清掃員
「そんな物どこで拾ってきたんだ。面倒事は持ち込んでくれるなと、あれだけ注意したのにお前は…」
赤茶色の錆が垂れる高速道路の高架下、ライトグリーンの作業服に身を包んだ厳つい中年男が、怪訝な表情を浮かべて仁王立ちしている。昇って間もない朝日が仄暗く周囲を照らす中、その男と相対して立つ金髪痩身の若者は、右手に黒いポリ袋を提げている。不満気な彼はそれをアスファルトの上に降ろし、軍手をはめた手を腰に当てつつ、言った。
「こんな物、放っておく訳にもいかないだろ。どうせ後で一番に疑われるのは俺達なんだ、さっさと処分しちまおう…」
「馬鹿が、そのままにしてりゃ、警察が勝手に持って行っただろうに。これを処分でもしてみろ、ばれた時に俺達はめでたく第一容疑者で、仕事もクビだ。元の場所に戻してこい。」
「無理だ、四ブロックも向こうなんだぜ?途中で警察に見付かりゃ、俺は容疑者どころか現行犯だ。」
若い男は大きく息をつ吐き、袋を軽く足先で衝いた。すると、何やら嫌に柔らかいものが入ったそれはバランスを崩して横倒しになり、結ばれていなかった口から中身を…紛れもない、切断された人間の両腕を暴露した。若い男は大慌てで、転がり出た物を袋の中に押し戻す。それを見ていた中年男は、節だらけの太い指で目元を覆うと、天を仰ぎながらぶつぶつと悪態を吐く。金髪は、神への不満を口にする男の前で肉片をかき集めた。
「…だって、このまま警察に渡せば済む話だろ。」
「それが面倒だと言ってるんだろ、このスカポンが。関係無い話で延々事情聴取される身にもなってみろ馬鹿野郎。」
筋骨隆々の中年は溜息を吐き、自分が言う「面倒事」を理解できない、物分りの悪い新米を憂鬱な目で眺め、つばを吐いた。
清掃員、俗に「モッパー」と呼ばれる彼等は、この街では決して日の目を浴びることの無い存在だった。
「天を磨する」の形容がもっともらしく当てはまる超高層のこの街は、政府系のありとあらゆる研究機関が集中する巨大研究都市である。二〇〇メートルを優に超える全面特殊合金貼りの高層ビルが連なっており、日の光を浴びて鈍く輝くことから「アイアンポリス」と呼ばれている。その谷間を縫ってハイウェイが走り、幾筋もの細い枝道がビルに直結している様はさながらジャングルである。それらに陽光を遮られた下、年中季節を問わず薄暗く、湿った空気が溜まる「樹冠」の最下層に住まうのが、彼等のような下層階級、俗に言う「アンダー・カレント」であった。
「アンダー・カレント」は、一五年前に始まった政府の失業者対策によってこの街に集められた。「究極の弱者救済」の公約の下、貧困者救済政策を打ち出した政府は、各地で社会問題化していた彼等に職を与えた。大工場への斡旋、休耕地の貸与。技能指南所を各地に設置するなど、膨大な資金を投じたこれらの諸政策の結果、二桁に乗っていた失業率は三年でわずか二パーセントにまで低下した。メディアは急速な景気回復を祝福し、しきりに政府を賞賛した。それが彼らの義務であるかのように。また、一部の異論を非難するかのように。その影で、あらゆる職種に「不適合」とされた者達は、政府の直轄都市に招集された。彼等はそこで「最低限度の文化的生活」を保障された上で、半ば強制的に清掃業務の職に就かされたのだった。それについても、世間は大いに行政を評価し、また「不適合者」達を同情した。まるで、彼等には生きる道がそれしかないのだ、とでも言わんばかりに。
彼等はつまり、社会に生かされている存在だった。
「…なあ、そこらに捨てちまおうや。」
「馬鹿言え。」
滅多に通行人を見ることのないビルの合間を歩きながら、いまさらになって怯えだした金髪に、中年男は呆れた声で言った。
「俺達の担当区域内に残してどうする。もとあった場所に戻すんだ。」
「ポリに見付からねえかな。」
「わけ無えだろ。自分のナリを見てみろ、『切り裂きジャック』には程遠いぜ。それに、」
「…それに、何だよ。」
問われて、男はやや声を落として呟いた。
「こいつは多分、殺しじゃねえよ。」
