電話越しの気遣い
かなり時間が空いてしまいすみません。
就活が……就活がぁ……
「で、どういうことなんだ葵姉?」
『いきなりねケンちゃん、大体想像はつくけど。彩花は迷惑かけてない?』
彩花のケータイから掛けた電話に数コールで出た葵姉は、唐突な俺の問いにも動じる事なくそう答えた。
俺から電話が掛かってくる事も予想していたんだろう。
用意周到というかなんというか……。
「絶賛現在進行形で親子共々迷惑を掛けてきてるよ」
『あら、それじゃあの人と彩花は後で叱っておかなくちゃ』
「義兄さんのことじゃねーよ アンタのことだ」
皮肉混じりに答えても軽くとぼけられ、電話の向こう側で軽い笑いが起きる。
とても久しぶりに聞く、いたずらっ子の様な笑い声が懐かしい。
だが、そんな懐かしさに浸ってもいられない。
「彩花がうちに住むとか言ってんだけど、一体どういうことなんだ?」
感傷を振り払い、一番の疑問を投げかける。
『どういうことも何も、そのままの意味だけど? どうせ部屋余ってるでしょ?』
「余ってはいるけどさ……」
確かに葵姉の言うように部屋は余っている。
大学院進学と同時に遺産で購入したこのマンションの間取りは2LDK。
既に5年程住んでいるので慣れたが、やはり一人暮らしには広すぎて、持て余してる感は否めない。
現に2つある部屋も1つは物置同然となっている。
なので、そちらを片付ければ彩花の部屋にすることは可能だ。
可能であるが……
「でもそれと住まわせることとは別だ」
『もう、可愛い姪っ子と一緒に暮らしたくないの?』
「姪っ子なんて言ったってもう18じゃねーか。なんか起きたらどうする気だよ」
『何かって?』
間髪入れずに返ってきた言葉に言葉が詰まる。
「何かってそりゃ、ほら、アレだよ……」
『え、ケンちゃん姪っ子に手を出す気なの? ちょっとアナタ、ケンちゃんが堂々と彩花に手を出す宣言してきたわよ!』
「ちょっ、バカバカ 何言ってんだ!」
思わず大きな声が出るが、彩花に気付かれないように慌てて口を抑えた。幸い気づいていないようで彩花はリビングから出てこなかったのでほっと胸をなでおろす。
電話の向こうで葵姉が声を張り上げた様子から察するに、どうも向こう側に義兄さんもいるらしい。
向こう側でゴソゴソと音がしたかと思うと、先程までとは違う落ち着いた声が耳に届いてきた。
『やぁ、久しぶり。健也くん』
「……お久しぶりです、義兄さん。なかなか顔出せなくてすみません」
電話の先にいる相手には見えていないが、無意識に頭を下げてしまう。
彼こそ葵姉の旦那さんで、彩花の父親でもある徹さんである。
『あぁ、いいよいいよ気にしないで。忙しいってのはわかってるから。それより、さっきの話なんだけど』
「あれは葵姉の早とちりっていうか、冗談というか『僕は全然構わないと思うよ』おい、アンタは父親だろ、普通こういう時は怒るもんでしょうが」
夫婦揃って馬鹿なことを言い出す2人に思わず口調が乱れる。
『いや〜学生結婚とか憧れるよね。僕達も教師と生徒で結婚した身だから、もしそうなっても責められないし大丈夫だよ』
「何が大丈夫なんですか……」
『あ、でも避妊はしっかりしてね。流石に妊娠して入学早々退学ってのは彩花が可哀想だから』
「だから何もしないっての」
話の通じなさにどっと疲れる。
「とりあえず、彩花をうちに住まわせるってのはアンタら2人の考えなわけだな」
『そうだね。うん』
「わかった、葵姉に変わってくれませんか?」
そう言うと少しの間無音の後、テンション高めな声が聞こえてくる。
『なになに、彩花と住む気になった』
「……ひとまずそれは置いておいて、アンタら2人がなにを考えてるか教えてくれ」
