後編
俺は邪魔になる事務椅子は横にどけて、廊下側の壁に寄せてある古ぼけた茶色いソファをずずっと前に出してベストポジションに置き、カメラへ戻ってレンズを覗き、ズームを固定してタイマーをセットする。
ジー、と回り出した音に、先輩早く、と急かすと、おあっ?! とひっくりかえるような声を上げて慌てて加川先輩は立ち上がった。
「先輩が上? 下?」
「し、下っ!」
俺は頷くと小走りに来た先輩の腕を掴んでリアルソファドンをする。読みかけの漫画や本が邪魔で先輩の頭の上にあるのをドサドサッとずらして床に落とした。
その音にビクッとした先輩に気付いて下を見ると、なんだか怯えたようにこちらを見て自分の両手を胸の前でがっちり組んでいる。
(へぇ……先輩でもこのシチュはちょっと怖いのか)
いつもはほとんど気にして見た事がない銀縁眼鏡の奥が揺れていた。
「先輩、漫画の主人公、メガネかけてなかったっすよね。取りますよ」
「あああ、ああっ」
眼鏡とデコを出している妙に赤いクリップもついでに取って前髪を横に流すと、なんだか知らない女子が目の前に居た。眉が髪で片方だけ隠れるだけでぐっと大人っぽくなる。
これは、ひょっとするとひょっとする。
「髪ゴム取りますよ、主人公、縛ってないんで」
「お、おお」
先輩が固まったまま微動だにしないので、ちょっと我慢してくださいよ、と片手で先輩の首を支えながらゴムを緩ませ、もう片方の手でぐぐっとゴム紐を引っ張る。
「い、痛いぞっ」
「ちょっと我慢。もうすぐ取れます」
結んだ所から毛先までの中間地点までくると、ゴム紐は途端に緩み、するっと抜けた。
その途端、ソファに広がる黒髪とシャンプーという名の石鹸の匂い。
ほぼ室内にいるから肌は白いし、色入れるなんぞ考えてもいないからツヤツヤの髪質でまた細いから触り心地良さそうだし、いつも何やら光って見える度のキツい眼鏡の奥には思いのほか大きな綺麗めな不安げな瞳。
(なんだこの人。メガネ無し率100パーセント、破壊力すげぇ)
「このシチュだと先輩の女子力も大幅に上がりますね」
「た、田中くんの男っぷりも至近距離だと大幅上昇だっ」
「そっすか。それはヤバイっすね」
「かなり、かなりヤバイ」
ヨレヨレの小さなスクリーントーンがくっついているキャラTシャツを着てるのに、紺のダメージジーンズはちゃんと洗濯してますかってぐらいくたびれているのに、首から上がお目目ぱっちり清楚系美人さんってどういう事ですか。
「先輩、シチュとしてはどうするんです?」
「お、おお、男子が女子の頬をこう、片手で」
「こう、だと映らないっすね、こっちか」
左手を添えたらカメラに先輩の顔が映らない。右手に変えて先輩の頬に手を当てる。
(やべぇ、この人、テカってるのはデコだけなのか)
頬骨にそって親指で撫でると吸い付くように手のひらに肌がおさまる。その感触にぞくっと俺の心臓が波立つ。
その先の首筋に、俺は、いけない指をはわせたくなった。
「先輩、今度出す公募、どこですか」
「は、花とだんご!」
「……ダメだな」
「な、なにぃっ! 出す前からダメとはっ! 諦めるなっ 何度落ちても愛と情熱と気合いがあればいつかはだなぁ!」
あ、先輩、胸ぐら掴んだら雰囲気台無しっすよ、と言った所でバシャシャシャシャとシャッターの音がした。
俺は身体を起こしてカメラを取りに行き、がっくりと頭を垂れている先輩の隣に座り画像を見せる。
「胸ぐらを掴むと服のシワってこうなるんですね」
「服も下に引っ張られるからかなり線がゆがむなぁ、これはこれで貴重な資料だな、田中くん」
「そっすね。あと、ダメだなって言ったのは構図的に俺のやりたい事が出来ないなって意味っすから」
「Rがかかる姉系を書く時ならばそれこそ坂本氏とメガネっ娘が適任だ。私と田中くんでは耽美感に劣る」
「なんだ、分かってたのか」
己の欲もバレバレながら、自分の平均的な外見を言及されてぼそりと呟くと、先輩は、まぁ、な、これでも一応、創作者の端くれなもので、と言った。
しかし一切こちらを見ないあたりが、言葉とは裏腹に先輩の中にも何かが渦巻いているようだ。そりゃ、そうだろうな、と俺は思う。
「先輩」
「何」
「耳、赤いっす」
「……もともと赤いのだ、気にするな」
先輩はカチカチカチカチとカメラの画像を高速で変えて、坂本先輩と佐伯さんの構図を出し、やはり、姉系はこうでなくては、と声高につぶやいている。
「先輩」
「何」
「そろそろ卒業生をいつまでも部内に入れるなとお達しが来ています」
「そうか、気にするな。いざとなれば制服を着て来るさ」
今度は坂本氏の大学の実験室で撮るか。大学の先生と女子大生の恋。ベタ甘だな、捻りがないか? とぶつぶつ。
まぁ、先輩からは無理だろうな、と俺はさっさと見切りをつけて突っ込んだ。
「先輩」
「何」
「俺と付き合うとここに来れなくても、もれなく部外活動でアシストできるっすよ」
「……」