かつて東側某国で開発され、四半世紀もの長期間に渡って各地の戦線で猛威を振るった「強化兵」の技術が、講和条約締結後の相互技術交換でこの国に引き渡されて、三年の月日が経った。
「強化兵」の技術とは、かつてこの国が兵士の脳内に痛覚不能化のマイクロチップを埋め込むことで、痛みを感じない「cold‐hearted soldier(冷淡な兵士」)を造り出そうとしたのとは全く異なる技術を用いたものだ。その技術は、兵士の身体の一部を丸ごと「換装」した。一般的な医療技術の一つである人口多能性幹細胞の技術を軍事用に転・応用し、兵士自身の体表細胞から、驚異的な伸縮能力を誇る横紋筋を作成したのだ。初期段階では、それを骨格筋化し直接兵士の筋肉と「換装」する手法を用いていたのだが、激しい運動に対応できない生身の骨格が破損してしまうトラブルが相次いだ。そのため、現在ではカーボンファイバー製の人工骨格に、それらの横紋筋にニューロチップの諸神経を埋め込んだものを装着した「完成品」を、目的部位と丸ごと交換する「人体換装法」が主流となっていた。ES細胞のように受精卵を必要としないため、クローン技術を規制する法律には抵触せず、また「cold‐hearted soldier」の時のような倫理的な非難も無い。国防省はこの技術を正式に採用することを決定し、近い将来の東西協同防衛を目標に開発を急いでいた。
「ここで問題になるのが、元の体とオサラバしたパーツの行方だ。」
頭上を轟々と自動車が駆け抜けて行く薄暗い路地を歩きつつ、大柄な男は周囲を確認し、低い声で言った。
「政府は専用の高温焼却炉を作って灰にする予定だったらしいが、教会から猛抗議を食らった。そこで、民間の遺体処理業者に委任したんだ。お前もこれくらい知ってるだろ、新米。」
「ああ、まあ。」
金髪の男は頷いたが、同時に周囲の様子を気にかけていた。
「この間ワイドショーで見たよ。その業者が、死体を焼くときに必要な…なんとかって税金をちょろまかしていたんだ。」
「衛生環境税だ。」
「そう、それだよ。」
若い男は、頭上に幾重にも重なったハイウェイ高速道路のキャノピー樹冠を見上げ、思い出しつつ言った。
「それで、その業者は操業停止になったんだ。でもそこから先は知らない。あんた、そもそも何でコレがソレだと思うんだよ。」
その質問に、中年の男は不快そうに鼻を鳴らして答えた。
「この街がそういう街だからだ。お前、知らなかったのか。」
「いや、噂には聞いていたけど…」
中年は再度、今度は皮肉めいた調子で小さく息を吐き、苦々しげに金髪が持つ黒い袋を一瞥した。
「遺体処理業者が業務を停止した後も、政府は『強化兵』の研究をやめていない。公式には今は理論開発のみ、って事になっているが、東の奴らが軍縮を渋ってるのに、そんな悠長なことは言ってられん。どこかに廃棄しているはずだ。消えても誰にも気づかれんような誰かの体を、どこかに。」
「だったら、おい…」
若者は、急に何かに気づいた様子で立ち止まった。
「もしそいつらがコレが無くなっていることに気付いていたら、今頃血まなこで探し回っているんじゃ…」
「それどころか、ポリ公に見付かりゃ、俺達ただじゃ済まないだろうな。だが、まあそうかもしれん、というだけの話だ。」
男は太い声で唸るように言い、大きく溜息を吐いた。若い男はあからさまに恐怖の念を顔に出し、唇を青くして息を飲む。幽霊でも見るかのような恐怖の色を帯びた瞳が、後悔の念を色濃く映し出していた。こんなもの、拾ってこなけりゃよかった、と。
「だからいつも言ってるんだ。」
ごつい男は、足のすくんだ痩身の若者に呆れた様子で声をかけた。
「面倒事に首を突っ込むな。それがこの街で長生きするコツだぜ、新米。」
極限まで人目に気を配りながら、一時間近くかけて彼らが辿り着いたのは「第八区画」、彼ら清掃員の間では「絞首台通り」と呼ばれている、ひときわ陰湿な路地だった。
