表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/14

やっこの戸惑い

 やつこが初めての鬼追いをしたあとの、最初の剣道の稽古があった日。合唱の練習に、道場までの道の見回り、それから稽古とやつこにとってはとても忙しかったけれども、今日はすぐに家に帰って休むというわけにはいかなかった。

 他の門下生がみんな帰ってしまってから、やつこは海に話しかけた。

「海にい、ちょっとお願いがあるの」

「お願い?」

 海はいつもと同じ、爽やかな笑顔で振り向いた。やつこはちょっとどきどきしながら、海への「お願い」を言った。

「呪い鬼と戦えるようになりたいの。どうすれば海にいや大助兄ちゃんみたいに強くなれるのか、教えて」

「呪い鬼と、戦う?」

 その瞬間、海から笑顔が消えた。呪い鬼と対峙していたときの、あの真剣で少しだけ怖い表情で、やつこを見ている。さっきまでのどきどきとは違う、目の前に突然おそろしいものが現れたときのような緊張感に襲われて、やつこの胸はどきりと大きな音をたてたようだった。

「どうして戦おうなんて思うの? それに、大助さんって……」

「この前また呪い鬼に会って、大助兄ちゃんに助けてもらったの。それで、呪い鬼をキックで倒したりして、すごいなって思って……わたしも強くなって、ちゃんと鬼追いできるようになりたくて……」

 さっきまでの爽やかさがなくなった海の低い声に、やつこは必死で答えた。うそは言っていない。自分の力で、逃げずに鬼追いができるようになりたいと思う気持ちも本当だ。それを海に伝えたくて、強くなる方法を教えてほしくて、事情を説明したつもりだった。

 けれども海は不機嫌そうに首を横に振って、まるで怒っているような口調で言った。

「しなくていいよ、鬼追いなんて。やっこちゃんが礼陣を好きで、鬼たちと仲が良いなら、なおのことしないほうがいい」

「どうして? わたし、愛さんの手伝いがしたいんだよ!」

 やつこには、海がどうして急に冷たくなったのかわからなかった。ただ、愛さんを手伝って、礼陣の町を守りたいと思っただけなのに。海たちのようになりたいと思って、勇気を出してお願いをしたのに。それを海は、そもそも鬼追い自体をしないほうがいいと、否定した。

 食い下がるやつこに、海は深く溜息をついてから、さっきよりは幾分か落ち着いた声で言った。

「危ないことに、まだ小学生で、しかも女の子のやっこちゃんが関わることはないんだよ。おばあちゃんやお母さんは、このことを知ってるの?」

「知らないと思う。わたしが言ってないから……」

「じゃあ、もし知ったらとても心配するよ。絶対に、やめなさいって言うよ。やっこちゃんの家族も、俺も、君が大けがをするかもしれないようなことに関わってほしくない」

 海のいうことはもっともだと、やつこは思った。あの元気なおばあちゃんが、明るいお母さんが、悲しむ顔はやつこだって見たくない。お父さんが死んでしまったときに、いやというほど見たのだから。

 それでも、やつこは呪い鬼から礼陣を守りたかった。おばあちゃんとお母さんがいて、友だちがいて、鬼たちがいる礼陣を、自分の力で守れるようになりたかった。だから海がどんなに止めても、引き下がるわけにはいかない。

「海にい、わたしだって海にいと同じ鬼の子だよ! 鬼が見えることが役に立つなら、鬼追いをやりたい。わたしがけがをしないで、礼陣を守れるようになるために、どうしても海にいに強くなる方法を教えてほしいの!」

 けがをしなければ、家族は悲しまない。そうして大好きな礼陣を守れるなら、こんなに良いことはない。その思いを、やつこは海に本気でぶつけた。

 海は黙って、怒っているような、困っているような、そんな表情をしてやつこの言葉を聞いていた。それからしばらくして、一言だけぽつりと呟いた。

「同じじゃないよ」

「え?」

 何が、とやつこが聞き返す前に、海は歩いていってしまった。追いかけていくとそのまま道場を出て、門下生の出入りする戸口まで来た。そこでやっとやつこを見て、海は無理矢理に作った不自然な笑顔で言った。

