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やっこの決戦(前編)

「……あぁ、やっちゃった」

 翌朝、やつこは大変なことに気がついてしまった。あんまり色々なことがあって、そればかり考えすぎていたせいか、宿題用のノートを学校に忘れてきていたのだ。学校が開いているといいけど、と思いながら、やつこは支度をして家を出た。もちろん玄関へ行く前に、「鬼さん」にいってきますを言って。念のため、竹刀も持って。

 昨日の雨はすっかりあがって、今日は一日良い天気になりそうだった。晴れた土曜日は、いつもなら良い気分で外を歩けるのだけれど、今日ばかりは少しだけ足が重い。呪い鬼のことやクラスのことで頭の中がごちゃごちゃになっているのに、宿題のノートをとりに誰もいないかもしれない学校へ行かなければならないのだから。

 ノートを回収したらすぐに家に帰ろうか、それとも気分転換をしに神社まで足をのばしてみようか、と考えをめぐらせながら遠川小学校の近くまで来たとき。最近よくある「いやな感じ」が、やつこを襲った。

 周りの音が消える。胸がどきどきする。一歩進むごとに空気が冷たくなって、近くに良くない気配を感じる。やつこはポケットに手をつっこみ、愛さんを呼ぶための石をぎゅっと握った。

 今日は竹刀を持ってきている。愛さんが来る前に呪い鬼と会ってしまったら、今度こそ戦おうと決めていた。海には関わってほしくないと言われたが、逃れられないのならしかたがないじゃない、と心の中で言い返す。それに、どういうわけなのかはやつこにもわからなかったが、きっとこの呪い鬼はこれまでに二回も現れたあの鬼だという確信があった。

「こうなったら、関わらなきゃいけなかったんだとしか思えない」

 やつこは竹刀袋から、稽古の時に使っている愛用の竹刀を取り出した。剣道を始めてから二年、ずっと一緒に励んできた竹刀だ。初めて呪い鬼に会ったときには活躍できなかったけれど、今度こそはこれで戦ってみせる。もっとも、愛さんが早く到着してくれれば、使わずに済むのだが。

 しかし、いや、やはりというべきか。愛さんよりも早く、呪い鬼はやつこの前に現れた。思ったとおり、過去二回と同じ鬼だった。愛さんすら失敗してしまった鬼追いを、初心者のやつこが成功させられるなんてことはなかったのだ。

 長い手足に、大きな体。ぎらぎら光る目に、長いつの。でも、見るのは三回目だ。やつこはこれまでよりも、ずっと落ち着いていた。

「わたしに、できること……」

 竹刀を構えながら、小さく呟く。夢の中でお父さんが言っていたことを思い出しながら、呪い鬼と向かい合う。一瞬だけ横目で周りを確認すると、そこがちょうど小学校の校門前であったことがわかった。

 やつこは、学校が好きだ。学校にいるみんなが好きだ。どんなことがあっても、この場所でだけは絶対に負けられない。そして無事に鬼追いが済んだら、週明けにはまたみんなと合唱コンクールに向けて練習をしよう。結衣香には相談を聞いてあげられなかったことを謝りたい。それから、紗智が大きな声で歌えるように、一緒に特訓しようと誘おう。やりたいことがたくさんあるんだ、ここでけがでもしたら全部駄目になってしまう。

 呪い鬼が長い腕を振り上げる。同じ鬼と会うのも三回目なら、動きのパターンはわかっている。向こうがやつこを叩き潰そうと腕を振り下ろす前に、この場所から離れて、横から思い切り叩いてやればいい。海が、大助が、そうしていたように。

 相手はやつこの思ったとおりに行動した。相変わらずゆっくりした動きだったので、やつこはすぐに呪い鬼の横へつくと、その長い足を、竹刀を握る手にありったけの力を込めて叩いた。剣道の稽古で、はじめ先生や海に何度も教わった「胴」の要領だ。当たったのは胴体ではなくひざの裏と思われるあたりだったけれど。

 呪い鬼はぐらりと傾き、後ろに倒れそうになった。やつこは急いでそこから離れ、間合いを大きくとる。向こうがこのまま倒れてくれたら、愛さんが来るまで様子を見ながら待つ。体勢を立て直してしまったら、もう一度同じ繰り返しだ。はたして呪い鬼は、倒れることなく、鈍い動きでやつこを叩き潰せるように姿勢を直そうとした。やつこはもう一度構えて、鬼を叩くタイミングをうかがった。

 そのときだった。足を伸ばそうとする呪い鬼の向こう、学校名の書かれた校門のそばに、人間の姿が見えた。すぐに鬼の陰になってしまったので、ほんのわずかだったのだが、やつこはその姿に覚えがあった。

