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1話「夢と現実」

キセノンと申す者です。事実上の初投稿です。

グロテスクなものが苦手な方はブラウザバックを推奨します。

 人生は、日本においては平均して70年とか80年とかある訳だが、その中でピークと呼べる時期はいつになるだろうか。


 生きている今を最良だと感じる幸せな人々もいれば、あの頃は良かったと過去にすがりつく人々もいる。中には大往生の病床に駆け付けた我が子や孫の姿を目の当たりにして感無量にむせび泣いたり、老後になって白髪混じりの最良のパートナーを見つけて余生を謳歌おうかしたりするのかもしれない。


 逆に、いつまでも童心を忘れずに最高に愚かで楽しい人生を孤高に過ごすのかもしれない。多かれ少なかれ、過去を咀嚼そしゃくして感じる甘みも苦みも味わった人は、未来の味を予測することが出来る。未来の味がまずいなら、過去をかえりみて既存の味を噛みしめて生きられる。


 さて、僕の場合にはどうだろうか。どの例も当てはまらず、過去は噛み過ぎて味のなくなったガムのように、未来は手に届かず、しかも近づいたら実態を持たずに霧散していく雲のようだ。


 27回目の誕生日を迎えたある夏の夜、日がな一日光っているコンビニでいつもの添加物の乗った弁当と、ありがたみのなさそうに常設してある、人工甘味料と馬鹿みたいな量の砂糖が入ったショートケーキを1つ買った。そして古びれたアパートの錆びた階段を上って帰宅する。弁当とケーキが別々に入っているから両手が塞がってしまい、ドアを開けるのに苦労した。今思えば一端どちらかの袋を地面に置けば良かった。


 家の明かりをつけて、手に持っているコンビニ袋の中身ががよく見えるようになった所で、甘ったるい生クリームの塊を買ってしまったことを後悔する。いっそ壁にぶちまけてしまおうか。しかしそんなことをしてもどうせ後始末するのは自分自身だ。虚無感がショートケーキの上のイチゴのように、重苦しく僕の頭の上に乗っかっている。


 弁当を平らげ、人工甘味料がふんだんにまぶされているケーキをもそもそと食べる。すると形容しがたい悲しみの素がケーキに入っていたのかのように、突として涙があふれ出した。そんなんだから食欲など消え果てて、結局祝いのケーキは半分以上残ったまま空っぽの弁当箱と共にゴミ箱に捨ててしまった。人をだますのに最適な甘い香りは腐敗によって鼻をつく悪臭へ変貌する。




 翌日もいつも通り仕事――といってもアルバイトに近い――に向かった。前日の疲労も悲愴も抜けきることはなく、肉体の悲鳴が精神に呼応して、死と隣接した世界にいる感覚に苛まれる。いつか生を繋ぎ止めている糸がぷつんと切れて、死の奈落へ落ちてしまいそうだ。


 つと、足先がおぼつかなくなって、手に持っていた機材を落としてしまう。幸い機材は落としてダメになるものではなく、周りの人とも十分な距離があったため大事には至らなかった。すると、それを見た主任がこちらへ近づいてきた。


「おい! 笹本、またお前か! いったいお前はどれだけ使えないんだ! いいか、お前みたいなろくでなしを雇ってくれるのはうちみたいなとこしかないんだぞ」


 主任は僕のヘルメットを外して一発殴り、まくし立てるように怒号を飛ばした。一頻ひとしきつばを吐いたところで、乱暴に外したヘルメットを僕の頭にねじ込むように被せさせられた。


「もう一回言うぞ、お前みたいな奴はずっとそうだ! 何もせずにやって来たからこんな簡単な仕事もろくに出来やしない。そしていつも逃げる方法を探してるんだ。残念だな、お前はずっと地ベタを這いつくばって汚水を吸って生きていくんだな!」


 主任は僕に話しているようで、その実別の誰かに向けているような言葉を浴びせてくる。最後に隆々とした肩を捻って僕の頬を叩き、「ふん!」と鼻を鳴らして僕から遠ざかった。


 疲労がミスを生み、ミスが疲労を生む。僕の体は巨大な渦に呑み込まれ、逃げ場もないまま水底に沈んでいく。




「よし、今日はここまでだ」


 地面が太陽を喰い始める頃、主任が大声を張って作業の終わりを告げた。

「いや~、疲れたなぁ」「先輩、今日飲みに行かないっすか?」「おいおい、またかよ」「誰か煙草買ってきてくれないか?」「いつものセブンスターでいいすか?」


 作業を終えた従業員は仕事で溜まった疲労を口から放出する。疲れた体には中身のない会話が丁度いい。


「笹本。明日も同じミスしたらクビにするからな」


 帰り際に主任がそう言った。僕は一瞬背筋が凍ったが、果たして主任にそこまでの権限があるのか疑問が浮かんだら、悪寒は沈んだ。それに、仮にこの仕事をクビになっても、案外似たような仕事は沢山ある。一生水底から這い上がることは出来ないが、存外水底なら水底なりに生活することは出来る。


