桃華の鬼退治
優鬼と殺陣案をまとめた桃華は、次の日の昼休みに友人三人にその話を持ち出した。
文化祭の出し物を決定するクラス会議は今日の五時限目に行われるが、桃華はその前に仲の良いクラスの友達だけでも取り込んでおく事にしたのだ。
桃華がいつも昼食を共にする犬田久美子、猿尾にいな、雉本莉乃の三人に、優鬼と相談した内容を話して意見を求める。
自信満々に話し始めた桃華だったが、
「あれ? 優鬼君の一年A組も演劇だよね?」
「へ?」
「というより、優鬼君は脚本兼監督だって聞いたけど」
という莉乃の指摘をうけ、桃華の時間は停止した。
「あれ? もしかして桃華知らなかったの?」
「…………」
「あはは、ももちゃんフリーズ中。でもりっちゃんよく知ってたね」
「ん? 私も久美子から聞いたんだけど」
「……後輩から聞いた」
莉乃とにいなの視線に久美子はそうぽつりと呟いて、再び手元の作業に集中する。久美子の手には携帯電話が握られているが、携帯をいじっていると言うよりも犬の写真を見ていると言ったほうが正しい。そして彼女の机の上にはフェルトと針が置かれていた。
久美子は手芸部に所属している。その手芸部では文化祭に作品展示をする事が決まっているが、久美子は亡くなった愛犬を模したフェルトアートを展示するつもりだ。
最近は昼休みや放課後を全て、その製作につぎ込んでいた。フェルトアートを始めてからは手芸部への出席率もよく、後輩にたまたま優鬼のクラスメイトがいたので優鬼の事情を聞いていたらしい。
文芸部の優鬼がなかなかいい脚本を用意してくれた、という方向で。
「き、聞いてない! 聞いてないぞ優鬼ぃ!」
「優鬼君のいんぼーだー!」
時の動きはじめた桃華と騒ぎたいだけのにいなが吠えていても、久美子は決して動じない。
今は亡き愛犬のポン太に思いを馳せ、集中力は切れることなく黙々と作業を続けていく。
ポン太はレッドと呼ばれる茶色と白の毛並みを持つ、ウェルシュ・コーギー・ペンブロークだった。活発で散歩好きで、幼稚園児だった頃の久美子はよく引きずられていたのを覚えている。ポン太を問題なく制御できる様になったのは小学校高学年になってからだ。中学生になると、ポン太の方が老いて手綱を引く力が弱くなっていった――
フェルトアートは手間はかかるが、元がフェルトだったとは思えないほどリアルな動物が完成する。題材として愛犬ポン太を選んだ以上、久美子に手を抜くという発想はない。
「くそう! 帰ったら簀巻きにして一晩庭に放置してやる!」
「落ち着け桃華。優鬼君は何も悪くないだろ?」
「で、でもあいつ黙ってたし……」
「うん。けど優鬼君の案にはこれといって変な所とかはないんじゃないかな?
