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11話「真相」

「忘れるわけないよ、あんな出来事……。笹本だって忘れられないでしょ。――忘れてないよね? それに、覚えていたから今こうして私たち再開できたんじゃん」


 と天坂は言った。


「いや、僕は忘れていた。つい数日前思い出して、楓の手がかりを探したらあのサイトを見つけんだ」


「え? 忘れてたってどういうこと? 笹本が一番覚えてなきゃいけないんじゃない?」


 彼女は若干の怒りの混じった口調で、同時に何かに怯えているように唇を震わせる。


「逆に、僕は天坂が覚えていることに驚きだよ」


「どうして?」


「楓に関わる出来事は皆忘れているんだ。それは霊力と言っていいと思っている。天坂がどこまで情報収集したかは知らないけど、少なくとも僕の知る範囲では楓を覚えている人は一人しか知らない」


 しかも、その知っている人は楓の弓を持っているんだがな。そこまでしてようやく記憶に留まる、泡沫のような存在。彼女は「やっぱり」と小さく呟き、僕に顔を向ける。彼女には見えていないから、僕を思っての行動だろう。


「やっぱり、そうなんだ。──ずっとおかしいと思ってた。私の周りの人は楓なんて知らないなんて言うし、あのサイトを作っても、連絡なんて……」


 彼女は段々語調を崩し、頬から透明な涙を垂らす。その涙は鬱血した穢れを祓う透明さをたたえているように思われる。


「だからね、笹本が楓のこと、覚えててくれて、嬉しい。私だけが世界に取り残されてるんじゃないって、あの頃の記憶は本物だったんだって、やっと信じられる。あ、やだ、目が。うぅ……」


 彼女は堰を切った大粒の涙を溢すまいと手で押さえるが、しなやかな手の隙間から、感情が内から這い出るように水の粒が漏れて机を濡らす。


「おい、落ち着けよ」


 僕はポッケに入っていた(用意周到な長島くんが服に常備させていた)ハンカチを天坂に手渡す。


「ありがとう。洗って返すね」


「いや、いいよ」


「あ、うん……」


 彼女から湿ったハンカチを受け取り、ポッケにしまう。心なしか、彼女の目は潤みとともに恍惚と赤らんでいる。


 ずっと楓を覚えていたのは長島くんと天坂の二人だけなのか。


「天坂は今は何をしているんだ? ほら、その、その目だと、色々大変だろう」


 彼女に興味が湧いたけど、言葉を選ぼうにも選べないから直球に尋ねる。すると天坂は僕の思い描いていた反応と異なり、嬉しそうに口元を緩ませる。


「何してると思う?」


 女性特有の要領を得ない、いじわるな質問だ。


「さぁ、天坂みたいな人間がすることは分からない。ましてや、そんな目じゃ……」


 また言葉を間違えたかと思ったけど、彼女はさほど気にしてなさそうに、そこにいることを確かめたいのか僕を凝視している。


「モ、デ、ル。モデルやってるの。というか、結構有名なんだけどなぁ」


 彼女は頬を膨らませた。怒っているわけでは……なさそうだ。


「モデル! へぇ、凄いな。全然知らなかったよ」


 確かに天坂は友人というひいき目なしにも整った顔だし、今はテーブルに隠れて見えないが、立ち姿を一見した限りスタイルも良い。目のハンディキャップを顧慮しても妥当だろう。かつてその美貌を傷だらけにした男が目の前にいるんだが。