『別に何も考えてないわよ、ケンちゃんのところに住めば家賃も安上がりでラッキーてだけで』
「……あのさぁ、葵姉」
葵姉の語った自分勝手な言い分に俺は呆れの声を吐く。
それは身内が自分の財産に寄生するつもりだからと言うわけではない。
「アンタら2人がそんなことを考える様な人じゃないってのはわかってる。家族なんだぞ」
そう、葵姉が語ったのは明らかに嘘だ。
それは20年以上付き合っていればわかる。
2人は本物の善人だ。
他人が傷つくなら自分を犠牲にするような、そんな人達だって事はよくわかってる。
そんな人達が、他人の財産を食い物にしようとなんてするわけがない。
『……』
「それに、2人の収入なら俺のマンションなんか当てにする必要無いだろ。それでも2人して彩花をうちに住まわせようとする、勘繰らないほうがおかしいだろ?」
『……ハァ〜、まったくいつの間にか擦れた考えする様になっちゃって』
ため息と共にそう告げる葵姉。
「どっかの夫婦にからかわれまくったからな」
『あ、私達のせいなのか』
カラカラと笑う葵姉の声は俺の考えを肯定していた。
『正解、家賃云々の話は嘘』
「一体なんだってそんな嘘をついたんだよ。ちゃんとした理由を言ってくれたら俺だってしっかり考えるってのに……」
『え~、ケンちゃんが悪いのになんで私が責められるようなこと言われなきゃダメなのー!?』
「ハァッ!?」
嘘をついた理由を尋ねたのに、帰ってきたのは予想外の言葉だった。
「俺が悪いのか!? なんで? 最近会ってすらないってのに」
『だからでしょ 何年も顔ださないで、いくらお金も家も持ってるって言ってもまだ学生なんだから心配するに決まってるじゃない』
「そ、それは……」
理不尽な理由であったなら怒ることも出来ただろう。
だが、葵姉の言葉には心当たりがあった、ありすぎだった。
それが俺の言葉を詰まらせる。
『今年のお正月だってすごく久しぶりに電話してきたかと思えば2、3分で切っちゃうし』
「あ、あの時は忙しかったから……」
『忙しい忙しいっていつもそればっかり 家族との時間も十分に取れないんじゃ大学院なんてやめちゃえばいいのよ』
「そんな無茶苦茶な……」
ヒートアップしてきた葵姉が語気も荒くとんでもないことを言い放つ。
『……と、思ってたのよ。彩花の大学が決まるまでは』
「い、いきなり普通に戻るなよ。心臓に悪いわ」
唐突に今までの激高具合を消し去って、いつも通りの口調に戻る葵姉。
『アハハ、ごめんごめん。でもさっき言ったことは本心だからね。私達はともかく父さんや母さんには顔見せに来なさいよ』
「……夏には帰るよ」
『約束よ~。ま、彩花が無理矢理にでも引っ張ってくるとは思うけどね』
「さっきも気になったが、なんでそこで彩花が出てくるんだよ」
実家と距離を置いていたっていうのは確かだが、それと彩花の件とうまくつながらない。
『彩花が言ったのよ「私がケン兄のうちに住むよ、それで夏休みには引っ張って帰ってくるから」って。他にもちょっと不純な動機を感じたりもしたけど、そこら辺はあの子の問題だし、んじゃそれで良っかと思って』
「いっかじゃねーよ。こっちの都合も考えてくれ」
『あら、どうせ彼女もいないんでしょ』
「い、いないって何でわかんだよ! いるかもしれないだろ」
『わかるわよ、だって楓から逐一報告来てるもの』
「あ、アイツ!」
『ケンちゃん、あんまり楓を甘やかさない方がいいわよ。今じゃ週の半分はそこに入り浸ってるらしいじゃない』
「入り浸ってるんじゃない、アイツが押し入って来てるんだ! てか、彩花が住むのならアイツの家の方が良いだろ、女同士だし」
『ケンちゃん、私は自分の娘を魔境に送り込む気はないわ』
