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第3話 清河八郎と浪士組

「土方さんは、なぜ、そんなに剣に、こだわるのですか?」


 試衛館の道場で、沖田総司が訊くと、


「俺は誰よりも、強くなりたい。その一心で生きているような男さ」


「でも、土方さんは男前だし、女性からはモテるし、行商は上手いし、誰にも負けていせんよ」


「なんだ。からかっているのか?」


 そう言いながら、沖田を睨む土方歳三は、冗談を言うような口調で言葉を続けた。


「まあ、竹刀では、俺より上手いやつは大勢いる。だが真剣なら、俺だって、そこそこの自信はあるぜ」


「土方さんから見れば、僕も、その竹刀上手の一人ですかね?」


「いや、総司、お前は平気で人を殺しそうな気がする」


「嫌だなあ、人を殺人鬼みたいに言わないでくださいよ」


 笑いながら言う沖田の顔は、少年のように屈託がない。それでも、その目には、猛禽類のような冷たさがある。


 

 その翌日の事だが、天然理心流・宗家の近藤勇が、主だった門弟を試衛館に集めた。


「この度、私は、幕府が徴募する浪士組に参加することに決めた」


 と、宣言する近藤。


「そりゃ良い。ゆうサン、俺も行くぜ」


 即座に応じたのは、土方歳三である。


 その他、試衛館の門弟では沖田総司と、年長者の井上源三郎が浪士組に参加した。


 さらに、近藤を慕っていた他流の山南敬介、永倉新八、原田左之助、藤堂平助も同調して、浪士組に参加することになる。


 浪士組とは、清河八郎の発案で、江戸幕府将軍・徳川家茂の上洛にあわせて、将軍警護のために作られた組織であった。


 過剰な佐幕思想のある近藤は、この徴募に飛びついたのだが、師匠であり養父でもある近藤周助は、


いさみよ、あの清河八郎という男は奸物だ。気を付けろ」


 と、出発前の近藤勇に注意していた。


 

 清河八郎とは、桜田門外の変に衝撃を受け、倒幕運動を続けていた志士であったが、親交のあった幕臣の山岡鉄舟らを通して、幕府に急務三策(一、攘夷の断行。二、大赦の発令。三、天下の英才の教育)を上書する。


 尊攘志士に手を焼いていた幕府は、これを採用し、浪士組の結成が許可された。


 この策で、上手く幕府を出し抜いた清河は、


 1863年。二月八日。徴募した234名の浪士組を率いて、江戸を出立して中山道を上洛する。


 そして、京都に到着した夜に、壬生の新徳寺に浪士を集めて、


「諸君、我々の本当の目的は将軍警護ではなく、尊王攘夷派の先鋒になることである。共に、この国の未来のために命を掛けて戦おう!」


 と、清河は演説した。


 これに、苛烈な佐幕思想の近藤勇が、


「我々は将軍警護のために徴募されたのではないのか。清河先生は我らを欺いたのか!」


 激昂して猛反発し、袂を分ける。



 そして幕府は、このような清河八郎の動静に不安を抱いて、浪士組を江戸へ呼び戻した。


 しかし、この時、近藤勇ら十三人が京都に残留する。後に彼らが新選組となるのだ。


 

 一方、江戸に戻った清河八郎は幕府の刺客に命を狙われた。


 この年の四月十三日。麻布赤羽橋。


 背後から、清河に近づく人影は『小太刀日本一』と称される、旗本・佐々木只三郎である。すでに脇差しを抜いていた。


 ズブリッ。


 背中からの一突きで致命傷を負った清河八郎は、ババッと六人の刺客に取り囲まれて、首を討たれる。


 享年三十四歳。

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