序章
「……というわけ。つまり、私の日記が冤罪事件を防いだってことね。私が毎日、細かく日記をつけているのは、思い出を作りたいとかいう理由だけじゃないの。こうやって実生活に役立つこともあるのよ」
私は、夫の隣に腰かけながら言った。今でも一生懸命日記をつけている私をバカにする夫に、日記をつけることの意義を話して聞かせていたのだ。夫は、私をスネさせるのが趣味らしく、コトあるごとに何やかやとからかってくるため、しばしばこうした論戦が勃発する。
「ちょっと、聞いてる?」
ソファの背にもたれて目をつぶっている夫の頬を、軽くつねってみる。
「聞いてる、聞いてる」
彼は私の手をそっと払うと、体を起こした。
「で、その冤罪事件とやらは、その後どうなったんだ?」
「結局、犯人は見つからなくってね。そのまま、時効を迎えたって話。『たいようタクシー』、かなり強引な経営をしていて、色々なところで恨みを買っていたらしいのよ。容疑者が多過ぎて絞り切れなかったんじゃないかな」
「そうか。で、幽霊の正体は?」
「それも謎のまま。もしかしたら、あかねちゃんの幽霊だったのかもって噂も流れたんだけどね」
私が答えると、夫は私の顔を見た。
「その日記帳って、まだ残ってる?」
「うん。納戸に入れてあるけど」
「そうか。ちょっと読ませてくれないか?」
「うん、いいよ」
私は立ち上がると、納戸に向かった。
納戸に入ると、一番奥の棚から「日記」と書かれたダンボールを引っ張り出す。背伸びをして中身を探り、目的の日記帳を見つけ出した。
改めて手に取り、眺めてみる。
鍵は既に壊れてしまい、かからなくなっている。赤い表紙は薄汚れてレンガ色になり、書かれていた「DIARY」という金文字も、今ではすっかり剥げ落ちてしまった。
私は納戸を出て、居間に戻った。
「はい、これ」
ソファに座っている夫に、日記帳を手渡す。
「かなり年季が入ってるって感じだな」
夫は受け取ってぱらぱらとページをめくると、7月16日の所で手を止めた。その後の数日分をゆっくりと読んでいく。
私は彼の横に座り、読み終わるのをじっと待った。




