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やっこの日曜日

 日曜日の午前中、やつこには重要な仕事がある。毎週必ず、ほうきとバケツ、雑巾を自転車に積んで、おばあちゃんと一緒にでかけるのだ。ときどきはお母さんも来るのだが、今日は仕事が入ってしまったのでいない。荷物は全部やつこが持って、おばあちゃんが歩くのに合わせて自転車を押し、目的地へ向かう。

 やつこの住む遠川地区から出て、礼陣で一番大きな道路を渡って、昔ながらの商店街を抜ける。するとそこに石段が待ち構えているので、自転車をそのそばに停めて荷物を降ろす。雑巾の入ったバケツをおばあちゃんが、竹でできたほうきをやつこが持って、石段を上っていくと、その終わりには鳥居がある。遠くから見ると黒く、しかしこうして近くで見ると深い緑色をしていることがわかる、大きくて立派な鳥居だ。

「やっこ、水を汲んできなさい」

「はあい!」

 おばあちゃんの頼みをきくべく、やつこは鳥居の向こう、神社の社務所へと駆けていく。ここで水をバケツ一杯もらって、週に一度の大切な仕事を始めるのだ。

 礼陣神社。この礼陣の町に昔からある神社で、祀られている神様は鬼。だから子どもたちの多くは、ここを「鬼神社」と呼んでいる。空気が良くて静かなこの場所は、人間たちにとっても、鬼たちにとっても憩いの場となっていた。

 そんな礼陣神社を管理するのが、やつこたち根代家の人間の仕事だ。代々この神社を掃除し、神事を手伝い、鬼に最も近い家の一つとして暮らしてきた。やつこもおばあちゃんからそう聞かされて育ち、毎週境内の掃除をしに来るのだった。

「神主さん、お水下さい!」

 やつこが社務所の戸を叩いて、大きな声で呼ぶと、中から「はいはい」と男の人が返事をした。それから待つこと十数秒、ゆっくりと戸を開けて現れたのは、長い髪を束ねて、にこにこと微笑む若そうな人。この町の人々が「神主さん」と呼ぶ、礼陣神社の住人だ。

「やっこさん、いつもお掃除ありがとうございます」

 やつこの手からバケツを受け取り、穏やかな声でお礼を言うその人は、不思議なことにもう何十年も姿形が変わっていない。やつこのおばあちゃんが少女だった頃も、今と同じ若い男の人の姿でこの神社にいたという。

 それもそのはず、この人は「神主」でありながら、この神社で祀られている「神様」そのものなのだ。頭につのは見えないけれど、彼は正真正銘、礼陣の鬼たちの中でも一番格の高い「大鬼様」と呼ばれる存在だった。

 鬼といえども、つのがなく、誰にでもその姿を見ることができるので、彼が鬼であると信じない人間も多い。けれども礼陣に長く住んでいると、この人がいつまでも年をとらないということに気付いてしまい、人間ではないということに納得してしまう。そうして礼陣の人々はこの「神主さん」に親しみ、敬って生活している。

「神主さん、今日も境内、鬼でいっぱいだね」

 水を汲んだバケツを受け取りながら、やつこは見えている景色について言った。毎週どころか毎日のことだが、鬼たちは神社の境内でのんびりとくつろいでいる。子鬼たちはじゃれあったり、そこらをくるくると走り回って遊んでいる。憩いの場は大盛況だ。

「はい、平和でなによりです。やっこさんも、彼らとお話してあげてください。喜びますから」

「もちろんです!」

 やつこが神社の掃除を嫌がらずにやっているのは、そのついでにたくさんの鬼たちとふれあえるからだ。普段は人間の友だちとの付き合いを優先しているが、ここでは堂々と鬼たちの遊びに混ざることができる。みんながお互いに姿を見て、お喋りを楽しむことができる、大切な時間だ。

 掃除を始めると、鬼たちも手伝ってくれる。やつこが鳥居を拭いていると、鬼たちはふわりと飛び上がって、人間では届かないような高いところの雑巾がけをする。ありがとうと声をかけると、人間と同じ表情で笑ったり照れたりする。人間の友だちとすることは同じなのに、やつこ以外の人間の多くには経験できないやりとりだ。

