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ほころぶ。 1

「纏う。」4話直前くらいです。慎さん目線。

 彼女の背中の白さを知っている。



 小さい時から彼女は『彼女』だった。

 出会った当初も、少年めいたシルエットを纏っていた小学五年の時も、一年で背が一〇センチも伸びた中学二年の時も。

 外見はどんどん大人へと変わっていったけれど、彼女の芯は未だ変わらずそのままそこにある。


 初めて彼女がここへ来た時、少女未満のその子は『社長令嬢』という肩書がすぐには信じられないような、引っ込み思案な子だった。

 俺と立ち話をする両親の後ろに隠れて、彼らが室内へ足を踏み入れてもまだ戸口でもじもじして。

 ――かわいいな。

 普段、女性にあまり関心が向かない(おかげで、元同僚の神田には『あんた同性しか愛せないヒト? それならそれで応援するけどさ』と言われるほどだった)自分にしては、とても珍しい心持ち。そのことにいくばくかの動揺を感じつつ、しゃがんでその子の目線の高さに自分を合わせる。

『初めまして、小さなお姫様』

 大友さんご夫妻に挨拶をしてからそんな、歯の浮くような台詞を口にすると。

 彼女は、ふわりと笑った。花がほころぶように。

 その瞬間、俺の心は一つの色に染め上げられた。

 恋だと自覚出来た時には、もう手遅れだった。


 嫌われたくなくて、ひたすらに心を隠した。

 思い返してもらえることなど、可能性がなさ過ぎてとうに放棄していた。


 父の友人で、大手の紡績メーカーの社長でもあり、開いたばかりのアトリエの顧客でもある人の御令嬢。

 年は、自分よりも一五も年下。


 諦める材料ばかりが揃う。なのに。

 半年に一度、成長著しい彼女が採寸でここを訪れる会うたび、出来上がった服を受け取りに来るたび、心は強く引き戻された。


 採寸は、美しく着心地の良い服を作るに当たって必要不可欠なものだ。けれど自分は男で、彼女をはじめとしたお客様はみな女性。下着にならずとも薄着の状態での測定に嫌悪感を示されたら、代わりの人に測ってもらうか、服の上から行うか、あるいはあらかじめ自宅で測ってきてもらうことになる。素人の人が測ると、多少のズレが生じることもあると説明した上で。

 もちろん採寸をする際にいやらしいことを考えたり不埒な行いを働くことはない。既製品の販売とは違い、今のアトリエのやり方は信用で成り立つ部分が多いので、悪評でも立とうものなら死活問題だし、そもそも仕事の一工程だ。男性の産婦人科医が診察中に発情するかと言われたらしないのと同じだと思う。そういうスイッチは、自然と仕事をする上で――特に採寸時には――切れている。

 なので、幼い彼女のタンクトップに短いスパッツという姿を見ても、心は波立つことはなかった。むしろ、出来上がった服を纏った時の立ち姿や、嬉しそうに上気した顔で「しんさん、ありがとうございます!」と元気にお礼を述べた時や、愛おしそうに服を撫で、そして上手に畳もうとして出来ずにしょんぼりしているところを見た時の方が、心はぐらぐらと大きく揺さぶられた。

 何度抱き締めたいと思ったか知れない。頭を撫で、頬に触れ、きっと柔らかであろう唇に口付けたいと。

 でもそれは天変地異が起こっても叶わないと、誰より自分がよく分かっていた。嫌がる彼女を押さえつけて無理矢理に卑劣な行為に及ぶことは、自分の中では最もありえなかった。

 そんなことをしたら、もう彼女に会えなくなる。今のままならば好かれないまでも、嫌われることはない。

 中学に上がる頃には、それまで『去年より背が伸びたね』なんて話していたことも一切封印した。ささいな会話からでも、聡い彼女に俺の中の不埒な思いを察知されそうで。


 これではいけないと、ある時神田に頼み込み、年相応な女性を紹介してもらった。

「本気で?」

「ああ」

「あの子が泣くわね、知ったら」

「……とにかく、頼んだ」

「分かったわ。雪下」

「何」

「無理だと思うわよ」

「……何が」

「好きな子がいるのに、他の女を代替え品にしようなんて、雪下には無理って話」

「代替え品って……」

 仮にも彼女の友人を紹介してもらうというのに、なんて言い草だ。

「だってそうでしょ?」

 そう問われて、否定は出来なかった。


 結局、紹介してもらった人とは付き合うまでに至らず、何度か食事をしただけで終わった。煮え切らない自分に、あちらからジャッジを下してもらった形だ。

『やっぱりね』と呆れる神田を通じての断りの電話に、ホッとした気持ちと申し訳ない気持ちがないまぜになった。

『あんたが犯罪者にならないことを祈ってるわ』

「ああ、そうしてくれ」

 不穏当な神田の言葉をいつものようにいなして電話を切りつつ、アトリエの鏡に映る自分を見る。何度見ても彼女に釣り合う年恰好ではなく、いつもと同じに冴えない男が映し出されている。

 百合野ちゃんが好きだ。その気持ちが、誰の迷惑にもならないものだったらよかったのに。マグマのように、どろどろとした感情、願望、欲望。

 それを彼女に受け入れてもらえる日なんて、永遠に来ない。それでも、いい。

 思うことだけは自由だ。

 だから俺は、心を込めて服を作る。彼女に気に入ってもらえるように。一日でも長く、アトリエに通ってもらえるように。

 そしていつか彼女が誰かのものになった時、泣くことくらいは自分に許そう。


 そう、決めていたはずだった。


 強すぎる思いの濁流は、ささやかな己の決意などあっさりと壊してしまう。

 彼女からウェディングドレスの依頼をされ、一度はきちんと祝福の言葉を掛けた。けれど心の伴わない結婚だと聞いた瞬間、辛うじて纏っていた『年上の優しいお兄さん』の衣はあっさり脱ぎ捨ててしまった。あれほど、綻ばないように気を配っていたのは何だったのだと思うくらいに激しく。


 もういいよ。俺の恋は諦めたよ。でも今、君は幸せになれない未来の前に立ってる。自らそこへ飛び込もうとしているなら、俺が掻っ攫ったっていいだろう?

 君のもくろみを台無しにして、引っ掻き回して、後に残る物が何かは分からない。ひどくなじられるだろうし、きっと嫌われる。でもいい。

 君とのことなら、これから起こす騒動が終わった後で打ち捨てられる残骸さえ、俺にとっては宝物になるんだ。


 君がアトリエ(ここ)へやってきた。控えめに押されたベルの音、そっと差し込まれた鍵の音。最後かもしれないそれを耳の最奥に刻み付けた。


 終わりがはじまる。


17/05/23 一部修正しました。

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