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【ハイファンタジー 西洋・中世】

永遠と続くそれは

作者: 小雨川蛙

 

 窓から射す光だけ光源となっている部屋の中、私は両腕を組みながら必死に眠ろうとしていた。

 どたどたと耳障りな足音が駆け抜けていくのが聞こえる。

 その音が私の全身に響き一種の苦痛にさえなっていた。

 耳を塞ぎたくなるような想いをどうにか堪えて私は妻に尋ねる。

「グレイグの奴はまだ出発していないか?」

「そんなに気になるなら行ってくれば良いじゃない」

 そう答えて妻は破けた服のほつれをチクチクした針で器用に修繕していた。

 淀みない指を見ていると心のざわめきが大きくなっていく。

 彼女は私を非難しているのだと直感した。

「どれくらいぶりの付き合いなの?」

 心を読んだようにして妻が言う。

 彼女の指はあくまでも一定だったが、私の心臓は反比例するように無駄に早くなっていった。

 無駄だ。

 痛みも苦しみも無駄なのだから、止まってくれ。

 そう心の中で自身に言い聞かせながら問いに答えた。

「三千と……多分、二十四年だったと思う」

 妻の指がびくりと震え、その微かな勢いが針を狂わせて彼女の指を突き刺した。

「そんなに生きていたんだ。あの人」

 その言葉が胸に突き刺さる。

 彼女は頬の色を白くして私を一瞥し口を開いて、そして。

「長生きだったのね」

 そう言って自分の指に刺さった針を引き抜く。

 そうだ。

 私の六千年を超える人生の中でグレイグは最も古い友人だった。

 そして、私以外の中では最も生きた人間でもある。

 再び誰かが外を駆けていく。

 皆がグレイグを見に行こうとしている。

 何せ、この退屈な世界で最も興味深いことを成すのだから。

「ねえ」

 妻の指の動きはいつの間にか止まっていた。

「誰かが自然に死んでしまうって、どういう気持ちになるの?」

 私は自分より遥かに幼い妻を見た。

 何せ彼女は生まれてから五百年も生きていない。


 あぁ、彼女にこの気持ちをどう伝えれば良いのだろう?

 自分を生んだ母が年老いていき腰が曲がり背が縮み、いつの間にか皴まみれになり床で動かなくなる。

 いくら呼びかけようとも返事をせず、息は段々と弱くなり、やがて止まってしまう。

 どれだけの想いで願おうとも死は決して覆らない。

 そんな当然を人は誰よりも親しい者の死を経て実感するのだ。

 そして、自らもいずれ『そうなる』と知る。

 そんな当たり前を。

 命は必ず尽きるという事実を、現実を、常識を、私はどう伝えれば良いのだろう?

『死』が尽きてしまったこの時代を生きる彼女に。

『不死』が蔓延してしまったこの時代で生まれた彼女に。


「きっと君には想像がつかないだろう」

 私はそう言って伝えた。

 自然のままに死んだ両親や友の話を、不慮の事故で死んでしまった友の話を、病に侵されて苦しみぬいて死んだ者の話を。

「死は唐突だった。そう感じるほどにどれだけの覚悟をしても受け入れられないほど大きいものだった」

 どのような存在であれ決して克服できないもの。

 どれだけ世界が進化しようとも決して変わらないもの。

 そう。そのはずだったのだ。

 それがある日、変わってしまったのだ。

 人が神から生が与えられた時と同じく、人はある日を境として唐突に死を失った。

 どれだけの暴力を受けても傷つかない屈強な体。

 不治と呼ばれた病さえも取り付くことが出来ない奇妙な体。

 何をしようとも決して変わらない。まるで止まってしまったかのように。

 唐突に人間に与えられた『不死』は。

 少なくとも私がそれでなかった頃、神の祝福だと口々に言われていた。

 事実そうなのだろうと私を含め多くの者がそう思っていた。

 何せ、誰も傷つかず苦しまないのだから。

 人は食べるのを止めた。

 そんなことをしなくても死なないから。

 人は争うのを止めた。

 最早争う理由などないのだから。

 人々に与えられていたはずの死と引き換えに世界は永遠に平和となったのだ。

 何をしようとも人はもう死ぬことはない。

 たった一つの例外を除いて。

「グレイグに別れを告げてくる」

 決心した私はそう言って立ち上がると、妻は微笑み再び針を動かし続けた。

「そう。いってらっしゃい」

 不死に侵された世界である日、人が死んだ。

 その人が何故死んだのか誰も分からなかった。

 少しずつ、人が死ぬようになった。

 人が死んでいく、その奇妙な現象を人は千年かけて解明した。

 つまり、人が死を望む時。

 人は不死から解放されるのだ。


 間に合った。

 グレイグはまだ生きている。

「グレイグ!」

 野次馬に囲まれた古い友人は私を見ると一瞬微笑み、そして、その表情のまま静かに消えていった。

 その様を私は自分と同様に不死に縛られた人々と共に見つめていた。


 グレイグは何故死を選んだのか。

 その理由は分からない。けれど、答えだけは分かる。

 つまり、生きるのが嫌になったのだ。

 神は何故このようなことをしたのだろうか。

 何故、完全な不死を与えながらも『死』という選択肢を残したのだろうか。

 答えは出ない。

 分からない。

 グレイグの死を見届けた者たちがその場から解散していく。

 戻っていくのだ。

 平和な世界に。

 争いのない決して変化のないの世界に。

 私もまた踵を返して妻の待つ家へ帰路につく。


 何故、唐突に人間に不死が与えられたのか。

 何故、与えた不死を捨てる選択が残されたのか。

 答えは分からない。

 ただ、私は一つだけ思うことがある。


 きっと、神は。

 神様は。

 最も残酷な罰を人間に与えようとしたのだろう、と。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  日本人の言う腹八分目や、欧州の慎ましくといったものが、人生において楽しめる範疇であると同時にそれこそは争いを生む欲であるとも思えて来ますね。
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