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やっこと暮らしのバランス

 日曜日恒例の、おばあちゃんとの神社掃除の後、やつこは社務所にいた。掃除用具をあとで持って帰ることを約束して、おばあちゃんには先に家に戻ってもらった。

 昨日、紗智を家に送り届けてから、愛さんはやつこに「日曜の掃除が終わったら社務所に来てね」と言った。一件落着したところで、少し話をしたいのだということだった。

「とにかく、解決して良かった。こんなケースはめったにないから、私もちょっと焦っちゃったよ」

 愛さんが麦茶を人数分用意しながら言った。今日は神主さんが神社にいるのに加え、愛さんが連れてきた大助と海もいた。ちゃぶ台に五つのグラスを並べてから、愛さんが座り、事件のおさらいが始まった。

 今回の呪い鬼の件は、雄人のときと同様に、紗智にも他の人には内緒にしておくように言ってある。鬼に対する誤解が生まれることを避けるだけでなく、事件の発端となってしまった紗智のためでもあった。

「あの鬼ね、よく神社に来てくれるさっちゃんのことが好きだったみたいなの。彼女のためなら何でもしてあげたいって気持ちが強かったのね」

 困ったような笑みを浮かべて、愛さんは言う。鬼は紗智の恨み言を、彼女のことを思うあまりに受け止めすぎた。そうして呪い鬼となってしまい、紗智の「願い」を頼りに町をさまよっていたのだ。

 一回目と二回目は、紗智が雄人を想えば雄人のそばに、やつこを意識すればやつこの近くに自身の空間を展開させた。しかしそれからどうすればいいのかということは考えられないので、ひたすら対象人物を狙って暴れるだけだった。三回目は学校を壊してほしいという「願い」のために、学校に現れた。前の二回とは違い、ものを壊すという具体的な目的があったのだが、やつこたちが阻止しようとしたためにこちらに襲いかかってきた。

 この愛さんの見解を聞いて、やつこは昨日から抱えていた疑問を、麦茶のグラスを両手で握りしめながら口にした。

「今回みたいに、人間が鬼を呪い鬼にしてしまうことって、他にもあるんですか?」

「ある、どころじゃない。鬼が呪いを抱え込むのは、だいたいが人間のせいだ」

 答えたのは海だった。やつこが「強くなりたい」と相談してから、彼はずっと不機嫌に見えた。さらに昨日、海が紗智を叩いたときから、やつこは彼のことを怖いと感じていた。これまでずっと優しくて頼もしいお兄さんであった海が変貌してしまった理由も、やつこは知りたかった。

「海にいは、人間のせいで呪い鬼になってしまった鬼を他にも見てきたの?」

「そりゃあ、やっこちゃんより鬼との付き合いは長いからね」

 麦茶を一口飲んでから、海は無表情のまま続けた。

「鬼のほうにも非はあるよ。特定の、しかも自分のことしか考えてないような人間に肩入れして、他のことは何も考えられなくなってしまうなんて。ばかげてる」

 冷たい言い方だった。やつこには、鬼の想いや紗智の悩みを「ばかげてる」というたった一言で片付けられてしまったように聞こえた。でもきっとやつこよりも多く鬼追いを経験している海だから言えることなのだろうと、無理に納得しようとした。

 けれども、大助が深く溜息をついて、海に向かって言った。

「誰だってそういうことはあるだろ。特別好きなヤツのことや自分のことで頭がいっぱいになって、後先考えられなくなるなんて」

「俺にはその気持ち、全然わかりません」

 しかし、海は大助の言葉も切り捨ててしまった。やつこの知っている海とは違う人物がここにいるような気さえする。憧れの先輩だった海は、どこにいってしまったのだろう。今の海を見ていると、やつこの胸はずきりと痛むようだった。

 それに気付いてか、それとも単にこの言い合いを収めたかったのか、神主さんが穏やかな声で割りこんだ。

「まあまあ、二人とも。この件は解決したことですし、まずは一人の鬼と一人の人間が救われたことを喜びませんか? 御仁屋のおまんじゅうでも食べて、落ち着いてください」

 やつこのおばあちゃんが差し入れてくれた礼陣の名物が、ちゃぶ台の上に置かれる。それを見た一同の顔は、とたんにぱっと輝いた。さっきまでずっとむすっとしていた海ですら、この美味しいおまんじゅうには弱いようだった。

 おまんじゅうをほおばりながら、やつこは紗智と、紗智のことを好きだったという鬼のことを考えた。「好き」という一見すてきな感情からも、思い悩めば呪い鬼が生まれてしまう。相手のために何かしたいという気持ちが、良くない方向にいってしまうことがある。それはいったいどうしてなのだろうか。