「もう帰りなよ、やっこちゃん。俺も道場しめなきゃいけないからさ」

「でも」

「強くなりたいなら、剣道を続けて、何かあったときのために竹刀を持ち歩いていればいいよ。やっこちゃんならそれで十分だ」

 話を打ち切られたようで、釈然としないまま、やつこは帰路についた。海がやつこには鬼追いに関わってほしくないと思っていることと、やつこの剣道の実力は認めてくれてるということはわかった。けれども、呟いた言葉の意味だけはどうしてもわからない。

「同じじゃない、って何のことだろう……」

 やつこと海は、同じく片方の親を亡くした、鬼の子同士のはずだ。だから今まで共通の話題があって、親近感を覚えてきた。何が違うのか、やつこには想像もつかない。

「海にいみたいになりたいと思ったのに……」

 とぼとぼと家へ向かって歩きながら、海が唯一くれたアドバイスを思い出した。また呪い鬼に遭遇したときのために、竹刀だけは持ち歩いておこうとやつこは思った。


 やつこを帰してから、海は道場の出入り口を閉め、踵を返した。門下生が出入りする玄関とは反対方向に、もう一つ、道場の外へ出る戸がある。進道家の母屋へ続くものだ。

 心道館道場の子である海は、いつもこの戸から母屋と道場を行き来している。そこをくぐると、手入れされた庭の見える廊下があり、脇には部屋が並んでいる。海はそこにある二番目の部屋の前で立ち止まり、襖を見た。

「……やっぱり、駄目だ」

 声には出さず、心の中で呟く。閉じている襖の向こう側を睨みつけながら、強く思う。

「あの子が鬼追いをするなんて駄目だ。これは、俺がやらなきゃ」

 思いながら、海は手が痛くなるくらいにこぶしを握りしめていた。


 翌朝、竹刀を持って学校に来たやつこに、雄人が声をかけた。

「今日、稽古ないだろ。なんで竹刀持ってるんだよ」

「もしものときのためにね」

 やつこが明るく答えると、結衣香が「わあ」と歓声をあげた。

「悪い人が出たら、やっこちゃんがやっつけてくれるのね! かっこいい!」

「うん、まかせてよ。ゆいちゃんはわたしが守るからね!」

 きゃっきゃとはしゃぐやつこと結衣香を見ながら、雄人は真面目な顔をしていた。それを横目で見たやつこは、きっと雄人なら本当の理由がわかっただろうなと思った。彼は初めて呪い鬼に会ったとき、海が鬼に立ち向かっている姿を一緒に見たのだから。

 けれどもそれを問い詰められることはなかった。もう合唱コンクールは来週に迫っていて、クラスでの練習にも熱が入っていたからだ。五年二組のみんなの頭は、コンクールで優勝して、トロフィーや賞品をもらうことでいっぱいだった。今では朝と放課後に加えて、昼休みにも練習をするようになっていた。

 そんな中、午後の授業が終わった直後に、男子と女子の何人かが教室の一部に集まって騒いでいた。その場所は紗智の席だった。

「ねえ、さっちゃん。もう少しだけ声を大きくできないかな?」

「宮川、本当にちゃんと歌ってるのか?」

 紗智が雄人たちに雑巾をぶつけられたとき、まるで代わりだというように怒っていた女子も、いつもはふざけているように見える男子も、みんなで紗智を取り囲んでそんなことを話していた。

「さっちゃんも、コンクールで一等がほしいと思わない?」

「みんなそのためにがんばってるんだよ。さっちゃんもがんばろうよ」

 離れたところにいたやつこと結衣香にも、その声は聞こえてくる。紗智の返事は聞こえないが、他の生徒の隙間から、躊躇いがちに頷いている姿がちらりと見えた。もともと紗智は大人しく、普段話す声も大きくはない。だけど真面目で、ちゃんと練習をしていないなんてことはありえないとやつこは思っている。紗智を囲んでいる輪に近づいていって、その中の一人の肩を叩いて言った。

