表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

作る

 高校の調理実習の授業をあんなに真剣に受けていたのは、きっと私だけだろう。

 作ったのはごくごく簡単なもの。お味噌汁、鮭のムニエル、ハンバーグ。幼稚園からここに通っているクラスメイト達は、専属の料理人に作ってもらうから覚えなくてちっとも困らないし、外部入学してきた人はそれくらい中学でやったよと言っていたから。


 家庭科の先生はいつもその日に作る料理以外に、お米の研ぎ方や出汁の取り方、新鮮な野菜の見分け方、といったことを教えてくれた。

「覚えておいて損はありませんからね」という言葉と共に。

 プリントで配布される訳でもないそれを、私はいつもメモに書き取っていた。後から大いに役に立ったのは言うまでもない。

 そのアドバイスが当たり前ではないと知ったのは、卒業後、他のクラスだった友人と会って思い出話に花が咲いた時。

『私のクラスではそんなお話はされていなかったけれど』とその子が首を傾げていたから。

 どう考えても、料理に不慣れな私のために、でもそれを特別扱いだと言われないように、ついでのようなかたちでお話ししてくださったのだと思う。


 親切にしてくれたのは先生だけではない。

 我が家の事情は、きっとみんな知っていた。にもかかわらず、悪口を言う人や態度を変えた人は親しい中に一人もいなかった。友人たちは皆おっとりとしていて、気持ちのいい人ばかりだ。

 そんな中の一人からある日「これ、よかったら」と差し出されたのは、念入りな下準備が必要な高級食材やお抱えのシェフの作った料理という物質的な施しではなく。

「簡単においしく作れそうなものを、うちのシェフに教えてもらってきたの」

 はい、と渡された手書きのノート。すると。

「あら、偶然。私もよ」

「私も」

 次々に出されるノート。偶然のはずがない。なぜなら、ノートはすべて同じメーカーの同じシリーズのもので、表紙だけが色違い。そして、後で読んだ時にノートの中身(レシピ)は一つも被ってはいなかった。

 それは、彼女たちらしい応援の気持ちの表れ。

 大変ね、と言葉にするのではなく、かわいそうに、と憐むのでもない。ノートを埋め尽くす彼女たちのきれいな文字は『がんばれ』と口に出して言われるより何倍も強く、私の背中を押してくれた。

 だから私も「ありがとう、本当に助かるわ」と素直に受け取ることが出来た。


 外部生の友人には、家の近くにあって、質がよくお値段もそう張らないスーパーを教えてもらった。 

 お礼を言えば顔の前で高速で手を振って、「いいのいいの、入学してきて訳分かんない時、内部の子たちにはたくさんお世話になったしさー」と照れながらそう言ってくれた。

 私は恵まれていると、こうなってからしみじみ思う。

 湯水のようにお金を使うことは、この先もうないだろう。けれど、お金では得られないものが、自分の手の中にはこんなにもある。それが嬉しい。


 幸い、料理は自分に合っていたらしい(少なくとも、片付けとお掃除よりは)。ノートのおかげもあって、今も楽しくレパートリーを増やしている。

 ――実を言うと、父にはさんざん失敗作も食べさせてしまった。にもかかわらず、いつだって『おいしいよ』と言ってくれたし、逆に『女のくせにこんなことも出来ないのか』なんてことは一度も言われなかった。いつもにこにこと完食してくれたことにとても励まされていたのは間違いない。

 でも正直なところ、一番のモチベーションになっていたのは慎さんのお弁当作りだった。迷惑がられなかったのをいいことに、作ったものをタッパーに詰めてアトリエに通わせてもらえていたからこそ最短で料理が上達したとは、父には申し訳なくて今でも言えないでいる。


 私の作ったものを、好きな人が食べてくれる。一日の仕事で疲れの滲んだ慎さんの目元が、ふわりと和む。それは、一緒に暮らせるようになった今も、見るたび必ず幸せになれる光景だ。


 さぁ、今日は何を作ろう。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