「鬼たちは元気そうだね。やっこを見ていればわかるよ」

 おばあちゃんは目を細めて言う。かつてやつこと同じくらいの年頃、おばあちゃんにも鬼が見えていたという。やつこと同じく父親を亡くし、その日から鬼が周りにいる世界が当たり前になった。大人になってからは鬼を見ることはできなくなってしまったが、たしかにそこにいるのだということは知っている。加えて根代家の持つ役目や家に「鬼さん」がいることがあり、やつこのおばあちゃんは礼陣でも特に鬼を大切にしている一人だった。

「やっこは鬼の子なんだから、鬼と仲良くするんだよ」

 神社を掃除しに来るたび、おばあちゃんはやつこにそう言っていた。やつこは当然鬼と仲良くしたいと思っているので「もちろんだよ」と答える。するとおばあちゃんは満足したように頷いて、こう続けるのだ。

「根代の人間が呪い鬼を作っちゃ、いけないからね」

 この言葉を聞くと、やつこはどきりとする。周りの鬼たちの表情が一瞬こわばるのも感じる。「呪い鬼」は、人間にとっても鬼にとっても、いいものではないのだ。

 いつもは気のいい礼陣の鬼たちが、何かのきっかけで悲しみや恨みを溜め込んでしまうと、自らの持つ不思議な力で人間や他の鬼を傷つけるようになることがある。そうなってしまった鬼を礼陣の人々は「呪い鬼」といっている。人間と鬼が平和に共存するこの町で「呪い鬼」が生まれてしまうと、みんながつらい思いをしてしまう。そうならないためにも、鬼の見える「鬼の子」が鬼たちと話をしたり触れたりして、誰しもときどきは抱えてしまう心の痛みを和らげていくことが大切なのだ。やつこはおばあちゃんや神主さんから、そう教わってきた。

 鬼たちとお喋りをしているうちに、境内の掃除は終わって、あたりはきれいに片付いていた。やつこが手伝ってくれた鬼たちと手を叩きあって「おつかれさま」を言っていると、ちょうど神社に人間が現れた。

「あ、掃除したばっかりだね。ぴかぴかになってる」

 その人は神社によく来る女子大生で、やつこもよく知っていた。手を振って名前を呼ぶと、向こうも大きく振り返してくれた。

「愛さーん」

「こんにちは、やっこちゃん! お掃除お疲れ様!」

 愛さんと呼ばれたその人は、やつこのおばあちゃんに丁寧に挨拶をしてから、小走りで神主さんの方へ向かっていった。神主さんの方も、愛さんが現れるといつもの優しい笑顔をよりほころばせて、とても嬉しそうだ。

「神主さんと愛さんは好き合ってるんだ」

 やつこも、他の人も鬼も、みんながそれを知っている。幸せそうに話す二人はどこからどうみても普通のカップルなのだが、実際は片方が人間で片方が鬼だ。愛さんはちょっとかわいい女子大生で、神主さんはこの町の神様。生きてきた時間の長さも、想像もつかないほどに違う。それでも神主さんは愛さんを、愛さんは神主さんを、心から大好きなのだと見ていてわかる。

 もしも、このまま二人がずっと一緒にいたとしても。愛さんが先におばあさんになって、この世を去ってしまうのは確実だ。そのとき神主さんは深い悲しみにおちて、呪い鬼になってしまわないだろうか。いつかやつこのお母さんが、二人を見てそう呟いたことがあった。神主さんは偉い鬼だから、そうはならないんじゃないかとやつこは思っているのだが、ふっとそのことが頭をよぎることがある。そのとき想像してしまう二人の別れの光景は、お父さんのお葬式でお母さんが涙を流していた記憶と重なって、胸がずきりと痛くなる。あのときのお母さんは、鬼が呪い鬼になってしまいそうなくらいの悲しみにあったのだろうか。だから神主さんと愛さんが心配なのだろうか。

 そこまで考えたところで、後ろから肩を叩かれた。振り向くとにこにこ顔のおばあちゃんが、もう掃除の道具をまとめていた。

「さぁ、お二人の邪魔をしちゃいけないから。そろそろ帰ろうか、やっこ」

 やつこは頷いて、一組のカップルとたくさんの鬼たちに別れを告げた。するといつものように、みんなが笑顔で、でも少し残念そうに見送ってくれた。

 あの鬼たちは、どんなときに悲しいと、つらいと思うのだろう。今のように一時の別れを惜しんでも、それだけでは呪い鬼にはならない。どれほどの痛みを溜め込んだら、周りを傷つけてしまうようになるのだろう。どうかそれを知る機会がありませんようにと、やつこは祈っているのだった。