「第八区画」は、この街が研究都市となり、コンクリートジャングルと化する以前の田舎町の面影をわずかばかり残した、ほとんど唯一の区域だった。アスファルトの切れ目に見える、擦り切れた石畳。時に取り残され、青錆に包まれても尚立ち尽くす街灯。風雨にさらされ、表層の装飾が醜く溶けた消火栓。そのやや北側には、四方をビルに囲まれる形で、この街らしからぬ低い赤レンガの建築物が見えた
「『壁無し』監獄か。」
いかつい男は、丸太のような腕を組んで言った。
「死刑囚が最期の時間を過ごす独監房棟だ。壁を越える意思すら失った『抜け殻』共が集められた、暗くて湿ったホテルさ。お前、こんなところで拾ったのか。」
「そこのマンホールの上だ。」
金髪は前を見ることなく、路上の一点を指差した。中年は彼の手から重たいそれをひったくると、
「パンドラの箱も、開けたことがバレなけりゃそれでいいのさ…」
などと低く呟き、歩き出そうとした、その時だった。
徐に、独監房棟の鉄の扉が開いた。
大柄の男は息を飲んだ。一瞬の静止の後、恐怖のあまり立ち尽くす若者を傍のダストコンテナの陰に投げ入れ、自身もそこに飛び込む。ビルの外壁は冷たく、昨日の雨は作業服の尻を濡らしたが、そのような事は全くもって感覚の外だった。耳の奥を衝く速い動悸を押さえ込むように、彼らはできる限り身を縮め、息を殺した。
少し遅れて、くぐもった話し声が聞こえてきた。男はごつい体を露見させないよう、慎重に影から向こうを覗く。見ると、建物の中から全身純白の対菌防護服に身を包んだ人物が二人、各々何やら大きなものが入った黒い袋を担いで現れた。気味の悪いガスマスクを通しての会話は不明瞭で、聞き取ることはできなかったが、時折低い笑い声が混じるあたり、コンテナの陰の部外者に気付いていなければ、生気の無い囚人たちの暗い雰囲気に毒されてもいないようだ。二人の人物は極めて和やかに、身長の半分はあるそれらをマンホールの傍に下ろした。
「あの袋…」
中年男の背後で、金髪は恐ろしさに震える声で呟いた。男は太い腕で乗り出しかけた若者を制し、囁く。
「市の規定には違反した袋だ、お前が持っているのと同じで。あいつら何をしているんだ。ここのブロックの回収所は表の大通りのはずだぞ…おっと」
男は鼻を鳴らし、再度若者の体を押し戻した。視線を戻すと、白装束の人物のうちの一人が、五〇センチほどの金属の棒を取り出していた。彼――または彼女――は、それをマンホールに衝き立て、ボルトを回す。太いネジを四本全て外すと、その人物は縁にその棒を差込み、梃子の原理で蓋をひっくり返した。
「…見ろよ。」
マンホールを開けた人物は、棒を傍に置くと、足元の袋をその中に放り込んだ。しばらく時間を空けて、それが下水道にまで到達したことを知らせる、衝撃音のような鈍い水音が反響する。若い男は怪訝に言った。
「廃棄物処理法違反だ。とっ捕まえて警察に行こうぜ。」
「いや待て。向こうが武装していないとも限らない。一旦様子を見るんだ。」
中年の男は頑として動こうとはしなかった。若い男は不満を口にする素振りを見せたが、男の緊張した面持ちの前に、鯉のように口を開閉するしかない。再び暗い路地に目をやると、もう片方の人物が同じく黒い袋を穴に落とそうとしていた。が、中身が先程よりも大きいのか、なかなか押し込むことが出来ない。突っ張って落ちないそれを、始めは足で、仕舞いには蓋を開けた金属棒で落とし込もうとしたが、やはり一部が地上に頭を出してしまう。白い人物は肩をすくめ、あきらめた様子で袋を引っ張り出すと、マンホールの蓋を元に戻し、袋を残したままさっさと建物の中に入って行ってしまった。太いボルトを路上に転がしたまま。
「…見てみるぞ。」
白装束の二人が扉を閉めるのを確認し、中年の男は呟いた。
「もう一度出てきたらどうするんだ。」
「その時はその時だ。俺たちは拳で対処し、何事も無かったかのように芝居を打つ。死人に口無し、って言うだろう。上手くやるさ。」
