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Invisible Notation  作者: 伝記 かんな
9/12

*Notation 9* 蔵野 恵吾(くらの けいご) 

“Calando”に訪れた一人の男性客。

彼は晴と明也の繋がりを、静かに見守っている。


                 9



店の扉が開く。

それに気づいた拓馬は、声を掛けた。


「いらっしゃいませ。」



学もそれに続いて、

“いらっしゃいませ”と言葉を紡ぐ。


晴は、開店した事も

客が訪れた事も気づかないまま、

ピアノに向かい合っていた。



店内で充満する繊細な音色に、

男性客は感嘆の声を漏らす。


「・・・・・・素晴らしい。」


その声音は、音の粒に流されて

誰の耳にも届かなかった。



「・・・・・・ご来店ありがとうございます。

 どちらの席になさいますか?」


立ち尽くしている男性客に、

拓馬は笑みを浮かべて頭を下げる。

応えるように、彼は微笑んだ。


「カウンターで構わないよ。」


「かしこまりました。」



男性客はカウンター席へ歩いていくと、

ゆっくり腰を下ろす。


一つ一つの所作に、優雅さが纏っていた。



「マナ。上から三段目、左から二番目のダブルをお客様に。」


淀むことない言葉を受け、学はすぐに

ウィスキーのボトルが並ぶ棚から、

言われた通りの場所にあるものを手に取る。


それを目にして、男性客は満足そうに微笑んだ。


「憶えていてくださいましたか。」


拓馬は笑みを絶やさず、会釈して

個包装おしぼりを差し出す。


「・・・・・・あの時とは、違う女性ですね。」


ピアノを奏でる晴に目を向けて、

彼は言葉を紡いだ。

さり気なく、拓馬は答える。


「彼女を迎えて、今日初めて披露しています。

 演奏はお気に召しましたか?」


「・・・・・・素晴らしいね。」


「ありがとうございます。」



透き通った丸い氷がウィスキーグラスに入り、

からん、と心地好い音を響かせる。

綺麗な琥珀色の液体が注がれ、軽くステアすると

照明に反射して七色に光った。


男性客はテーブルに向き直り、

個包装おしぼりの袋を開けて

手を拭きながら、それを眺める。


コルク製のコースターが敷かれ、

その上にグラスが置かれると

彼はそれを手に取り、軽く持ち上げた。


「今夜は彼女に乾杯しよう。

 ・・・・・・来た甲斐があったよ。」


その流れで、彼はグラスを口に運ぶ。


拓馬は丁寧に頭を下げ、静かに

厨房へ去っていった。

その行動を察し、学は

フォークとテーブルナプキンを準備する。


「久しぶりだね。

 ・・・・・・僕の事を、憶えているか?」


そう尋ねられ、間を置いた後

会釈をするように頷いた。


「ほんのひと時で、一回きりの客だったのに・・・・・・

 マスターと君は優秀だね。」


カウンターを出て、男性客のテーブルに

準備したフォークとテーブルナプキンを置く。


「今日も、ひと時しかいられないのが

 残念だが・・・・・・

 足を運んで良かったよ。

 ・・・・・・君と、彼女・・・・・・

 それと、“彼”に話がある。」


心地好い低音の声が、

ピアノの音色とともに耳へ届いた。


「目を合わせてくれ。」


その申し出に、学は目を見開く。


「僕の名前は、

 蔵野くらの 恵吾けいご

 ・・・・・・皆で談話するには、君の力が必要だ。」



男性客の言葉に、戸惑いの色を隠せなかった。


自分の、“特殊な見え方”の事を

知っている口振り。


しかも、彼女と“彼”というのは、

晴と朋也の事なのか。


「・・・・・・“初代”から話を聞いている。

 君は、“初代”の名刀を振るうそうだね。」



名刀。


刀といえば、心当たりのある人物は

一人しかいない。



「・・・・・・爺さんの知り合いっすか?」


そう呟いて、学は真っ直ぐに男性客を見据えた。


「蔵野さんが何者か分かりませんけど・・・・・・

“彼ら”の事に詳しそうっすね。」





晴は、異変に気づいた。


演奏を止め、俯き加減だった顔を上げる。



『直々に来るとは思わなかった。

 ・・・・・・驚いたな。』


朋也の声が降ってくる。

晴は首を傾げながら、

自分の背後に立つ彼の方へ振り向いた。


「・・・・・・何が起こったの?」



彼の姿を、目で捉えている。


自分はピアノに集中していて、

“彼ら”の姿を見たわけではない。

それなのに今、“彼らの世界”に踏み込んでいる。


朋也は、カウンターの方に目を向けていた。

その視線に促され、晴もその方向へ目を移す。


すると、カウンター席に

腰を下ろしているスーツ姿の男性と

視線がぶつかった。


「演奏を止めてしまって、申し訳ない。

 少し話をしたくてね。」


物腰柔らかい穏やかな口調と、

微笑みを浮かべる優雅な表情。


一目見て、高貴な人柄を連想させた。


「素晴らしい音色をありがとう。」


心地好い低音の声が響く。

男性客―蔵野の雰囲気に包まれ、自然に晴は席を立つ。


「ありがとうございます・・・・・・」


彼の称賛を素直に受け止め、丁寧にお辞儀をした。



「爺さん。この人、親戚か身内か?」


蔵野と対面するように立つ学が、いつの間にか

彼の隣の席にちょこんと座っている

和装の紳士に尋ねる。

その問い掛けに、ふぉ、と一笑した。


『親戚といえば親戚じゃが、

 身内といえば、身内じゃな。』


「そうですね。」


蔵野は微笑んで、相槌を打つ。

はっきりしない答えに、学は怪訝な表情になった。


「・・・・・・聞いちゃダメなやつ?」


『面倒くさいだけじゃ。』


「・・・はぁ?」


「ははは・・・・・・

 話をするには、段階を踏まなければならない。

 君の為にも、彼女の為にもね。」


『そういうことじゃ。

 ・・・儂とお前の付き合いじゃろう?

 この場はとりあえず、この者を信頼しておくれ。

 お前たちを護る為じゃ。』



三人のやり取りを、

晴と朋也は静かに見守っていた。


―・・・・・・あの人、“この世界”にいる事を

 少しも驚いていない。

 おじいさんと普通に話しているし・・・・・・


『“干渉を受けない空間”・・・・・・

 あの人物は、それに繋がる“鍵”を管理する者だ。』


「えっ?」


『現在の、という言葉を付け加えようかの。』


晴と学を交互に見据え、蔵野は静かに言葉を紡いだ。


「僕は、“鍵”の『管理人』。

 真の姿を知る者は限られている。

 ・・・・・・君たちは、異例になるね。」


蔵野は、ゆっくり腰を上げると

ステージに近いテーブル席へ歩いていく。


「皆、こちらに座り給え。」



よく通る声だった。

それに従おうという意思が働く。


晴は何も言わず、蔵野が促したテーブル席へ向かった。

朋也もその後を追う。

学も反論せずに従い、和装の紳士は

いつの間にか蔵野の隣に姿を移していた。


5人はテーブルを囲んで座り、顔を合わせる。

眺めるように皆と目を合わせた後、

蔵野は穏やかに語り出した。


「今から私は、『管理人』として話をする。

 “黒い風”を纏うあの人物は、皆知っての通り

 禁忌の力を使い、人を玩具のように操っている。

 阻止しなければ、さらに犠牲者が増えて

 悲しい連鎖を生んでしまうだろう。

 それを私は止めたい。

 ・・・・・・“先代”の願いでもある。」


彼の口調は柔らかいが、裏腹に言葉は

確固たる意思を含んでいる。


「貴方は『我々』の一員だった。

 “初代”の見解通り、

 “先代”の時に契約を結んでいる。

 それを考慮して、私は訪ねた。」


『・・・・・・はい。』



―“初代”?

