前編
本作は「メガネっ娘にシチュとしてせまられたなら」「理系男子にシチュとしてせまられたなら」のスピンオフ作品になります。
単体でも読めますが、上記を読んでからの方が加川元部長の人となりが分かってより楽しめる仕様です。
本作をシンカー・ワンさま、たこすさまに捧げます。
「たーなかー、今日練習入れる?」
「おいっずりぃよ、今日は俺らの方だって、な、田中」
ホームルームが終わって皆それぞれ部活や帰宅準備にそれぞれ支度していた時だった。
額に髪留めのゴムをしてる男と、丸刈りの真っ黒な男が教室のドアからひょこっと顔を出して聞いてくる。
「今日、漫研」
「マージィ? 週末、練習試合は出れる?」
「ああ」
「サンキュ。じゃ、またラインする」
「お、俺らんとこ再来週、北高と!」
「俺、夏の大会は出られないぞ?」
「それでもいーから! 最後に勝ちてぇだけだからさ!」
「考えておくわ」
「ありがてぇ! 部活のみんなにいっとく!」
サッカー野郎は言質を取ってさっさと消え、野球バカはぶんぶんと手を振ってドアから消えた。
それらを見送り、俺はふー、とため息を吐く。
「あいつらほんと、俺が漫研の部長だっての、忘れてんなぁ」
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北舎突き当たりにある美術室を通り抜けてさらに奥、美術準備室と書いてあるプレートの下に乱雑な字で〝漫研はここだっ!〟と黄色くなったわらばん紙で書かれているドア。
何代前の部長が書いたのか知らないが、はがされる事もなくずっとここにあるんだ。年度変わりには学校全体で掃除をするにもかかわらず触られる事なくあるので、一種のお札のようなものだろう。……はがさずの呪いでもかかっているのかもしれないけども。
「あ、たなか先輩、おかえりなさい〜 加川部長、来てますよ〜」
気が抜ける声がして、俺は乱雑に置かれた資料の先を見ると、妙に赤いクリップで前髪を横に止めてテカったおでこを晒している頭が見えた。
銀縁の眼鏡がぎらぎらと光っていて中の目が見えないが、おそらく原稿を凝視して血走っているに違いないのでそれ以上は見ない。
左手の事務机にはふわふわと天パの髪を揺らしながらメガネの後輩がにこにこして座っている。こちらの眼鏡は顔がメガネで覆われてしまうぐらいレンズ面が主張している黒縁。
(メガネ率、女子率、66パーセント)
この横と天井が高い長方形の準備室の中に俺が入った事により100パーセントだった比率が変わる。
でも本当は部外者がいるからこの比率は成立しないけどな。
そんな事を思いながら、佐伯さんにいつもの間違いを指摘する。
「佐伯さん、加川先輩は卒業したから部長じゃないっす」
「あっ、すみません、つい〜」
「別にいいすけどね」
リアルてへぺろを恥ずかしげもなくやるメガネっ娘こと佐伯さんは、漫研唯一の女子部員だ。というか現在所属している者は実際の所、俺と佐伯さんしか居ない。
今年も新入部員は入らなかったし、部を存続させる為、練習試合等のヘルプに出る代わりに名前だけ各部から幽霊部員として貰っている状態の漫研は、きっと来年には廃部になっているだろう。
時代の流れって、そんなもんだ。
俺はテカッたオデコの真向かいの事務椅子に座ると、授業中に使う薄い筆箱とは別に、チャックのついた分厚い筆箱を出した。
ペン、インク、定規、カッター、消しゴム、墨汁、筆、修正液、羽ぼうきを揃えた所で、目の前から無言で原稿用紙が差し出された。
はぁ、とため息をついて、受け取りながらも苦言を言うのは忘れない。
「先輩、いい加減ペンタブにしないっすか?」
「バッカモン! このGペンの絶妙な線のうねりがいいに決まってるじゃないか、何を言い出すんだ田中くん!」
「いや、ペンタブなら先輩一人でも出来るし」
「バッカラモン! 漫画というのは主線、背景、ベタ、トーン、共同して出来る素晴らしいものじゃないか、はい、佐伯くん、ここ60番ね」