 振り返ってみると、やつこも「礼陣のために」と思って毎日見回りをしていた結果、結衣香の相談にのってあげられなかったり、クラスのみんなから白い目を向けられたりしてしまった。どうすればいいのかわからなくなってしまって、家の「鬼さん」に一方的に話したこともあった。

「何事も、バランスですよ。やっこさん」

 考え込むやつこに、まるでそれを読んだかのように、神主さんが言った。あやうく喉を詰まらせそうになったやつこに麦茶を差し出しながら、神主さんは笑顔でこう続けた。

「やっこさんたち鬼の子は、人間の世界と鬼の世界の両方を見ることができます。けれども大抵の人間は人間の世界しか見えませんから、もちろんのことそちらを大切にします。それが鬼の子ではない人間の、ちょうどいい暮らしのバランスだからです」

「暮らしのバランス、ですか?」

「はい」

 麦茶で喉に詰まりかけたおまんじゅうを流してから、やつこは神主さんの言葉をくりかえした。神主さんはにっこり笑って頷いた。

「そして鬼たちは、そういった人間の暮らしのバランスを大切にしてほしいがために、姿を消しています」

 基本的に、鬼の子ではない子どもや大人には、鬼は見えない。それは鬼たちが、礼陣の人間がよそから来た人たちと上手に付き合えるようにと考えて姿を消しているからだと、やつこのおばあちゃんも言っていた。

「ですから、やっこさん。見回りに精を出しすぎて、人間としての暮らしのバランスを崩してしまってはいけませんよ。もちろん鬼にも鬼の暮らしのバランスがありますから、常に鬼のことを気にしている必要もありません。安心して、鬼追いとしてではなく、人間としての生活をしてください」

 神主さん、いや、礼陣神社の「大鬼様」は、何もかもお見通しのようだった。やつこは少し恥ずかしくなって、けれどもホッとして頷いた。そして、学校に行ったら結衣香や他のクラスメイトとたくさんお喋りをしようと思った。それが本来の、人間としてのやつこなのだから。

 やつこと神主さんのやりとりを見ていた愛さんが、ふふ、と笑った。

「懐かしいな、私も神主さんに同じことを言われたよ。私は人よりちょっと鬼を見る力が強いみたいでね。鬼追いを一生懸命やることこそが私に課せられた使命なんだって、思い込んじゃったの」

 愛さんの言葉に、やつこはどきりとした。それを知ってか知らずか、愛さんはやつこの頭を優しく撫でながら言った。

「……だから、本当は私によく似ていたやっこちゃんが心配だった。もしもやっこちゃんが鬼追いに忙しくなってしまって、人間の友だちをないがしろにしてしまったら、それは手伝いを頼んだ私の責任だって、ずっと思ってた」

 違います、と返事をしたかった。やつこが鬼追いを手伝いたいといったとき、愛さんは「しないほうがいい」と言ったのに、押し切って手伝った。手伝いも「心を痛めた鬼を見つけること」だったのに、無理に戦おうとして、結局は助けられてばかりだった。全部やつこが勝手にやったことで、愛さんは悪くない。だけど言葉にならなくて、ただ首を横に振った。

「……やっこちゃんは、優しいね」

 それだけでも気持ちが通じたのか、愛さんはうっすらと瞳を潤ませて、微笑んだ。

 しばらくその様子を、こちらも笑みを浮かべて見ていた大助が、「それで」と言った。

「チビ……じゃねぇな。やっこは、まだ鬼追いを続けるつもりか? 今回ので懲りて、もうやめようと思わねぇか?」

 やつこは顔を上げ、大助を、そして海を見た。大助はごく普通にしていたが、海は眉根を寄せ、無言で「やめろ」と訴えていた。この中でもっともやつこが鬼追いに加わることに反対しているのは、言うまでもなく海だ。だから、別人のような表情をしていてもなお憧れの先輩であることに変わりないその人に向かって、やつこは言った。

「やめたくない。今度は、人間の暮らしのバランスっていうのもちゃんと考えながら、どんな鬼とも関わっていきたい!」

 一度そうと決めたら、曲げたくない。それがやつこのポリシーだ。海がそれを聞いてどんなに呆れようとも、今更鬼追いをやめようとは思わなかった。

「やっこさん。自然で良いんですよ、自然で」

 神主さんがそう言って笑っていた。やつこもつられて、へらりと笑った。大助と愛も、やつこを改めて仲間として歓迎すると言ってくれた。

 ただ海一人だけが、暗い表情をしていた。

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