 “先代”?


 ・・・・・・一体何の事?



晴は朋也に視線を向け、心の中で尋ねてみる。

だが、その答えは返ってこない。

彼の目は、真っ直ぐ蔵野に向いていた。


「貴方の死は、“黒い風”を消し去る為に導かれた。

 そう言っても過言ではない。

 失っている記憶は、それに繋がっている。」


『・・・・・・その見解は、大方間違いありません。』


朋也は、状況を把握できていない

晴に目を向ける。

ようやく自分へ向けてくれた彼の双眸に、

彼女は吸い込まれそうになった。


深海のような闇の静寂。

あまりにも濃くて、微動すらできない。


『自分が持つ拳銃は、

 その意念に繋がると考えています。

 ・・・・・・彼女は、それに共鳴している。』



蔵野の目は、見つめ合う二人を捉える。

しばらくの沈黙を経て、彼は声音を響かせた。


「貴方の推測している通り・・・・・・

 彼女は、失っている記憶の部分にいる。」



二人に何を言われているのか、

晴には分からなかった。


「・・・・・・ってことは?」


学も、ぴんときてないのか聞き返す。



『お嬢さんは、失っている片桐の記憶に

 関わっておるという事じゃ。』



―・・・え・・・・・・?



「“共鳴”を可能にする事は、それを意味する。

 彼女がどのように関わっているのか。

 それは、彼女の

 “心理の記憶”に記されている。」


『それを辿る事は、失っている片桐の記憶に

 繋がるということじゃ。』


「ちょ、ちょっと待ってくれ。

 それって大丈夫なのか?

 そんなことしたら、藤波さんが

 無事じゃない気がするけど・・・・・・」


『そうじゃ、分かっておる。焦るな。

 話を最後まで聞かんか。』


「・・・・・・その通り。

 “心理の記憶”を辿る事は、禁忌。

 現在の彼女に深刻な影響が出るからだ。」



―・・・・・・みんな、何を言っているの?



『俺の記憶を取り戻す形が、最善という事だ。

 ・・・・・・晴。』


話に乗れない彼女に、朋也は優しく言葉を紡ぐ。


『“干渉を受けない空間”で

 君と過ごした、約1ヶ月間。

 俺はそれを確信した。

 君が、俺の記憶と関わっている事を。

 ・・・・・・御仁は、それを見抜いて

 “あの空間”を提供した。

 “藤波 晴”である君と、“共鳴”を強くする為に。

 それを確かなものにしている

 今なら・・・・・・

 “心理の記憶”に触れても、俺が君を呼び起こせる。』



―・・・・・・朋也。分かんないよ。

 どういう事・・・・・・?



「“心理の記憶”に触れると、昏睡状態を引き起こす。

 現実に戻れなくなるのが必至であるが・・・・・・」


重い空気を裂くように、その低音は響く。


「今を強く“共鳴”している

 貴方方なら・・・・・・それを回避出来る。

 呼び起こした直後、

 私は“貴女”の名前を刻み、“鍵”を掛ける。」



晴は俯いて、黙り込む。


話の内容を全部把握するには困難だったが、

事の重大さが湧き上がるのを感じた。


―私じゃない、“私”?

 その“私”が、朋也と出逢っている?

 ・・・・・・それって、まさか前世の事?


 朋也が佐川くんのお祖父さんと会って

 別れた後から、命を落とす瞬間までの、

 短い時間で・・・・・・?



同時に、蔵野の言葉が引っ掛かった。



―「呼び起こした直後、私は“貴女”の名前を刻み、

 “鍵”を掛ける。」・・・・・・



「・・・・・・記憶を取り戻した朋也は、

 どうなりますか?

 消えてしまうのですか?