厳つい男は静かにそう答えた。そして口をつぐみ、低い体勢のままコンテナの陰から路地を渡る。踏まれ、衝かれた袋は汚れはしていたが、不思議なまでの強度によって、破れる事無くマンホールの横に転がされていた。中年男は袋の口を解きにかかる。閉じ口は出鱈目に結ばれていたが、男は器用に隙間を見つけて太い指を差込み、ものの数秒で解いてしまった。
そして、現れた中身に息を飲んだ。
四肢を切断された男性の胴体だった。出血はほとんど無く、切断面が少し濡れている程度である。その表面は焼かれたのだろう、筋肉や骨が醜くただれ、焦げ臭い嫌な臭いを放っている。そして何より、髪を剃られた頭頂部に大穴が開いていた。中に脳はほとんど残っておらず、乳白色の一部分が僅かに底に溜まっているのみである。体表は細かく痙攣し、驚いたように見開かれた目はあらぬ方向を向いていた。
背後で、鶏が絞め殺されるような悲鳴とともに、金髪の男が盛大に胃の中の物を戻していた。中年は悪態を吐き、袋を脇に転がした。
「あいつら、脳を換装しやがったのか。」
唸るように呟くと、噛みタバコでも捨てるかのようにつばを吐く。
「政府の奴ら、やりやがったんだ。システム開発にも検体は必要なはずだ。だがパーツ廃棄があるから表立って実験は出来ない…そうか死刑囚か、考えやがったな。」
「…何だよそれは。」
黄色い唾液を吐き捨てながら、金髪が咆えた。
「死刑囚にだって人権はあるだろ、何なんだこの研究は、おい、さっさと公表しちまおう。テレビ局にでも垂れ込むんだ。」
「馬鹿が、冷静になれ。そんなことをした所で、メディア内部の政府内通者にもみ消された挙句、次に脳みそを抜かれるのは俺達だ。この事は見なかったことにしろ。」
「ふざけるな!」
若者は激昂し、喚き散らす。
「こんな研究なんざクソ喰らえだ!何が弱者救済だ、俺はもう我慢出来ないぞ…他のクソ共から能無し呼ばわりされるのも、はした金を握らされてこんな街で暮らすのも、面白くも無ぇゴミ拾いをやるのもだ!俺達は物言わぬ人形じゃねぇ!!」
そう言って、ごつい男の手から死にかけの魚のように痙攣する袋を奪い取る。若い男は血走った目で中年を睨み付けると、よろめく足取りでそれを担ぎ、歩き出した。狂ったように悪態をつ吐きながら。背後で男が重たいマンホールの蓋を手に取ったのは、その直後、彼が躓いて派手にアスファルトに身を投げ出して転んだ瞬間だった。
「…物言わぬ人形が口を開いた時、周囲の人間はどう言った行動に出るか考えたことがあるか、新米。」
男は、手に持つ鉄製の鈍器を若者の側頭部に振り下ろした。車のドアを閉めたときのような重低音と共に、頭蓋骨を砕かれた金髪の体は釣られた魚の如く飛び跳ね、倒れるや否や泡を吹いて硬直する。一枚板のように伸びた体を太い腕で軽々引き上げると、その男は、
「気味悪がって、その人形を捨てちまうんだよ。悪いが俺は、正義やら何やらと引き換えにそうなるのはゴメンだぜ。心配するな、お前のことはこの俺がちゃんと覚えておいてやる。」
彼の細身の体を、マンホールの中に投げ入れたのだ。
やや時間を置いて、その体が深層に到達したことを知らせる衝撃音が響いた。中年の男はつばを吐いた。まるで噛みタバコでも捨てるかのように、苦々しく、不快な様子で。
「だから面倒事を持ち込んでくれるな、って言ったんだ。てめぇ一人がこの街暮らしているわけじゃねえんだよ、この自己中心の塊め…まあ、もう何も喋らんのなら、墓参りくらいならしてやっても構わんがね。」
男はそれだけ呟き、ついでに袋の身体も無理やりそこに押し込むと、マンホールの蓋を何事も無かったかのように元に戻した。
ふと、誰かに見られている気がして、頭上を見上げた。そこにあるはずの「樹冠」は三角に交差し、真ん中に空が見えていた。ガスに霞み、灰色に汚れた空だ。遥か数百メートル上空は完全な宙のはずなのだが、彼は確かに、何者かに見られているのを感じていた。宙のはずの、遥か上空から。
まあいいさ、と肩をすくめる。男は急に、自分が枯葉の下に住まう小虫になった気がした。日光に弱い、誰にも知られること無く葉を腐らせ土を肥やす、醜い小虫に。
ごつい中年の男は、空を削るその影にこそこそと身を隠す。




