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記憶六晶  作者: ほんこん
4/7

夜明け

 時刻は、午前四時を回っていた。

 今となってはただ日が昇るのを待つばかりの、中東、砂漠地帯の肌寒さすら感じる夜の街。聖都の東の空は未だ紅には染まらず、ただ蒼くモスクの球体の屋根を影として、その虚無にも似た哀しさを湛える空の画面に投げかけている。寒風、靄、鼻腔を突く鉄の臭い。薄く周囲に巻き上がる砂塵に混じり、赤外の暗視スコープを曇らせるのは、つい数時間前まで銃口から排出され続けていた戦闘の名残。その中を二人、グレーの戦闘服に身を包んだ兵士が、長銃身の自動小銃を手に、警戒するように周囲を見回しながら進んでいた。

「…本部。」

常人なら間違いなく咽てしまうであろう濃い煙の中、前を行く男がおもむろに声を上げ、無線に向かって呟いた。

「こちら『オリバーⅣ』、先刻以降、異常は見られない。」

「こちら本部、了解した。それと『オリバーⅣ』、お前のバーディの心拍数がこちらの計測では200を越えつつある、異常は無いか?。」

「ああ…」

無線の向こうからの問いかけに一瞬黙った後、

「特に問題は無い。」

「そうか、それならよかった。任務に戻ってくれ。」

無線が切れたのを確認して、男は後方の兵士を手招きし、呼び寄せた。招かれた兵士は足早に砂と瓦礫の上を踏み越えると背後を確認、ライフルの銃口を闇の中へ向け、再び怯えているかのような警戒の体勢を取る。その惨めなまでの臆病な振る舞いは滑稽そのものである。先を行く男は小さくため息をついた。

 石油利権を巡っての戦争は歴史上数あるが、その相手が具体的な政府やテロ組織等の形を呈していないとなると、事情が変わってくる。軍上層部から降りてきた作戦はこれまでと変わらぬ過激派戦闘集団の排除を目的としていたが、具体的な敵の組織、所属、その他名称は一切明かされぬまま作戦が進んでいた。男を始め、この作戦に参加する陸軍兵士は疑心暗鬼に陥っていた。敵の規模や装備が予測不能なため、適切な応戦が行えぬまま無為な犠牲を強いられるような戦闘が国内各地で繰り広げられている。男の相方が怯えるのも無理はない。陸側の国境からの侵攻から4ヶ月が経過していたが、敵地首都に攻勢を仕掛け、制圧してもなお何処からともなく姿を現し、他国企業の所有する石油プラントを爆破しては消えて行く武装勢力達に、軍の対応力は限界を迎えつつあった。


「…大丈夫だ。さっきよりやばいのはもう無い。」

男は怯える相方に言った。

「なぜそう言える?」

腰砕けの兵士の声はうわずっていた。

「どこに潜んでいるか分からないんだぞ…手早く先に進んで、さっさと終わらせちまおうぜ、こんな任務。」

「そりゃダメだ。」

「何でだよ?」

震える声で懇願する兵士に、男はあからさまに呆れた溜息をついてみせる。だが一方、平常心を失っている兵士は相変わらずの身勝手さで必死に言葉を繋げた。呆れるほどの身勝手さを以て。

「何でだよ?さっきの敵は目視できたからまだマシだ、けど次は分からねえだろ?軍部は全く信用ならねえ、いまだに山ほど秘密を抱えてやがる。おまけに敵は正体不明だが皆『神の使い』には違いねぇ、神のためならボーイングでビルにだって突っ込むんだ。」

「それなら俺達は、」

男は兵士の言葉を制するように言った。

「俺達は奴等から見れば、崇高な聖戦に抗う野蛮人だろう。」

「野蛮人はどっちだってんだ、クソッタレめ…」

足元の砂は小さな音を立てては埃を舞い上げ、優雅なまでの軌跡を残しては静寂の闇の中へ消えて行く。声を荒げる兵士は尚、自身の恐怖を言葉に乗せて吐き出した。

「ここの奴等はいつだってそうだ。暇さえありゃ神に祈って土下座していやがるんだ。銅像すら無えんだぜ、意味が分からねえよ、全く…」

「それは神によりけりだ。」

「そうじゃねえ!」

自分自身の声で更に興奮して行く兵士は、

「そいつは違う、奴等に神なんていないんだ!昔からそうだろ?何所に教徒に殺しを奨める神がいる?何所に年端も行かん餓鬼を兵士に仕立て上げる神がいる?何所に自爆テロを正当化させる神がいる?おいそうだろ、お前もそう思っているだろ!」

