない。

 そのまま歩みを進めるにつれ、俺は不意に、ベンチに腰かける人影が女だと気づいた。

 あらためて周囲を見回し確認するが、やはり自分と彼女以外に人の気配は無さそうだ。


(こんな所で、一体何してんだ?)


 先程から動く気配が無く、まるで人形かと錯覚しそうになる後ろ姿を前に、気づけば足を止めていた。

 幾度となく吹く風が、彼女の癖のない黒髪を悪戯に揺らす。

 ベンチの背に隠れ、どこまで伸びているかわからない髪。真っ直ぐで細くしなやかなそれに、少しだけ触れてみたいと無意識に手を伸ばしかけた。


「……あっ」


 その時、今までピクリとも動かなかった人形が、突然意思を持ちこちらをふり向く。

 中途半端な状態で宙に浮く手を咄嗟に引っ込め、そのまま両手を背中へ回した。


「こんにちは」

「こ、こんにちは」


 黒髪が映える真っ白な肌、そしてゆっくり細められる瞳に視線を奪われる。

 そんな俺の意識を引き戻してくれたのは、彼女の口から紡がれた小さな声。

 雑踏の中なら十中八九かき消されているであろう音が、静寂に包まれた公園内ではすんなり耳に届く。

 しかし次の瞬間、自分の口から飛び出す少々上ずった声が、綺麗な鈴の音をものの見事にかき消していった。






「隣……座っても、いいっすか?」

「いいですよ。あっ、ちょっと待って」


 謎の動悸と原因不明の恥ずかしさが襲い掛かる。

 そんな中、気づけば俺は次の言葉を紡いでいた。

 先程の大声とは打って変わり、弱々しい声が喉を震わせる。

 傍から見れば、今の自分は不審者にしか見えないだろう。きっと、警察に通報されてもおかしくないレベルだ。

 しかし、彼女は嫌な顔一つせず、頷き、こんな男の願いを快諾してくれた。


「どうぞ、座ってください」


 しばらくして、再度こちらをふり向き笑う姿に、また胸の高鳴りをおぼえる。


 よく見れば、彼女はベンチ中央から少し横に移動していた。どうやら、俺の座るスペースを作ってくれたらしい。

 お礼の言葉と共に小さく頭を下げた後、移動しそっと腰を下ろす。

 今日は気温が低いせいか、ベンチの冷たさが、ズボン越しに伝わってくる。

 しかし一部だけそれが無い。理由はきっと隣にいる人物のせいだ。

 そのままベンチの背に身体を預け、俺は無意識のまま大きく息を吐いた。

 それは、自分の中に溜まっていたものを吐き出すような、疲れきり、ようやく休憩場所を見つけた時のような不思議な感覚。


(……? 俺、そんな疲れるような事、してたか?)


 抜けきらない疲労感に首を傾げ、原因を探ろうと記憶を辿る。

 しかし、いくら頭を悩ませようと、求める答えは見つからない。

 まるで脳内に白い(もや)でもかかったように、頭が思考自体を拒絶している。

 これまでに経験したことの無い状態に、余計頭が混乱し苛立ちをおぼえた。


 次第に考えることが面倒になり、どうせ大した理由では無いだろうと勝手に結論付ける。

 そして、小さく息を吐いた俺は、ちらりと視線を横へ流し、隣に座る女性に目を向けた。


「ふふっ」

「……っ!」


 てっきり、また前を向いているものとばかり思っていた。

 しかし俺の視線は、しっかりとこちらを見つめる彼女をとらえる。

 目が合った瞬間、小さく微笑むその姿に全身が熱くなる。

 慌てて視線を逸らそうと、目の前に広がる景色を見つめた。


「う、わぁ……」


 すると次の瞬間、目の前に広がる景色に、思わず感嘆の声を漏らしていた。

 どこまでも続く空の下、住宅や商店、ビルなど様々な建物が立ち並ぶ。

 春を待ちわびているであろう木々も相まって、まるで一枚の絵画を見ているような感覚だ。

 丁度この場所が高台にあるから、こんなにも素敵な景色が見渡せるのだろう。

 本当なら、転落防止柵のそばへ近づき、より近くで堪能したいところだが、一度腰を落ち着けてしまったせいか、なかなか立ち上がる気になれない。


「綺麗ですよね。私、ここからの景色が好きで、よく来ているんです」


 今度はあそこから、などとより美しさが増すであろう景色を想像中、またもや鈴の音が耳に届いた。

 ふり向いた先で、やはり彼女は優しく、そしてどこか儚げに微笑んでいる。

 どこか大人っぽい清楚な雰囲気を纏うその姿。二十代半ばくらいの年齢だろうか。

 そんな彼女の白い頬に、黒々と艶のある髪に触れたいと、また欲がうずき、ベンチについていた手が無意識に上がりかける。

 俺は即座に理性という名の石を手の甲へ乗せ、冷たい木目調のそれに己の手を押しつけた。






「あ、あのっ!」

「……?」

「名前を……っ、貴女の名前は?」


 もう何度目かわからない加速する心音を聞きながら、不思議そうに小首を傾げる彼女へ言葉を投げかける。

 何と言葉を返せばいいかと悩んだが、上手い返しが見つからない。

 そのまま互いに沈黙し続けるのが嫌で、咄嗟に口をついて出たものだった。


美羽(みう)です。遠野美羽(とおのみう)

「遠野……美羽、さん。俺の名前は、古森真守(こもりまもる)、です」


 彼女の姿を初めて目にした時から、妙に頬の筋肉が強張っていた。

 しかし今では余分な力が抜けていき、気づけば俺は隣に座る彼女を、美羽を見つめ微笑んでいた。




 これが俺達の初めての記憶。

 ――俺が美羽に出会い、恋に落ちた記憶。



第1話、最後まで読んでいただきありがとうございます。

楽しんで頂けたら幸いです。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