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12話「カエデ」

グロ注意です

「長島くんか? 大変なことになった。今すぐ来てくれ!」


 天坂を抱えて長島くんの元へ駆ける。天坂はすっかり気絶してしまった。生きているのか定かでない。


「大変なこと? 結局来なかったんですか?」長島くんは事態を把握してない。のんびりとハンバーガーをむ音がスマホ越しに聞こえる。


「いや、来るには来たんだが、……連絡者は天坂穂波だった!」


「ほう、あの先輩の同級生の!」


 長島君はやけに調子よく反応する。


「細かいことは直接来てもらった方が早い!」


「分かりましたから、今どこにいるんですか?」


「どこってそりゃあ……」


 前も見えず、猛然と走っていた。まるで十年前、楓を追いかけた時みたいに。


 気づいたらここは、──戸山公園。太陽は地面に飲まれ、狂気的な新月が誰にも見つけられないのに、確かに存在している。それもたなびく雲に掻き消され、黒々とした宵闇が世界を包み込んでいる。天坂は常にこんな世界を生きていたのか。公園を彩る緑の木々は、カエデの木だ。


「戸山公園!」僕は叫んだ。辺りに人はいない。


「正気ですか!? 戸山公園なんて……、早くそこから立ち去った方が賢明でしょう」


「いや、ここじゃなきゃだめだ。全てはここで完結する。天坂のためにも、ここで終わらせるんだ」


「分かりました。僕も向かいますから、どうか無事で」


 スマホをカバンにしまい、静寂と暗闇に押しつぶされそうになる。まだ死ねない。


 天坂をベンチに横わたわらせ、無駄だと分かっていても、心肺蘇生を試みずにはいられない。胸を潰し、胃酸で濡れた唇から息を吹き込む。僕も嗚咽おえつで吐き戻しそうだが、今さら構ってられない。この汚らしさこそが僕だ。


「げほっ、げほっ、ごほっ」


 幾ばくかして、天坂が大きく咳き込んだ。息を吹き返した!


「天坂! 無事か!?」


「私……」


 天坂は胡乱うろんな瞳を僕に向ける。


「喋らなくて良い。全てが終わるまで、無事でいてくれ」


「ねぇ、聞いて?」


 しかし、天坂は僕の忠告を無視して語り出した。


「天坂、喋らなくていいって」


「違うの、私やっと分かったの」


「分かった?」


「うん、どうして私の目が見えなくなったか、そしてどうして私が今こうして生きてるか」


「何を言っている? あの時天坂はその……俺に殴られはしたけど、死ぬほどの怪我は追ってないじゃないか!?」


 僕は自分の血の気が引いていく音を直に聞いた。


「ううん、私本当はあの時に死んでたの。楓と違ってここに残る怨念もないから、三途の川をすっと渡ったんだ。でも、気づいちゃった。笹本にまだ好きって言ってないって」


「聞いた。聞いたよ。はっきりと。僕に伝えて、まだ君は生きている。君は幽霊なんかじゃない」


「ううん」


 笹本はふるふると首を振った。すると首がおもちゃの人形みたいにポロリと折れた。それでも尚、首から上は唇を動かす。ふと、脳裏に長島くんの話が過ぎった。楓は決勝のその日、対戦相手の顧問を殺したが、その事件は皆の記憶から消え果てた。記憶の消去の効力が、実体にまで及ぶ可能性をどうして否定できる?


「私も皆みたいに忘れてたんだ。私は、私が死んでいるってことを、忘れてたんだ」


 サングラスが外れ、天坂の瞳が僕の瞳に写る。色彩を失い、濁った灰色。何も見えない、飾り物の瞳。その瞳は確かに僕の方を向いている。何も見えなくても、感じることはできるのか、血涙を垂らしている。


 この後彼女は血涙を垂らすだけの人形となりはてた。切り離された首から下はぴくりとも動かない。僕は地面にへたり込み、現状の理解に努める。そして、結論に至る。


「いるんだろ? 四辻楓」


 天坂の首を抱えて、虚空に向けて声を張り上げる。暗澹あんたんたる空が声を吸い込み、僕の目を無意味なものにする。


「出てこいよ。あの時と同じだ。僕は弱者で、君は強者。天坂みたいにやるなら今だ」


 虚空は答えない。


 足りないのか? まだ、何か……。何を見落としている? 何を忘れている? この公園が悲劇の終着点じゃないのか。




 楓は僕が好きだった。天坂も僕が好きだった。僕は楓が好きだ。


 僕は楓を忘れていた。長島くんは覚えていた。天坂は少し、忘れていた。


 日比谷はこの公園で殺された。天坂は殺されていたと、今気づいた。長島くんは生き延びた。僕は……。


 僕は過去に囚われた。長島くんは過去に背いた。天坂は過去が切り離せない身体として刻みつけられた。


 四辻楓はこの公園の化け物。人類の怨嗟の象徴。そいつがたまたま人の形を持って、僕を、彼女を、彼を惑わせた。十七歳、最も多感な時期。消えない傷が脳裏に渦巻いた。十年経って尚、皆を苦しめる。皆が忘れ去っても、傷跡は残っている。


 ここにおびき寄せられた。自らを傷つけたあの夜から、漠然と抱えていた気持ち。この土は皆の血を吸った。存分に成長した。さぁ、化け物よ。四辻楓よ。




 殺してやろう。




 なに、練習は済んだ。初めてじゃない。修羅に落ちた僕と君の消耗戦だ。


 バックからナイフを取り出す。他に役に立つ物がないか探してみると、長島くんの家からくすねたやじりを見つけた。万が一連絡者が怪しい人物だった時のための護身用だったが、存外役に立ちそうだ。もっとも、護身はナイフで充分だったから、目的は自分でも分からなかった。しかし、それが今役に立ちそうだ。


