はじまりの朝
美和子は熱気と湿気がこもった室内で、自らの顔に張り付いた髪を束ねて窓を開ける。
目が覚めると、いつも思う。
これが最後かな、と。
美和子が朝食の準備をしていると(ハムとスクランブルエッグとトーストという簡単な朝食)裕也が目をこすりながら、起きてきた。
「まま、おはよう。」
いつものように礼儀正しく母親に挨拶をし、少し脚の長い自分用の椅子へ腰掛けた。
礼儀正しくはあるが、子どもらしく足をぶらぶらさせて、お気に入りのミニカーを走らせながら「シュー」や「ブー」等と言いながら遊んでいる姿を見ると、安心する。
今日も無事に始まりそうだ。
2年前、綾子さんから聞いた話は美和子の心臓を締め付けた。その言葉を思い出すと、せつなくなる。
「美和子、落ち着いて聞いてね。俊彦さんは余命1年。長くても2年が限度ね。」
2年前。
その頃は裕也がちょうど、3歳で美和子も仕事を再開しようかと考えていた頃だ。
元々、看護師をしていた美和子は妊娠と同時に退職し、自宅の書道教室を手伝いながら、家事をしていた。書道教室の手伝いと言っても、教室の掃除と生徒(小学生から中学生まで様々だ)の相手、たまに体調を崩した生徒の世話をして、自宅への送り迎えをするというものだ。
もっと早い時期に再開する予定だったが、そうもいかなかったのは、父が(短期間だが)入院し、母1人では手が回らなくなったのと、それと同時に俊彦が「引っ越しして、お義父さん達と一緒に住もう。」と提案してくれたためである。
俊彦さんは、自分の事以上に周りの事を大切にする人だった。
「ごちそう様でした!」手を合わせて、きちんと挨拶をする息子を見て、やはり礼儀正しいと思う。少し、欲目があるのだろうか。
笑顔で息子に「よく食べました。えらかったね。」と語りかける。