 “鍵”を掛けるというのは・・・・・・

 私は、彼の事を忘れてしまうのですか?」


ずっと頭の中から消えない、その可能性。

それをどうしても知りたかった。


答えを渇望するように見据えてくる晴に、

蔵野は眼差しを向ける。

それは限りなく、優しさを帯びていた。


「その答えは、

 彼から最初に言われているはずだよ。」


「・・・・・・?」


晴は困ったように眉尻を下げて、朋也を見つめる。

彼はそんな彼女に、笑みを浮かべた。


幾度となく見た、その表情。

いつもその色に、鼓動が大きく波打つ。


『君が生きている限り、俺は消えない。

 ともに生き、ともに死ぬ。

 ・・・・・・“共鳴”した時点で、

 それは決まっていた。申し訳ない。

 もう、消えてほしいと思っても・・・・・・

 消える事は出来ない。』



何よりも。

それは最も嬉しい答えだった。


晴は心底から、安堵の息を漏らす。


その様子を、

蔵野は温かく見守りながら言葉を紡いだ。


「“共鳴”は、

 “心理の記憶”と深い関りがある。

 それを節制するのが、私の役目。

 故に幾多の事例に触れる機会があったが・・・・・・

 貴方方ほど、今を強く想い合う形は初めてだ。

 だからこそ、明るい兆しを見通すことが出来た。

 それを伝えておこう。

 “あの空間”で、時間を重ねているにも関わらず、

 まだ“心理の記憶”に触れていない。

 それは、今を必要としている証拠だ。」


『ずばり、お前さんたちはラブラブなんじゃな。』


「あー、爺さん。

 ちょっと黙っててくれ。

 えーっと、つまり・・・・・・

 藤波さんと片桐兄さんは、

 その“心理の記憶”ってやつに深く関わっている。

 爺さんが提供した部屋で様子を見たけど、

 片桐兄さんの記憶はまだ戻らない。

 と、いうことは・・・・・・」


『ラブラブなんじゃな。』


「じーさん。

 ・・・・・・いや、その通りなんだけれども。

 もしこれから片桐兄さんの記憶が戻った場合、

 藤波さんの“心理の記憶”に触れるから、

 影響が出る。

 それを防ぐために、あなたが“鍵”を掛ける。

 それで二人は、今を保てる。

 ・・・・・・っということっすね?」


「御名答。付け加えるなら

 “鍵”を掛ける事により、彼女は

 “心理の記憶”を忘れるという事。

 深刻な影響もなく、現在を保てる。」


『そういうことじゃ。』


和装の紳士は、学に顔を向ける。


『記憶に触れる際、再び“黒い風”が

 片桐を襲い掛かるじゃろう。

 現実でも刺客を差し向けておる。』


「刺客・・・・・・?」


「お昼に・・・その人を見ました。」


「えっ?!」


「あ、えっと、気づかれなくて

 大丈夫だったんだけど・・・・・・」


『儂の力が働いておるからのぅ。

 あの童の力も拝借しておる。』


「・・・・・・爺さん、そこまで考えて・・・・・・」


『お前は儂を見くびり過ぎじゃ。

 ・・・・・・“黒い風”が襲ってきた際、

 二人を擁護し、儂の刀で奴を断て。よいな?』


戸惑いもなく、学は力強く頷いた。


「りょーかい。話は分かった。

 ・・・・・・でも、刺客って・・・・・・ヤバいな。」


「我々が感知し、逸らすように施しているが

 不測の事態もあり得る。

 くれぐれも用心するように。」


『物事は完璧ではない。

 それを心に留めておくことじゃ。』


晴と学は、顔を見合わせて頷く。

互いの表情には、緊張感が生まれていた。


「・・・・・・話は以上だ。

 手間を取らせてしまったね。」


蔵野は立ち上がる。

晴と学に目を向け、笑みを浮かべた。


「素晴らしい音色とともに

 極上の酒を嗜めるのは、この上ない至福の時だ。

 これからも足を運ばせてもらうよ。」





晴の目線は、鍵盤を映していた。

自分が、ピアノを弾いている

最中だという事を思い出す。

演じたままカウンター席に目を向けると、

蔵野の背中が見えた。


カウンター越しにいる、学の姿も確認できる。


厨房から拓馬が姿を見せ、手にしている一皿を

蔵野の前に置いた。


「前から失礼致します。

 丁度取り寄せた物が届いたので、

 是非お召し上がりください。」



白磁の皿中央に、薔薇のような生ハム。

それをさり気なくスライスされた

ズッキーニが囲み、

鮮やかな赤色を引き立てている。


「最高だね。頂こう。」


蔵野は顔を綻ばせた。

その笑顔も

フォークを手にする所作も、優雅に映る。


晴の目線からは後ろ姿だったが、

その雰囲気を感じ取ることができた。


―・・・・・・あの人は、何者なの?


演奏する手を止めず、朋也に問い掛ける。


『・・・・・・信頼を寄せていい人物だ。

 今は、それだけしか言えない。すまない。』


―・・・・・・


色々聞きたい事があったが、

この場は気持ちを抑えた。


“『我々』の一員”と言った蔵野の言葉は、

彼が拳銃を持つ所以に繋がるのかもしれない。

彼女は、そう感じたからだ。


余韻を残すように演奏を終えると、

静かに鍵盤から手を引いた。


直後、拍手が店内に響き渡る。


「素晴らしい調べだった。お陰で、

 今日の暑さを忘れてしまったよ。」


席を立って拍手を送ってくれる蔵野に、

晴は頭を深く下げた。


「マスター。

 最高のおもてなしをありがとう。

 名残惜しいが、失礼するよ。」


「またのお越しをお待ちしております。」



そのまま蔵野は、レジへ歩いていく。

彼はスマートに会計を済ませると、

颯爽と店を後にした。


その表情は常に、笑みを湛えながら。



「・・・前も、あんな感じで

 来てくれたんだよなぁ・・・・・・」


ぽつりと拓馬は呟く。


「・・・どこかの貴族みたいっすよね・・・・・・」


学も続くように言葉を漏らす。


「そうそう!王子様だ!

 本当それだよなぁ・・・・・・」


二人の意見に頷き、晴も共感する。


三人は去っていった蔵野が残した

優雅な風に浸っていると、

間もなく店の扉が開いた。


「こんばんは~!

 早く来たくて、お仕事

 無理矢理終わらせちゃった~!

 えへへ。

 ・・・・・・あれ?みんなどうしたの?」


元気よく店内に入ったものの、

立ち尽くしている三人を見て

莉香は首を傾げる。


「・・・あ、ああ。莉香ちゃん。

 いらっしゃい。大変お疲れさま。」


我に返ったかのように、拓馬が声を掛ける。


「・・・・・・何かあったの?」


「いや、ほら。

 あのお客様が久しぶりに来てくれてね。

 前に話しただろう?王子様みたいな・・・・・・」


「・・・・・・」


莉香は、うーんと唸りながら記憶を辿る。


その間に彼女の足元から、莉穂が

とある目標に真っ直ぐ駆け出していく。


晴がその行方を目で追うと、

勢いよく学の足に抱きついた。


おわっ、と声が上がる。


「えっ、どうしたのマナ?」


急に声を上げた彼に、莉香は目を丸くして尋ねた。


「・・・・・・何でもないっす。」


学は、彼女に目を向けて頬を緩める。

ご満悦の笑顔を湛える莉穂を見て、晴は微笑んだ。


―莉穂は、お爺さんと協力して

 佐川くんを護っていたのね。


学が莉香と付き合いだしてから、

莉穂は彼にくっついて歩く事が増えた。

触れる事が出来ているのは、

彼女の力が

関係しているのかもしれない。


「・・・ああ!もしかしてリアル王子様?!

 来てくれたの?!

 へぇ~!一足遅かったかぁ・・・・・・

 私も会いたかったなぁ~。」


「前よりも、上品さが増して

 洗練されていたよ。」


「ええー?会ってみたかったなぁ~。」


残念そうに言ったが、莉香は

ちらっと学を見て微笑む。


「・・・・・・でも、マナには

 もっと会いたかったよ。ふふっ。」



照れ笑いをしながら、彼女は学の腕に抱きつく。


足元には莉穂、腕には莉香。


当の本人は、戸惑いと、嬉しさと、恥ずかしさで

複雑な表情を浮かべていた。



“ごちそうさまです・・・・・・”


そんな具合で、拓馬と晴は温かく見守る。


「莉香ちゃん。幸せタイムのところ

 邪魔して悪いんだけど・・・・・・

 マナは勤務中だからね。

 仕事が終わった後で、

 思う存分してくれていいから。」


「・・・う~・・・・・・は~い。」


渋々、莉香は学の腕から離れる。

彼の顔は、緩みっぱなしだ。

足元の莉穂は、まだ離れない。


ピアノの所で温かく見守る晴に気づき、莉香は

ぱっと笑顔になって駆け寄った。


「はる~!お疲れさま~!」


「莉香~!こんばんは、お疲れさま!」


彼女の満面な笑顔につられて、自然に顔が綻ぶ。


「初出勤おめでと~!

 あとで一緒に飲もうね~!」


「うん!」


「晴のピアノを聴きながらのお酒、

 サイコーだろうなぁ・・・・・・

 堪能させてもらいます!」


「わっ。嬉しい!頑張らせてもらいます!」



学と付き合うようになってから、

彼女は見違えるように笑顔が増えた。

元々容姿端麗なのだが、さらに磨きがかかっている。


「頑張らないで。いつも通りでいいの。」


「ふふっ。はーい。」


互いに笑い合う。


学の足から離れない莉穂も、

彼女たちを見て微笑んでいる。


「叔父さーん。今日はテーブル席で飲む~。」


「はいよ。」


莉香は晴に手を振って、

ピアノに一番近いテーブル席に座る。

学に手渡された個包装おしぼりの袋を開けながら、

拓馬に声を掛けた。


「冷えたやつお願いしまーす。」


「はいはい。」


拓馬は笑いながら、冷蔵庫から

冷えたビールグラスを取り出す。


「お客さまは、今のところリアル王子様だけ?」


「そうだね。」


「今日は、すっっごく暑かったから

 今から来ると思うよ~。これから忙しくなるかも。」


「ああ。それに備えて用意しているよ。」


拓馬と莉香が会話をしている中、学は

カウンターに残されたグラスと皿を片付ける。

晴は再びピアノ椅子に腰を下ろし、

鍵盤を拭こうとクロスを手に取った。



「・・・そうだ。今度の日曜日だけど、

 みんな空いているかな?」



“Calando”の店休日は一応日曜日となっているが、

最近は朝の8時から11時まで開けている。

それは、今朝晴が堪能したチャバタを

買い求める客の要望で実現した。


立地上、オフィス街に近い為

客入りは平日に比べて見込めないが、

それよりも拓馬自身

焼きたてのチャバタを食べてもらいたい

意識が強かった。

本人曰く、日曜日の開店は趣味に近いという。



ビールサーバーからグラスに注ぐと、

拓馬はそれをトレーに置き、学に託す。

彼はテーブル席に向かい、莉香の前に

コースターを敷いてビールグラスを置いた。

白い泡と黄金色の、美しいコントラストが出来ている。


“いただきまーす”と言って

それを嬉しそうに手に取り、口に運ぶと喉を鳴らす。

ぷはぁ、とグラス半分程空け、

恍惚の表情を浮かべた彼女は

にこやかに答える。


「私は空いてるけど?何かあるの?」


「莉香ちゃんの誕生日祝いをしようかと思ってね。

 実際の日には、

 マナと二人で祝いたいだろうから・・・・・・」


拓馬の言葉に、学は俯き加減を深くする。

ビールのせいなのか、照れなのか、莉香の頬が

ほんのり赤く染まった。


「えーっ?祝ってくれるの?嬉しい!