 首から下についている天坂の服をはだき、ナイフで天坂の鎖骨部に切り込みを入れ、鼠径部まで一気に引き裂く。骨もあるから固いはずなのに、不思議とケーキみたいに簡単に切れる。ナイフは血を浴びるごとに鋭さを増していくようで、銀の煌めきは失われ、代わりに漆黒の殺意を宿した天坂の血で赤黒く染まっていく。もはや人の原形を留めていない彼女の体内にナイフを伸ばし、ぬるっとした臓物をかき分けて硬い背骨を掴む。邪魔な肋骨や胎盤を切り離し、一本の曲がった棒にする。そしたら剥き出しの首根っこを掴み、漁師の一本釣りのように背骨を引き上げる。背骨は地面にどさっと落ちて、遅れて黒い血がピチャピチャと地面に放射される。さらにナイフで無駄な部分をそぎ落とし、綺麗な弧状に整える。


 次いで白くなよよかな腿を切り、筋張った大腿四頭筋を露わにする。その筋を傷つけないよう慎重に接合部を切り離す。そして筋肉を丸々取り出して、興味本位で少し匂いを確かめて嘔吐えずいたが、構わず縦の筋に沿って裁断し、一本のしなる糸にする。それを背骨に取り付けて、彼女の肉片を使って接合する。ややもせば肉片は背骨と筋を繋ぐ接着剤として無事に機能して、骸の弓が出来上がった。


 さらに、細くぷにっとした腕を切開する。筋肉も切り分けて、肩甲骨から伸びる上腕骨に繫がる、所謂二の腕部分を構成する橈骨とうこつ尺骨しゃっこつを取りだす。右腕と左腕からそれぞれ取り出し、橈骨と尺骨が真っ直ぐになるよう肉片で接合して、先端を尖らせる。そこに鏃を取り付けて、右腕と左腕の骨でできた矢が完成する。使わなかった頭部は思い出として、眼球を引きちぎってポケットに入れる。狂気? いや弔慰ちょういだ。


 四辻──道が直角に交わる地点。僕と彼女は同じ修羅にて交じり合う。未来の道に交差する過去の道でかれてしまった。それだけだ。


 楓──花言葉は「美しい変化」「遠慮」そして「大切な思い出」


 皆の記憶から楓が消えていく。この公園にいないものは、楓を何も知らない。


「楓!」


 僕は叫んだ。すると骸の弓が妖しく光る。


「そこにいるのか」


 骸が導く方へ弓を引く。カエデの葉が散る。矢を放つ。


 闇に溶けた矢の軌道上から「ぐぁっ」とうめく声が薄く広がる。僕は慎重にそこへ近づく。


 誰もいない。しかし、明らかに今垂らしたと思われる血飛沫が零れている。何者かに当たったのは間違いないが、致命傷には至ってないようだ。


「うあっ!?」


 瞬間、遠方の弓が光ったかと思うと、左腕に激痛が走った。一瞬だったが、その弓は椿色だと確認した。恐る恐る左腕を確認すると、腕に矢が突き刺さっている。抜こうにも、抜いたら血が止まらなくなりそうでどうしようもない。骸の弓を抱えたまま左腕を押さえる。


 するとカエデの木の向こうから弓を持った人影が現れた。僕は腕の激痛に耐えながら、なんとか弓を軋ませる。向こうも一発もらったから条件は同じはずだ。


「ちいっ!」


 本能的にカエデの木に姿を隠す。その判断をした一瞬後に、一秒前に僕のいた場所にを矢が吹き抜けた。冷や汗を垂らしながらカエデの木にもたれる。嫌な汗だ。僕の矢は残り一発。左腕の方を打ったから、残るは右腕の方だ。


 こちらから攻めてこないと見るや、そいつは僕のいる木に向かって弧状に動き、半分も回ったところで弓を打ち放した。姿は見えないが足音でそう把握できる。僕はカエデの上に登ってそれを避ける。カエデの上から向こうを狙えないか試してみるが、姿勢も悪い上、動き回る相手に当てられる自信はない。もっと確実な隙を狙わなければ。かといって千載一遇のチャンスを逃さぬよう、常に視線を巡らさなければ。


 足音が遠ざかる。僕の居場所を見失ったのかもしれない。垂れる血をカエデの葉に忍ばせて音を出さないようにしたのが幸いした。しかし、今カエデから下りれば居場所がばれてしまう。持久戦になりそうだ。


 ――あれからどれほどの時が経っただろうか。向こうの居場所も分からなくなってしまった。あれから位置を変えていない僕の方が不利に違いない。パノプティコン的な意識が働いて、動こうにも動けない。血を流しすぎて朦朧としてきた。そろそろ自分から動かなければならないか……? いや、この状態は向こうも同じだ。むしろ地上に控えている向こうの方が視野が狭いから精神的に苦しいはずだ。まだ大丈夫。


 ……いるのか? 敵はまだこの公園にいるのか? もしかしたら一人安全圏に逃げ帰り、僕の体力が果てるのをひしひしと待っているのかもしれない。これだけ音沙汰がないんだ。その方がありえるのではないか?


 体が震えている。血を流しすぎたし、長い間明らかに健康を害する異臭や汚物に接してきた。今も悪臭は染みついて離れていないはずだ。──待てよ、この臭気漂う僕を見つけられない訳があるのか? とっくに僕の場所を突き止めていてもおかしくない。そもそも一発矢を打っただけですぐ撤退したのも不合理だ。向こうにも何かあるに違いない。行こう。

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