大学に行ってみよう
「俺、今日出かけるぞ」
彩花が突然やってきた次の日、俺と彩花は向かい合って朝食をとっている。
ちなみに楓の奴はうちでメシ食って風呂入って自分の家に帰っていった。
流石に泊まるほど図々しくなかったらしい。
とはいえ、アイツのうちはこのマンションから徒歩2分の所にある安アパートなんだが。
「ん、どこか行くの?」
「あぁ、ちょっと研究室……大学行こうかと思ってな」
「春休みなのに?」
「まぁ、春休みって言ってもやることは多いし。それに、時々様子を見に行かないといけない生物がうちの研究室にはいてな」
「ふーん、何か飼ってるの?」
飼ってるわけじゃないんだ。勝手に生息しているんだ。
「……まぁそんなもんだよ」
と事実を言うわけにもいかず誤魔化す。
「ふーん」
トーストを齧りながら答える彩花はつまらなそうに相槌を打ってくる。
昨日の今日で放っておかれるのも退屈なのだろう。
部屋に置く家具などを買いに出ようにも土地勘がなければ難しいだろうし。
「彩花はここら辺でも見て回ってきたらどうだ? 俺の自転車使ってもいいし」
「うーん、そうしようかな。一人で家にいても暇だし」
土地に慣れさせようと口にした言葉だったが、彩花は乗り気ではなさそうだ。
「それとも俺と一緒に大学行ってみるか? 彩花ももうすぐ通うん「行くっ!!」」
食い気味に答えたな、そんなに大学行ってみたかったか。
どうせ入学してから毎日通うことになるのに。
「あんまり期待しても大したもんじゃないぞ」
「うん、わかってるわかってる」
それにしてはやけに嬉しそうだな。
本当にわかってるのか?
☆★☆
シューっと空気の抜ける音と共に電車のドアが開き、電子音の音楽が流れだす。
俺達は車内から出てくる人を待った後に乗り込む。
いつもならば大学へと向かう学生で一杯なのだが、休日の昼前と言うこともあり空いている。
立っている人もおらず、余裕をもって座席に並んで座ることができた。
「そういや彩花は学部どこなんだ?」
隣に座った彩花に問いかける。
これから15分ほど電車に揺られるのだ、何か話題がないと辛すぎる。
「ん? 学部は文学部だよ」
「あーいや、まぁ学部って言えばそうだが……学科の方も教えてくれ」
大学だと大抵「学部どこ?」って訊いても「○○学科」って感じで答える人多いから、同じつもりで訊いちまった。
「学科の方は史学科だね」
「え、マジで? 俺と同じじゃん」
まさか同じ学科とは思わなかった。
うちのキャンパスは広さに見合った学科の数があるから、学部が同じでも学科まで被るとまでは思ってなかった。
「へへ、奇遇だね!」
「そうだな。でも学科も同じってことは、授業とかでも結構会うことになるかもな」
「そうなの?」
「俺TAやってるからな~」
「TA?」
あぁ、TAって言っても通じないか。
「TAはティーチングアシスタントの略だ。その名の通り教授について授業の準備したり、授業の手伝いしたり。バイトの助手みたいなもんだな」
「へ~。それじゃ本当に会うかもね」
てか、十中八九会うと思うぞ。うちの教授は史学科の必修授業受け持ってるから。
まだ時間割発表されてないから情報漏洩になるし言わないけど。
「でも彩花は歴史に興味なんて持ってたんだな。ちょっと意外だ」
ボロが出ないうちに話題を変えておく。
「うーん、歴史に興味持ってきたのは中学とか高校からだからね。その頃はケン兄とほとんど会ってなかったもん」
もっとヤバイボロが出た。
「あ~そっか~。うーん」
「いや、別に責めてるとかじゃないから気にしなくていいよ」
彩花は笑いながらそう言ってくれるが、姪が将来にかかわる興味を抱いていたことすら知らなかったのは流石にまずかったと思う。
「そ、それでも気になるなら、この先わからない事とかあったら教えてくれる?」
「……まぁ同じ学科なわけだし教えられると思うから別にいぞ。あ、でも専門分野とか違ったら難しいからな」
「専門分野?」
「史学科って言ってもかなり幅広いんだよ。考古学に古代史、中世史に近世史とか、年代でも結構細かく分かれてる。これに日本か外国かってのが関わってくるし、変わり種だと美術史とかも入ってくるな」
「へぇ~。ちなみにケン兄の専門は?」
「俺は考古学寄りの日本古代史かな」
「ふーん……覚えとかなきゃ」
「ん? 何を覚えておくんだ?」
「べっつに~。あ、もうすぐ着くんじゃない?」
言われて、もう大学の最寄り駅に着くところだと気づく。
「そうだな。降りるぞ」
「はーい」
俺達は座席から立ち上がった。
☆★☆
駅に降り立ち、人の流れに沿って改札を抜けた。
ここから大学までは看板も出てるし、専用の通路が出来ているのでわかりやすい。
俺には見慣れた光景だが、彩花には目新しいのかキョロキョロと落ち着きなく周囲を見ている。
「ん? あれは……」
彼女が落ち着くのを待つ間に周囲に目を向けると、俺達から少し離れたところに見知った奴を見つけた。
しかし、声をかける前にそいつは大学へと駆けて行ってしまった。
「どうしたの?」
「あぁ、少し知り合いがいたんだが走っていっちまった」
「追いかける?」
「いや、追いかけるほどの奴でもないし、急いでたのかもしれないから邪魔しちゃ悪い。それに彩花はヒールなんだし走れないだろ」
「……脱ぐ?」
「走らないから履いといてください」
なぜにそんなに元気が有り余っているのか。
これが18歳の若さなのかもしれない。俺はもう十数メートル走るのすらつらいよ。
「とりあえず大学行こう、彩花はちゃんと道を覚えとけよ。これから1人で来る事もあるだろうし」
「はーい! まぁ、こんな一本道で迷う人もいないだろうけどね」
「……それがいるから怖いんだよな」
そうした、大した中身のない会話をしながら俺達はゆっくりと大学へと歩き出した。
俺はこの後、アイツを走ってでも止めるべきだったと死ぬほど後悔することになるのだが、この時の俺はそんなこと全く予想だにしていなかった。