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百年桜

作者: 星賀勇一郎
掲載日:2025/10/14





私は役所に行った帰りに、何もない公園で絵を描く少年を見つけた。

その少年が描く絵が気になり、遠巻きにゆっくりとその少年の後ろに近付き、その絵を覗き込んだ。

見事な色使いの絵だった。

太い枝に見事に花を咲かせた桜の木の絵だった。


「ほう……」


思わず私は声を出してしまった。

その声で私が絵を覗き込んでいる事を少年に気付かれてしまった。

少年は慌てて描いている絵を胸に抱くように隠した。


「すまん……。あまりに見事な絵だったので、つい……」


私は帽子を脱いで少年に頭を下げた。


少年は私を一瞬だけ睨む様に見て、また画用紙を乗せた画板を膝に広げた。


私は公園の入り口にいたアイスクリン屋のパラソルを見つけて、二つ買った。

そしてそのアイスクリンを持って少年の横に座る。


「勝手に見てしまったお詫びだ……」


私はそう言って少年の前にアイスクリンを差し出す。

しかし少年は受け取ろうとしなかった。


「親御さんに知らない人からモノをもらっちゃいけないと言われているんだな。何、私は怪しい者じゃない」


私は少年の手に無理矢理アイスクリンを握らせ、脇に置いた鞄から名刺を出し、少年の膝の上の画板の上に置いた。

そして慣れない背広の上着の前のボタンを開けて、アイスクリンを舐める様に食べた。


「おじさんも絵を描くの……」


少年は少し私に興味を持ったのか、そう訊いて来た。


私は微笑み、頷く。


「ほら、先に食べておしまい。すぐに溶けてしまうからね……」


私は食べかけのアイスクリンを少年に見せて言う。


少年は頷くとアイスクリンを美味そうに食べ始めた。


「その絵は桜だね……」


「うん……」


少年はアイスクリンを食べながらも、水彩の筆を画用紙に走らせる。


私は顔を上げて周囲を見渡した。

不思議だった。

少年の描く満開の桜の木などどこにもなかった。


大日本帝国は富国強兵の証として各地に「ソメイヨシノ」なる桜の苗木を植樹させたと先日の新聞に書いてあった。

少年の描く桜はその「ソメイヨシノ」に似ていた。


「ソメイヨシノ……かな……」


私はアイスクリンを食べ終えて少年に訊いた。


「知らない……。けど、そこにある木だよ……」


少年は絵筆を走らせながらそう言う。


そこにある……。

そんな木は何処にも見当たらない……。


少年は木を探す私に気付いたのか、筆先で目の前の苗木を指した。


「その木だよ……。あ、まだ苗か……」


少年は平然とそう言ってまたアイスクリンを舐めた。


私は少年の想像力に感心した。


「この苗木から、その桜を想像して描いたのかい……」


少年は私の言葉に首を横に振った。


「想像して描いてるんじゃないんだ……。僕にはこう見えるんだよ……」


私はそう言われてその絵を横から再び覗き込んだ。

立派な桜の風景に都会で作られ始めたビルヂングらしき建物も多く描かれていた。


なるほど……。

未来の風景か……。

私は更に感心して絵を見ながら頷いた。


「未来の風景だね……」


私は煙草を咥え、マッチで火をつけた。


「百年後かな……」


少年はようやくアイスクリンを食べ終えて、そう言う。


「でもね、どうやらここに植えられた桜はこの一本だけしか残らないみたいだね……」


少年が指差す先を見ると、どうやら五、六本の植樹がされている様だった。


「この木は五、六十年しか生きられないみたいなんだ……。百年後も残っているのはこの真ん中の木だけ……」


私は黙ってその少年の言葉を聞いていた。