「あれは、さっちゃん?」

 同じ五年二組で、さっきまでやつこが合唱の練習に誘おうと考えていたその子。宮川紗智が、間違いなくそこにいた。偶然彼女も学校にいて、呪い鬼の空間に巻き込まれてしまったのだろうか。雄人のように、襲われかけていたところに運よくやつこが来たということも考えられる。とにかく、紗智は無事であるように見えた。

「さっちゃん、きっと怖い思いしてるだろうな。助けなきゃ!」

 やつこの心に、それまで以上の闘志が燃えた。自分や雄人が、助けてもらったように、今度はやつこが紗智のために戦わなければならない。たとえまだ未熟で、呪い鬼を倒すことはできないとしても、愛さんが来るまでこちらへ引きつけ、持ちこたえるくらいはできるはずだ。

 体を起こした呪い鬼が再び腕を持ち上げる。やつこは先ほどと同じように移動し、呪い鬼の足を叩く。ダメージが影響していたのか、バランスを整えきれていなかったらしい鬼は今度こそ足を払われ、しりもちをついた。ずん、と地響きがして、やつこもふらつく。足に力を入れてふんばり、転ばずに済んだが、紗智が今の衝撃で怯えていないかどうかが心配だった。呪い鬼が動きを止めている今のうちなら、駆け寄って話すことができそうだ。やつこは走って呪い鬼の背後を通り抜け、紗智のいる校門の陰へ向かった。

 紗智はうずくまっていたが、けがなどはしていないようだった。やつこはホッとしながら紗智の正面に屈みこみ、その肩にそっと触れた。

「さっちゃん、大丈夫?」

 声をかけると、紗智は顔を上げた。やつこの顔を見ると目を丸くして、小さな声で呟いた。

「根代さん、何してるの」

「あの鬼の動きを止めてるの。待ってて、もうすぐ助けが来るはずだから」

 やつこは紗智に笑いかけた。もう安心して良いよと言いたかった。しかし、紗智は眉根を寄せて、低い声で言った。

「……邪魔しないでよ」

 聞き違いかと思った。だって、紗智は呪い鬼の空間に入ってしまって、普段見ることのないものを見てしまって、怯えるか驚くかしているはずだったのだ。だから、そんなことを言うはずがない。やつこの考えでは、そういうことになっていた。

 それなのに、紗智はやつこを睨んで、はっきりと言った。

「せっかく、学校を壊してもらおうと思ったのに」

 やつこがその言葉を理解しようとしている間に、呪い鬼は立ち上がり、こちらへ向いていた。一歩ずつ、ゆっくりとやつこたちに近づいて、長い手を伸ばす。やつこがその大きな影に気付いた頃には、もう呪い鬼の鋭い爪が生えた手が頭上に迫っていた。

 やつこは足元に置いていた竹刀を慌てて握る。いや、戦うより先に紗智をどこかへ逃がさなければならない。でも、さっき紗智が言った言葉が頭の中でぐるぐるとまわっていて、何をどう判断すればいいのかわからなくなってしまう。

 呪い鬼の爪が目の前まで来た瞬間、もう間に合わないと思った。このまま自分は負けてしまって、紗智のことも助けられないのだと。やつこはぎゅっと目をつむって、運命を受け入れようとした。

 ……それから、何秒経っただろう。いつまでたっても、呪い鬼の手はやつこに届かなかった。不思議に思ってそっと目を開けた瞬間、どっ、と地鳴りが響いた。そこにあったのは倒れて低くうめく呪い鬼と、二人の少年の姿。彼らは呪い鬼から目を離すと、やつこたちに手を伸ばした。

「無茶するなって。姉ちゃんが何度言ってもきかねぇんだから」

 大助が呆れたように笑った。

「やっこちゃん、けがはない? ……今まで、一人でがんばってたんだね」

 海は優しく、でも少しつらそうな笑みを浮かべていた。

「海にい……大助兄ちゃん……」

 間一髪で助けに来てくれた少年たちを見て、やつこは夢で聞いた言葉を思い出す。自分を助けてくれる人はたくさんいて、ピンチのときは駆けつけてくれる。お父さんの言ったとおりだった。やつこにはこんなにも、助けてくれる人がいる。

