【短編小説】花鳥風月calling
「そろそろ帰ろう」
それは、わたしが鳥を哭いた時だった。
そして、そこで手が止まった。
「早く切りなよ、時の刻みはアンタだけのものじゃない」
対面に座った陰気臭いサラリーマン風の男に言われて我に返った。
そうだ、良人に呼ばれた気がしたのだ。
だがそんなはずは無い。
良人はいま仕事中だし、ここは繁華街にある雀荘だ。わたしを呼ぶ声など聞こえるはずがない。
わたしは再び河に目を落として手牌を整理した。悪くない手牌だ。
この半荘はずっと我慢していた。
これが半ツキだとかで無いなら、ようやくわたしのターンと言う感じである。
「悪かったね」
わたしはそう言いながら、緑色のフェルト生地でできた河に不要牌を置く。
卓は曼陀羅と言うが、そこは不要物を棄てる場所だ。それを河と呼ぶセンスは、いまだに分からない。
それに不要物で埋め尽くされた河は、実家の近くを流れていたドブ川を思い出す。灰色に近い深緑色をした、酷い臭いのする川だった。
水生生物の気配などしない。
鳥も寄り付かない。
油で虹色に光った水面はむしろ魅惑的にすら思えたものだ。
目の前にあるのはそんな河。
それぞれが要らないものを棄てた河は、それでも美しさがあった。まるで水面で光る虹のように。
それは不要な牌の摸打に魂だとか存在を賭けているからかも知れない。
「今夜はツかねぇや。高レートで囲んじまったから大変だこりゃ。ツキが足りねぇよ、ツキが」
上家に座ったリーゼントの男が半笑いで言いながら月を切った。
どうせ口三味線だろうと鼻で笑う。
そしてわたしは月を哭いた。
「おや、姉さん笑ったね。花が咲くと書いてわらうと読むらしいが、これはどうかね」
リーゼントが嗤う。
河に花が散った。
わたしはその花も哭いた。
「ひとつ晒せば自分を晒す。ふたつ晒せば全てが見える。みっつ晒せば」
下家に座った陰気なサラリーマン風の男が呟く。
「みっつ晒せば?」
わたしが目を遣ると、サラリーマン風は少し躊躇ってから「……地獄が見える」と言った。
魔風が吹いた。
そう、呼ばれた気がしたのだ。
わたしの名前を良人が呼んだ。
気のせいなのは分かっている。
いま良人はトラックに乗って仕事をしているのだ。決まった巡回ルートを走って充填していく。その良人の声が聞こえるはずが無い。
わたしがこうしてここで麻雀を打っている事も知っているはずが無い。
河に棄てられたものが集まって、わたしの傍に溜まっている。
三羽の鳥、三つの月、三輪の花。
これは澱の様なものだろうか。
わたしのそれは、あなた達の要らないもので作り上げられている。
一度流されて空になった河に要らないものを棄てて満たしていくのは、良人の仕事と真逆の事をしているのかも知れない。
わたしはこうして河を汚していく。
綺麗だった河はわたしたちに汚されていく。
その河に雪が降る。
わたしは泣く。
わたしの目の前に残ったひとつの牌。
河が虹色に光った気がしてその牌を倒す。
「そろそろ帰ろう」
良人がわたしを呼んだ。
振り向いたがそこには何もない。
緑色の河に風が吹いた。