 私は勿論いいけど・・・・・・」


「晴ちゃんは大丈夫かな?」


「はい!」


自分の歓迎会もだが、拓馬は

何かある度に祝ってくれる。

幾度となくイベント事が増えて、とても楽しかった。


「・・・・・・あの、お願いが・・・・・・」


「ん?どうした?」


学がお願い事を言うのは珍しい。

三人は、俯いて誰とも目を合わせない

彼に注目する。


「・・・実は、地元にいる妹が

 今週の金曜日夜から、

 こっちに来る予定なんです・・・・・・

 土日までいるんっすけど・・・・・・

 ここに呼んでもいいっすか?」


皆、目を見開く。


「マナの妹?おおっ。それはいいね。

 地元は福岡だっけ?」


「・・・・・・はい。」


「えっ?!佐川くん福岡なの?!

 私も博多出身なんだけど・・・・・・」


「・・・・・・えっ、そうなんっすか・・・・・・?」


「マナの妹!うわ~!可愛いだろうなぁ~!いくつ?」


「・・・・・・十と七になります。

 ・・・・・・俺が言うのも、

 おかしいっすけど・・・・・・可愛いっす。」


「ふふっ!間違いない!

 うわ~ヤバい!今から緊張する!

 嫌われないかなぁ~。大丈夫かなぁ~。」


「ははっ。何を心配しているんだか。

 僕も楽しみだなぁ。大歓迎だよ。

 ・・・妹さんは、日曜日

 何時頃福岡に帰る予定なのかい?」


「・・・・・・俺が駅まで送ります。

 17時30分発の新幹線で帰るらしいので・・・・・・」


「了解。みんな、昼の12時にここへ集合だよ。」


「はい。」


「・・・・・・ありがとうございます。

 妹に伝えておきます・・・・・・」


「うわ~、ヤバい。ちょー楽しみ!

 あっ、でも・・・・・・

 お酒は控えないとね・・・・・・

 お昼から飲むのは、ドン引きされそう・・・・・・」


「・・・・・・お酒を飲まない莉香さんは、

 莉香さんじゃないです。」


「えっ。なにそれ。・・・・・・何か複雑・・・・・・」


「・・・・・・え、と、その、違うっす・・・・・・

 お、お酒を美味しそうに飲む

 莉香さんが・・・・・・と・・・

 とってもかわいいから・・・・・・

 俺、大好きなんです。」


「えっ、そ、そうなの?

 やだ、うれしい・・・・・・

 そんな風に思ってくれてたの?」


二人が惚気出したところで、店の扉が開いた。


「いらっしゃいませ!」


拓馬の笑い混じりの一声で、皆は口を閉じる。


楽しいひと時に、それぞれ笑みを含みながら。




                 *




“ゆり。学の様子を見に行ってくれる?”



お母さんが心配するのも分かる。

兄貴は、東京に行ったきりで

一度も帰ってこんし。

連絡はしとるみたいやけど・・・・・・

お母さんとしては寂しいやろう。



“ゆり一人で大丈夫か?

 僕も一緒に行こうかなぁ・・・・・・”



お父さん・・・・・・

私をいくつだと思っとると?

もし万が一何かあっても、多分大丈夫やから。



東京。

社会人になる前に、一度行っておきたかったんよね。

いい機会かも。

兄貴の様子も、見に行きたかったから。


東京の大学に行くって言い出した時は、

本当に驚いた。


・・・・・・ある日突然、兄貴は変わった。

目を見て、喋らなくなった。

あまり話さなくなった。


そしてその頃から、兄貴が“見えなくなった”。


それから、メールで話すようになった。


自分がスマホ扱う時は、だいたいその時。

情報が多い所に目を向けると、ひどく疲れる。

だから、同級生と同じようにする事が

苦手だった。

せめて髪の毛だけはと思って染めてみたけど、

似合っているかどうかは分からない。

逆に怖がられているかも。

学校以外で、つるむ程の仲良しはいない。



・・・・・・・兄貴に、彼女ができたとか。

ハイテンションなメールが来たから、

流石に心配したけど、本当らしい。

しかも・・・・・・社会人。

是非、会ってみたい。“見てみたい”。


兄貴のどこが良かったんやろう・・・・・・

騙されてとったりして・・・・・・

写メ送ってくれんっちゃんね。なぜ?

とにかく、心配。

“見えて”いたら、

こんな心配することないっちゃけど。



私は、未来を読む。

人の未来が、“見える”。


こんなこと、周りは引くから言わない。


遺伝らしいけど、お母さんはさっぱり。

おばあちゃんゆずり。

だから、おばあちゃんみたいになりたかった。

身も心も、強い人に。

手を差し伸べられる人に。


目指すは、おばあちゃんだ。



東京に行くのは、2泊3日。

夏休みだから平日でもいいけど、

兄貴も大学だし、私も図書館にいないといけない。

金曜日の夜から行ったら、土日フルでいれるよね。



“俺が連れていこうか?”



・・・・・・俊が言ってくれたけど、ダメ。

力を使うと、彼の時間が止まる。


・・・・・・断ったら、寂しそうやったなぁ・・・・・・


2泊3日やろうもん。

あっという間だから。

お土産買ってくるけん、待っとって。


・・・・・・何がいいかなぁ。



夏休みやもんね。遊ばなきゃ。

・・・・・・っていっても、

有名な場所に行くのはやめておこう。

興味あるけど、今回はね。

兄貴も忙しいやろうから。

偶然にも土曜日は、彼女のさんの誕生日だとか。

デートで出掛けるみたい。


“他の日だったら良かったのに・・・・・・”


だって、都合のいい土日がそこしかないっちゃもん。

いいやん別に。

彼女さんといる方が楽しいやろうもん。

ばぁか。


兄貴のバイト先、カフェやろ?

