消えた象徴
「ふぅ」
軍手で汗を拭った時だった。
校舎内から男の悲鳴が轟いた。
切羽詰まったような凄い悲鳴だっただけに、皆が驚き作業を止める。
「今の、香中か?」
「え? あいつの声……ってまさか!?」
足立の呟きに高坂が焦った声を出す。
走り出した高坂にただ事ではないと他の皆もクワを放り出し軍手を投げ捨て走り出す。
高坂の焦りの原因は香中ではない。むしろ彼に危害を加えそうな田淵が何かしたんじゃないかと焦って走り出したんだ。
保健室の窓へと向かう。
そこから見えるのは白いカーテンだけだ。
高坂が窓に張り付いているが入る様子は無い。
追い付いた俺達が見たのは、カーテンの先にあるベッドから出てきた血塗れの田淵。
その狂気を孕んだ顔に、俺たちは何も出来ず佇むしかなかった。
何か肉片のようなモノと鋏を手にした彼女は、そのまま保健室を出ていく。
何があったのか、何をしてしまったのか考えたくもない。
「何してんだ!?」
廊下の方で何かが聞こえた。
声からして小川らしい。
多分川端と校長室でよろしくやってたところに香中の悲鳴が聞こえて慌てて飛んで来たのだろう。
「どけっ、クソ、何をしたんだ!?」
正義漢からかもう殺人は見たくなかったからか、焦った小川は保健室にやってくる。
「うわっ!? 何してんだお前達は?」
すぐに俺たちに気付き窓のカギを開ける。
入口が出来たので俺たちは窓から保健室に侵入することにした。
「おい、土足じゃないか!?」
「そんなの後だ。香中は!?」
足立が率先してカーテンの向こうへと向かう。
「うわァ!?」
香中を見たのか、足立の悲鳴が聞こえた。
気付いた小川が俺達から意識を逸らして足立の元へ駆ける。
カーテンを勢いよく開いた小川もまた、香中を見付けたらしく硬直する。
「女性陣はここに居て」
一先ず光葉たちに待機するよう伝え、俺もゆっくりと近づく。
木場だけは殺人現場かもしれないからと俺の隣にやって来てカーテンの奥を見ることにしたようだ。
「「!?」」
そこには確かに香中が居た。
あまりの痛みに悶絶したのか、泡を吹いて痙攣を続ける哀れな男。
四肢は結束バンドにより拘束され、下半身を露出している。
ただ、下半身にある筈の男の象徴は消え、赤き血液が未だに流れていた。
「すぐにバンドを取って! 手当しないと死ぬわよ!」
「こ、香中っ!?」
「沢木、切れるモノ探せ!」
「包帯もよ! 急いで止血しないと」
木場の声で慌ただしく動き出した俺達は香中の拘束を解き、彼を介抱する。
血を止めるのが後少しでも遅ければそのまま失血死しててもおかしくなかったらしい。
何とか木場の知識で応急処置をしておいたが、輸血パックとかは無いのだろうか? 流石に保健室にはないか。
「なんで、こんな……」
「これ、及川の提案通りにやったってことだよな……」
榊の言葉に及川に視線が集中する。
まさか本当にするとは思って無かったようで、及川が怯えていた。
無言の敵意に集中され、心配そうな井筒の視線を受け、及川が何かを言おうとする。が、タイミング悪く保健室のドアが開かれた。
血塗れの鋏を持った田淵が入ってくる。
「み、美里……?」
「あら、救っちゃったの? そのままで良かったのに」
「な、何したの?」
「もう二度と、女性を襲わないように、トイレに流して来たわ」
「お、お前……やりやがったのか……」
「無理矢理やるような男に遠慮する必要なんてないでしょ?」
ふっと笑みを浮かべ、踵を返す。
「これで私にちょっかい掛けようとかはもう思わないだろうし、足立、そいつは二度と私に近づけないで」
その言葉だけを残し、田淵は保健室から出ていった。
「アイツ、殺人者になるところだったんだぞ? なのに、何で平然とこんなことできるんだよ!?」
小川が憤るが、田淵からすれば強姦魔だ。香中を殺してもきっと彼女の心は罪の意識を抱かないだろう。
俺も……一歩間違えればこうなってた可能性があるのか。
油の切れた機械のように思わず光葉に視線を向ける。
ハイライトの消えた瞳で今のやりとりを見ていた光葉は俺に気付いて視線を向けた。
何故か彼女の顔を直視するのが怖かった。
もしも今、黒い微笑みをされたら、俺はたぶ悲鳴あげて逃げだしていたことだろう。
実際には良く分かって無かった光葉が小首を傾げ、こてんと首が斜めになっていただけだったのだが。普通に可愛いと思ってしまったのは少なからず光葉に恋心を抱き始めたのか、それともただの所有欲なだけなのか。
光葉は俺を恨んでいないのか、気になって仕方無いのに光葉の笑みを向けられたらまぁ彼女になら殺されてもいいかと思いだしてしまうのだった。いや、死ぬのは嫌だけどな。