【10】湊陽輝の悪夢
*** 登場人物紹介 ***
◆猪狩美咲……背が低く、栗色の三つ編みがチャームポイント。煌桜の御使だが、周りには秘密にしており、普通の少女として学校生活を送る。
◆湊陽輝……推進研究室の研究員。美咲とは10年以上の付き合いで、幼い頃から彼女の「普通になりたい」という望みを叶えてきた。
◆明石耀一郎……推進研究室の、主任研究員。湊にとっては上司にあたる。煌桜と美咲の状態を見守り、支部に報告している。
◆狩野美晴……猪狩家で侍従を務める。美咲が5歳の時から面倒を見ている。
*** 用語解説 ***
◆煌都……神木の加護を受けた、日本唯一の特例都。この地に足を踏み入れた者は、身体能力が上昇したり、感覚器官が鋭敏になったりという形で恩恵を授かる。しかし超人的な域に達する者は少なく、大半の都民は「都外の人間より身体が丈夫」程度に収まっている。
◆神木……太古より煌都を守る大樹「煌樹」と、煌樹が生み出した、桜に似ている「煌桜」の2柱が存在する。両神とも宝石のような結晶を生み出し、その結晶は高値で取引されている。また、神木は人間の中から「御使」を選び、その者に託宣を与えるとされている。
◆御使……神木の声を聞ける人物。身の安全を確保するために、正体は極秘である。しかし煌桜の御使は10代の少女であることが判明しており、彼女を「さくら姫」として讃える創作が広まっている。
誰もいない、研究室の廊下。
湊は、ひたすら廊下を走っていた。
(美咲、美咲がっ……!)
どこからか、自分を呼ぶ声がかすかに聞こえてくる。
(美咲、どこだっ!?)
並ぶ扉のうちひとつを、勢いよく開ける。
「みなとさんっ──」
幼い声は途切れ、黒い刃が振り下ろされる。視界が赤い鮮血で染まる──
「……っ!!」
湊は布団を跳ね除け、飛び起きた。
心臓が早鐘を打つ。身体中が熱くて寒くて、痺れていて。血が逆流しているかのようだ。
「っ……はぁっ……」
呼吸が乱れていて、上手く息ができない。キーンと甲高い耳鳴りが、脳内を埋め尽くす。
(まただ……落ち着け、ただの夢だ……)
震える右手で、左の袖を捲る。
暗い部屋でも、腕のアザが確認できた。
(ほら、ちゃんとある……大丈夫、大丈夫だ……)
全身が汗でびっしょりだ。
背中に服が張り付いて気持ち悪い。
胃の底から、熱いものが迫り上がってくる。
「うっ……」
(大丈夫、これで吐いたことはない……深呼吸して、心拍数を下げるイメージで……)
目を閉じて、吸って吐くことに集中する。
かつて、侵入者が幼い美咲に振り下ろした凶刃。それは美咲を庇って、湊が受けた。左腕は激しい裂傷を負ったが、長年に渡る治療とリハビリで、元通りに動くようになった。だが、心には深い傷が残り、今でも悪夢となって自身を苛むのだった。
次第に耳鳴りが収まり、心拍も落ち着いてきた。
(身体の外側も、内側も、気持ち悪い……夜風に当たりに行こう)
***
つっかけを履いて、廊下に出る。
推進研究室は、煌桜を24時間観測するために、職員が常駐している。廊下の電灯は省エネモードになっているが、消えることはない。
壁を伝いながら、ふらふらと薄暗い廊下を歩く。
彼方に、明るいオフィスの光が見える。湊はオフィスには近寄らず、階段の手すりに縋り、ゆっくりと階下を目指した。
「あっ!やっぱり湊くんじゃないか!誰か歩いていると思ったら……!」
背後から、明石の声が聞こえた。
(あれ、明石さん、今日は夜勤だっけ……どうだったかな……)
湊は頭の中で勤務表を思い浮かべようとしたが、くらくらするような眩暈に襲われ、階段に座り込んだ。
明石が慌てて湊の肩を支える。
「湊くん!どうしたんだ!?」
「……気持ち悪いから……外に」
「何を言っているんだ。こんなに冷たい身体で外に出たら風邪を引いてしまうぞ。顔も青白いじゃないか」
明石は心配そうに湊を見つめる。
「……もしかして、まだあの夢を見るのか」
「まあ、はい……」
「そうか……最近は良くなっていたのにな」
「少し待っていてくれ。席を外すことを伝えてくる」
明石はそう言って、オフィスの光の方へ駆けて行った。
夜勤は2人体制だ。
「ほら、部屋に戻ろう」
***
「……すみません」
「気にするんじゃない。温かくして寝よう。着替えは取って来れるか?」
湊は着替えと一緒に通信機を持って来た。
「多分、これのせいです」
液晶には、メッセージが表示されている。美咲の従者からのものだ。
「……えぇっ?美咲嬢が、誘拐犯を?」
「狩野さんから事情は聞いてます……御使の関連ではなく、成海さんの妹だから狙われたらしくって」
「なるほど、それがトリガーになったのだな」
湊は項垂れて、頭を抱える。
「はぁ……美咲は無事だって、分かってるのに……」
「最近、飲酒は?少しは控えているか?」
湊は無言で俯く。流しに目をやると、チューハイの空き缶が何本も並んでいるのが見えた。
「医者からも言われただろう?せめて要因となりうる習慣は変えないと」
「だって、飲まないと寝れないし……睡眠薬は効かないし……」
明石は湊の着替えを手に取る。
「さあ、着替えてベッドに入って。湊くんが寝るまで、ここにいるから」
湊がシャツを脱ぐのを手伝い、冷えた汗をタオルで拭う。
身体に残ったアザは、何度見てもギョッとするような禍々しさを放っている。しかし本人はそれほど気にしていない。むしろ美咲を守れた証拠として、愛おしんでいるようにさえ見える。
湊がベッドに入った後で、さらに上からブランケットをかける。
(君はあの時、美咲嬢を守れたじゃないか。どうして未だに苦しんでいるのだろう。恐れることなど何も無いのに……)
しばらく布団の上から背中をさすっていると、寝息が聞こえてきた。
そっと寝顔を確認してから、明石は当直室を出た。
(湊くん、おやすみ。煌めく桜が、君を守ってくれますように)
数ある作品の中から選んで下さり、ありがとうございます。
物語の行く末を、最後まで見守って頂けますと幸いです。




