Secret et priv ( 秘密 と 秘密 )
『 愛 し て た よ 』
その後に続いた銃声
顔に飛沫する血痕
-
いつの間に起き上がったのだろう
汗だくで、荒い呼吸を繰り返し
破裂するんじゃないか、というほど
激しく鼓動を刻む心臓を押さえ
後ろ手に左手を伸ばし
枕の下に護身用で置いてある拳銃を
まるで縋りつくように強く握りしめる
その隣で、着信を知らせる
携帯電話のバイブ音。
1度切れても また鳴るからには
急ぐ用事なのだろうか、と
次の着信では電話を取ろうと
心の片隅では思っているものの
それを拒否している自分がいるのも事実だった。
プツッ、と切れた後 留守電の録音で
聞こえてきた聞き慣れた声に
ようやく掴んでいた拳銃から
手を離して、電話に出る事を選ぶ。
「……黒?」
「ええ、こんばんは。
それと…… 夜分遅くにすみません」
「……どうしたの、こんな夜中に」
「夜中…… まあ、早朝ではありますが」
「うん、どっちでもいいけど。
……なに?」
「まだ、電車が走ってない時間なので」
「……で?」
「始発まで成瀬さんのお宅に
お邪魔させて頂きたいのですが」
「どっか5時くらいまでやってるバ−とか
近くにないの?」
「「……」」
「……そんなに俺に会いたくないですか?」
「……ちょっと待って」
「はい」
聞こえない程度の溜め息を吐きながら
携帯の充電器を携帯から外して
ベッドから勢いよくスリッパの上へ
飛び降りて、足に引っ掛ける
そして
唇に煙草をくわえて火をつけながら
キッチンの戸棚を開いて
あ、と
家に来てもいい口実を見つけた
「お待たせ……あのさ?」
「ええ」
「……俺が、黒を家に上げて
朝まで一緒に居るお礼として
モ−ニング珈琲、淹れる気ある?」
「……は?」
「うん。 だから…… モ−ニング珈琲」
「……2回言わなくていいですよ。
聞こえなかったから聞き返したという
わけではないので」
「そう」
警視庁きっての変人と言われる自分ですら
瞬時に理解するのが難しいほど
突拍子もない事を言い出す名探偵を
正確に理解する事が
ここ2年くらい仕事上でパ−トナ−兼
保護者を務めている自分の役目だとは思う
……けれど。
( これはまた突拍子もない事を言い始めたものだ )
そもそもモ−ニング珈琲を淹れる
= そういう関係、という
常識すら通じるのだろうか、この人に。
ある意味、完璧と表現したいこの人に
唯一存在する弱点があるとするならば
『愛』 なのだ
恋愛を語り始めたり
恋愛話を誰かから振られてしまうと
彼の脳は瞬時に固まってしまう。
だからこそ、悩んでしまう
モ−ニング珈琲の説明を
今、していいべきものなのか?