しかもお洒落な。

私はそこで、こっそり本読むんやから。

私が妹だってこと内緒で。

・・・・・・日曜日にバレるけど。


彼女さんのバースデーパーティー。

私も行っていいらしい。丁度いい。

そこで、たっぷり“見せて”もらいます。

兄貴の彼女さん。

覚悟しといてください。

兄貴騙しとったら、容赦なく言います。


・・・・・・

逆やったら、めっちゃくちゃ祝福します。

兄貴を好きになってくれる人がいるなんて、

これから先出てくるか分かんないし。

ありがたい存在です。

全力で、支えます。



読みたい本が溜まっとるけん、

持っていこうっと。

ばり楽しみ。

お洒落なカフェで本を読みながら

まったりするの、やってみたかったんよね~。


楽しみやなぁ~。



                 *



遅くなってしもうた。

今日も、樹が起きとるうちに

帰ってこれへんかったなぁ・・・・・・


篤には感謝や。

いつも迷惑かけとる。

今度メシでもおごったろ。


・・・・・・はぁ。

働いても働いても、稼げんもんやなぁ・・・・・・


今月も、かつかつや。

もう一つ仕事増やすか。


・・・・・・いや、これ以上は無理や。

樹との時間が取れへんようになる。


・・・・・・考えんと、あかんか・・・・・・



私腹を肥やしとる奴らの命は、

なんぼのもんやろ。


もう、試してもええ頃かもしれん。

有り余っとる力、出してもええんちゃうか?


俺はどうなってもええねん。

篤と樹が生きればええんや。

稼げればええ。

・・・・・・このまままじゃ、潰れるだけや。

まっとうなこと、やってられへんかもしれん。

試してみるか・・・・・・

どこまで、通用するか。


篤の紹介で、いけるやろ。



・・・・・・おお。ぐっすり眠っとる。

今日は調子が良さそうやったからなぁ。

よしよし。

こいつの寝顔、ごっつう可愛いねんな。

俺も写真撮ったろうかなぁ・・・・・・

撮ったろ。

・・・・・・フィルムの無駄遣いって、

怒られそうやなぁ・・・・・・

いや。ええか。樹。

お前の寝顔は、犯罪級やで。

撮ったやつここに置いておくさかい、

自覚しぃや。へっへっへっ。


・・・・・・

ほんまにこいつ、ぎょうさん撮っとるなぁ・・・・・・

気に入ってもらえて、良かったわ。

玩具みたいなカメラやけど、

しっかり撮れるもんなぁ・・・・・・


篤と撮ってくれたやつ、最高や。

我ながら、ええ男。うん。



・・・・・・ん?なんやこれ。

何も映ってへんやないか。

こんなの取っておくんか?

変なヤツやなぁ。

まぁ俺の弟やさかい、しゃーないか。



・・・・・・んん?!

なんやこの美少女??!!


・・・・・・どっかに入院しとる子やろか・・・・・・

また、ええ笑顔の・・・・・・


はっ。もしかして・・・・・・


なんやなんや~??


こいつもいっちょ前に恋しとるなぁ!


こんなええ笑顔させるって事は、

この子も好きなんちゃうん??


流石俺の弟や。うはははっ。


なんや安心したわ~。

中身も病気になったら、どうしようもない。


明日聞いてみよ。へっへっへっ。


応援したるで~。



                 *



「大変お疲れさまでした。本当によく頑張ったね。

 ・・・・・・明日の出勤、

 一時間遅くてもいいけど・・・・・・」


「いえいえ!時間通りに行きます!

