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やっこと鬼追い

 土曜日の朝、やつこは愛さんに言われたとおりに礼陣神社へやってきた。何時においで、という時間の指定はなかったので、もし誰もいなくても、いくらでも待つつもりだった。しかしそんなやつこの思いをわかっていたのか、もしかしたら鬼たちから聞いていたのかもしれないが、愛さんはちゃんと神社にいた。

「やっこちゃん、来たんだね」

 相変わらずの明るい笑顔に、やつこはホッとする。もしかするととても真剣な表情で、おそろしいことを語り始めるのではないかと思っていたのだ。けれども愛さんはいつもの調子で、やつこの手を引いて社務所へと向かった。その様子を神社に集まっている鬼たちが、興味深そうに眺めていた。

 愛さんはよく社務所に出入りしているのか、勝手に入って、やつこに座るよう勧めてくれた。それから、台所から麦茶を持ってきて、「今日は神主さんがいないから」と言った。

「何かあったら私が対応しに出て行かなきゃならないの。もしかしたら話を中断することもあるかもしれないから、そのときはごめんね」

「はい、大丈夫です」

 そういえば、神社の行事やお正月には、愛さんが神主さんを手伝っていた。そう思うとこうして社務所を自由に使っていることも納得できる。やつこは出してもらった麦茶を一口飲んで、それからずっと言いたかったことを先に伝えることにした。

「この前は、ありがとうございました。愛さんと海にいが来てくれなかったら、わたしも雄人もどうなってたかわかりません」

 すると愛さんは、にっこり笑って、手を振りながら言った。

「いいのいいの。あれが私たちの仕事なんだから」

「仕事……ですか?」

 やつこが首を傾げると、愛さんは頷いて、それからぴんと背筋を伸ばして、まっすぐにこちらを見た。

「そう、仕事。私はね、『鬼追い』なの」


 おにごっこという遊びがある。土地によって遊び方はさまざまあるが、基本は鬼が一人いて、逃げる人たちを捕まえるというものだ。

 けれども、礼陣のおにごっこは違う。逃げるのは鬼たちで、それを追うのは「鬼追い」という役だ。この鬼追いに捕まった「鬼」は、一か所に集められる。集まる場所のことは「神社」という。鬼追いが鬼を全て神社に集めたら、ゲームはおしまいだ。

 礼陣の外から来た子どもは、まずこの変わったおにごっこに驚くことになる。やつこのクラスメイトにもかつて転校生だった子がいるが、おにごっこでの役割の違いにはこちらが不思議に思うくらい感心していた。また、やつこのいとこは礼陣よりずっと都会といえる場所に住んでいるが、やつこがおにごっこのことを話したときに「一般的なルール」を教えてくれて、その違いを面白いと言っていた。

 鬼追いが鬼を神社に集める。この遊びのもとになったものを、やつこは知らずに育った。ただ楽しい遊びとして、幼い頃から親しんできた。そうして今、目の前には「鬼追い」だという女の人が微笑みながら座っている。それを遊びではなく、仕事だと言っている。


「やっこちゃんは、呪い鬼を見たのは初めてだったんだよね」

 愛さんは手元にメモ用紙を置いて、シャープペンシルで字を書き始めた。女性らしい柔らかい字で「鬼」と書き、その下に矢印を引く。下に延ばした矢印の横には「つらい思い」、矢の先には「呪い鬼」と記して、一度手を止めた。

「鬼が呪い鬼になってしまうのは、こういう仕組み。やっこちゃんは、おばあちゃんから聞いたことがあるんじゃないかな」

 やつこが頷いたのを確認して、愛さんはさらにペンを持つ手を動かした。「呪い鬼」と書いた横に「鬼追い」と加えて、矢印で繋ぐ。そして「鬼追い」から「呪い鬼」へ延びた矢印のそばに、「神社へ帰す」と書きこんだ。

「鬼追いっていうのはね、悲しくも呪い鬼になってしまった鬼を、神社に帰す仕事なの。神社に帰すことができれば、神主さんがつらい思いを呪い鬼から取り去ってくれる。そうすれば呪いは消える」

 わかるかな、と尋ねた愛さんに、やつこは再び頷いた。それから首を傾げて、頭に浮かんだ疑問を口にした。

「呪い鬼は、自分で神社に帰ることはできないの?」

 すると愛さんは困った顔をして、「そうみたい」と言った。どうやら呪い鬼になってしまうと、鬼自身は自分が何をしているのかわからなくなってしまうようだった。とにかく抱えたつらさを何かにぶつけようと、人間や他の鬼を襲ってしまうのだという。

