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冬の大三角

作者: 半蔀

 流石に下ろし立てのスーツは脱いで椅子に掛けたが,ワイシャツは脱ぐのが億劫で,そのままベッドへ寝転んで仰向けになった。シャツがしわになるだろうけど気にしない。ネクタイを緩めて一息つく。どうにも,気疲れしてしまったらしい。

 今日は成人式があった。まあそれは問題じゃない。一月の寒い中,地元の文化会館に集まって旧友たちとワイワイやった。それだけだ。だから式なんかまともに聞いちゃいないし,変な冊子を貰っただけで俺の成人式は終わった。別に疲れるようなことは何もしていない。式の後はといえば,再会した友人たちと飯を食いに行き,その後,夕方から始まる中学の同窓会までどこかで暇を潰そうという話になった。だけど結局遊ぶ場所もなかったから,時間まで自宅待機ということになった。我らが地元が田舎であることをしみじみと感じた。それだけだ。

 それでどうしてこんなに気が重たいのか。分かりきったことだ。この後の同窓会が,問題なのだ。



 十月の半ば頃に,今日の同窓会へ出席するかどうかの案内の葉書を受け取った。葉書を受け取って「同窓会」の三文字を見たときには,素直にああ楽しそうだと思った。中学の連中が今どうなっているのか,会ってみたいと思った。だが次には,何とも言えず,昔の後悔が胸を締め付けた。中学の頃,グラウンドで見た夕焼けを,その中を汗して走る彼女(あいつ)を,思い出してしまったからだ。

 彼女,小野寺とは小学五年の頃からの付き合いだった。地元の夏祭りに友人数人で来ていた俺は,何かの拍子に友人たちとはぐれてしまった。夜祭の賑わいの中,一人取り残されてしまった俺は,周りが賑やかなのに励まされて,知り合いを探しに当てもなくフラフラと歩いた。そのときたまたま出会ったのが,大きな山車(だし)をひく同じクラスの小野寺だった。彼女は,(あい)の着物をたすきがけにしていて,それがまた,男みたいに短い髪の彼女によく似合っていた。蒸し暑い夜のことだから,上気してしっとりと濡れた彼女の頬や首は,山車や屋台の橙色の光で照らされて,きらきらと輝いていた。その後何だかんだで一緒に山車をひくことになった。車をひきながら色々なことを話した。

 彼女には男勝りなところがあって,俺も女子だと気にせず,遠慮なく話すことができた。男相手みたいにからかうようなことだって言えた。小野寺も笑って憎まれ口を叩いた。

 それから仲良くなって,学校でもよくお互い軽口を言い合う仲になった。気の置けない異性の友だち。それが俺と小野寺の関係だった。

 中学に上がっても,その関係は変わらなかった。変わったことと言えば,お互い携帯を持つようになったことぐらいだ。物珍しさもあって,俺も小野寺もくだらないことでメールし合った。

 メールのやり取りが,毎日と言って良いほどになるまで,さして時間はかからなかった。

 メールのやり取りは頻繁にした。だが,それでどこかに行こうとか,一緒に遊ぼうとかいう話にはならなかった。お互いあまり意識はしていなかったが,それでも異性ということを気にしていたのかもしれない。だから直接顔を合わせるのは学校でだけだった。朝のあまり人が居ない時間。昼休み,皆グラウンドへ遊びに行っている時間。そういった時間に,どっちかの机に集まって,一方が椅子に,もう一方が机の上に座って談笑する。不思議と話題は尽きなかった。

 小野寺は陸上部に所属していて,放課後はいつも部活だった。俺はテニス部だったが,飽きてすぐに止めてしまった。だから授業が終れば帰るのだが,グラウンドで陸上部が練習しているのを見かけると,グラウンドの入口にある車止めのポールに腰かけて,陸上の練習を眺めていたりする。そうしていると,たまに休憩に入った小野寺が話しかけに来てくれたりした。陸上のユニフォームを着て惜しげもなく肩や太股をさらす彼女が,汗を光らせて,笑顔でこちらに駆け寄って来るのを,見たかったのかも知れない。

 そうした関係が中学卒業まで続いた。いや,続いてしまったと言うべきか。結局のところ,俺は自分の気持ちを分かっていなかった。分かろうとしていなかった。異性の友達でいることに甘えていて,そこからもう一歩踏み出そうとしなかった。

