8話
思わず天を仰ぐ。肌寒い季節特有の、澄み切った空が目に入った。
フレイの家出に付き合ってもらえないか。
ローズの突拍子もない言葉にレリアは面食らった。フレイとファウルハイトが先ほど喧嘩をしたのは当然知っているが、だからといっていきなり家出とは。
(家出するにしても行先はどこだ? 期間はどの程度なんだ? というか、なぜ護衛の彼女が家出を止めようとしない……?)
様々な疑問が一気に吹き出し、何から言えば良いのか分からない。そんなレリアの様子を見て、ローズは溜息をついた。
「ごめんなさい、説明が足りなかったわね。フレイ様が家出するのはいつもの事なのよ」
「……なかなか複雑な家庭事情があるんだね」
ええ、と肯定するとローズはまた溜息をついた。相当この問題を心配しているのか、彼女の顔は暗い。
「昔、ある事件でフレイ様の母が亡くなってから、ゾンネ家は父子家庭なの。元々関係は微妙だったらしいけど、最近は喧嘩が絶えないのよ」
「確かに仲は良くなさそうだったな。その理由に何か心当たりはあるのか?」
レリアが問うと、ローズは顔をさらに暗くする。
「フレイ様は真っ直ぐで、聡明な方よ。間違った事を許さない」
「良い事じゃないか」
「……例えそれが、相手が誰であろうと許さないの」
誰であろうと。
ローズがやけにそこを強調したものだから、レリアにもすぐに分かった。
「自身の父であろうと許せない、そういう事か」
「……ええ。ファウルハイト様はあまり良い噂を聞かないお方。そういった話がフレイ様のお耳にも入ったのでしょうね」
正義感の強い少女が、その正義感故に親と分かり合えず対立する。創作上ではありふれた話だが、現実となってみれば難しい話だった。
「彼女の家出は、だいたいどれくらい続く?」
「家出と言っても、日を跨ぐ事はほぼないわ。だからファウルハイト様も放っておけといつも言うの。でも今回は状況がまずいわ」
「脅迫状を送った人物がフレイを狙うかもしれないな」
家出に付き合え、と言った理由は分かった。だが、レリアには1つ引っかかる事があった。
「ローズ殿はどうするつもりかな? まるで自分はついて行かないように聞こえたが」
「その通りよ。私が家出について行くと逃げられてしまうの。私だって元はファウルハイト様の部下……多分好かれていないんでしょうね」
あの男を嫌う気持ちも分かるのだけど、とローズは吐き捨てるように言った。
どうやら、ローズもファウルハイトの事はあまり良く思っていないらしい。ひょっとしてその理由は……
そう考えて、レリアは問いかけた。
「ひょっとして君も、ファウルハイト殿と何かあったのか? 私には"栄転"が気になったが」
そう聞かれて、ローズは顔色を変える。彼女は少し動揺した様子だった。
「……どうして分かったの?」
「フリージアが君の栄転どうこうについて話した時、君が苦笑していたのが気になってね」
それに、とレリアは付け加える。
「いくら君が優秀とは言え、平民出身の騎士が最年少で二等騎士、というのも不思議だったんだ。普通は誰かが横槍を入れるものだ」
何か事情があったんじゃないか、そうレリアが聞くと、ローズは反発する。
「それは今、関係ない話よ。今はフレイ様の護衛についての話でしょ」
「では、個人的興味があるので聞かせてもらいたい。もし駄目と言うのであれば、こちらもそちらを手伝うのは……」
それを聞いて、ローズは視線を鋭くする。
「脅す気? 優先すべきは人々の安全でしょ。貴女それでも騎士なの?」
「騎士だからこそ、上下関係には厳格でなくてはな。ファウルハイト団長のご命令も、そう簡単に破る訳にはいかん。何か、それに相応しい対価が欲しいな……」