 右手で海の手を、左手で大助の手を掴み、やつこは立ち上がった。そして竹刀を握りなおし、起き上がろうとする呪い鬼を見つめた。

「愛さんはもうすぐ来るよ。それまで俺と大助さんで呪い鬼を止める」

 海はやつこをかばうように、一歩進んで、手にしていた竹刀を構えた。

「あんまりしつこかったら、俺たちで仮の鬼追いをする準備はできてる。姉ちゃんが早く来て、確実にやってくれるのが一番良いんだけどな」

 大助は指をぱきぱきと鳴らして、呪い鬼を見据えていた。呪い鬼はやつこが攻撃したときよりも、起き上がるのに苦労している様子だ。長い腕と足を曲げ伸ばししながら、時間をかけて立とうとしている。

「だったらわたしができることは……」

 呪い鬼が体勢を完全に整える前に、海たちが戦いを始めるだろう。やつこは後ろに座り込んでいる紗智に視線を落とした。うつむいていて、表情は見えない。先ほどの言葉の真意は気になるが、今は問い詰めるときではない。

「さっちゃん、ここから離れるよ!」

 やつこは紗智の手をとった。振り払おうともがく腕を、絶対に放すものかと強く掴む。少しばかり乱暴にではあったが、紗智を立ち上がらせ、引っ張って校舎の陰へ連れて行き、そこに身を潜めた。

 少年二人と大柄な鬼が向かい合う光景を、そっと見守る。「同じ鬼だな」「そうですね、これで三回目です」という会話が聞こえる。やつこよりもずっと長く、愛さんを手伝ってきた二人は、体格の全く違う相手を前にしても少しも動じていなかった。

 呪い鬼はようやくしゃがんだ状態になり、目の前の二人をじっと見つめていた。首を曲げて、うう、と低く声を漏らし、それから腕を横へ伸ばした。

『ドウシテ、邪魔スル?』

 はっきりと、意味のある言葉が聞こえた。同じような言葉をさっき聞いたなとやつこが思うその間に、呪い鬼はぶん、と腕をちょうど横殴りになるように、海と大助に向けて振った。これまでとは全く勢いの違う攻撃にやつこは「あっ」と声が漏れそうになったが、呪い鬼に慣れた二人はその不意打ちすらもとびのいてかわした。

 海は着地したその足で地面を蹴り、そのまま呪い鬼に向かって突進していった。そして呪い鬼の無防備になった腕に、ぱん、という強い音とともに竹刀を叩きつけた。呪い鬼の腕はびくりと震え、地面に落ちる。そこへ大助が札を手にして駆け寄り、それを呪い鬼の手に貼りつけた。

 しかしこれまでやつこが見てきたように、呪い鬼が消えることはなかった。ただ、呪い鬼は札の貼りついた手を持ち上げられないようだった。腕をもう一度振り上げようとしているらしいのだが、手はその場所に縫いとめられたように動かない。どうやら大助が使った札は、鬼を神社へ帰すものではなく、動けなくするものなのだということがやつこにもわかった。

 けれどもこれで終わったわけではない。腕はもう一本ある。まだ自由のきくもう一方の腕を振り上げ、呪い鬼は再び海たちを襲おうとした。だが二人は攻撃を潜り抜け、地についた呪い鬼の手に素早くもう一枚の札を貼った。しゃがんだ体勢のままだった呪い鬼は、これでもう動けない。強力な接着剤で固められたように、武器である腕は完全に封じられていた。

「すごい……あんなふうに、呪い鬼と戦うんだ……」

 やつこは感嘆の息を漏らした。竹刀を振るだけだった自分とは比べ物にならないくらい、海と大助は手際よく呪い鬼の暴走を止めた。でもきっと、あの場所にいた当人たちは命がけだった。少しでも動きが乱れていたら、呪い鬼の腕が体に当たって、けがをしていただろう。

「さっちゃん、あれ、見た? 下手したら、本当に呪い鬼は学校を壊しちゃったかもしれない。そうしたら、みんなが困ることになるんだよ」

 腕を掴まれ、うつむいたままの紗智に、やつこは言った。紗智はやつこの手から逃れようとあがきながら、舌打ちをした。

「みんなは勝手に困ればいい。わたしは困らない。学校なんかなくなってしまえば良かったのに!」

 紗智が叫んだ瞬間、呪い鬼が地面にくっついて離れなかった手を引き剥がそうとし始めた。指先から少しずつ、鬼の手に自由が戻ってくる。

「大助さん、まずいです!」

「やばいな。両腕さえ抑えればなんとかなるだろうと思って、札は二枚しか持ってきてなかった」

 海の焦った声がする。大助が「まずいことをした」というように、額を押さえているのが見えた。やつこがその光景に戸惑った隙に、紗智はやつこの手から自分の腕を剥がした。そして、呪い鬼のほうへ走りながら叫んだ。

「壊して! 学校も、邪魔なものも、みんなみんな壊しちゃえ!」

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