第1話 神道無念流の芹沢鴨
1835年。土方歳三は、武蔵野国多摩郡石田村に生まれる。
若かりし頃の土方は、実家秘伝の石田散薬の行商の合間に、各地の道場を周って、武者修行をしていたらしい。
美男子の土方歳三は、真紅の面紐に朱塗りの皮胴など、洒落た防具を使用していたという。
この日は行商ついでに、江戸の神道無念流・練兵館に、顔を出していた土方だが、
「なんだ、アイツは?」
洒落者の土方を、道場の奥から軽蔑の眼差しで見る男が一人。芹沢鴨だ。
芹沢は、水戸の郷士で、神道無念流の免許皆伝である。この時期は、江戸の練兵館に身を寄せていた。
「鴨さん、あれは剣術好きの薬屋らしいよ。まあ、多少は使えると聞くがね」
傍らの新見錦が言った。新見は芹沢の古くからの友人で、芹沢と同じく、神道無念流の免許皆伝を受けている。
「よし、俺が腕を見てやる」
芹沢が竹刀を掴み、土方に向かって、
「カッコいいな色男。俺が稽古をつけてやろうか」
と、歩みを進めると、後ろから新見が、
「あまりイジメると、恨まれるよ」
その新見の言葉に、芹沢は、
「カッカッカァーッ」
と、高笑いして、土方の前に出る。
「芹沢鴨と申す」
「土方歳三です」
こうして芹沢と土方は、防具を着けて竹刀を構え、道場の中央で対峙した。練兵館の門弟たちが、静かに二人の対決を注視する。
大柄の芹沢が大上段に構えると、その気迫に周囲は圧倒されたが、
土方は、面の奥で眼光を光らせ、不敵な笑みを浮かべる。そして、
「いやあーっ!」
先に仕掛けたのは、土方はであったが、
バシーン!
決まったのは、芹沢の強烈な面打ちだ。
「どうした。その程度か?」
「まだまだ、これからだよ」
その後も、果敢に撃ち込む土方であったが、
「おりゃあぁーっ!」
「なんだ、その剣は」
全て、芹沢に弾き返される。
芹沢の剣技の前に、一方的に打ちのめされる土方。剣術の腕が、まるで違った。それを見ていた新見が、
「大人気ないな、鴨さんも」
呆れたように、声を漏らす。
後日、土方の家を、友人の近藤勇が訪れ、
「歳、芹沢鴨と、やったんだって?」
「うるせえよ。馬鹿にしに来たのか」
不機嫌に応える土方に対して、近藤は、
「馬鹿になんかしないさ。オレも以前、芹沢と試合をしたが、恐ろしい以上に、手も足も出なかった」
「そうかい。勇サンよ。あの芹沢とかいう野郎は、言ってみれば、剣術の玄人だな」
「おいおい、歳よ。オレも一応は、剣術の玄人なんだがな」
と、苦笑いする近藤勇は、この後に、天然理心流の第四代を襲名し、流派一門の宗家を継ぐことになる。
「歳よ、ウチの道場に来い。一度、基礎からみっちり、やったほうがいい。剣術ってえのは、そういうモンだよ」
「そういうモンかい?」
「そうさ。いくら竹刀で撃ち合っても、それじゃ、人は斬れない」
「人を斬る?」
「剣術とは竹刀を上手く使うことじゃない。人を斬る業だよ」
近藤勇の、その言葉を聞いて、土方歳三は正式に天然理心流・試衛館に入門した。
この後、試衛館の近藤と土方。神道無念流の芹沢と新見は、
新選組を二分する勢力として、苛烈な内部抗争を繰り広げるのだが、この時は、誰も、そんな事は夢にも思わない。
時代は幕末。時の流れは激流のように、人々の運命を飲み込んでいった。