神統断片拾遺 結び
結び
拾い終えて、机の上をあらためて見る。八つの章と、書き写したまま使わなかった断片の山である。本書はこれで仕舞いになる。正直に言えば、この結びを書くのを幾日か先延ばしにしていた。書き終えれば、この仕事も終わってしまうからである。
序を書いたころの自分のことを、少し記しておきたい。筆者は照合局の役人として、二十年、写本の綻びを見つけては繕ってきた。神々のことはよく知っているつもりでいた。毎日神書を読むのが仕事だったからである。本書を思い立ったきっかけも、志などという立派なものではない。誤った知識で神を見た小国が、説法ひとつで滅んだ話を序に書いた。ああいうことを二度と起こしたくない。正しい記録を残しておきたい。初めはそれだけの、いわば繕いものの延長であった。
様子が変わってきたのは、聖嵐神の章のあたりからである。雷を怒りではなく慟哭と読む古い書に出会って、書き写す手が止まった。正典と食い違うものを、正典を守る局の人間が書き写している。これでよいのかと、何度も思うた。反逆神の章の、あの三葉の紙片を受け取った夜には、灯を引き寄せて、焼いてしまおうかとまで考えた。焼けなかったのは、崩れた童歌の最後の一行のせいである。いちばん、やさしいこ、だったのに。あれを読んでしまってからは、焼くという道は、もう筆者のうちに無かった。いま思えば、あの夜からである。綻びを繕う仕事から、こぼれたものを拾う仕事に、筆者は変わっていったのだと思う。
掘り進めれば、信じてきたものが崩れるのではないか。章を重ねるあいだ、その不安はいつも机の隅にあった。されど、崩れなかった。塗り込められた下から出てきたものが、恐ろしい何かではなかったからである。怒りの神と教わった御方は、誰よりも怒りに遅かった。世を裂いた大逆の神について拾った断片は、どれも、いちばん優しかったと囁いていた。生命の母はついに刃を取らず、白き秤の神はおのれの定めた律にまずおのれが縛られ、大地の神は去れなかったのではなく去らなかった。流れの神は、手放すことで人を生かしていた。そして境の神は、八柱でいちばん恐れられながら、常に人に寄り添っておられた。正典が偽りを記しているのではない。正典は均しているのである。均されて消えるのは、決まって静かな部分であった。神々は、人が思うよりずっと静かな務めを負うておられる。八つの章から本書が言えるのは、結局これだけである。筆者のうちで変わったことも、これと同じである。書き始める前、神々は遠くから畏れるものであった。いまは、戸口をくぐるたび、日の暮れるたびに思い出す相手である。畏れが消えたわけではない。ただ、畏れだけではなくなった。
答えは、本書のどこにもない。反逆の神は何ゆえ堕ちたのか。封印の暁に何が語られたのか。あの鍵はいつか回るのか。どの問いも、開いたままである。ただ、問いは書き残しておけば、いつか誰かが引き継いでくれる。この断片の山から、筆者の見落としたものを拾い上げる者も、いずれ現れよう。本書がその足がかりになれば十分である。
旅団長クローネ・ディ・バーガンディア殿をはじめ、力を貸してくだされた方々の名は、序に記した。あらためて礼を申し上げる。そのうえで、名を書けぬ方が一人ある。誰のことかは、門守神の章の終わりに記したとおりである。筆者は招かれて、この書を書いた。そう思い定めてからは、筆を重くしていた恐れも迷いも、ふしぎと軽くなった。ならばこの書もまた、次の誰かへの招きになればよい。門は、招く者と招かれる者とがあって、はじめて門になるのだから。
数えてみれば、序を記した日から、ちょうど一年になる。書き終えた窓の外は、いま黄昏である。昼の白と夜の黒とのあいだの、あの色である。この色をもう、筆者は恐ろしいとは思わない。
王国歴1651年 聖燭の月 24の日
人類魔導管理統一機構 聖典照合局 史料編纂室 主任
ミレイア・ソル・グランヴェ