こういう時、ここ2年で培った経験と知識をフル稼働させて結論を出した
「……成瀬さん」
「ん?」
「珈琲、飲みたいんですか?」
「っていうか、切れたの」
「「……」」
「……じゃあ、買って行きます」
「……なんで微笑ってんの」
「いえ。 じゃあ20分後くらいに、また」
耳に押し当てていた、携帯の終話ボタンを押すと
通り過ぎていく警官達に声を掛けられる
「お−、黒さん。 お疲れ様」
「お疲れ様です」
「なに、これからどっか行くの?」
「ええ。
モ−ニング珈琲を淹れに、ちょっと」
「え」
「……は?」
サラリと言い切った人物は
検視道具一式をロッカ−に置いて
静かに扉の鍵を閉め
颯爽とロッカ−ル−ムを後にした。
「……これでいいのかな」
キッチンのシンクに
白黒のカップを2つ並べて
う−ん、と両腕を胸の前に組んで
考えあぐねてみる。
さらには、カップの隣に
真新しいインスタント珈琲の瓶があった。
「……新しいの買ってあったんだね、俺」
チリン、と控えめに来客を知らせ
鳴ったインタ−フォンに玄関へ向かい
そっと扉を開けると
20分前に電話で話した相手がそこにいた
新しいの買って来ました、と
言わんばかりのビニ−ル袋を持って。
「いらっしゃい」
「ええ、お邪魔します」
「……ねえ、黒?」
「はい?」
「ものすごく言いにくい事 言っていい?」
「……女性でもいるんですか?」
「……いたほうがいい?」
「いえ」
……なんでそこだけ
やけにはっきりと否定するかな
しかも即答。
ん? と首を傾げる黒に
そわそわとキッチンを見ては
顔を戻してしまうと
「煙草ですか?」
「……ううん、ある」
「「……」」
「ゴムなら一応、持ってますが……」
「……珈琲置いて、帰る?」
「残念ながら……大真面目に持ってます」
「……」
ああ、せっかく買ってきて貰ったのに
真新しい珈琲の瓶があったんだけど、と
言い出したいだけなのだ。
そんな事が発覚したぐらいで
怒る人間もそうそういない事も
分かってはいるのだけれど……
自分の内心での葛藤を綺麗に無視し
気にする様子すら見せない細身の身体が
スルリと、扉の隙間をすり抜けて入室し
リビングのテ−ブルまで辿り着き
買ってきた珈琲の瓶をテ−ブルに置く。
「……珍しいですね」
「……?」
「あなたから汗の香りがするなんて」
なにかに気付いている、
意味ありげな言い回しと
自分を振り向いてきた
美しく真っ直ぐな黒い瞳に見つめられ
気休め程度に羽織った黒いガウンを
指先で引っ張って
くん、と
鼻腔を鳴らして誤魔化してみた。
「いえ、くさいって言ってるんじゃ……」
「……そう?」
それならいいんだけど、と
頷いて肩を竦める彼の様子に
表立った変化は見られない。
そもそも、なにを考えているのか
常人が瞬時に判断する事が難しい人なのだ
「おや…… あれ、新しい珈琲じゃ?」
「あ」
白黒の並んだ2つのカップの
隣にあった真新しい瓶を指差すと
彼が、躊躇いがちに
玄関で言おうとしていた事は
どうやらこれだったようだ
思い出したように
ぽん、と彼が小さく胸の前で両手を叩く
「ごめん、新しいのあって……」
「いえ、お気になさらず。
それより……
これだけの量の珈琲があったら
1人で飲むのには、多いでしょうね」
「ん……まあ、ね」
「……これからこうやってお邪魔しても?」
「へ」
「逆でもいいですが」
「や、待って。
なんで行き来する事前提なの……」
「……怖い夢を見て起きたら
俺が抱きしめてあげますから」
「!」
「なんなら、本当に
モ−ニング珈琲を淹れ合う間柄も
……悪くないですね?」
「なに、その……意味深、な」
「いえ、あなたがこんなものを
枕元に置かなくてもいいのなら
って、思っただけです」
ベッドに歩み寄って
枕の下に左手を差し込んで引き抜くと
グリップの中に収まった銃弾が
カチャリ、と揺れて鳴る音が鼓膜に響いた
リビングに足を踏み入れた時から
実は気付いていた事は、彼には内緒で。
「……つくづく変わった人ですね」
「?」
「寧ろ…… わざとですか?」
「……なにが?」
「拳銃 = 男性器、の象徴だそうですよ」
「……は!?」
「夢の中では、ね」
「……ああ、夢ね」
「…… よりによって
分かりやすく枕元に置くなんて。
いわゆる "YES・NO" 枕……」
左手に握った拳銃をまじまじと見つめ
口先でなにか言ってるな……と思った後
右手の人差し指がなにかの図式を描き
ゆっくりと微笑しながら、黒が振り向く
「もちろん。
成瀬さんの答えは "YES" ですよね?」
「……なんの答え?」
「俺と身体の関係を持つか、
持たないかの答え、ですが」
「……なんでそういう答えに
辿り着いたのか説明してくれるよね?
まさかとは思うけど」
「ええ、モ−ニング珈琲でも 淹れて飲みながら」
fin.