 ただ臆病であるが故に。

 しかもタチの悪いことに,そのことに気がついたのが高校に入ってしばらく経ってからだった。

 高校は同じ所に入ろうと二人して話していた。それは何気無い会話であるはずだった。合格発表の日,彼女の受験番号は合格者欄になかった。そして俺の受験番号だけがあった。

 高校に入学したての頃はお互いに連絡を取り合っていたものの,それもだんだん減っていった。顔を合わせないと,自然とそうなってしまうものらしい。そうして,俺が自分の気持ちに気づいたときには,小野寺とはもう疎遠になっていた。

 己の不明さはいくら後悔してもしきれない。そして何より,彼女のことだ。俺が自分の気持ちに気付いたとき,同時に,彼女は俺のことを好いていてくれたのではないか,と気付いた。もしそうなら,俺が曖昧な態度を取り続けたことで,どれだけ彼女を苦しめたか知れない。彼女は,ずっと俺の言葉を待っていてくれたのかも知れない。数え切れないほど交わしたメール。彼女はたった二文字の言葉を期待して,送信ボタンを押していたのかも知れない。そう考えると,胸を締めつけられるような思いがした。

 その小野寺が同窓会に来る。成人式は,知らない人間が大勢居るから,その中に紛れていられた。しかし,同窓会ではそうはいかない。出席すれば必ず顔を合わせるだろう。そのとき,俺はどんな顔をして彼女に会えば良いのか。大学へ進んで,ようやく気持ちが落ち着いたかとも思えば,道行く人の中から小野寺と似た背を見つけては,いまだに胸の苦しみを覚えるというのに。

 それでも葉書の「出席」に丸をつけたのは,彼女にもう一度会いたいと思ったからだ。会って話がしたいと,素直に思ったからだ。



 同窓会は,地元のホテルの大ホールを借りて行われた。装飾のきれいな部屋で,大きなシャンデリアがいくつかぶら下がっている。シャンデリアは明るいオレンジ色の光を発して,ホールとそこに居る人々を照らしていた。食事はバイキング形式で食べ放題。飲み物は,アルコールも含めて飲み放題。テーブルには椅子がなく,立食パーティーのようだ。

 思っていたよりも,会場はずっと華々しいものだった。


 俺は昔の友人たちと酒を交えながら楽しんだ。やはり,旧友と会って話すのは楽しい。中学の頃とはずいぶん変わったヤツとか,逆に全然変わってないヤツとか。二十になって久しぶりに会った分,話すことはたくさんあった。

 友人たちと酒を飲みながら騒いでいる間,俺は他の連中の目を盗んでは何度か周囲を見回した。小野寺を探すためだった。だが,彼女の姿は見つからない。ひょっとして,来ていないのか? 俺は不安になった。彼女と会って話をしよう。ここに来るまでに,そう決意したのだ。これではその決意も無駄になってしまう。

 俺のそわそわした様子に,友人たちは勘違いしたらしく「なんだ村岡,もう酔ったのか」とからかって来た。

「んなわけねえだろ」

 俺は手に持っていたグラスを一気に傾けた。



 宴もたけなわを過ぎて,ホールの壁際に並べてあった椅子では,酒がまわったのが何人も休んでいた。

 俺が飲んでいたテーブルの連中も,半分は壁の花――いや野郎だから壁のシミか――になって,もう半分は他のテーブルに騒ぎに行った。

 俺は一人残って,バイキングで見つけた生ハムサラダを,ワイン片手にひたすら食べていた。

「村岡」

 そんなとき,後ろから声をかけられた。振り返るとそこには,肩口まで髪をのばした,ベージュのドレスのきれいな女性が立っていた。

「久しぶり。覚えてないでしょ?」

 彼女は,どこか遠慮がちな笑みを浮べていた。

 俺は思わず息をのんだ。

「……いや,覚えてるよ。小野寺だろ」

 そう言うと小野寺は,はにかむように笑って「うん」と答えた。

 小野寺は,昔のボーイッシュな彼女からは考えられないほど,大人の女性らしくなっていた。


「それにしても,ずいぶん大人っぽくなったな。一瞬分からなかった」

 彼女はうれしそうに笑って,

「昔,誰かさんにさんざん馬鹿にされたからね。むかついたから大人の女性を目指したの。どう?」

 そうやっておどけて見せる彼女は,俺の知っている小野寺だった。それが無性に嬉しくて,思わず笑ってしまった。

「見た目は確かにそうだけど,中身は昔のまんまだよ,おまえ」

「なによ。それ言うなら,村岡だってぜんぜん変ってないじゃない。相変らず口の減らないヤツ」

「おまえに言われたくねえよ」

 まるで中学の頃に戻ったみたいだった。後悔だとか決意だとか,そんなくだらないものは,小野寺と会ったことですぐに消し飛んでしまった。俺は一体何を躊躇していたのだろう。