「まぁ笹本は興味なさそうだもんね。皮肉なもんだよ。私は私の姿がどうなのか分からないのに、皆は私の姿を見て憧れたりするんだよ。あ、そうだ」


 彼女は一息置いて、それも今思い出したように振る舞って、実際前々から機会を窺っていたようなわざとらしい声で言う。


「これ、あげるよ。私が出ているやつ」


 そう言って彼女はカバンから、聞いたことあるような、ないようなタイトルの雑誌を取り出した。表紙に天坂の不敵な笑みが写っている。


「それ、私には見えないけど、私が表紙らしいの。……どうぞ」


 その笑みが揺れているかと思ったら、僕に向けられた雑誌を持つ天坂の手が震えていた。


「えーと、ありがとう」


「うん……」


 その雑誌に写る本人から渡されるのは複雑な心境だ。それもあの天坂とは。表紙と彼女を交互に見る。


「どうかな……?」


 妖艶な笑顔の表紙と対照的に、今の彼女は手をもじもじと擦り合わせて縮こまる華奢な生き物だ。


「きれいだと思うよ、うん」


 僕がそう言うと彼女は顔をひまわりのように輝かせて、口元を手で覆いながら、「ありがとう」とささやく。──こいつ、こんなに可愛かったのか。


 って、いけない。本題を忘れてはならない。貰った雑誌をカバンにしまい、ごほんと咳を立てて場を切り替える。


「話がそれた。本題に入ろう。天坂は楓の手がかりを見つけたと言ったな。それはどういう意味だ?」


 天坂も態度を改めたのか、白杖を握り直す。


「うん、それなんだけど、笹本は楓が日比谷先輩を殺した場所を覚えてる?」


「ああ、戸山公園だろ?」


 日比谷が殺され、長島くんが殺されかけ、僕が無意識で立ち寄ったあの場所。あそこでは自傷した僕を含む三人の血が流れた。


「嫌なことを思い出しちゃうから今まであそこには立ち寄らなかったんだど、仕事でどうしても行かなくちゃいけなくなったの。そしたら案の定──案の定って言い方は変かな、まぁいいや。仕事終わりの夕方、丁度今くらいの夜の入り口みたいな時間。風が強かったけど、そのお陰でいい写真が撮れたらしいよ。で、いつもは専属のマネージャーがいるんだけど、その日は急用で仕事終わりにはいなかったの。だから撮影スタッフも目の見えない私をどうしたらいいか分からならそうだっから、私は自宅もそこまで遠くないし、白杖はくじょうがあれば一人でも帰れますって言って、だから皆安心して私を置いていったの」


天坂は僕の怪訝な目を察してか、「大丈夫。撮影スタッフの人たちは何にも悪いことしてないよ。ただ、この店に一人で行きたかったから、余計に気を遣われたくなかったの」と言った。


「それで、一人になって公園から出ようとしたんだけど、風が強くて、白杖を落としちゃったの。──目の見えない人が、どれだけ白杖を大切にしているか分かる?」


「ごめん。凄い大切だとは分かる。でも、どれだけ考えても当事者にならないと何も言えないや」


 天坂は力を込めて白杖を握る。


「これは健常者にとっての目そのもの。白杖をなくして、一人で暗闇の世界にいる感覚、それがどれだけ恐ろしいことか……。と、いけないいけない、暗くなりすぎた」


「こっちも、全然理解できなくてごめん」


「いいんだよ。私たちは同情して欲しいわけじゃない。ただ知ってもらいたいんだ」


 弱視の彼女は、世間から炙り出された存在。たとえ世間に馴染んでいても、どこか外れている。社会の膿を生きる僕と、どこかで繫がっている気がする。


「それで、私は白杖を探して、まるでコンタクトでも探すみたいに地面に這いつくばった。そしたら、声が聞こえてきたんだ。私を嗤う声が。惨めで、弱くて、一人じゃ何もできない辛さ。色んなものがこみ上げてきて、そこで泣いちゃったんだ。……すると、遠くからの嘲笑の声に混じって、直接肌に触れているように、耳元にその声が聞こえてきた。かつてと変わらない、軽やかで透き通る綺麗な声。私のせいで虐げられていたあの声。忘れやしない、楓の声……」


天坂は事実を述べているだけだが、顔に汗が滲み、息も切れ切れだ。


「大丈夫か? 無理して話さなくても――」


「いい!」


 僕の静止を、腕を払って振り切る。加減ができず、壁にぶつかって痛そうにする。それでも、後に痣となりそうなその腕を押さえて、彼女は語り続ける。獣のような獰猛な目つきだ。


「周りの人に楓が見えてたかは分からないの。たぶん、見えてなかったと思う。でも、確実に私の傍にいた。そして、私に語りかけてきた。『穂波ちゃん。私の友達、穂波ちゃん。もうすぐあなたもこっち側。弓を忘れずにね』ってね……」


「こっち側? 確かにそう言われたのか?」


「うん……」


 天坂はぐったりと項垂れて、今にも崩れ落ちそうだ。


「おい! しっかりしろ!」


 僕が彼女を揺さぶると、白杖がゆるりと地面に落ちた。もはや命の綱を握る力すらないのか。


「笹本、私のこと、恨んでない?」


 消え入りそうな声で僕の首に手を据える。


「恨む? 何をだ? 楓のことか!? 今更何を恨めばいいんだ!?」


 僕の声に店員が気づき、こちらに駆け寄ってくる。


「お客様、どうかされましたか?」


「彼女の容態が悪い。救急車を呼んでくれ!」


 僕の剣幕が伝わって、店員は直ぐさま電話機に向かった。


「天坂、しっかりしろ。楓に負けるな」


「ありがとう、笹本。でも、もう、駄目みたい。何となく分かる。あの時すでに、楓の声を聞いた瞬間から、この運命は決まっていたみたい」


「やめろ! 運命なんて言うな。言わないでくれ……」


「でも、笹本があのサイトを見つけて、ここに来てくれた。これも、運命だと思う。私は許されたんだって、一人で舞い上がっちゃった」


 天坂の息は熱く、声が掠れている。人間はここまで急に死の準備を整えられるものなのか。


「笹本、私ね、あなたのこと、好きだったんだ」


 彼女は感情の暴圧を抑えきれずに嘔吐した。静かで芳醇な香りが立ちこめる店内に、崩れた固形物が出口を求めて逆流し、机に雪崩れ込む様と、それによって発せられる鼻をつんざく異臭が蔓延する。


 天坂は楓に誘われた。次は僕の番か。


「お客様!?」


 店員が急いで駆けつける。


「大丈夫、僕が連れて行きます!」


僕はそれを振り切り、一人で天坂を抱え、外に出た。天坂の吐瀉物が僕の服に、手に、頬に付着する。残り短い命を、僕の腕の中で終わらせる。それは、天坂にとって幸せなことなのだろうか。


いよいよ終盤です。

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