空と海の虚無
■まえがき
学生時代に誰もが経験しただろう“面倒に巻き込み悪手を誘う友人関係”、今や小さなコミュニティにも潜む悩みのタネ、その手の輩を友とすべきかを問う。
閻魔大王が押す烙印、地獄行きを申し伝えるDEATH METAL詩♪
■本文
保身に嘘吐き嘲笑う餓鬼道
軽薄な者は護る立場も情も薄い
友人すら物扱いに使い捨て
自身の犯した間違いを
他の話とすり替え伝え
友を騙して情けを募る
嘘で誤魔化す詐欺師也
捉え方を言うは詐欺師と等しく
違える意見として耳を貸すふり
さぞや卑しい心根は気持ち良く
友の優しさにつけ込み嘲笑う屑
情けを募り友を騙して虚偽伝え
友人すらも罪の隠蔽に加担させ
苦しむ友に嘘を重ね騙して嗤い
畜生の性は餓鬼道に落ちた証拠
虚偽を伝える時点で友では無い
己の犯した間違いを
己では解決も反省もせず
問題をすり替え伝え証拠隠蔽
人を巻き込み有耶無耶に誤魔化し
卑しい心根は他者を巻き込み
護る立場も腐り果てては
罪と嘘を重ねた土台
他責に罵り崩れ
食い病む餓鬼道
如実知自心
己を飲む憶
謝るを拒み誤る愚心
事実は何れに虚偽を返す
後悔先に立たずと知ればこそ
虚しき構に没れる信仰心
人を馬鹿にし嘲笑う鬼畜の所業は
巻き込む人の数すら思いが至らず
軽薄な餓鬼道の立場は地獄が故か
嘘で隠すも事実の証拠は凌駕する
喚けば許されるは赤子までと知れ
■あとがき
▼如実知自心とは
真言宗の『大日経』が言う『如実知自心』や、弘法大師・空海が言う「如実知自心源底」とは、“実の如く自分の心を知る”ありのままの己の心を知る事を云う密教の教えでもあり、「自心」や「自心源底」とは自らの心の奥にある“真実の自己”を指します。
本文における「如実知自心」は、嘘吐きは己の愚心に呑まれるだろう事を云うにあたり、嘘を吐いて人や友をすら騙し嘲笑う餓鬼道に堕ちた者にも罪を反省する心が残っているのかに、犯した記憶があるなら心は何を思うのかを問うものDEATH♪
▼解説
無関係の人様を突然横から殴り付けておいて、問題とされた途端に嘘で誤魔化し被害者面をし、仲間や友人に問題の話を違う話にすり替え伝えて情けを募り、他者を貶める事に加担させる非道を行う。
この手の事は学生時代に経験した方も多いと思いますが、今や小さなコミュニティやネットのこうしたサイトなど、何処にでも現れる悩みのタネ。
“面倒に巻き込み悪手を誘う友人関係”
同じ学校や会社やコミュニティにおいて、この手の輩とは関わりたく無いものですが、何故に自身で犯した問題なのに友人や仲間に虚偽を伝えるのかにも、味方にしようとする話の中には多くの疑問が生じます。
私自身は問題が起きたとて、友人に名を伝えては、その友人が名の相手と友人関係にあれば友人が苦悩すると知るからこそに、決してその名を友人に伝えようとは思いません。
ましてや、友人に選択を迫るような真似は明らかに非道ですから、それをされた時点で友とするに値せず絶縁します。
何故なら、問題のみを聞いたとて自身も共に苦悩する事をいとわぬ友人関係であるなら、友の方から名を訊いて来る筈です。
それ故に、問題を伝える事すらも悩み判断に決め兼ね、自身で考え抜いて尚も判らぬ話のみを相談するのが友人に対する真摯な姿勢。
詰まる話が、相手の名を伝えて来たり、名を訊ねるように誘導して来るそれは、意図的に友人関係の選択を迫るものであり、名を伝えられた時点で友ですらなく敵を討つ為の使い捨ての駒として見られているのは明らかです。
例え間に挟まれた友人が困る姿を見ても、その手の輩は何の感情も抱きはしないと判る話。
果たしてそうした輩は友なのか、大岡裁きにも見られる引き手を想う裁きとして、この詩では餓鬼道に堕ちた者へその心根を問うものに、問題を起こして巻き込む輩に地獄行きの烙印を押す形としました。
拙作「●地球」で文体の形を閻魔大王の筆にしたので、こちらではより強制的な感じに思える烙印を押す判子とした次第DEATH♪
ドンッ!