第78話「スカート」
8月30日金曜日。
「まあ、今日はこんなもんじゃろ」
じいちゃんの一言を合図に、これまでの疲労から俺はその場で前のめりに倒れた。
「お、終わったー」
俺は紆余曲折を経て、この約1ヶ月をいまいる道場で、目の前にいるじいちゃんと過ごしていた。結果、高校生になって始めての俺の夏休みは、何の面白みもない灰色の青春だったが、その変わりに……
「じいちゃん、俺って結構強くなったよな?」
「このわしが直々にしごいたんじゃから当然だ。夏休みが始める前のお前など足元にも及ばんくらいこの夏を通してお主は強くなった」
「だよなー」
『主に私のおかげじゃがの』
自信満々で鬱陶しい女の声が一瞬、俺の頭の中だけで響いたが、既に精魂尽き果てている俺はそれを無視した。
「明日は休みなんだよな?」
「ああ、明後日には神森学園に戻られねばならんのだから、実質最後の休日の明日くらいは好きに過ごせ」
「おっしゃー! 遊ぶぜ!」
そうと決まれば最後の休日を少しでも充実したものにするため、俺は1秒でも早く眠りにつこうと道場から飛び出す。
……
大急ぎでシャワーを浴びて歯磨きを済ませ、もう寝るだけになった俺は足早に自室に向かう。その途中、廊下の向こうから同居人の加賀斗暁が歩いてくるのが見えた。
「加賀斗おやすみ!」
それだけ言って俺は加賀斗の横を通り過ぎようとしたが、加賀斗から放たれた一言で不意にその足が止まる。
「そういや煉、お前夏休みの宿題やったのか?」
「あ……!」
……
同時間帯、桂木魔昼は自室で明々後日から始まる新学期の支度を始めていた。
「えーっと制服は確かこの辺に入れたはずだけど……」
予想通り棚の中から綺麗に折り畳まれた制服をあっさり見つけた魔昼だったが、それを取り出したところで下から見慣れない黒い物体が目に入る。
「これ、なんだっけ?」
気になってそれを手に取り広げてみるとその正体はすぐわかった。
「スカート?」
彼女が口に出した通り、それはどう見ても黒いミニスカートだった。そして瞬間的に彼女はそれをここに置くことになった経緯を思い出した。
それは今から遡ること約4ヶ月前、5月3日金曜日。
……
その日、魔昼は煉の誘いを受けて映画を観るためショッピングモールに足を運び、映画が始まるまで買い物に勤しんでいた。
(あ、これ可愛いかも)
その最中、魔昼が目を付けたのは女性マネキンが履いている黒いミニスカートだった。
(けど、私こんな丈の短いスカートなんて履いたことないしなー……)
そんな気になりはするが、いま一歩踏み出せず葛藤していた魔昼の様子にやがて煉も気づいた。
「なんだ、そのスカート気になるのか?」
「え? あ、うん」
「なら買えばいいじゃん」
「けど、私こんな可愛いスカートなんて履いたことないし……」
「確かに、お前にこんな女の子っぽいスカートは似合わなそうだな」
プチン、煉の軽率な発言が魔昼の中で何かを切れさせた。
「そんなの着てみなきゃわかんないでしょ!! 決めた、私これ買う!」
「なんだ、結局買うのかよ」
(見ときなさいよ! 今はまだ寒そうだから着ないけど、夏になったら絶対これを着てあんたに似合うって言わせてやるから!)