それこそ優鬼君が何もアドバイスしなければ、幼稚園児の桃太郎やカードバトル桃太郎になってたんじゃない?」
「……言われてみれば」
「単に桃華に気を使ったんじゃないかな? 話すと桃華が気軽に相談できないと思って言わなかったとか。
実際、殺陣に凝った桃太郎って私もいいと思うよ。……少なくともカードゲームよりは」
「ももちゃんはいい弟に恵まれたねー」
「そ、そうか、そうだよな!」
当の優鬼は桃華の演劇を転けさせる気マンマンで罠を張ったつもりなのだが、元々が酷すぎた演劇はいい方にしか転んでいない。優鬼の陰謀がバレる事はなく、本人知らない所で優鬼の株が上がっていた。
「ふう、早とちりしてあやうくカードバトル桃太郎にする所だった」
「それはいや!」
にいなが顔をしかめて首を振る。
おっとりとして優しそうに見えるにいなでも、カードバトルは許容できない様だ。
「だよな? 昨日みたいに票が割れちゃうと良くないからさ、できれば殺陣に票を集めたいんだよ。協力してくれないかな?」
「うーい」
「いかにも女子の談合って感じがアレだけど、まあカードバトルになるよりはね」
「…………」
こうして友人達三人を取り込み、桃華は午後のクラス会議へと挑む事になった。
久美子だけは頷く事もせずに黙々とフェルトをいじっていたが。
「それでは学級会を始めます。
五時限目を文化祭の話し合いに割けるのが次は来月になるので、最低でも演目の大まかな流れ、配役くらいまでは決めましょう。
あと、一昨日の全体会議で他のクラスと調整して場所取りしちゃったので、今からステージ以外での出し物には変えられませんので諦めて下さい。
それではまず、演劇の内容について話したいと思います」
学級会の司会進行は、学級委員長の犬田莉乃の仕事だった。
クラスメイトに向かって喋る莉乃の後ろで、副委員長の瀬尾卓郎が昨日迄の話し合いの案を書いていく。
『桃太郎 戦闘シーンを工夫した桃太郎にする
×対バン ×料理対決 ×ヒーローショー風 時代劇(殺陣) 剣道 柔道 相撲 卓球 エアボクシング レース 麻雀 ×推理対決 ?決闘、そして芽生える愛 ◎カードバトル ブラックジャック 花札 ……』
一通り黒板に写し終え、卓郎は満足気に頷いた。卓郎は自分の判断で、昨日の話し合いで不可能と判断したものにバツを、最後の多数決で一番票の多かったカードバトルに丸をつけた。
そして『カードバトル』の文字だけ他の案より文字が少し大きい。それもそのはず、卓郎はカードゲーム同好会の人間だった。カードバトルでごり押しさせようという彼の魂胆が透けて見え、クラスの数人が顔をしかめる。
その中で一人、顔を赤くして俯いている女子生徒がいた。彼女は恥ずかしさのあまり叫び出したい衝動を必死に抑えていた。許されるならば黒板に突撃して『決闘、そして芽生える愛』を消してしまいたいのだが、既に手遅れであった。
彼女、河野今日子は耳まで真っ赤にして机にうずくまりながら、ハテナマークを付け加えた卓郎に復讐を決意する。
そんな中で、一人の男子生徒が手を挙げた。
「演劇の内容なら昨日、僕の案の喰い喰いする桃太郎に決めたよね。あと決めるのは配役かな?」
学級会が始まるやいなや発言した男子生徒、彼こそが鬼嶋真斗、昨年カードゲーム同好会を興し、そして今年はクラスメイトの三分の一近くをカードゲーム同好会に引きずり込んだカード界のカリスマだった。
彼が愛したのは『喰い喰い』いう名のカードゲームであり、カードゲーム同好会ではないクラスメイト達もテレビのコマーシャル等で度々耳にしている名である。昨日も説明があったので、意味の分からない者はいない。
「昨日は一つ一つの案を精査する時間がなかったからね。それじゃあ桃華も脚本が書けないから、それぞれの案の具体例まで出して欲しいって話になったじゃないか」
「確かに喰い喰いを知らない今の山川さんに監督をさせるのは難しいけれど、僕達カードゲーム同好会が一から喰い喰いの良さを教えればいけるさ」
「や、ヤだからな!?」
桃華は慌てて拒否した。カード界のカリスマの手にかかれば自分など簡単に飲み込まれてしまう、そんな気がしてならなかった。
「なら、僕が監督も脚本も引き受けるよ。山川も監督やりたかった訳でもないだろうし、どうかな?」
「え? えーっとそれなら――」
「ではカードゲーム桃太郎に決まった時には鬼嶋にお願いするとして、改めて一個一個の案を検討してみましょう。