ピタッと微動すらしなくなった肩は上がったままだ。横から見るセミロングの髪から覗く首筋から顎のラインが徐々に上気し、桃色に染まっていく。
「こここここ」
「コケコッコー?」
「バッカラモンっ! ゴホゴホゴホ…………こ、こんなオタク女に捕まっていてはいかんのだよ、きみわ」
「え、捕まりたくて卒業後も通ってたんじゃないんですか」
「なななななっ!!」
「いや、分かりますよ、普通。ただ俺的にそのような対象に見るにはいま一つ欠けていたので保留にしておいたのですが」
「おまっ、おまっ、おまえっっ!!!!」
「めでたくも今日そのような対象に見えたので、俺的にオッケーですよ。よかったら」
「き、き、きさまぁぁっ……!!」
ずささっとソファの端にぴったりと身体を寄せながら悔しそうに目を潤ませこちらを見てくる先輩は、俺の中にある、とある英文字の名のつく仄暗い何かを刺激した。
普段の態度とは裏腹に本当の自分をうまく吐き出せないこの人の事を、俺も知らず知らずの内に心の中に取り込んでいたのかもしれない。
本当は運動部の助っ人を断る口実のためだけに幽霊部員として入った漫研。
強烈な個性の加川先輩に振り回されいつのまにか入り浸るようになり、漫画以外の全てがからっきしに幼児以下になってしまう先輩を影に日向にサポートしだしたのはいつの日からだったのだろう? この人はいつの間に俺の心の中に浸食していたのだろう。
「で、どうするんですか? このままうんと言ってしまえば公私ともにアシスタントが付きます。うんと言わなければ明日以降漫研には出入り禁止。佐伯さんとの縁も切れる」
俺は少しずつ身体をずらして加川先輩の正面を捕らえると、先輩は俺の顔をぎょっと見た。
「なっ! なぜ佐伯くんとの縁まで切らねばならんのだっ」
「俺が坂本先輩と繋がっているからですよ。ある事ない事吹いて坂本経由で佐伯さんとの縁を切らすことなどお茶の子さいさいっす」
「田中っっ、貴様という奴はそこまでっっ」
ゆっくりと腕をずらしながら先輩の身体が逃げられないように囲んでいく。先輩はソファの背に阻まれて動けないのに気がついたのか、ずりずりと身体を上へとずらしてきた。
やだな、逃さないですよ、先輩。
「まぁ、それぐらいロックオンしたんだからいい加減落ちませんか? そろそろ疲れてきた、このキャラ」
「た、田中が分からない……」
「いいですね、俺の事が分からない方が楽しめて面白い」
「ぎゃあっ、また耽美系エスキャラみたいになった!! 顔、普通なのにっ!!!!」
「チッ、ほっといて下さいよ。顔はどうにもならんでしょうよ」
俺はとたんに興ざめした。
だめだ。変人でも外面だけはイケメン仕様の理系男子と比べられたら太刀打ちできないっての。
色欲Sはあきらめて迫っていた身体を起こす。ついでにほっとして腰砕けにソファからずり落ちそうになっている加川先輩の身体も起こしてやる。
加川先輩は慌ててソファの横にあるテーブルから眼鏡を取ってかけた。
「おおお、びっくりした。神よ、生涯において後にも先にも無いおのこに迫られるというシチュを体験できた事、ここに感謝します」
「先輩、冗談はそこまでにして、返事」
「ぬぉぉぉおおおおおっっ」
加川先輩は怨嗟のような声をだしてがばりと身体を折った。ぎゅうとジーンズの膝小僧を握る細い指の節が白く浮き立っている。
「……田中」
「ういっす」
「………………………………っぁぁ」
頭をかきむしってうめきそうだったので俺はさっさと結論をだした。
「了解っす。ハイですね」
「まだ何も言ってないだろうぅぅう?!」
「だめですよ。もう顔が言ってますって」
そんな誘導をしたら見事に身体を起こして真っ赤な顔をこちらへ向けた。あの先輩が頬を染めて目を潤ませながらくやしそうに俺を見てる。
ねぇ、ほんと、普段から髪下ろしてたら誰もが振り向く美人なんじゃないの? 髪ひっつめてデコ出して度のキツい眼鏡をしてるからこんな変人扱いで……いや、だめだ。
これ、世間さまに晒したらダメな奴だ。俺が知っていればいいだけの話だ。
先輩は、そのままでいい。
「顔なんぞっ顔なんぞぉぉぉ……くっそぉぉぉ、おまえぇぇぇ」
「全運動部、最強助っ人の読み能力なめんなってところっす。諦めましょうね、先輩」
「はらわたが煮えたぎってうんとは言えんわぼけぇぇぇ!!!!」
「ありがとうございます。ごっつぁんです」
そんなこんなで、僕と加川先輩はなんとか収まるところにおさまった。色事をステップアップする度に、ぬあー! とか、神よぉぉっとか、言動がアレなのは仕方がないけれど、正直それもひっくるめて可愛く思えてきてしまった俺もたいがいだな、と思う。
まぁ、あの先輩が顔を真っ赤にしてうろたえる姿を見れば誰だって……いや、見せないけどね?
完
お読み下さりありがとうございました。
勢いとノリで楽しんで書きました。
シチュ三部作はこれにて完結です。
ありがとうございました。