「あのさ、さっちゃんは一生懸命がんばってるんだと思うよ。そんなにみんなで言わなくてもいいと思うな」

 思ったことをそのまま言ったつもりだった。でも、肩を叩かれた女の子はやつこに迷惑そうな目を向けて返した。

「練習終わったらさっさと帰っちゃうから、やっこちゃんは知らないよね。さっちゃん、いつも放課後にお母さんに電話して迎えに来てもらってるんだけど、電話の声のほうが合唱の練習してるときより大きいんだもん」

 それに続いて、「そうだよね」「わたし近くに並んでるから知ってる」「ずるいよね」などという言葉がどんどん湧き出してきた。男子からも「ずるいじゃん」「ちゃんと歌えよ宮川」と声があがり、次第に大きくなってきた。その中心で紗智は下を向いたまま震えていた。やつこがどんなに「やめなよ」と言っても、効果はない。こんな言葉ですぐに反撃されてしまった。

「だってやっこちゃん、最近付き合い悪いから何も知らないでしょ」

「みんなずっと、さっちゃんがちゃんと歌わないこと気にしてたんだよ」

「やっこちゃんに相談しようと思ってたのに、忙しいからって帰っちゃうんだもの」

「でもちゃんと知ってるんだから。やっこちゃんは帰ったあと、一人で自転車乗って走り回ってるだけだって」

 それは、と言い返そうとしたけれど、本当のことは言えない。みんなには鬼は見えないし、鬼追いのことは内緒なのだから。やつこはただ黙って、自分に浴びせられる言葉を受け止めるしかなかった。

 たしかに何度か、放課後の練習が終わったあとに「時間ある?」と尋ねられたことがあった。けれど、最近やつこは鬼を見回ることに夢中で、忙しいと言って首を横に振るばかりだった。鬼追いに気をとられていて、クラスのことに目が向いていなかった。

 先生が教室に入ってきて、みんなが解散してから、結衣香がこっそりやつこに言った。

「わたしもね、ちょっとさっちゃんのことが気になってて、宿題やりながらやっこちゃんに相談しようかなって思ってたの。でもやっこちゃん、毎日急いで帰っちゃってたでしょう? なかなか言えなくて……」

 一番の仲良しであるはずの結衣香の話すら、まともに聞いていなかったのだと、やつこはこのとき初めて気がついた。

 外では昼から降り始めた雨が強くなっていた。教室の中までごうごうと音が聞こえている。今日は放課後の練習を中止してすぐに帰りなさいと、先生が言った。この様子では見回りもできないなと思いながら、やつこは窓の外をぼうっとして見つめていた。


 家に帰ってきたやつこは、水溜りにはまってぐちゃぐちゃになってしまった靴と靴下を脱いでから、いつものように「鬼さん」のいる部屋の前までやってきた。

「ただいま帰りました」

 手を合わせてそう言ってから、そこに立ったまま、しばらく黙っていた。そうしていても何の返事もない戸の向こうに、本当に「鬼さん」がいるのかどうかはわからない。でも、今日はいると信じたかった。誰かに話を聞いてほしかった。

「あのね、鬼さん。わたし、がんばってたんだよ」

 おばあちゃんにも、お母さんにも言えないことだから、「鬼さん」にだけ打ち明けた。

「人間も、鬼も、みんなが幸せだったらいいと思ってがんばってた。でも、クラスのみんなに、付き合い悪いって言われちゃった。いなかったから知らないでしょって……」

 鬼追いを手伝いたくて、呪い鬼を出したくなくて、走り回っていた。学校と稽古以外の時間のほとんどを費やした。実際に呪い鬼と対峙して、もっと強くなりたいと思った。だけど、その行動のどれも正しいという自信がなくなってしまった。