少年の言葉から考えると、この少年には未来が見えている様だった。


「君は本当に未来が見えるのかな……」


私は煙を吐きながら少年に訊いた。


「うん。絵に描こうと思って見ると未来が見えてしまうんだよ……」


面白い事を言う少年だと私は思った。


「未来を描くか……。面白いな……」


私は少年の肩を掴み、こちらを向かせた。


「ならば、おじさんを描いてみてくれないか……。駄賃も払うぞ」


少年の顔を覗き込んで微笑んだ。

しかし少年は冷めた目で私を見ていた。


「どうした……」


少年は静かに息を吐く。

そして、


「人は描かない……。ううん、人だけじゃない、生き物は描かないんだ……」


そう言った。






私は自分のアトリエに帰り、イーゼルに麻を張ったキャンパスを立て掛け、そのまま腕を組み、何時間も「うーん」と唸っていた様だった。


「先生……」


そんな声で私は我に返った。

私の後ろには画商の林から預かった倉科君が立っていた。


「ああ、倉科君……」


私は立ち上がり、テーブルに置いた、冷めてしまった紅茶を口にした。


「如何なされたのですか……。長い時間唸っておられたようですが……。役所にそんな難しい絵を頼まれたのですか……」


私は紅茶のカップをソーサーに戻しながら、倉科君に微笑む。


「依頼は役所の裏手にある楠を描いてくれという事だったんですが……」


「はい……」


倉科君はニコニコ二ながら頷く。

この倉科君の笑顔は彼自身を表している気がする。

林が私の下に連れてきた画家を目指す美術学生は三人。

どれも皆優秀な学生だったが、この倉科君はその中でも特に優秀だった。


「先生の事ですから、また規格外に大きな絵を頼まれたのでしょう」


倉科君はニコニコと微笑みながらそう言う。


大きな絵は苦労の割にお金にならない。

林は彼にそう教え込んだ様だった。

しかし人と違う迫力のある絵を描くのならば、大きな絵に越した事はない。

それを描こうとしている事を、この倉科君は悟っていた。


「すまないねぇ……」


私はカップを取り、残った紅茶を一気に飲み干した。


「いえ……。私は先生の絵が好きですから……絵具、注文しておきますね……」


倉科君はそう言って絵具の棚を開け、数を数え始めた。

そしてふと、顔を上げた。


「先生……」


私は顎の髭を触りながら、


「何かな……」


と返す。


倉科君は少し考える様な表情をして私の前に立った。


「その話と、先程唸られてたのは別件ですよね……」


私は掌に拳を軽く当てた。


「そうそう。そんな些事では無いんだ」


私はそう言うと、倉科君を窓辺に呼んで並んで外の風景を眺めた。


「君はこの町の百年後の風景を描く事が出来るかな……」


倉科君は首を傾げて眼鏡を指で上げた。


「百年後ですか……」


「百年後です」


倉科君は顎に手を当てて考えていた。

しかし答えは聞かずともわかっていた気がする。


「難しいですね……」


私は予想通りの答えに頷く。


「今日ね、役所の帰りに公園で絵を描く少年に会ったのです」


「はあ……」


私は倉科君を誘い、部屋の隅に置いたソファに座った。

そしてテーブルに置いた煙草を咥えて火をつけると、甘い香りが広がり、油の臭いが消えていく様だった。


「その少年は桜の苗木を見ながら百年後の風景を、いとも簡単に描いていた」


倉科君は上手く飲み込めていない様子で頷く。


「私も馬鹿な事を言ったと後悔しておるのだけど、私の絵を描いてくれとその少年に言ったんだ……。だが、少年は人などの生き物は描かないと言った。そりゃそうだな……。百年も生きる事は出来ないんだからな……」