「音量下げろよ。」

注意を促されるものの、

「俺達の敵はそんな奴等なんだぞ、カミカゼやってた頃の日本人よりもタチが悪い。ええ?顔の見えない連中が、よりによってカラシニコフ担いで襲って来るんだ!」

「やめろ。声がでかい。」

「知るか!!いいか、そんな奴等は全部ぶっ殺しちまえばいいんだ!!見えない神も、ターバンの男共も餓鬼共も、シーア派もスンニ派もカラシニコフだってそうだ!!Japも自爆テロもクソッタレだ!!皆死んじまえ!!皆殺せ!!誰もしないのならこの俺様が殺してやる!!出て来やがれ糞ったれ野郎共め、てめぇらの神はこの俺が殺したぞ!!」

「黙れ!!」

 早朝、砂漠特有の寒気の中、周囲を耳が痛くなるような静寂が包んでいた。

 一声、怒鳴った男は振り返ると、激昂し喚き散らした兵士の襟首を掴みその場に吊し上げ、興奮の余り赤く血走った蒼眼を睨み付け、言った。

「頭を冷やせ。口を閉じろ。これは任務だ。冷静に、そして手を抜くことは許されない。お前の愚かな行為が、この国にいる35000の隊員の命を危険に晒すかもわからんのだ、分かるよな?」

「……」

兵士は、応えない。男は今一度詰問した。

「Do you understand?」

「…I understand.」

「good.」

男は手を離し、再び溜息をついて自動小銃を持ち直す。荒い息の兵士は瓦礫の中、僅かに崩れ残っている民家の土壁にもたれ、力なく廃人のように突っ立っている。男はちらりと、腕のデジタル時計を見た。四時十二分。砂漠の夜明けは早い。あと10分もしないうちに、空は明るくなり夜明けを迎えるのだろう。ふと頭上を見上げると、ほの暗い中を一羽、大型の鳥が、音も無く滑るように飛んで行くのが見えた。夜鷹だった。そんな名の攻撃機があったな、と男は苦笑し、某国の兵器の名を冠したそれを、西の空へ見送る。大きな影はゆっくりと、一、二度羽ばたき、やはり音の無いままに闇を滑り、まどろみ、そして靄の中に消えて行く。背後の廃屋に人影を認めたのは、その直後の事であった。

「誰だ!?」

「ひぃっ!!」

男は威圧的な声を上げ、それに腰を抜かした兵士は素っ頓狂な悲鳴を上げ、崩れ落ちた。

「だ、誰かいるのか!?」

パニックに陥った兵士は地を這って男の足元に辿り着くと、震える手で闇の中に銃口を向けた。一方の男は恐ろしい程の冷静さでアサルトライフルを構え、その人影を凝視し続ける。男は言った。

「ゆっくり出て来い。手を上げてゆっくり、こちらに出て来るんだ。そうだ、そうだ、いいぞ…手を下げるなよ、自爆なんか考えるなよ、あんた…おい、いい加減にしないか。こいつは一般人だ。爆弾もカラシニコフも持ってはいない。おい、やめろ。銃口を下げるんだ。一般人だと言っているだろう…そうだ、あんた、そこで止まってくれ。こちらから目を離さないで…って、」

一瞬、男は言葉を失った。

「…なんだ、子供か。」

「き、気をつけろよ!爆弾を持っているかも分からんぞ!!」

「一生言ってろ馬鹿野郎。」

男は吐き捨てると、目の前で手を上げる子供…黒い瞳の痩せた少年を見つめ、そして不自然な程優しい声で言った。

「やあ坊や、寒かっただろう。欲しい物はあるかい?ここのは無いがキャンプには熱いココアがあるぞ。ん、何だ、食べ物がほしいのか?それとも…」

小さく、

「お父さんはどこ?」

確かに呟いた少年に、また言葉を失ってしまった男はややあって邪険な笑みを浮かべ、言う。

「はは、お父さんか。」

東の空に、一閃、暁の光が差し込み始めた。

「君のお父さんは多分…」

夜明けの兆しは、低く地上を舐め、硝煙を貫き、破壊された聖都の無残な姿を映し出す。モスクの屋根は鋭く輝き、皆目見えなかった大通りの瓦礫の山を照らしてみせる。微かに油の臭いがした。男は、暗視スコープ越しに表情を見せないまま、言った。


「きっと今ごろ『神様』の元だよ。私たちが送ってあげたんだ。」

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