「やっこちゃんが見たあの鬼も、我慢できないほど苦しいことがあって、雄人君を襲ってしまったんだと思う。だからあの鬼の苦しみを、人を傷つけるという方法以外で癒すために、私と海君は鬼追いをしたの」

「海にいも? 本当はずっと、そうやって鬼追いをしてきたの?」

 やつこはあのときのことを思い出す。海の動きは、明らかに鬼との戦いに慣れていた。何度もあんなことがなければ、怯まずに動くことはできないだろう。実際、やつこは手元に自分の竹刀があったにもかかわらず、そこから逃げることすら難しかった。

 愛さんは目を伏せて、困った顔をさらに申し訳なさそうにして、やつこの問いに肯定を返した。

「そう。以前から何度も、海君と……それから私の弟に、鬼追いを手伝ってもらっているの。あの子たちはとても危険なことを承知で、私が現場に到着するまで、呪い鬼の動きを止めたりしてくれているのよ」

 愛さん本人が呪い鬼のいる現場の近くにいれば問題ないのだが、そうでなければ彼女の代わりに被害を抑える役が必要なのだという。たしかにあのとき、海が先に到着していなければ、雄人もやつこもけがをしていただろう。こうして無事でいられたのは、鬼追いを手伝う存在がいたからなのだ。そしてそれが海と、愛さんいわく彼女の弟だという理由は、鬼を見ることができるからに他ならない。

 海がやつこと同じ鬼の子であるように、愛さんとその弟もまた鬼の子だ。九年ほど前に飛行機の墜落事故があり、愛さんたち姉弟はそれに乗っていた両親をいっぺんに亡くしてしまった。以来、愛さんと弟は鬼を見ることとなったのだと、やつこは以前に聞いていた。

「鬼を見ることができなければ、鬼追いはできないの。今回は完全に呪い鬼になってしまったものを神社に帰すということをしたけれど、本当はつらい思いをしている鬼を事前に見つけて、呪い鬼になるのを防がなくちゃならないからね。海君が協力してくれているのは、偶然にも彼が鬼の子で、弟の後輩だったからなのよ」

 鬼の子同士が仲良くなるというのは、やつこもそういうものなのだろうと思っている。自分が海に親近感と尊敬の念を抱いているように、海もきっと、愛さんの弟とやらに自分と近いものを感じてついていったのだろう。そうして今、鬼追いという下手をすればけがをしかねないような仕事の手伝いをしているのだ。

 鬼の子でなければ、鬼追いはできない。愛さん一人ではやりきれないことを、憧れの先輩たちが手伝っている。それを知ったやつこの胸には、一つの考えが生まれていた。

「愛さん。呪い鬼はわたしが知っているよりも、たくさん現れているんだよね」

「そうだと思う。私たちはできるだけ、呪い鬼になってしまった鬼がいることを、他の人に知られないように動いているから」

 手伝いを必要とするほどに、呪い鬼は現れている。それならもっと人手があったほうがいいのではないか。

「わたしにも、鬼追いはできますか?」

 何より、海のかっこいい姿を見てしまった。愛さんの堂々としたふるまいも目に焼きついて離れない。やつこもあんなふうになりたいと思った。礼陣の人々を助けたいという気持ちで、胸が熱くなっていた。

 けれども、愛さんはその大きな目をまんまるにしたあと、困った顔をしてこう言った。

「やっこちゃんは、しないほうがいいよ」

「どうして? わたしだって鬼は見えるし、剣道だって……海にいほどは強くないけど、同い年の男の子たちにだって負けないくらい強い自信はあります!」

 やつこは強く言い切った。でも愛さんは、「危ないよ」と首を横に振った。

「やっこちゃんは根代さんの家の子だから、もともとここの神社や鬼とは関係が深いでしょう。私はそれで十分だと思うの。……きっと優しいやっこちゃんのことだから、今の話で、自分も手伝いたいと思って言ってくれているんでしょう。でも、鬼追いは胸を痛めることも多い仕事よ。鬼たちのことが大好きなやっこちゃんには、説明はしておかなくちゃと思ったけれど、これ以上巻き込みたくはない」

 ゆっくりと、静かに、愛さんは言った。やつこのことを心配していることが、ひしひしと伝わってくる。けれども、やつこはいつだって、やると決めたことはやるのだ。愛さんが心配してくれるなら、それを吹き飛ばすくらいにがんばって、鬼追いをすることを認めてほしい。

「鬼たちのことも、人間の友だちのことも、大好きだからやりたいんです。わたしだって、鬼たちみたいに、礼陣の町を守りたいんです!」

 愛さんはしばらく頬に手をあてて考えていた。やつこの心が本当だとわかっているから、真剣に悩んでくれているようだった。やつこはうつむくことなく、黙ってその様子を見つめていた。