私は声を上げて笑った。

それを見て倉科君は不思議そうな表情を浮かべる。


「その絵……私も見てみたいですね……」


私と倉科君は翌日からあの少年を探す事にした。






翌日、町に出て私と倉科君は少年が居そうな場所を歩いた。

しかし、何処にも少年の姿は無い。


簡単に見つかると思っていた自分が甘かったか……。


私は少年に名前だけでも聞いておくべきだったと後悔した。


私は少し疲れた様子の倉科君の顔を見て微笑んだ。


「お腹が空きましたね……役所の近くに出来た「ハイカラ亭」でエビフライでも食べましょうか……」


倉科君はゆっくりと頷いた。


ちょうど役所の前を通りかかった時に大きな声が聞こえた。


「帰れ、小僧」


その声とほぼ同時に役所の裏庭の方から押し出される様に出て来た少年が見えた。

昨日の少年だった。


「倉科君……あの子だ……」


私の声に倉科君は急いでその少年と役所の男の間に割って入った。


役所の男は私に気付いた様子で、頭を下げた。


「これは先生……」


私はゆっくりと男の前に立つ。


「この子がどうかしましたか……」


男は少年が胸に抱く画板を無理矢理引っ剥がす様に取り上げた。


「これを見て下さい……。我、役所の象徴の楠をこんな絵に……」


その画板に挟まれた立派な楠の大木は、見事な切株の絵として表現されていた。


私は我慢出来ず、その絵を見て吹き出してしまった。

そして声を上げて笑った。


「笑い事ではありませんよ」


役所の男はそう言って画板を少年に突き返した。


「あ、いやいや。私の弟子が大変失礼な事をした。申し訳ない……」


私は男に頭を下げた。

男は目を丸くして、


「あ、先生のお弟子さんでしたか……。これは失礼を致しました……」


今度は男が深々と頭を下げた。


「それならそうとおっしゃっていただければ……」


「いえいえ。百年後のあの楠が気になりましてね……」


「は……。百年後ですか……」


男は目を丸くして顔を上げた。


「いや、なんでもない……。今日はこれで失礼します」


私は少年の肩を抱いて今一度頭を下げた。


その後、私と少年、そして倉科君の三人でハイカラ亭へと入り、いつもの奥の席に座った。

私は少年の描いた切り株になってしまった楠の絵をまじまじと見ていた。


「あの木は切られてしまうんだね……」


私はコーンスウプを匙ですくって飲む少年に訊いた。


少年は小さく頷く。

私はその色彩鮮やかな少年の絵を向かいに座る倉科君に渡した。

倉科君は顔を近付けてその絵を見ていた。

そして、


「ねぇ、君……。この奥にある箱みたいなモノは何だい……」


倉科君は背景の中にある、ガラス張りの箱のようなモノを指差した。


「その箱の中で電話をするんだよ……」


少年はそう言う。


「電話……」


倉科君と私は顔を見合わせて頷いた。

電話なんて金持ちか役所くらいにしかなく、私も使った事など何度かしかなかった。


私たちの前に大きな有頭エビフライとライスが運ばれてきた。


「さあ、温かいうちに食べよう……」


私がそう言うと、倉科君は自分の横の空いた椅子に少年の絵を置いた。






その日、少年を連れてアトリエに戻った。

少年はアトリエに並ぶ私の書いた油絵を興味深く見つめていた。


「油絵は初めてかい」


私は少年に訊ねる。少年は振り返り力強く頷いた。


「やってみるかい……」


私は数本の筆とペイントナイフ、そしてテレピン油をテーブルに並べた。

少年は黙って私に近付き、自分の画板をテーブルに置くと、珍しそうにそれらを手に取った。


油彩と水彩は根本から違う。

それに自分の色を作り出すまでにかなりの年月も掛かる。

しかし私は、何故かこの少年ならば、上手く書き上げる事が出来る気がしたのだった。


「道具の使い方は私が教えますよ……」


ちょうどお茶を運んで来た倉科君がそう言ってテーブルの上に紅茶のカップをトレイごと置いた。


少年に油彩の道具の使い方を教える倉科君を尻目に私は窓際に立ち、煙草を咥え、火をつけた。

窓ガラスに映る少年は真っ白なキャンバスに筆を走らせ、イメージの中で絵を描いていた。

私も昔そうだった様に、キャンバスの中に思い描く理想の世界が描かれて行くのだろう。


私は煙草を消して、少年の傍に立った。

彼は私に気付かない程に集中し、ただ筆でキャンバスをなぞっていた。


私は彼の画板を取り、イーゼルから絵を下ろすとその画板を置いた。

昨日見たあの桜の絵。恐ろしく綺麗で、生命力のある絵だった。


その日、少年と倉科君を連れて、町で牛鍋を食べた後、彼を家まで送り届けた。

まだ若い大工の父と幼子を抱いた母親が出て来た。

