脱出
思考も動作も停止してしまった公彦を見て、ナターシャはクオから手を離し、セシリーの脇下を肘で突きながら小声で叱った。
「あんた、こんな時に何を言ってるの。まったくもう…」
「ごめん…」
そんな二人のやり取りを見てようやく公彦は動き出した。
「い、いやいいんだよ。僕も真一君と同じ歳ではあるしね。…でも、痴呆か~…」
そんな目に見えて肩を落とす公彦の後頭部を武ははたく。
「おい、落ち込むのはあとにして、今は城にどうやって行くか考えろよ。」
「だから… 隠形使えばいいじゃん。」
「クオ達が使えないだろ。」
武と公彦がそんなやり取りをしていると家の表から真一の声が聞こえてきた。魔術を使った大喝ではないので家の中まで声は聞こえてこないが何やら騒ぎが広がっているようで民衆のざわめきが大きくなっている。そんな外の様子を感じ取った武と公彦は目を合わせると話しを再開した。
「…昨夜まではいつも通り静かな夜だったのにな。朝になったらこれってどうなってんだよ…」
「同感。でも、武これこそ城に行ってから考えよう。クオ達にはぶっつけ本番でいきなりだけど、やってもらうしかないだろうね。じゃないと真一君の頑張りが無駄になっちゃうから、僕らも応えないと… えっと、裕子さんは武、愛子さんは…クオ。ナターシャちゃんは…」
「私はその魔術やってこの子を運ぶわ。」
そう言いつつナターシャはセシリーの片手を握り軽く持ち上げて見せ、持ち上げられたセシリーはというと少し驚いた顔をしていたがナターシャの顔を見ると笑顔になり頷いた。そして、そんな二人を見た裕子と愛子が首を傾げているのを見たクオが話しかけた。
「二人とも姉達がどうかしましたか?」
「ううん、どうもしないんだけど…」
「えっと、ナターシャさんもセシリーさんもクオ君も種族違うのに凄く仲良いな~と思っただけなの。」
それを聞いたナターシャとセシリーとクオはお互いに顔を見合い笑い出し、裕子達がキョトンとしていると笑いを収めたクオが話しだした。
「ありがとうございます。最初は仲が悪かったんですよ。それも、お互いに警戒しあったり目も合わせようともしなかったくらいで仲は最悪でした。」
「今思い出すとあの頃は大変だったわね~」
「ナターシャ姉が一番ギスギスしてたじゃないか。一番オドオドしてたのが僕だよ?僕が大変っていうのが普通でしょ。」
「何言ってるの。あんた達二人がいきなり兄妹とか言われて長女扱いされてた私が大変だったわよ。」
「二人共、今は家から出てお城に行くの。」
セシリーに言われハッとしたナターシャとクオは回りを見ると咳払いをした。
武や裕子達はナターシャ達が始めてみせた様子に驚き、興味を抱いて見ていたのだが当の姉弟達は恥ずかしかったのか少し落ち着きがなさそうにしている。それに気付きながらも気付かないふりをし、表情を真面目に戻した公彦は説明を始めた。
「これからみんなに覚えてもらう魔術は人族の部隊、『新月』でやらせてる魔術なんだ。生き物は気配というものを持ってるよね?その気配を消して他の人達に見つからないようにするための魔術、それを僕らは陰行と呼んでるんだ。この陰行をやって屋根から出て、疾風迅雷を使って素早く城へ移動する。ここまでは理解した?」
武以外の者達が頷くのを確認した公彦は右手と左手をそれぞれ左右へと広げ、話の続きを始めた。
「とりあえず、何度か手を繋いで魔力の流れを感じるためにみんなで輪になろう。それと僕が最初に発動させるから韻を覚えて。…武、緊急事態なんだから陰行の韻くらい覚えてよ?」
公彦が広げた右手を武が握り、左手をクオが握り、みんながみんなお互いの手を握り合っていると武が首を横に振る。
「なんでお前や真一がこんなわけわからん韻が覚え切れてるのか俺には理解できん…」
「もう時間が押されてるんだからぶつくさ言う時間を練習に充ててね。」
「わかったよ。」
「じゃ、行くよ?…『陰行』。」
公彦が魔術を発動させるとそこにいるはずの公彦が薄くなった。
少なくとも手を繋いで姿を見ているクオ達はそう感じた。
「なるほど、確かにこの魔術を使ったらこれだけ民衆がいても誰にもばれることなく家から出られそうですね。『陰行』!…『陰行』?」
手を繋いだまま練習を始めたクオを始めとして各自で陰行の練習が始められる。そんなみんなを見た公彦は腕時計で時間を確認しながら話し始めた。
「ぶっつけ本番ってことだから練習は十分だけにしよう。この魔術は発動者と手を繋いだり、肉体的に接触してると他の人も魔術の対象となって一緒に気配が消えるから、もしこの十分でできなくても僕や武と手を繋ぎながら外に出たら問題ない。最悪、それでいくから武は確実にできるようになってね。」
「俺だけ強制かよ!」
「クオ達と違って僕らは真一君とどれだけ練習したと思ってんの… 英語が苦手なのがまさかここまで影響及ぼすと思わなかったけど、長文読解しろっていうわけじゃないんだから頼むよ。いい加減覚えてよ…」
その言葉に愛子と裕子が笑い出し、武は公彦を軽く睨んだ。