それぞれの午後4
白いカーテン、白いベッド。シミ一つない白い天井。
消毒液の入ったボールは既に戻されていて、三つあるベッドの一つはまだ赤く染まったままだ。血の匂いが部屋の中に充満している気さえする。ここ、保健室には今、一人の男がベッドの一つに腰掛け血溜まりのベッドを見降ろしていた。
無言のまま見つめる男はモヒカンヘッドで、見るからに不良の男だった。
時折思い出したように舌打ちしているが、それに意味などない。ただただ無為な時間を何も考えないようにしようとして結局は今までの香中との思い出が脳内で繰り返されていた。
ガラリ。
不意に、ドアが開き、保健室に一人の女が入ってくる。
力無く見上げた足立は、その人物を見て目を見開いた。
「何か用か?」
「私達の班は、ここが寝床でしょ」
田淵美里。
香中にレイプされ、狂ってしまった彼女は、無遠慮に足立の横にやってくると、ぽすんと座り込んだ。
「隣、いい?」
「座ってから言うようなことじゃねぇよな?」
「別にいいじゃない減るもんじゃなし」
そりゃそうだ。納得して足立は視線をベッドに戻す。
血塗れのベッドは香中が居たという確かな証だ。
田淵もまた、それを見つめる。
しばしの沈黙。
先程までと違って田淵が横に居るのでなんだか落ち着かない。
気のせいか、女の匂いが隣から漂って来る気がして思わず身体を田淵から少し離す。
「なんで、こんなことになったのかしら……」
ふいに、田淵が呟く。
お前が暴走したからだろ。そんな言葉を飲み込んで足立は怪訝な顔で隣を見る。
「ただ、自分を守りたかっただけなのに。私も、佐代里も」
そう、初めはただ、この異様な状況から身を守るべく、大門寺、香中、足立の腕力に秀でた男達に取り入ろうとしたのだ。
その行動が最上を生贄にするという行動でなければ、あるいはまた違った未来があったのかもしれない。
しかし、結果は彼女達が最上を底辺だとイジメの対象に選んでいたからこそ、最上を生贄に助けて貰おうとした。
だが、最上は大門寺の幼馴染で、大門寺は彼女だけを救出してさっさと出て行ってしまった。
女性と楽しめる。そう期待していた香中は、生贄が無くなったことで性欲を庇護対象に向けた。
庇護対象の田淵と高坂は抗うことなど出来なかった。
あるいは、この時誰かが助けに来てくれれば、二人の仲は裂かれることは無かったかもしれない。
でも、結局田淵は香中に犯され、それを見た高坂は恐くなって逃げだした。
友人を見捨てて逃げたのだ。
その時の絶望を、田淵は味わった筈だった。
「仲間、だった。結局私も、クソ野郎だわ」
香中を殺した者、最上を押し出したのは最終的に高坂だった。
これは事故。殺人じゃ無い。それでも、高坂は恐れるあまりに足を踏み外して屋上から落ちた。
落下の際、思わず手を伸ばしたのは、やはり親友だった。
きっと、誰かが反応していれば彼女は助かったのかもしれない。
だが、実際彼女は誰にも助けられずに地面に激突してしまったのだ。
「佐代里の手を差し出して来た顔、未だに脳裏に焼き付いてる。もしもあの時手を掴んでいたら……」
彼女を助けられたのかしら?
言葉にはならなかったが足立には伝わった。
「かもしれねぇ。でも、実際は掴まなかった。高坂は死んで、香中も死んだ。お前が恨んだ男と裏切った女は望み通りに死んだ。満足、したか?」
「する訳ないでしょッ! ……する訳、ないわよ……」
唯一とも思える親友だったのだ。
親友……だったのだ。
本当に殺そうとしていたのか、言葉だけでいつかは仲直りするつもりだったのか、田淵にはそんな事すら理解できない。自分の感情が自分で整理出来ない。
「沢木に言われて、ようやく気付いた。でも、もっと早く、気付ければ……」
謝りたくとも、相手は居なくなっていた。
「俺と香中はそこまで仲いい間柄じゃなかったし、良い思いは香中が圧倒的に多かった。俺はいつも貧乏くじだ。いつも、だったんだ。今回は、あいつのが貧乏くじ引いちまったのかな」
相手に語りかけるようでいて自身と対話するような二人。
再び口を閉じて沈黙に身を委ねる。
無為な静寂。二人、ただただ血塗れのベッドを見つめ合う。
「ねぇ、足立……」
「ンだよ?」
「あんた高坂とヤッてないんだっけ?」
「だったらなんだよ?」
「童貞?」
「ほっとけっ」
「卒業、させたげよっか」
「……はぁ?」
思わず田淵に顔を向ける。
今の流れからそこに至る意味がわからない。
「香中に襲われたの、忘れたいのよ。まぁ、レイプされた女相手は嫌かもしれないけど……」
「いや、それは別に気にしねぇんだが、どういう心境の変化だ?」
「とりあえず、何も考えたくないのと、あんたへの同情?」
「ふざけんな。でも、ヤッていいなら喜ぶぞ? ちょん切るのは無しで?」
「無しで。……全部、忘れさせて? レイプも、佐代里も、殺意も何もかも……」
「……ああもう、訳わかんねぇ」
頭を掻きつつも、田淵をベッドに倒す。
狂い始めた歯車が、少しずつ複雑に絡まり始めるのだった。