事情を話し、しばらく私のアトリエに通う事の許しを得た。


少年は名前を誠一郎という事を知った。






誠一郎は物凄い勢いで油彩の技術を吸収していく。

ひと月もした頃には水彩で描いていた絵をそのまま油彩にする程だった。


「見事だな……」


私が傍で褒めると、誠一郎は嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。


その横で画材屋の武内と倉科君が役所に飾る絵のための大きなキャンバスを立て掛けていた。


「先生……。こんな大きな絵は苦労だけでお金にならんでしょう……」


画材屋の武内が額の汗を拭きながら言う。


「金のために絵を描いとる訳じゃないからな……。たまにはこんなモノも良いだろう……」


私は武内の隣で腕を組み、大きなキャンバスを見つめた。


「先生のアトリエは西洋風で天井も高いので入りましたが、普通の家では無理ですよ……この大きさは……」


武内は倉科君が入れた紅茶を飲みながら、キャンバスの縁をポンポンと叩いた。


「あ、御代は役所の方からもらう事になってますんで……」


武内はカップを置いてそそくさとアトリエを出て行った。


私はソファに座り、その大きなキャンバスを見つめる。

すると私の前に誠一郎が立ってその大きなキャンバスを見つめた。

私自身もこんな大きなキャンバスに絵を描いた事は何度も無い。

誠一郎からしてみると珍しかったのだろう。

私は誠一郎を呼び、横に座らせた。


「いいか誠……。これには役所の入り口に飾る絵を描く。お前なら何を描く……」


私はテーブルの上の紅茶のカップを取りそう訊いた。


誠一郎はじっとキャンバスを見つめて考えていた。


画材屋の武内を見送り、倉科君が戻って来た。


「先生、今日は会合の予定です。そろそろお支度を……」


倉科君はじっと大きなキャンバスを見つめる誠一郎を見つけた。

立ち上がった私の傍に立ち、倉科君は小声で言う。


「大きな絵には誰しも憧れるモノですね……」


そう言うと微笑んだ。






私と倉科君はアトリエに誠一郎を残し、会合へと向かった。

この町に住む文化人と言われる人々の集まる会合だった。

しかし、話題はロシアとの不和の話題で持ちきりだった。


「このまま行くと戦争になるのだろうな……」


「ニコライとはどこまで不埒な男なのかの……」


そんな話を私は麦酒を飲みながら聞いていた。


「君はどう思う」


不意に話を振られ、私はロウストビーフを食べながら、


「私には血生臭い話は分かりません……。絵具の油の臭いで鼻がおかしくなっとるのかもしれませんな」


そう答えた。

それに周囲の者たちも声を上げて笑っていた。


そんなつまらぬ会合は夜遅くまで続き、結局馬車に乗り、アトリエに帰ったのは深夜の十二時を回っていた。


アトリエの近くまで来ると、まだ明かりが点いているのがわかった。


「誠のやつ……。明かりを点けたまま帰ったようですね……」


倉科君は馬車を降りながら言う。


「まだ、子供だ。暗がりは怖いのだろう……」


少し酔っていた私はそう言って笑いながら馬車を降りる。

御代を払い、馬車を帰すと私と倉科君はアトリエに入った。


少し飲み過ぎたかな……。


私は息を吐いて靴を脱いだ。

綺麗に磨き上げられた床が部屋から漏れる明かりで鈍く光って見えた。


「せ、先生」


先にアトリエに入った倉科君が珍しく慌てて声を上げているのが聞こえた。

私が顔を上げると倉科君が慌てて出て来た。


「せ、先生、大変です……」


「どうした……」


私はゆっくりと部屋の中を覗き込んだ。


部屋の壁際に組んだ大きなキャンバスに絵が描かれていた。

しかも見事な絵だった。


私は言葉を無くして、そのキャンバスの前に立つ。


崩壊したビルヂング。

幾つも立ち上る煙、横倒しになった橋げたのような道路。

その大きな絵に私は吸い込まれるような気がした。


「こ……これは……」


ふと足に何かが当たった。

そこには疲れて横たわる誠一郎がいた。


「誠一郎……」


私は誠一郎の傍にしゃがみこんで、眠る彼を抱きかかえた。

慌てて倉科君が私の代わりに誠一郎を抱き上げソファに寝かせた。


私は今一度、その絵を見た。

その絵に描かれた戦争の跡のような光景から目を離す事が出来なかった。


倉科君も私の横に立ち、その絵を見つめる。


「誠の仕業ですね……」


倉科君はそう言うと眠る誠一郎を起こそうとした。

私はその倉科君の袖を掴んだ。


「倉科君……」


私はそう言って首を横に振った。


「毛布でも持って来てあげて下さい」


倉科君は小さく頭を下げると寝室から毛布を持って来て眠る誠一郎にかけた。


私は絵を見つめたまま、ソファに座った。