……
(……ってことがあったような、なかったような)
あれだけ燃え盛っていた魔昼の気持ちも今となってはさすがにその熱を失っていたが。
(けど、やっぱりこれ可愛いわね)
そう思い、チラリとカレンダーで今日の日付を確認する。
(今は30日の夜、明後日になったらまた神森学園に戻るから恐らく私服を着る機会は殆どない……)
そこまで思考を巡らせたところであることを決意した魔昼はスマホを取り出し、親友である椎名明日香にメッセージを送った。
……
「だいたい1年ぶりくらいかしら」
翌日の8月31日土曜日、私はある場所に来ていた。目の前にある仰々しい門の横には『天神』という表札が付いている。そうここは天神家の本家、つまり煉の自宅だ。
ギィー! 門が開き中から前もって訪問を伝えていた相手、明日香ちゃんが私を迎え入れてくれた。
「魔昼ちゃーん久しぶりー……って、ええー!?」
約1か月ぶりの再会を喜び、明日香ちゃんは私に両手を広げてはぐをしようとしたがその途中であることに気がつき、その動作を一旦中断して驚きの声を上げた。
「魔昼ちゃんがミニスカート履いてる!!」
直前まで悩んだが、私は煉をぎゃふんと言わせるため、昨晩見つけたあの黒いミニスカートを履いてきたのだ。
「ど、どうかな?」
「凄い似合ってる! それに着なれないものに挑戦してちょっと恥じらいを感じてる魔昼ちゃん自体も超かわいい!!」
今の私の心情を完璧に見透かしたような明日香ちゃんの発言に少し動揺したが、それでも『似合ってる』と断言され私はまんざらでもない気分だった。
「ありがとう! ところで煉の奴はいま何してるの?」
「煉? そういえば今日はまだ見てないけど、今日は修行がお休みのはずだから部屋で寝てるんじゃない?」
……
「え? なんでお前いんの?」
明日香ちゃんの案内のもと煉の部屋に向かう途中、廊下でバッタリと本人と出くわし、開口一番そう言われた。
「そ、それは……明日香ちゃんに久しぶりに会いたくなって!」
「いやどうせ明日会うじゃん」
「今日会いたくなったのよ!」
「はぁ、よくわからんけど。俺は忙しいからこれで」
それだけ言うと煉はそそくさとこの場を去ろうとするので、私は思わず彼の手を引いて引き留めてしまう。
「ちょっとちょっと! それだけ?」
「俺はいま忙しいんだよ」
「忙しいって……今日はもう修行しないって明日香ちゃんから聞いたんだけど、いったい何があるっていうのよ?」
私が問い詰めると、煉は心底嫌そうな顔をしながらも、やがて観念したように言った。
「宿題だよ」
「は?」
「宿題なんもやってなかったんだよ!」
「宿題って夏休みの?」
「それ以外何があるんだよ」
「いやいや、実質明日から学校なのになんで終わってないのよ。だいたいあんたはいつもその場しのぎで、もっと普段から計画的に先の物事を……」
「あー! うるさい! うるさい! そういうわけで俺は忙しいからお前に構ってる暇はない」
『お前に構ってる暇はない』、その煉の一言が私の中で約4ヶ月ぶりに何かが切れる感覚を思い出させた。
「あっそう! なら私も勝手にするから!」
こうなったら、私のこのスカートに気づくまで付きまとってやる!
……
なんでこうなったんだ……?
夏休み最終日と言っても過言ではない今日という日を、俺は一切手をつけていなかった課題の消化に費やしていた。それ事態は別に小学生の時から度々経験していることなので問題ないが、俺がいま『なんで?』と疑問を感じずにいられないのは、その課題を必死に解いている俺の真後ろでしかめっ面で正座をしている存在のことだ。
「何よ」
恐る恐る顔を後ろに向けて見ると、最後に確認した時と何1つ変わらない状態の桂木魔昼がそこにはいた。
「お前こそ、そこで何してんの?」
「別にー」
明後日の方向に目線を向けながら魔昼は俺の質問を雑に流す。
いやこいつマジで何がしたいんだ? いきなり家に押し掛けたかと思ったら、別に手伝ってくれるわけでもなくただ俺が宿題をやる姿を監視し続けてる。夏の暑さで頭おかしくなったのか?
いくら考えてもあいつが何を思ってあんな奇行をしているのかはまるでわからんが、多分俺が宿題終わるの待ってるんだよな?
「なんか暇だったらそこの本棚にある漫画とか適当に読んでていいから」
「どうぞお構いなく!」
「あ、はい」
いくらお構いなくと言われても、後ろからにらまれ続けたら気が散って仕方ないんだが……実際そんな余裕もそろそろないし、一旦あれは置いといて宿題の方に集中するか。
……
シュシュッ、室内では煉が解答を記入するときに紙面とペンが擦れる音だけが淡々と響いている。私はそんな彼の様子をそろそろ30分くらいただ黙って見つめ続け、1つ気がついたことがあった。それは
これ意味なくない?