その言葉に、忘れかけていた嫌な記憶が蘇える。
畳まれることなく積み重なり山となった洗濯物。
濁った沈殿物ができた飲みかけのペットボトル。
物が散乱し、足の踏み場の無い床。
その他もろもろ、形容しがたい正体不明のダークマターが色々な場所に放置してある。
まごう事なき魔境と化した一室を。
「確かに、アイツの部屋にアイツ以外が住めるとは思えないな」
『でしょ、それに大学にはもう合格してるんだからどっちみち住むところは探さなきゃいけなかったし、だったら彩花の案に乗ってケンちゃんと一緒に住ませちゃおうかなって。ケンちゃんの様子も確認できて、彩花がお世話になってるってことで色々と干渉もしやすい。それに、都会で女の子の一人暮らしなんて怖いじゃない。ケンちゃんと一緒に住んだら送り迎えもケンちゃんと一緒だから安心だし、一石三鳥の大名案よ』
「ビックリするほど俺にメリット無いじゃないか」
『あら、年頃の若い女の子と4年も同棲出来るんだから十分なメリットじゃない』
「10も年が離れてるし、赤ん坊のころから知ってる相手だぞ? それに同棲じゃねえ同居だ」
『あら、そういうこと言うってことは……』
「納得したわけじゃないが理解はしたよ」
長らく実家に顔を出してこなかった俺の行動がこの事態を招いたことは明白。
彩花と住むだけで彼らを安心させられるというのなら、甘んじて受けるしかないだろう。
もしもこれが彩花じゃなく赤の他人とだったりしたら絶対に嫌だが、身内であるならばたいした問題でもない。一緒に住むとしても卒業までの数年だ。
「それに、可愛い姪っ子に何かあったらってのもイヤだしなぁ」
葵姉の語った「女の子の一人暮らしが危険」っていう意見も分からなくもない。
偶にではあるがそう言った事件は耳に入る。
俺が一緒に住むってだけじゃ防犯効果があるとは思えないが、それはこの家のことを含めない場合に限る。
自分がそこそこ広くて防犯性の高い家に住んでいることは自覚している。何かあればすぐにセ○ムさんが飛んでくるし。
間違っても一般的な女子大生が住めるようなところではないはずだ。
その設備を姪っ子のために提供することに何の不満もない。
『よしよし、ケンちゃんはやっぱり優しい子よね』
「もうすぐ三十路のおっさんを子ども扱いすんなよな」
『ふふふ、いつまでたってもお姉ちゃんはお姉ちゃんなのよ。それじゃ彩花のことは任せたからね』
「はいはい、任されましたよ。傷一つつけずに返すさ」
『え~、同意の上ならヤっちゃ——』
ブチッと馬鹿なことを言いかけたのを察して通話を叩き切る。
「……ハァ~」
「あ、電話終わった 私ここに住んでもいい」
玄関でため息をついていたら、通話が終わった様子を察したのか彩花がリビングから顔だけ出して問いかけてきた。
「訊かなくても、薄々感づいてるだろ」
「フフッ、まぁね~」
ニヤニヤと笑う彩花の顔を見ながら言うと、彩花は得意げな顔をして鼻を鳴らした。
「ケン兄がお母さんに勝てないってのは昔から知ってるし。それじゃ私ここに住むからね、これからよろしく」
「……いいか、彩花。一つ言っておくぞ」
「え、何?」
嬉しげな彩花をまっすぐに見つめて話しかけた俺の様子に真剣さを感じ取ったのか、真面目そうな表情で疑問を浮かべる彩花。
そんな彩花の様子に悪戯が成功した気分になりながらも言葉を向けた。
「葵姉に勝てないなんてのは俺の方が良くわかってるんだぜ。お前が生まれる前から負け続けてきたんだからな」
脳裏に思い浮かぶ数々の敗北の記憶と共に、ニヤリと笑いながら言ったそんな言葉にしかし、返ってきたのは「うっさいバカ」という言葉とふくれっ面だった。
やっぱり若い子の考えることはよくわからん。