 古びれたワイシャツと穴の開きまくったジーパンに着替えて、準備室を出ようとする。勿論これは替えがないからで、何か意味を持って穴を開けている訳ではない。


「笹本先輩、ちょっと待ってください」


 背後から僕を呼び止める声が聞こえた。振り返ると、どこか物憂げな青少年が僕を見つめていた。僕より背は高いが、猫背のせいで僕と同じくらいの身長に見える。


「長島くん、どうしたんだ?」


 同じ仕事仲間の中でも爪弾きにされている僕に、彼は唯一友好的に話しかけてくれる。


 長嶋くんは大学3年生で、大学費を稼ぐためにこんなとこで働いているらしい。将来金を稼ぐための大学の筈なのに、大学のために金を稼ぐとは本末転倒な気もするが。いや、大学はあくまで学業のためにあって、金銭問題は二の次なのかもしれないが。


「先輩、今日はこの後暇ですか?」


 その言葉の裏には、常に「じゃあ、一緒にご飯でも行きませんか?」とか、「分かりました。またの機会に」みたいな定型文が潜んでいる。だから、返答の時点でこの後の会話の内容が決まる。


 はっきり言って僕みたいな人間を誘ってくれるのは嬉しいが、僕みたいな奴が誰かと時間を共有して何かをするなんておこがまし過ぎる。その場では場を繋ぐことに精一杯で何も考えられないが、家に帰って一息ついた後に自己嫌悪で死にたくなる。


「……ごめんね、今日はこの後予定があるから」


 愛想笑いを浮かべ、情けないトーンで返答した。そしたら、長島くんは長い睫毛まつげを垂らして「そうですか、残念です」と言ってきびすを返した。その時彼の曲がった背中がピンと芯を張ったその一瞬が、やけに目についた。


 帰り道、薄暗い黄昏を背景に人通りの少ない街路を歩いていると、赤を混ぜた墨汁のような何かが灰色のコンクリートに溶け込んでいるのを見かけた。近づいてみると、それはカラスの死骸だと分かった。人様に迷惑をかけるカラスは、死んだことで誰かに喜ばれるのだろうか。それとも、その死骸すら邪魔だと迷惑がられるのだろうか。


 そんなことを考えながら――考えているというより、自然と頭に浮かんでいたのだが――、気がつくと、色褪せたアパートに着いていた。




 仄かに灯る蛍光灯の下でいつもの弁当を平らげた。すると、緊張の緒が切れたようで、ふと意識を失って、空の弁当が乗ったテーブルの上で死んだように眠った。


 昏迷こんめいの中で夢を見た。それは非常に幻想的で、同時にひどく現実的だった。つまり夢とうつつの中間という曖昧なものではなく、どちらにも振り切れ、両方の性質を持っている世界が僕の前に開かれていた。




「ねぇ、圭君。覚えてる?」


 見覚えのないカフェテリアで、僕と彼女はテーブルの向かい合わせに座っていた。鼻腔をやさしく撫でる彼女の甘い匂いと、心が安らぐピアノの音が僕の体をゆっくりと喜悦に満たす。


 僕が無言でいると、彼女は「忘れちゃったの? ひどいなぁ」と清潔な眉を垂らした。


  彼女は僕の手を取り、胸の前に引き寄せる。そして、見定めるように僕の手と顔を交互に視線を配り、目を細める。


 彼女に見つめられていると、テープレコーダーを倍速再生するように、失われていた彼女に関する記憶が大量に流れ込んできた。


「ごめん。今までどうかしてた。あの時の僕は現実と夢の世界にいたのに、いつの間にか現実の世界だけになって、何も見かも、君のことも見えなくなってた」


 僕は自然と語っていた。


 どうして今まで彼女を忘れていたんだろう。彼女を忘れていたのに、どうして僕は今まで生き永らえてきたんだろう。


「そう、それじゃあ思い出してくれた?」


 彼女は目を細めた。人を惹きつける魅力的な声が、しっとりとした、柔らかい唇から発せられる。


「勿論、四辻楓よつじかえで。俺の幼馴染で、高校時代の――17歳の時の、彼女」


「その通りだよ」と、彼女はまた目を細めた。そのつぶらな瞳に吸い込まれてしまいそうで思わず顔を背けた。


どうして楓は僕の夢に出てきたんだ。


「あのさ、圭君。お願いがあるの」


「お願い?」


 僕はテーブルに身を乗り出す。彼女に握られている僕の手に力が入ったのを感じた。生気を感じられないほどに冷たい。それはここが夢の世界だからか、それとも――。




「私を殺して欲しいの」

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