3月11日、インド人がハンドルをどうしたかは知らない
よろしくお願いします
3月11日近くになると、知人が何度も同じことを繰り返しはなす
もうやめて、しつこい、聞きたくない何度も言っても止まらない
いい加減覚えてしまったよ、その話
有名な、日本人なら誰もが忘れようが無いあの日彼女は駅前近くにいたそうな
当時神奈川県在住、今考えてみれば生命の危険はとても少ないものだったとおもう
神奈川県のとても交通の便利が良い場所に生まれ育った彼女は恐怖した
震度6弱だか強の揺れより、電気が消えた事がとにかく恐ろしかったそうだ
火事だの落雷だので何万戸停電、そんなニュースを見ても
お前らどんな田舎に住んでんだよとしか思わなかった人だ
決して変わらなかったものが、突然消えた
駅の電工掲示板が、時計が次々と消えて止まって
いったそうな
電話? もちろんつながらない
ネット? わりと通じたがどの情報を信じろと
そのようなこと、情報的なライフラインの仕組みが決まってなっかた時期なのだ
信じられないだろうが、官公庁もネットにまだ不馴れな時代だ
なんの指針などない
とにかく、どこかに逃げこまなけなければ
彼女が選んだのはインド料理店だった
目に入った所にあったそれだけだった
人がいれば、それだけでいい
午後少し回った時間店内は薄暗かった
電気ないから何も出せない、そういわれたそうな
その人は、ほとんど無視されていった
壁に張られているポスターによると、夜になるとパーティー的なものが始まる店舗のようだが
テーブルには簡素なクロス、椅子はとても固かった
険しい顔の男が携帯電話、ひょっとしたらPHSかもしれない
「子供を先に、女を先に。せめて、せめて先に早く。車集めて早く」
そう日本語で聞こえたそうな
ここにいたって彼女は、これガチでやばいのか? と思ったらしい
彼女はたまにウザいそれだけの人だ
みなとみらい、みなとみらい、子供、子供、集めて
インド人さんの拠点はみなとみらいにあるようだった
インド人がどんどん集まってくる、店内はインド人で一杯になった
彼女はやばいと思った、勇気を振り絞って一応声をかけたそうな
ダメだそれは悪手だ
彼女はABCまで数えられれば入学出来るであろう女子校の出ではある
しかし、それはイカン止めなきゃと直感的に判った
地震の時海の近くに行くのはだめだ、みなとみらいは埋め立て地だった気がする
自分でも分けもわからず訴えった、珍しく全泣きだった
だめだめにゃんにゃんにゃん、彼女のせいいっぱいはこれである
これでは理知的なインド人を説得は無理だった
ワリとファンタジーな日本社会ならともかく、当時のシリアスでプロブレムなインド人社会では通用するはずもない
彼らはハイエースに女子供を乗っけて、みなとみらいに輸送していった
最後に店長的な男が言った
「行くところが無いなら載ってくか?、大丈夫だぞ女子供もたくさんいる」
説得は無理だったが彼女は一定の人心の掌握には成功したらしい
でもちょっとだけ怖かったのか遠慮したそうだ
彼女は土手っ原に移動した
そこに身を寄せていたのは若い女子が多かったそうな
みんな、ケータイを片手に空を見上げていた
突然、大きな不安が募ってきた
あきらかにおかしい、と思い込んだ
おそろしいおとがした、と思い込んだ
そらのいろがへんだ、と思い込んだ
くものかたちがへんだ、と思い込んだ
にほんのおわりなのでは? 不安で仕方なくなった
ああ、なるほど閃いた
男子どもは、彼女らをほうって母のもとへ歩いてでも帰ったんだ
そう思い込んだ
何かでみた気がした、川辺は良くないかもしれない
近くに小学校があった人が集まっているだろう
結論からいうと、小学校は無人だった
こういうと時、こういう場所に集まるんじゃねぇのかよ
彼女は心底怒った
いつも、交通量の多い交差点に差しかっかた
そこでは、車両どうしが譲り合って遣り繰りしていた
信じられないものをみた、赤いラインの入った銀色のバスだ
彼女は死ぬ気で走った、もしかしたら乗せて貰えるかもしれない
バス停まで20メートル、少し間に合わなかったがバスは待っていてくれた
乗車するとやたら若い運転手さんが
「停電により運行が······」
ツッコんで欲しいんか!
そういう問題じゃないだろ!
私なら、運転免許があるならこのまま帰る
たとえ、お客さんが何人乗っていたとしてもそうする
この人はバカなんだなと想ったんだって
後日、ちょっとだけ格好良く見えたのは認めた
今ここに銀色のおもちゃあるんだしな
ここまで読んでくれてありがとう
このあと、、多少のエピソードがありましたがカットしました