 大変お疲れさまでした!」



晴は丁寧に頭を下げて、拓馬のワゴン車から降りる。

軽快に走り去っていく車を、

視界に映らなくなるまで見送った。



深夜を回った頃である。



ほろ酔いのまま、彼女は自宅に向かって歩き出す。

まとめていた髪を下ろし、髪留めを

ショルダーバッグの中に入れた。

軽く息をつき、固まった髪を

くしゃくしゃと指でほぐす。


熱帯夜の風で、うねった彼女の髪が

ふわりと舞った。


決して涼しい風ではなかったが、心地好く思える。



現実とは思えない程、楽しい時間を過ごした。

仕事をしているという実感がない。


―気ままにピアノを弾いて、

 お客さまに喜んでもらえて。

 とっても美味しい料理まで堪能できて。

 素敵な人たちに支えてもらって。


 こんなに幸せでいいのかな・・・・・・



仕事が終わった後、

テーブル席で既にでき上がった莉香と

色々話をしながら、酒を飲んで食事をした。


気が向けばピアノを弾いて。

その度、莉香は大喜びで聴いてくれた。

彼女の隣にお行儀よくお座りしていた莉穂も、

ずっと笑顔で。


開店中だったが、ニーナがカウンター席に座っていた。

とても優しい笑顔で、見守ってくれていた。


時々、莉香は学はアイコンタクトして

笑顔を浮かべて。

それを見て拓馬は微笑んで。


今日の出来事を回想しながら、

晴はマンションの階段を上がる。


―・・・・・・樹くんを、いつか

 “Calando”に呼びたいなぁ。


自宅のドア前で足を止め、

ショルダーバッグから鍵を取り出す。


―樹くんも、笑顔で過ごせると思う。





解錠したドアの向こう側に立つ朋也を、

晴は真っ直ぐ見据えながら部屋に入った。


灰色の世界に足を踏み入れると、

ドアは自然に閉まる。

ショルダーバッグの肩紐を肩から外して、

バッグをドア付近に置いた。


“この空間”で、彼と

『ただいま』の時間を過ごすのは

彼女の習慣になっていた。


彼は、いつも笑顔で迎えてくれていた。


だが、今日は違った。

いつもの優しい雰囲気はない。


その代わり、向けられる情念が

ダイレクトに彼女を貫いていく。


当然、鼓動が大きく波打った。



「・・・・・・朋也?」


波にのまれ、彼女の声は震える。

彼は何も言わない。



“この空間”だと、心の会話は出来ない。

独立した存在になる。


だから余計に、抉られた。



彼は歩いていく。

自分に向かって。


深い情念と眼差し。


それに囚われた彼女は、

成す術なく立ち尽くす。


朋也は止まらず、彼女に腕を回した。


抱き締める力は強い。

故に安堵どころか、熱情を引き起こす。


彼女は、声も出なかった。

いや、出せなかった。

今の彼はそれ程、感情的に思える。


ただ、それを確認する勇気がない。

彼女は、されるがままになる。


笑ってふわりと包んでくれる

いつもの彼は今、ここにはいない。

後頭部に置かれるその手から、熱を感じる。


自分の心臓の音が、

こんなにも煩いと思ったことはなかった。

それと同時に、彼の鼓動まで聞こえそうな

錯覚を起こす。


あるはずがない、彼の息吹を。



どのくらい経ったかも、分からない。


抱き締められたままの状態が続いた後、

低音の囁きが耳に届く。


『・・・・・・お疲れさま。』


裏腹の優しい労いに、晴は応えて

朋也の胸の中で小さく頷いた。



『・・・・・・君は、無防備過ぎる。』


この呟きは、彼女を狂わせる。


「・・・・・・ど・・・・・・

 どういう意味・・・・・・?」


やっと出せた声は、掠れていた。


『・・・・・・何でもない。』


「・・・・・・なんでもなくない・・・・・・」


『・・・・・・ふはは。』


いつもそう。


「笑ってごまかすの、よくない。」


『・・・・・・言ってみたかっただけだ。』


「嘘。」


『嘘じゃない。』


「いつもの朋也じゃない。」


『何も変わらない。』


「・・・・・・言ってよ。」


『・・・・・・』


晴は顔を上げる。

真っ赤に染めるその表情は、

普段の彼女では浮かばない。


「甘えていいから。」


『甘えさせてもらっている。充分。』


「・・・・・・もう。」


彼は肝心な事を、いつも言わない。


でも、それが不思議と流せるのはなぜだろう。

彼の本質を知っているからなのか。

言わない事は、彼の細心だと

理解しているからなのか。


最終的に、許せてしまう。


彼女はそれ以上聞かないでおこうと、

話題を変えようとした時。


『抱きたかっただけだ。』



目を見開いた。

この言葉は、破壊力があった。


『生きていたら、時間忘れて

 心行くまで君を抱きたい。

 ・・・・・・当然の感情だろうな。』


「・・・・・・!」


『言葉が煩わしい時もある。

 君の息遣いだけを、聞きたい時もある。』


晴は、瞬く間に赤面して俯く。


「ま、待って、ご、ごめん。分かったから・・・・・・

 もう、言わなくていいから・・・・・・」


『言えと言ったのは君だ。』


「は、はい・・・・・・

 ゴメンナサイ・・・・・・」


―き、聞かなくていい事も、あるよね~。


『謝らなくていい。俺は幽霊だ。

 それは叶わない。自覚している。』


「・・・・・・」


『君は?』


「・・・・・・え?」


『この際だから聞こう。

 君も、俺に対してそういう感情を持つか?』


「ええっ?・・・・・・えっとぉ・・・・・・」


『俺に抱かれたいと思うか?』


―わーっ!


「・・・・・・お・・・・・・もいます・・・・・・」


『ふはは。それが聞けて満足だ。』


やっと彼は、いつもの優しい雰囲気に戻る。

しかし、晴の調子は戻らないままだ。


「・・・・・・なんなのぉ、もう・・・・・・」


『今日の君を見て、少し妬いてしまった。ふはは。

 ちょっと意地悪したくなった。』


「・・・・・・えっ?」


またもや予想外な言葉に驚いて、晴は顔を上げる。


『さてと・・・・・・

 樹と会えるか試してみようか。』


「ちょ、ちょっと。」


『多分いけると思うが・・・・・・』


「どういう事?ねぇ。妬いたって・・・・・・

 ・・・・・・えっ・・・・・・?」


朋也は、笑っている。


「朋也。」


『はい。』


「朋也も、嫉妬するの?

 ねぇ、そうなの?・・・でも、誰に?」


じっと見上げてくる晴に、

朋也は微笑みながら言葉を紡ぐ。


『俺も元は、君と同じ人間だ。

 感情の記憶が引き起こす事だってある。

 ・・・・・・マスターは、飛び抜けた包容力と

 温かさのある素晴らしい男性だ。

 ・・・・・・俺とは真逆の。

 彼に向ける君の笑顔が、それを物語る。』



彼は、拓馬の事を言っているのか。

彼女は心底驚いた。


「違うよ、朋也。私は・・・・・・」


『分かっている。君の気持ちは。

 真っ直ぐ俺に向いている。

 ・・・・・・申し訳ないくらいに。』


「じゃあ・・・・・・」


『独占したいという気持ちからくるものだ。

 相手を強く想う故に起こる、当然の感情。

 可能性がある相手と親しくしていたら、不安になる。

 揺るがない確証があっても。

 ・・・・・・それが、人間というものだろう。』



嫉妬されるなんて、夢にも思わなかった。


彼の弱さに、初めて触れた気がした。



「・・・・・・ありがとう・・・・・・」


『ふはは。お礼を言うのか?

 君らしいな。

 ・・・・・・俺からも、ありがとう。

 いつも想ってくれて。』



二人は、笑い合う。


眼差しを通わせるだけで、分かり合える。

これは、私たちの強さだと。


彼女は、それを改めて自覚した。


これがあれば、何も怖くない。



「・・・・・・樹くんに会うには、

 どうしたらいいの?」


『名前を呼び掛ける。それだけだ。』


「それだけ?」


『ああ。』


簡単な方法に、晴は拍子抜けする。


『だが・・・・・・より深い共鳴をしつつ

 呼び掛ける事は、容易じゃない。

 大丈夫か?』


「うん。大丈夫。」


―今の私なら、何でもできそう。


『・・・・・・ふはは。』


「?」


『本当に、大丈夫か?』


二度聞かれたら、揺らいでしまう。


「だ、大丈夫・・・・・・よ?」


『覚悟しろ。』


「・・・・・・かくご?」



彼の笑顔が、目に飛び込む。

それくらいに、近い。




                 *



・・・・・・

・・・・・・ん・・・・・・?


なんやろ・・・・・・ここ、どこや・・・・・・?


・・・・・・何もない。ただ、灰色や。


足元も灰色で、立っているのが不思議やけど・・・・・・

普通に歩けるなぁ。


・・・・・・夢、か。

夢、やな。きっと。うん。



『・・・・・・樹くん・・・・・・』



・・・・・・えっ?

女の人の声がする。どこからや?



『・・・・・・樹・・・・・・』



今度は、男の人の声。

聞いたことあるような・・・・・・


・・・・・・えっ。まさか。



「・・・・・・晴さん?朋也さん?」


思い当たるのは、その二人しかおらへん。



『・・・・・・樹くん・・・・・・』


「はいっ!!ここにいます!!」




・・・・・・わっ!!

目の前に二人おる!!


「樹くん!」


「は、晴さん!!朋也さんも!!」


「良かった!会いたかったの!」


「ぼ、僕もです!!・・・えっ、これって夢??」


『君からしたら、夢だろうな。』


「ど、どないなってますか?

 ・・・・・・とにかく、嬉しいです!!」


夢でも、二人に会えたのは嬉しい!!


「樹くん、今どうしてるの?」


「実は、その・・・・・・発作を起こして、

 入院しとります。」


「・・・・・・そっか・・・・・・

 そうだったんだ・・・・・・」


『今、どんな状態だ?起き上がれるのか?』


「一応、普通に歩けます。

 明後日、手術をするので・・・・・・

 どうなるか分かりませんけど・・・・・・」


「お見舞いに行ってもいい?」


「・・・・・・えっ?!ほんまですか?!

 会いたいです!」


『術後の経過次第で、会う日にちを決めよう。

 だが、いつでもこうして会える事を

 君に伝えておく。頼ってくれ。』


「うわ~!嬉しいです!

 こんなすごい事も、お二人は出来るんですね!」


「今日、初めて試してみたけど・・・・・・

 長くは無理、かも・・・・・・」


『慣れていくといい。』


「な、慣れるって・・・・・・」


晴さん、なぜか顔が赤い。

朋也さんは、それを見て笑っとる。

どないしたんやろう?


・・・・・・あっ。そうや。


「実は、二人に見せたいフィルムがあって・・・・・・」


「フィルム?」


「はい。ほら、憶えとりますか?

 あの時、僕が晴さんを撮ったって言うてたこと。

 何でか、そのフィルムが最近出てきたんです!

 写ってはいたんですけど・・・・・・

 説明が難しいので、

 直に見てもらいと思って・・・・・・

 お二人なら、見えると思います。」


『・・・・・・“見える”というのは、どういう事だ?