凄い絵だった。

その絵の中に描かれているのは、まさに命。

人などどこにも描かれていない絵ではあるが、人々の悲鳴が今にも聞こえてきそうな絵だった。


「戦争の絵でしょうか……」


倉科君は呟くように言う。

私はゆっくりと首を横に振った。


「わからんが……、地獄絵図だな……」


そう言うのが精一杯で、麦酒のせいもあり、口の中がカラカラに渇き切っていた。


「お茶をお持ちします」


倉科君はそう言って部屋を出て行った。


私はゆっくりと横で眠る誠一郎を見る。

顔にも絵具を付けて無邪気に眠るその誠一郎の頭を撫でた。


「誠……。お前は鬼の子か……」


私はその少年の寝顔を見て微笑んだ。


倉科君は私の前にそっとお茶を置いた。

私は礼を言って、お茶をすすった。


「君も座らんかね……」


私は倉科君にそう言うと倉科君は頭を下げて、眠る誠一郎の横に座った。


「しかし、こんな少年の描く絵とは思えないですね……」


倉科君も誠一郎の描いた絵の迫力に圧倒されている様だった。


「これも未来の絵か……。未来とは良いモノとは限らんという事か……」


私は湯呑をテーブルに置いた。


「地震だよ……」


細い通る声を誠一郎が発した。

そしてゆっくりと起き上がる。


「地震だって……」


倉科君は誠一郎を覗き込む様にしてそう言った。


誠一郎は小さく頷く。


「多分、百年くらい先に、この町で大きな地震が起こる……」


私は眉を寄せて、その大きな絵を見た。


揺らぐ大地、崩壊する街、逃げ惑う人々、泣き叫ぶ声。

それが聞こえて来る様だった。


三人は夜が明けるまで、黙ってその絵を見つめていた。







「いよいよですね……」


画材屋の武内は役所に壁に立てかけた梯子を下りた。

そして私の横でニコニコと笑う。


「やけに嬉しそうじゃないか……」


武内は更にニヤリと笑うと、親指と人差し指で円を作った。


「こっちの方がかなり儲かりましたもんで……」


そう言って梯子を抱えて役所を出て行った。

それと入れ違いに倉科君と誠一郎が入って来た。


「武内さん……。どうしたんですか……」


倉科君が私に訊く。


「どうやら儲かって仕方無いらしいよ……」


私はそう言い倉科君に微笑んだ。

倉科君も苦笑していた。


「先生」


役所の担当者は頭を下げながら近付いてきた。


「いや、本当に立派な絵をありがとうございます」


私は紫色の幕の掛かった壁を見上げた。


「本当に立派な絵だと思うかね……」


「は……」


私は役所の担当者に微笑んで見せた。


「いや、なんでもない……」


私たちは三人で絵の前に並んで立った。

紫の幕の下には私と倉科君、そして誠一郎の名前が貼られていた。

三人の初の合作となったのだった。


「では、除幕式を始めたいと思います」


役所の担当者は声を張り上げてそう言った。







「私は立派な絵だと思う」


そう言うと誠一郎の頭を撫でた。


「しかし、役所の入り口に飾る絵ではないのだろうな……」


倉科君も微笑みながら頷く。

誠一郎は口を真一文字にして俯いた。


「だから、私は、この絵の上に新しい絵を描こうと思う」


その言葉に倉科君と誠一郎は私を見た。


私は微笑んで立ち上がると、イーゼルに置いた誠一郎の描いた桜の絵を持って来た。


「描く絵はこの百年桜だ……」


驚く誠一郎と微笑む倉科君に私は歯を見せて笑った。


「さあ、時間が無い……。この作品は三人の合作だ……。数日眠れないと思え……」


私はそう言うと上着を脱いでワイシャツの袖は捲った。






満開の枝と、散る花吹雪が、役所の床にもその花びらを散らしそうな絵だった。


その絵を見る人々は感嘆の声を上げ、足を止める。


私たちも同じようにその絵を見上げていた。


「人に見せる未来と言うのは明るい方が良いんだよ」


私は絵を見つめたままそう呟いた。


「たとえそれが真実では無くてもな……」


その言葉に倉科君も誠一郎も強く頷いた。


「先生……」


誠一郎が私を見た。

私はゆっくりとしゃがみ込んで誠一郎と目線を合わせた。


「僕……謝らなきゃ……」


私は誠一郎の頭を撫でて、首を横に振った。


「誠……。お前には色々と教えられた。礼を言う」


私は誠一郎に微笑む。


誠一郎は目を閉じて、俯いた。


「先生に絵以外の事も教えてもらった……」


私と倉科君は顔を見合わせて微笑んだ。


「必ずしも、未来は……。未来は知りたいモノとは限らないんだね……」


誠一郎はそう言うと晴れた空を見上げた。








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