 毎週、掃除が終わったあとにはお楽しみがある。商店街の端、神社に一番近いところにある「御仁屋」という老舗の甘味処で、おばあちゃんがおやつをごちそうしてくれるのだ。やつこはこの店でパフェを食べるのが、鬼たちと遊ぶ次に好きだ。抹茶味のスポンジケーキと生クリーム、そしてあんこを重ねて、一番上にこれまた抹茶味のアイスクリームがぽんと乗せられた抹茶パフェ。てっぺんから少しずつ崩しながら、時間をかけてゆっくりと食べているやつこの正面で、おばあちゃんは大好物の「おにまんじゅう」を上品に切りながら口に運んでいる。礼陣の名物でもあるこの「おにまんじゅう」は、表面にかわいい鬼のイラストが焼き入れられていて、中にはあんこがぎっしり詰まっている。都会に住んでいるやつこのいとこが遊びに来た時には必ずおみやげに持たせている、とても美味しいおまんじゅうなのだ。

「私も大ファンで、神社で行事をやるときには必ず納めてもらってるんです」

 いつだったか、神主さんが神社の境内で「おにまんじゅう」をほおばりながら言っていた。周りに集まった鬼たちもおまんじゅうをどんどんとって食べてしまうので、神主さんは自分のぶんを確保しようと必死におまんじゅうの箱を守ろうとする。その様子がおかしくて、やつこは笑いながら「今度はわたしも持ってきます」と約束した。おこづかいが足りなくて、未だに果たせていないけれど。

「だって、みんなが絶対に一つは食べられるように買うとしても、ものすごい量になっちゃうし」

 神主さんとの約束を果たせるのは、やつこがもっと大人になってからになりそうだ。だけどそれまで待っていると、おばあちゃんがそうだったように、いつか鬼を見ることができなくなってしまうんじゃないかとも思い、やつこはパフェを食べながら悩むのだった。


「どうして大人になると、鬼が見えなくなってしまうの?」

 やつこが尋ねると、おばあちゃんはこう答えた。

「大人になるということは、親から離れるということでもあるからね。鬼は親代わりという役目を終えると、見えなくなってしまうのかもしれない」

 鬼の子が鬼を見てふれあえるのは、鬼がいなくなってしまった親の代わりをしているから。親が守らなくても自分の力で生きていけるようになったら、鬼がその役割を担う必要はなくなる。だから、鬼は姿を消す。それがおばあちゃんの考えだった。

「でも、寂しいよ。大人になっても鬼と一緒にいたいよ」

 そう言ってやつこがうつむくと、おばあちゃんはにっこり笑って「一緒だよ」と言った。

「見えなくても、鬼はたしかにここにいる。やつこがそのことを忘れなければ、礼陣の鬼たちとはずっと一緒だよ。だから寂しく思わなくていいの」

 礼陣はそういう場所なんだから、とおばあちゃんはやつこの頭を優しく撫でてくれた。そのとき、やつこはおばあちゃんがいつでもにこにこしながら神社の掃除に行く理由がわかったのだった。たとえ見えなくても、神社に行けば昔なじみの友だちが、たしかにそこにいるのだと知っている。そしてやつこにもそうあってほしいと願っているのだ。

「じゃあ、ずっと一緒だね。寂しくないね」

 やつこもおばあちゃんに笑顔を返した。それから、周りでやりとりを見守っていた鬼たちにも。ずっとそばにいてね、という気持ちを込めて。


 パフェに満足して、家に帰ってきたら、まずはおばあちゃんと一緒に「鬼さん」の部屋の前へ行き手を合わせる。おばあちゃんと並んで「ただいま帰りました」と言ってから、今日の出来事を思い返す。いつもと同じ日曜日だった。けれども、ずっと続けばいいと思う日曜日だった。

 人間も鬼たちも、いつも穏やかに過ごせたらいいなとやつこは思う。人間も鬼も大好きで、誰にもつらい思いをしてほしくない。そうしてふと、お母さんの涙を思い出した。

「お母さんがまた泣いてしまわないように、どうかうちを守り続けてください」

 やつこはこっそり、「鬼さん」にお願いした。

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