 “分かる”、じゃないのか?』


「えっと・・・・・・本当は、最初にお二人に見せる

 予定やったんですけど・・・・・・

 訳あって、他の人に見られてしまったんです。

 せやけど、何も写ってないって言われて・・・・・・」


『写ってない?』


「はい。

 ・・・・・・どういう事なんでしょう?」


『・・・・・・』


「・・・・・・朋也・・・・・・

 もう、だめかも・・・・・・」


『樹。入院している病院はどこだ?』


「はいっ。えっと・・・・・・」




                 *




晴は、呼吸を整えるように

まぶたを閉じ、明也の胸板にもたれ掛かっている。



『よく頑張ったな。』


ぐったりしている彼女に、彼は優しく労う。


『場所は、かろうじて聞けた。

 君がよければ、また会いに行こう。』



応えるように、晴は頷く。


今の彼女は、言葉を紡げない程疲労していた。


彼は彼女の頭にそっと手を置くと、

優しく撫でながら言葉を掛ける。


『・・・・・・樹が撮ったフィルムに、

 何が写っているのか・・・・・・

 気になるところだな。』



彼の声が、動悸を鎮めてくれる。


安堵とともに眠気が訪れる。



『・・・・・・気分はどうだ?』



―・・・・・・不思議・・・・・・



『このまま眠れ。疲れただろう。』


“ベッドに運ぶから安心しろ。”



―・・・・・・



初めて彼と心を重ねた、あの時。


自分は一瞬で眠りに落ちたのだと、

彼女は理解する。


共鳴の振り幅が大きくて、

耐えきれなかったのだ、と。



溶け合い、一つになる感覚。


意識を保てる事は初めてなのに、

そうとは思えない。



懐かしい。


そう思った。



それを彼に伝えたかったが、

強烈な睡魔が阻む。


彼の手は、温かい。

腕の中も。


温かく優しい風が、自分を包む。



この温かさも、この優しさも。


愛おしい。




                 *




金曜日の日中

東京は雨だったが、夕方頃には止んで

真っ赤に染まる空が広がっていた。


湿気を含んだ生温い風が、

行き交う人々の間を通り抜けていく。


午後7時頃の東京駅構内は、旅行で訪れた観光客や

勤務を終えて帰宅するサラリーマン、

学生たちで行き交っていた。


その人波の中を、ゆっくり歩いていく少女がいる。


都会人の、無駄なく歩くスピードではない。


しかし誰にぶつかることなく、コンコースの中を

悠然と進んでいた。


セミロングの明るい茶髪に、赤縁の眼鏡。

ノースリーブの白いワンピース。

その裾が、ひらひらと舞うように

彼女の後ろへ流れている。


白い糸が、人波を縫っていくようだった。


右手にはスマホ。

がらがらと左手で引く

ベルトの付いたキャリーバッグは、

少女に連れられて歩いているように見える。


駅の、とある中央口付近に

ちらっと目を向けると、少女は

立ち止まれそうな場所へ向かう。


壁に背を預け、小さくため息をついた。


右手に持っていたスマホの画面に視線を落とし、

指をしなやかに動かす。



                  《着いたけど》



そう文字を打って送信すると、

すぐに既読が付き、返事が来た。


《俺も今着いたとこ》


             《中央口の辺りにいるよ》


《近くにいる》



少女は一旦画面から視線を外し、周りを一望した。


見当たらないのか、首を傾げて

再び画面に視線を戻す。



              《どんな服着とる?

               私は白いワンピース》


《オレンジのTシャツ》



伝えた後少女は顔を上げて見回すと、

遠くの人波の中からオレンジ色が

ぽつりと見えた。

その方向に、目を凝らす。


近づくにつれて、目を見開いた。


それは、相手の青年も同様だった。


はっきり確認できる距離まで

青年が近づくと、少女は何も言わずに

じっと見据える。


青年はその目に応える事なく

俯いたまま、微妙な距離を保って

立ち止まった。



「・・・・・・」


互いに、驚きを隠せない事がある。


「・・・・・・髪、染めたんやね・・・・・・」


少女は呟く。

青年も、少女の髪の色が気になっていた。


「・・・・・・校則、大丈夫なのか?」


「・・・・・・ほぼ自由やけん、大丈夫。」



青年から目を離し、少女は

右手に持っていたスマホを、肩に掛けていた

ミニショルダーバッグの中へ直す。


「兄貴も、バイト先大丈夫と?

 そんな金髪で。」


「・・・・・・」


青年は、何も答えない。

片手に持っていたスマホを

ジーンズの後ろポケットに入れ、

俯いたまま口を開く。


「・・・・・・から、借りたから・・・・・・」


「え?何て?」


ぼそぼそ言葉を紡ぐ青年の声は、

構内で行き交う人々の音で

かき消されてしまう。


少女が耳を近づけて聞き返すと、

青年は若干声を張った。


「・・・・・・知り合いから、車借りてる。

 それに乗って帰ろう。」


青年の言葉を聞き取り、驚いた後

訝しげに見据える。


まだ、認識できなかった。


目の前の青年は、本当に

自分が知っている兄だろうか、と。


自分の知っている兄は、こんなに垢抜けていない。

受け答えが合わないのは変わらないが、

知り合いから車だと?

そんな知り合いがいるのか、と。

視線を合わせないのも同じだが、

暗い雰囲気を纏っていない。


「・・・・・・変わるもんやね。」


独り言に近い呟きだったが、青年は拾う。


「・・・・・・お前も、変わった。」


「変わった?見た目だけやろ。」


自分はそんなに変わっていないと思うが。

そんな様子で、少女は言葉を返す。


「・・・・・・さらに、可愛くなった。」


目を丸くした。

まさか、そんな言葉が漏れるとは

思いも寄らない。


「・・・・・・本当に、兄貴?」


少女は青年に近づいて見上げる。

目を合わせようとするが、

相変わらず合わせようとしない。

顔を横に背けながら、青年は頷く。


「・・・・・・兄貴だよ。」


ぼそ、と声が漏れた。

口の端が上がっているように見える。

嬉しさを、抑えているような。


感情を出した兄を、久しぶりに見た。


メールでやり取りしていたが、

その変わり様を目にはできない。

直に会って、初めて分かる。


四年会わない間に、兄は変わった。


悪い方ではない。良い方に。



「・・・・・・車に行こう。」





車内では、今時のJ-POPが流れている。


その音楽嗜好も、

自分の記憶にいる兄では思い当たらない。


少女は音楽に耳を傾けながら、

車窓でスクロールする街路風景を眺めていた。


青年はフロントに真っ直ぐ目を向け、

運転に集中している。



兄を変えたのは、都会の喧騒か。

それとも、付き合い出した彼女の影響か。

何にせよ、リラックスする気にはなれなかった。


わざわざ車で迎えに来なくても。

そう思ったが、口にはしなかった。



「・・・・・・ばぁちゃん、元気か?」


軽快な音楽とともに、

ぼそっと言葉が流れてきた。


「・・・・・・うん。ばり元気。」


少女は短く答える。


今まで青年から話しかける事も、本当になかった。

メールで会話せずに済むのは、本当に良かった。


間を置いて、少女からも尋ねた。


「・・・・・・何で、一回も帰ってこんの?

 お母さんもお父さんも寂しがっとったよ。」



丁度、曲が終わる。

重い空気が流れた後、バラード調の曲が始まった。


「・・・・・・大学卒業したら帰るけん、

 別によかと思って・・・・・・」


少女が発する方言につられたのか、

青年の言葉も変わる。


「そうじゃないんよ。心配するやん?