 それからしばらく色々なことを話した。昔のことと今のことと。この大ホールの雰囲気とアルコールとが,俺と小野寺の口を軽くさせるらしい。

 話をしているうちに,お互い今何をしているかという話になった。俺は,今気楽な大学生をやっていると言うと,彼女は「ふん,うらやましヤツ」などとふざけて笑う。俺はそれにまた笑ってしまった。

「小野寺は何やってるのさ」

「私? ああ,うん,いま工場の事務やってるの」

「へえ。どこの」

「ほら,隣町にある」

「ああ,あれか。じゃあ実家暮し?」

「ううん,一人暮し。工場に近いとこでね。やっぱり近い方がいいかなって」

「おお,偉いな」

 小野寺はもう一人で生活しているのか。彼女が大人っぽく見えたのは,そのためなのだろうか。

「何よ偉いって。べつに普通よ」

 彼女は可笑しそうにコロコロと笑った。

「いや,大変なんだろうなって」

「ふふ,そりゃ大変よ。色々ね」

「仕事が大変とか?」

「うーん,それもあるけど。ほら,事務の中とか,現場の人とかで,いろいろとね」

 小野寺は笑って答えていたが,その笑顔には苦労が(にじ)んでいた。

 苦労。かつて見た小野寺の表情のなかに,それを見たことはなかった。彼女はよく笑う人だった。久し振りに会ってそれは今もなのだと分かったけど,昔はもっと無邪気な笑顔をしていたような気がする。

 ……いや,それは当たり前のことだ。皆成人したのだ。中学の頃とは違う。

「そっか。苦労してんだな」

「まあね」

 小野寺はどこか寂しそうな笑みを浮べた。

 唐突に会話が途切れた。二人の間に沈黙が降りる。するとワッと,他のテーブルで歓声があがった。野郎連中がまた馬鹿なことをしているらしい。それがやけに耳にさわった。

「にぎやかね」

 小野寺が言った。その声は平坦だった。

「ああ,皆ハメを外してるな」

 俺は騒がしいテーブルの方に顔を背けた。どうにも気まずくなってしまった。


「あのね」

 緊張した声に思わず振り返った。小野寺が悲しそうな顔をしていた。

「私ね,むかし,村岡のこと好きだったんだよ」


 周りの喧騒が一瞬にして遠退いた。ああ,これを,俺は恐れていたんだ。

「……そっか」

「うん。気付いてなかった?」

「いや……そうだったらいいなって,あの頃は思ってた。けど……」

「うん」

「けど,言えなかった。……おまえとの関係が変ってしまうんじゃないかって」

「……そっか。私とおんなじね」

「ごめんな,本当にごめん。俺がもっと正直でいれば!」

「いいのいいの! 私だって,へんに意地張ってたせいだから。……ばかだよね」

 彼女は泣きそうな顔をしていた。そんな顔をさせたかったわけではないのに。どうして,こんなことになってしまったんだろう。

「……お互いもっと素直でいればよかったのにね」

 小野寺は,目に涙をためながら,弱々しく笑みを浮べていた。



 同窓会がお開きになり,俺は友人たちと別れて,冬の寒い夜の中を帰っていた。酒に火照った体には,冬の肌を刺すような風は丁度よかった。

 小野寺とはあの後,二言三言交して別れてしまった。お互い言うべき言葉が見つからなかった。

 フラフラと夜道を歩く。いささか飲み過ぎたようだ。どうにも気持悪くなってきた。俺は,帰り道の途中にある公園に立ち寄った。この公園のベンチで酔いをなおそうと思ったのだ。

 ベンチにスーツのまま寝転がる。冬の寒空には,ぽつりぽつりといった感じで星々がまたたいていた。ああきれいだ,空気が澄んでいる。流れ星でも流れるかな。流れたら,あの頃に戻りたいとでも願おうか。なんて,馬鹿馬鹿しいことを思う。ああ,酔った。酔ったが,全然気分はよくない。……ああ,吐きそうだ。今日は悪い飲み方をしてしまったなあ。


 星を見る。泣くことじゃない。泣くようなことじゃない。そうだろうが。

 俺は込み上げてくるものを堪えながら,夜空に変わらず輝く冬の大三角を眺めた。


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