というこの状況を根本的に疑問視する想いだった。
一時の感情に身を委ねこの部屋に押し掛けたが、煉は課題に集中しているのでもう私の方を見向きもしない。これでは私がスカートを履いてきたことに気づいてもらうという本来の目的は達成されない。
普通に考えて一旦ここを出て時間を潰し煉が課題を全て終わらせ、手が空いたタイミングでまた接触するというのが、最も現実的な手である。だが、今このタイミングで部屋から出るのはなんか負けた気がするので嫌だった。
『なんか暇だったらそこの本棚にある漫画とか適当に読んでていいから』
不意にさっき煉に言われた言葉が脳内再生される。首を右に曲げるとそこにはいわゆる漫画がぎっしりつまった本棚があった。
こういうのって読んだことないけど実際面白いのかしら?
ふと、そんな風に興味が湧いた私は、試しに1冊手に取りパラパラとページを捲ってみた。
……
それから数時間後。
「えー、なにこの状況?」
煉の自室に訪れた加賀斗は室内の状況をひと目見た瞬間に思わずそんな声が出た。
まず部屋の奥に見えるのは勉強机に座り黙々と課題に取り組む煉。そして部屋の手前にいるのは背中を床につけだらしない体勢で熱心に漫画を読む魔昼の姿。
「加賀斗!?」
突然の加賀斗の来訪に不意を突かれた魔昼は急いで上体を起こしながら手に持っていた漫画を自身の背中の影に隠した。
「いやなんか煉の部屋が随分奇妙な状態になってるのを明日香から聞いたから、どんなもんか見に来たんだよ」
「べ、別にそんな特別見て面白いものなんて何もないでしょう!」
「いやー、そうでもないぞ。かれこれ10年近い付き合いのお前の意外な1面もたったいま知れたし」
意地悪そうに笑いながら加賀斗は右斜め前の方を指差した。魔昼が自然とその方向に視線を向けると、そこには自身がこの数時間本棚から取り出し読み漁った漫画の単行本が積み重ねられてできた小山があった。
「お前、前に俺が煉と漫画の話で盛り上がってたら『もっと学のあるものを読みなさい』とか言ってたよな?」
「いや、こ、こ、これは違くて……ほ、埃が! そう本棚に埃が凄い溜まってたから本を取り出して払ってあげてたのよ!」
「煉が定期的に取り出して読んでんだから埃なんて溜まるわけないだろ……ってあれ?」
どう考えても無理のある魔昼の嘘を追及しようとした加賀斗だがその途中で彼はまた別のことに気づいた。
「珍しいな、お前がスカート履いてるなんて」
「ま、まあたまには私だってこういうのも着てみるわよ!」
先程とは違った意味で頬を赤く染めながらも、魔昼は今こそ自分の目的が達成されるチャンスだと気づく。
(よくやったわ加賀斗! 今の会話は煉にも聞こえてるはず、 これでようやくあいつも私のスカートのことに……!)
ガチャッ! 魔昼の予感は的中し、背後から椅子が引く音とこちらに向かってくる足音が鳴った。
「なあ魔昼」
「なぁに~?」
煉にその名を呼ばれた魔昼は今日1番の笑顔で振り返る。そして両者の目と目があった瞬間に煉は続く言葉を口にした。
「俺いまここまで課題終わったんだけどこのペースだと多分、今日中にはなんとか終わるよな?」
待ち受けていた全く予想外の現実に思わず魔昼は数度まばたきを繰り返したが、その視界が捉えているのは変わらず夏休みの宿題の冊子を指差した状態の煉だった。
(わたし、なにやってんだろ)
「……こんなことしても無意味だったみたいね」
急速に冷めた自身の本音を魔昼は思わず呟くが、タイミングがタイミングなだけに、その言葉を自身がした質問への解答だと煉は誤解する。
「え?……俺がやってることって無意味なのか? つまりこのままどう頑張っても宿題は間に合わないのか?」
突然の死刑宣告に煉の顔もまた青ざめる。一方でそんな彼の絶望の言葉も今の魔昼には届いておらず。
「もういいわ、私もう帰るね」
そそくさとそのまま部屋を後にしていった。
そして相変わらず魔昼に自分の宿題の進行速度の遅さに呆れられ、見限られたと思っている煉はすがり付くように同じくこの部屋に取り残された加賀斗に聞いた。
「なあ加賀斗、俺ひょっとしてこのままだと宿題終わらないのか……?」
「いやそこまで進んでるなら普通に間に合うと思うぞ」
続く