 連絡しとっただけ許すけど・・・・・・」


「・・・・・・」


沈黙は、バラードの物悲しい音色に比例する。


少女はため息をついて、車窓から青年に目を向けた。


「いいよ。元気そうやけん。

 兄貴が楽しそうやから、安心した。

 ただ、心配しただけ。」


「・・・・・・」


青年は視線をフロントに向けたまま、

何も言葉を返さなかったが、

申し訳なく思っていた。


心が籠った少女の言葉が染みて、深く反省する。


“ごめん。”


心の中で思った言葉だったが、

無意識に口から出ていた。

それが少女の耳に届く。


青年の横顔を、じっと見据えた。



兄は確かに変わった。

だが、根本は変わらない。


それを感じ取って、少女は改めるように息をつく。


「お母さんが、かしわご飯作ってくれてね。

 持たせてくれたんよ。

 あと、おばあちゃんから梅干しも。

 うどんの乾麺持ってきたから、

 ぶっかけうどんと一緒に食べよう。」


アコースティックギターの間奏とともに

流れてきたその言葉は、青年を著しく浮き立たせた。


「・・・・・・晩メシ、作ってくれるのか?」


口元が緩んでいる。

それを見て、少女は小さく笑った。


「簡単な料理やけど。・・・あっ、麵つゆある?」


青年は、首を横に振った。


冷蔵庫には、飲み物くらいしか入っていない。

だいたい弁当か総菜、パンとおにぎりを買う。

バイトの時は、まかないがある。


ほぼ、自炊はしていなかった。


「スーパーに寄って。ついでにお菓子も買おうよ。」





青年の住む賃貸アパートは、築20年の6畳1K。

近年改装されて外観は綺麗になったが、

間取りや設置されている水回りは

時代を刻んでいる。


部屋の中は、必需品を除いて

驚くほど物が置かれていない。


ただ、壁際に特設している

卓上テーブルが気になった。


明らかに、その場所だけ輝いている。


それを見つめながら、キャリーバッグと

ミニショルダーバッグを

フローリングの床に置いた。


「・・・トイレ行くよ。そこで合っとる?」


少女が断りを入れると、青年は頷く。

場所は言わずとも分かる程、部屋は狭い。


青年は両手に持った買い物袋を、

台所の天板に置いた。

ほとんど、お菓子が入っている。


これを全部、消化する気なのか?


疑問に思いつつ購入した。



台所は、まともに使っていない。

一通りの道具はあるが、

全部を活用して料理を作ったことがない。


この間、初めて彼女が部屋に来て

腕を振るってくれた。

嬉しすぎて、有難すぎて

どうしようもなかった。


一人暮らしを始めて思ったのは、

料理を作ってくれる存在がいることは、

本当に幸せなことだということ。

それを実感した。

そして改めて、母親に感謝した。


妹が、料理を作れるようになっていたとは

知らなかった。

それを堪能できるのは、ものすごく嬉しい。



少女がトイレから戻ると、

リビング中央の丸くて小さいテーブルに、

麦茶の入ったグラスが二つ置かれていた。

床には丁寧に、チェアパッドも敷かれている。

導かれるまま、その近くに腰を下ろす。


要冷蔵の物を冷蔵庫に直し終えた青年も、

少女と向き合うように敷かれた

チェアパッドの上に座る。


グラスを手に取り、

少女は注がれた麦茶を口に運んだ。

青年も同じく喉を鳴らして、飲み干す。

互いに、息をついた。


少女はキャリーバッグに手を掛けて開けると、

花柄の風呂敷に包まれたタッパーを取り出し、

テーブルの上に広げていく。


「あ、そうだ。お父さんからも

 預かっとるんやけど・・・・・・なにこれ?」


何やら部品のような物を、青年に手渡す。


それを一目見て、顔を綻ばせた。


「・・・・・・プラグ。バイクの部品。」


「バイクの?・・・・・・なるほどね。」



父親とは、バイクで繋がっている。


今自分が乗っている大型バイクの事を

メールで伝えると、

かなりマニアックな内容の長文が返ってきた。

今は降りているが、若い頃は

自分と同じバイカーだったという。


その事を、母親も妹も知っている。



「もうご飯の用意するけん。」


疲れた様子もなく、少女は立ち上がる。

青年はその後ろ姿を、嬉しそうに眺めた。




祖母が漬けた梅干しと、刻んだオクラと葱に

即席で作った温泉卵を乗せた

ぶっかけうどんは、本当に絶品だった。


勿論、かしわご飯も。

馴染みの味に、がっついた。


その様子を、少女は時折笑って眺めていた。


小さな液晶テレビから流れるバラエティー番組を、

二人で観賞しながらの食事は、

地元にいた頃の事を思い出させた。


家族四人で食卓を囲んでいた頃。


あの頃は、“見えて”いなかった。

はしゃいで、その日の出来事を話して。


遠い、懐かしい記憶。


それを思い出して、少し地元に帰りたくなった。



青年は、食器の後片付けをしている。


リビングでは、液晶テレビの電源が

落とされ、静かな空気が流れていた。


簡易ベッドの横側を背もたれにして、

少女は小説を読んでいる。


本を読む少女の姿は、昔と変わっていない。

集中して本と向かい合う姿勢は、いつも

どことなく羨ましいと思う。


片付けを終えた青年は、一間隔置いて

少女の横に並んで座った。

その手には、スマホがある。


彼女からのメールを確認しようと、

画面に向かう。



《こんばんは~(#^.^#)

 妹さん、無事に着いた?》



午後7時32分に来たメールだった。

青年は文字を打つ。


            《お疲れさまっす!

             はい!

             今落ち着いたとこっす!》


すぐに既読がつく。



《( *´艸`)》



かわいい。


                 《莉香さんは?》

 

《飲んでた~(*’ω’*)》



うんうん。


声が聞きたくなったが、我慢。



             《明日、楽しみっすね!》


《うん♪♪♪》



明日、彼女の誕生日だ。

抜かりないように、準備している。



          《電話したいっすけど・・・・・・

           がまんします(*’ω’*)》


《( *´艸`)》


           《まだ早いっすけど・・・・・・

            おやすみなさい。》


《おやすみなさい(*^▽^*)》



かわいすぎる。

青年は悶えそうになったが、堪える。


ちらっと横にいる少女に目を向けると、

いつの間にか

クッキーを摘まみながら読んでいた。


「・・・・・・風呂は・・・・・・」


「兄貴が先にどうぞ。」



返事が早かった。


本に向かっている時の妹は、確か

話しかけても

反応しなかったはずだが・・・・・・。


返事を期待していなかった青年は、

さらにぼそぼそと声を掛けてみる。


「・・・・・・ベッド、使っていいけん。

 俺は下で寝る。」


「いいよ。私が下で。」



反応が早い。


やはり、おかしい。

視線は、本へ真っ直ぐ向いているのに。

意識は、自分に向いているみたいだ。


「・・・・・・上で寝なさい。」


「やだ。」


どうしたんだ、一体。


「・・・・・・上で・・・・・・」


「兄貴が隠していること、

 教えてくれたら、上で寝る。」


少女は本から視線を外し、青年に目を向けた。


慌てて、視線を逸らす。


「・・・か・・・・・・隠している、こと?」


「隠しているよね。」


どうしたんだ、急に。


「兄貴は変わった。良い意味で。」


「・・・・・・」


妙な動機が、青年を支配する。


妹は、一体何を言っているんだ?


「完全に、彼女さんの影響やね。

 少しだけ、兄貴が見えるようになったんよ。」



心臓が、止まりそうになった。



「兄貴は、何を隠しとると?」














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[良い点] 蔵野さんだあぁああああっっっ!!!!✨️✨️✨️ はい!蔵野さんが出てくると、いつも浸って潤ってテンション高く拝読しているほくろのテンションが更にさらに上昇いたします!! ああ……優雅だ。…
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