あまりの白々しさにフリージアとオルレアは呆れるが、当のレリアはそんな視線もどこ吹く風。堂々とした様子であった。
レリアとローズ、2人の視線が交差する。2人はしばらく睨み合った後、ローズが観念した様に口を開き始めた。
「……まだ私が、三等騎士だった頃の話。第七騎士団の本部に、性被害を訴える平民の少女が現れたわ」
「その少女、アネモネは帝国学園に通う生徒だったわ。加害者もそこの生徒ね」
帝国学園。帝国が運営する全寮制の学校だ。貴族の子息や商家の跡継ぎ、ごく一部の優秀な平民の子が通う。学園は帝国一の名門として知られており、そこに入学する事は大変名誉な事だとされている。
「……事件を調べるかどうか迷ったわ。加害者は公爵家の子息よ。訴えに出ればあらゆる手を使ってアネモネを潰しに来るのが分かってたから」
「それでも捜査するべきだよ。君も騎士だろう」
「その通りね……でも、私に公爵家に対抗する力はないし、実家だって多少裕福なだけの平民よ。私自身、騎士になるためにそれなりの貴族教育は受けたけど、それでも平民。大貴族相手じゃ……そう思ったの」
ローズは話を続ける。
「それにアネモネのご両親は事を大事にするのを恐れたの。相手が相手よ、娘を思っての行動でもあるでしょうね。その上、学園も捜査に非協力的。難しいな、と思ったわ」
帝国の暗部と言える話だった。未だにかつての貴族主義が色濃く残る帝国では、平民の扱いは酷い。
(まさか、捜査は行われなかったのか?)
レリアは話を聞いてそれを恐れた。そんな有様ではアネモネという少女は被害を訴える事すら躊躇うだろう。被害を受けた当人の協力が無ければ、騎士団が動くことも難しい。
「……それでも、彼女の意志は固かった。被害を訴える事を躊躇う事なく決めたわ」
それがどれだけ困難な決断かは、想像に難くなかった。自身の受けた被害を訴えようにも、親も学園も味方してくれない。公爵家から様々な妨害がされる事も分かりきっている。
大半の人間は泣き寝入りするしかないだろう。
「何故、アネモネはそこまで出来たんだ? 子供がそんな重い決断を、躊躇いもなく出来た理由が分からない」
「自分と同じ様に酷い目に遭う平民が、少しでも減れば……そう考えて決めた事らしいわ。私も彼女の決意に応えて、必死に捜査を行った」
少女の思いに応えたローズも立派だ。建前上は独立した王国の組織である騎士団だが、実際には貴族の影響力も大きい。何せ構成員の大半が貴族の血筋なのだ。その中で平民であるローズが楯突く様な事をすれば……きっと、騎士を辞めさせられる事も覚悟する必要があっただろう。
(……腕の立つ騎士だと思っていたが、腕だけでなく心構えも立派だったか)
自身が同じ立場だったとして、同じ行動が出来ただろうか。そう考えると、レリアはローズとアネモネという少女に尊敬の念を抱いた。フリージアがベタ褒めしていたのも納得である。
「捜査は難航したけど、私は諦めなかったわ。なんとか協力的な人物を探しては証言を集めた。上層部からの圧力が何度も掛かったけど、それでも捜査を続けたの」
そこまで話して、ローズは空を見上げる。目線の先には、遠くの灰色の雲がぼんやりと掛かっていた。
「アネモネにも、何度も辛い思いをしてまで事件を思い出してもらって……今思えば本当に、酷なことをしたわね」
そこまで話すと、唐突にローズは震え出す。彼女をそうしているのは恐怖でも悲しみでもなく、怒りだった。
「本当に良い娘だったの。私の淹れた紅茶をおいしい、って何度も言ってくれたわ。捜査が上手くいかない時、辛いのは彼女の方の筈なのに、慰めてくれたの」
「まっすぐで、勇敢で、そして誰よりも優しくて……本当に良い娘だったの……なのに……」
ローズの目に、深い憎しみが宿る。
「あの時は、全てを壊そうかと思った」