「ラジャですっ」
ビシッと敬礼のポーズを取っているつもりでも、うっかり手のひらが表を向いていてなんだかヘンテコな敬礼をしている佐伯さん。そんな後輩を、いーね! 相変わらずの天然メガネっ娘ぉぉ! とすかさず鞄から出したカメラでバシャバシャ撮っている加川先輩の図。
俺はそんな二人を尻目にシャーペンでバツと書かれた所を丁寧に黒墨で塗りつぶしていく。
「うーん、ヨダレものの可愛いさだがこの絵面は小さなコマ用だな、やはり大ゴマには男女の絡みが欲しい。佐伯くん、田中くん、ちょっとそこのソファで絡んでくれないかね」
「やです」
「いやっす」
即答の後輩たちに加川先輩はカメラの画像を見ていた顔を上げてぐぬぬぬと眉をひそめた。
「けっしからんっ! 一体いつから君たちは先輩をないがしろにする輩になったんだ? そんなんじゃこの漫研ではやっていけんぞぉ! 創作とはなぁっ!」
「創作とは別にそんな事をしたら、俺が坂本先輩に殺されます」
「黙っていりゃわからんではないか!」
「佐伯さんが黙っていられると思っている時点で甘いっすね、加川先輩」
「たなか先輩、なにげにひどいっ」
それぞれ別の意味で女子二人に非難を浴びるが、そんな事には構っていられない。
あの、坂本先輩を敵に回す? 冗談じゃない。
自分の研究対象以外はとんと興味がない、元理化学部部長、坂本亮。その彼女に収まったメガネっ娘こと佐伯さんとソファドンシチュなんぞしたものならば、何でもかんでも彼氏に報告してしまう佐伯さんの事、黙ってなんていられない。
そうなったらどうなる?
俺はいつの間にか何かを食わされて食中毒で病院行きか、もしくはいつの間にか何かを吸わされて謎の肺炎になり病院行きか。
とにかく強制的に理化学の何かを注入させられる事に違いない。
澄ました顔をしてどこ吹く風の坂本先輩が、こと、佐伯さんに絡む事項に関してはネチネチ男になってしまう。
せんぱいが大学生になっちゃったから、綺麗なおねーさんに食べられちゃいそうで心配ですっ、といつぞや涙目で加川先輩に訴え、その姿もバシャバシャと目の前の相談相手に撮られていた佐伯さん。
安心して下さいよ、あなたの彼氏はただ自分の彼女の動向を知る為だけに俺とラインを交換し、俺からの一週間の週報を心待ちにしているぐらいあなたに夢中っすよ。
本来は毎日が望ましいのだが、と言われ、勘弁してくださいよと丁重にお断りしたネチ男の嫉妬をひっかぶって、自分まで研究対象にはなりたくないよ、俺は。
「そういや今日金曜でしたよね、坂本先輩、午前で講義が終わるからその足で実家に帰るって言ってましたよ。そろそろ家に着いた頃なんじゃ?」
「えー!! そんなっ、たなか先輩、早く言ってくださいっ、帰っていいですか! っていうか帰ります! あと、何でせんぱいの事そんなに詳しいんですかー! 私、聞いてないですよっ!」
「男同士の絆っす」
「なにぃ?! やのつくにおいがするぞ、田中くん! そこの所詳しくっ!」
「先輩、今時はBLっすよ、いい加減年相応な情報に上書きしてください」
たなか先輩、今度私もそこの所細かく教えてくださいー! と叫びながら荷物片手に走って部屋を出て行った佐伯さんの諸所広がりっぱなしの机を片付ける。
そんな中で加川先輩はチッと行儀悪く舌打ちをした。
「この大ゴマが埋まらん事には先に進めないではないか。やっぱり坂本氏が卒業したのはイタイな」
「そんなにベストポジションなんすか?」
「ああ、メガネっ娘との体格差的にも絶妙なバランスだからな、ピタっと合うんだよ。それは諦めるとしても、せめて構図だけでも今日おさえたかったのにな。無念」
「先輩がやればいいんじゃないっすか」
「へ?」
俺は立ち上がり、カメラ片手に間抜けヅラでこちらを見ている加川先輩のカメラをさりげなく奪ってお誕生日席になっている佐伯くんの机に置いた。