 すると愛さんは、ふう、と一つ息をついて、「わかった」と言った。

「鬼追いって、そんなにかっこいいものじゃないけれどね。やっこちゃんがそう言うなら、手伝ってもらいましょう」

 待っていた言葉を聞いて、やつこは飛び上がって喜びたくなった。けれども、愛さんが「ただし」と続けたので、きちんと座ったまま耳を傾けた。

「やっこちゃんには、呪い鬼になってしまうかもしれないような、心を痛めた鬼を見つける手伝いをしてもらうね。もしも今回みたいに呪い鬼と出会ってしまったら、すぐに私に連絡して」

「はい!」

 愛さんを手伝うことで、大好きな礼陣の人々を守ることができて、憧れの存在にも近づけるなら、なんでもやろう。やつこはこれからへの期待にどきどきする胸をぎゅっと押さえた。頭の中には海がそうしていたように、呪い鬼に怯むことなく立ち向かう自分の姿が浮かんでいた。


 鬼追いをすることになって、やつこは愛さんから呪い鬼について知っておかなければならないことを教わった。

 まず、呪い鬼はとても強力な力を持っているということ。もともと鬼は不思議な力を持っているが、普段はそれを隠していて、表に出すことはない。いざというときには力を使って人を助けたりするけれど、たいていは抑えて、人間たちが鬼を気にすることなく、普通の生活ができるようにしているのだ。しかし呪い鬼は感情にまかせて力をふるうので、当然他のもののことなど考えない。だから鬼追いは危ない仕事なのだと愛さんは言う。

 また、鬼はみんな自分だけの空間をつくることができるのだという。人間ばかりのこの世界で、鬼が生きていくためには、自身が自由に生活することのできる空間が必要なのだと愛さんは説明した。

「やっこちゃんも家に自分の部屋があって、そこでは自由に勉強をしたり、遊んだりできるでしょう? 鬼も同じようなものよ。たとえば、神社にある鎮守の森がそう」

 鎮守の森は、礼陣神社の本殿裏にある、上空から見るとほんのわずかな面積しかない雑木林のことだ。大人たちは神社の境内で遊ぶ子どもたちに、必ず「鎮守の森には入ってはいけない」と言いおく。愛さんによると、そこは完全に鬼たちのための世界であり、人間が入ると迷ってしまうからだという。もっとも礼陣の鬼たちは人間に優しいので、迷い込んでしまった人間はちゃんと助けてくれるそうなのだが。

 ただし、呪い鬼がつくる空間は別だ。神社に帰ることのできなくなった呪い鬼は、ところかまわず自分の空間をつくり、そこで暴れる。そこへ人間が迷い込んでしまったら、助けるどころか襲いかかり、大けがをさせてしまう。ちょうど雄人がそうなってしまうところだったように。

「そうか。あのときわたしたちは、呪い鬼がつくった空間に入ってしまっていたんだ」

 愛さんのおかげで、やつこは納得した。呪い鬼に出会ったとき、人の気配がなかったのは、そこが鬼のつくる空間の中だったからだ。主がいなくなってしまったら、もちろんのこと空間も消える。

 鬼追いをする人間の役目は、呪い鬼がつくりだした空間を見つけて入り込み、落ち着かせてから神社へ帰すこと。できれば呪い鬼に変わってしまう前に、鬼たちの心に蓄積しているつらい思いに気付いてあげること。それは普段から鬼と接することのできる、鬼の子にしかできないことだ。そしてやつこは、鬼たちと特に仲の良い鬼の子として、その役割を果たすことのできる存在だった。

「今のところは、これだけ知っておけば大丈夫。常にこれが危険なことだと意識して、無茶なことは絶対にしちゃ駄目よ」

 愛さんはそう言って、話をしめくくった。

 やつこは思う。これから自分は鬼追いの手伝いをしていくけれど、場数を踏めば、いつかは愛さんや海のように、呪い鬼と直接向きあって神社へ帰すこともできるのではないか。そしてそれは、鬼の子になった自分だからこそできることなのではないか。そうすることで、単にお父さんが死んでしまったから鬼の子になったのではなく、使命を果たすために鬼の子になったのだと考えることができるのではないか。

 お父さんがいなくなってしまって、寂しい思いをした。鬼たちが周りにいるから大丈夫だと思っても、やはりお父さんがいる子たちが羨ましかった。でも、それも全てやつこが「使命」を負うために必要なことだったのだと思うと、振り切れるような気がした。

「愛さん、これからよろしくおねがいします!」

 やつこは愛さんに頭を下げた。愛さんは微笑んで、「よろしくね」と返してくれた。けれども、そのあとにふっと暗い瞳をしたことに、やつこは気付かなかった。

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