「ゆいちゃんの相談も聞いてあげられなかった。強くなりたいのに、海にいには関わるなって言われた。わたし、どうしたらいいのかわかんなくなっちゃった……」

 こん、と戸におでこをつける。「鬼さん」の部屋によりかかるようにしながら、やつこはぽつぽつと話し続けた。

「わたし、鬼の子なんだよね。それなのに、まだ何の役にも立ててないの。人間の友だちのためにしなきゃいけなかったことも、できなかったの。わたしはこのまま、みんなに嫌われちゃうのかな。礼陣を守ることも、できないのかな」

 雨で体が冷えているにもかかわらず、やつこは戸の向こうに言葉を投げかけ続けた。いつもは鬼の声を聞き取る耳には、ただ外からの雨音と自分の声だけが入ってくる。部屋からは何の応答もない。

「……なにか、言ってくれても、いいじゃない。鬼さん、いるんでしょ……?」

 涙が流れて足元に雫が落ちても、向こう側からは何も聞こえない。やつこを慰めてくれる者は、誰もいない。泣いているうちに、やつこはいつの間にかその場に座り込んで眠ってしまった。

 子鬼がそっとやってきて、やつこの部屋から引っ張ってきた毛布をかけてくれたことには気付かないまま、ぼんやりと夢を見ていた。


 家族も友だちも、それから鬼たちも、みんなが笑顔になっている。それを見ていると嬉しくなって、やつこはいつの間にか手をつないでいた、隣に立つ背の高い男の人に言った。

「みんな一緒だね。楽しいね、お父さん」

 やつこがまだ小さかった頃の、生きていた頃と同じ姿のお父さんが頷いてくれる。そして大きくなったはずのやつこを軽々と抱き上げて、歌うように言った。

『やっこ、やっこ。君は元気で優しい、みんなの人気者だね』

 そう微笑んだお父さんに、やつこは少しうつむいて、首を横に振った。

「夢の中ではそうかもしれない。でもね、本当は元気じゃないし、優しくもなれなかったの。みんながわたしのことを嫌いになっても、しかたがないの」

 とたんに、さっきまで笑顔でやつこを囲んでいた人々がみんないなくなってしまった。今、ここにはやつことお父さんの二人きりしかいない。怖くなってお父さんにしがみつくやつこを、大きな手が優しくなでてくれた。

『大丈夫。やっこは家族や、友だちや、鬼たちのことが大好きなんだろう? みんなもちゃんとそのことを知っているから、やっこのことを嫌いになんかならないよ』

「本当に?」

『本当さ』

 お父さんはやつこをそっとおろして、代わりにもう一度手を握ってくれた。それから顔を上げたやつこの目をじっと見て、『お父さんを信じなさい』と言った。やつこは大きく頷いて、「信じる」と答えた。

「お父さんの言うことは本当だって、信じるよ。いつもそばにいてくれたら、もっともっと信じるよ」

『お父さんはいつだってやっこのそばにいるよ。やっこを見守っているよ。やっこが怖い思いをしていたら、すぐに駆けつけて助けてあげる。でも、やっこを助けてくれる人は他にもたくさんいるから、きっとその人たちのほうが、お父さんより早く来てくれるはずだよ』

 お父さんはにっこり笑って、『さあ、』と言った。そのあとはもう聞き取れなかったけれど、やつこは続きをちゃんとわかっていた。


「……その人たちのために、できることをしておいで」

 目覚めたやつこは、その言葉を口にした。やけにはっきりと覚えている夢だったなと思いながらきょろきょろとあたりを見回して、「鬼さん」の部屋の前で寝てしまっていたことに気がついた。

 知らないうちにかかっていた毛布をたたんで、手で涙のあとを拭いて、やつこは自分の部屋へ行った。お父さんが言っていた「できること」が何なのか、考えるために。明日は学校が休みだから、ゆっくりと考えることができるだろう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