第三夜:影の迷宮
影山と女性は、息を切らせながら路地を抜けていった。サイレンの音が遠ざかるにつれ、街の喧騒も薄れていく。やがて二人は、見知らぬ廃ビルの前に立っていた。
「ここよ」女性が言った。
影山は躊躇した。「どこなんだ、ここは」
「答えを求めているんでしょう?」女性は微笑んだ。「あなたの影について」
その言葉に、影山は息を呑んだ。ポケットのタバコに手が伸びる。
建物の中は、予想外に広く、無数の鏡が壁一面に貼られていた。影山の姿が無限に映り込み、どれが本物の自分なのか分からなくなる。
「ここが、影の世界への入り口」女性が説明を始めた。「あなたのような人を、私たちは長い間探していたの」
「俺のような人?」影山は困惑した表情で尋ねた。
女性は一つの鏡の前に立ち、手をかざした。すると鏡面が波打ち、別の空間が見えてきた。
「影に気づける人。自分の内なる闇と向き合える人」
影山は鏡に映る異世界に見入った。そこには、影だけで構成された都市が広がっていた。
「なぜ、こんなものが存在するんだ?」影山は呟いた。
女性は深刻な表情で答えた。「人間の欲望と恐怖が生み出したのよ。そして今、その世界が現実に侵食しようとしている」
突然、影山の影が壁から剥がれ、床に広がった。そこから、もう一人の影山が立ち上がる。
「お前は、俺から逃げ続けている」影が口を開いた。「いつまで現実に縋りつくつもりだ?」
影山は後ずさりした。「お前は...俺の何なんだ?」
「お前の本当の姿さ。お前が否定し続けてきた、もう一人の自分だ」
影山は混乱した。これが現実なのか、それとも悪夢なのか。彼の中で、現実と非現実の境界が崩れ始めていた。
「選択の時よ」女性が言った。「影の世界に入るか、それとも...」
言葉の続きを待たずに、影山は走り出した。建物を飛び出し、暗い路地へと逃げ込む。しかし、どこへ行っても自分の影から逃れることはできない。
影山は立ち止まり、深く息を吐いた。ポケットからタバコを取り出し、火をつける。
(逃げても意味がない。結局、俺は自分自身と向き合わなければならないんだ)
彼は振り返った。そこには、自分の影が立っていた。今度は、恐れずに真っ直ぐ見つめる。
「さあ、行こうか」影山は影に語りかけた。「俺たちの本当の夜の彷徨が、ここから始まるのかもしれない」
影はうなずき、二人は歩き出した。現実と幻想が交錯する夜の街で、新たな旅が始まろうとしていた。
(続く)