皆に一日考えて貰った訳だし、もっといい案がある人もいるかもしれないからね」
「……そうだね、一応は聴いてみようか」
迷い始めた桃華と甘言を囁く鬼嶋の二人を莉乃が牽制する。桃華にここで引かれては困るからだ。
桃華は監督を降りればそれでクラス演劇との縁は切れるだろう。重要な役はカードゲーム同好会のメンバーが担い、桃華には鬼役や照明などの端役か裏方を任されて終わりである。
しかし、学級委員長である莉乃は、演劇からは逃れられない。他のクラスや生徒会との協議があれば駆り出されるのは莉乃であり、その時に指を刺され笑われ続ける自分の姿が目に浮かんでいた。桃華に監督を押し付けてでもカードバトル桃太郎は避けなければならないし、だからこそ優鬼の策略に気づきつつも知らぬふりをしている。
莉乃は本当は、お供を擬人化した時代劇風桃太郎が桃華の思っているほど面白くもないだろうと気づいていた。下手をすればカードバトル桃太郎の方がよほど面白いだろうとさえ思っていたが、それ以上に学級委員長として恥をかきたくなかったのである。
「それではまず、時代劇案からいきます。これは桃華が案を考えてきているみたいけど、他にも何か考えてくれている人がいれば先に教えてください。
…………いないようなので、桃華お願いします」
莉乃に指名され、桃華が昨日決めた内容をクラスに話す。もちろん、優鬼の名前は出さない。
優鬼が考えただけのことはあり、演劇の時間配分や用意すべき小道具なども考慮された説明がクラスメイト達の心を掴む。
そして桃華が自信有り気に話すそれは、クラスメイト達の耳にはなかなか面白そうに聞こえた。
彼らは演劇のプロではなく、そして優鬼の事も知らないのだから疑うはずもない。
桃華の順調な説明に莉乃は胸を撫で下ろし、気づかれぬよう小さくガッツポーズをとった。おそらくはカードバトル以外の案で、ここまで良く考えてあるものはないだろう。
昨日は多く出過ぎた案に票がバラけた結果、カードバトルが一番になってしまった。今日はこの調子ならば殺陣とカードバトルとの一騎打ちに持ち込めるだろう。そして一騎打ちならばカードバトルに負ける事はない。
莉乃は桃華以上に優鬼に感謝し、そしてニヤけそうになるのを我慢しながら鬼嶋の顔を盗み見た。
そこには満面の笑みで発表する桃華を眺める鬼嶋の姿があった。
鬼嶋だけではない。莉乃が辺りを見渡せば、書記をしている副委員長を始めカードゲーム同好会の面々が一様に笑顔だった。その不気味さに莉乃は急に背筋が冷え、鬼嶋が何かしら仕掛けてくるだろうと警戒する。そして桃華に視線を送るが、発表にいっぱいいっぱいの桃華はそれに気づかない。
そのまま桃華が発表を終えると、鬼嶋達カードゲーム同好会が桃華に拍手を送り始める。それは莉乃が強引に先へ進むのを防止する為の作戦だった。やがて他の生徒達も釣られて拍手を始め、鬼嶋が拍手の終わる前に発言をした――
「いやあ、詳細なところまで良く練られていて素晴らしいよ。
さすがは山川さんが考えただけのことはあるね」
「ははは、それ程でもないって」
「そんな事はないよ。正直にいって、山川さんがそこまで考えてくるとは思ってなかったんだ」
鬼島の言葉に、クラスメイト達が同意するように頷いた。
彼らは普段の大雑把で感情的になりやすい桃華を知っているので、桃華が緻密に時間配分や小道具まで考えてきたことに少なからず驚いていた。
「いやいや、本当に良かったよ。さすがは姉弟だね」
「いやいやそんな……え?」
「あれ、弟君から聞いてないのかな? 一年A組にいる山川さんの弟も自分のクラスの脚本担当だって聞いたよ。
なんでも今の山川さんそっくりの、時間配分や小道具まで考えたそのまま使えるような台本を作ってきてクラスメイトを驚かせたらしいね」
「へ、へぇー、流石は私の弟だね」
桃華の頬を冷や汗が伝う。
周りを見れば、勘の良いクラスメイト数人が眉をひそめていた。彼らは鬼島の言わんとする事をこの時点で理解したらしい。
「もしかして、全部弟の優鬼君の案だったりしないよね? 相談くらいはしたんだろうけどさ」
「まっさかぁ! 確かにちょーっとは相談したりしたけど、そんな訳ないって」
「ああ、やっぱり相談はしてたんだね!」
「う…… ちょっとだけだよ、ちょっとだけ」
桃華はクラスメイト達の白い目線が突き刺さるのを感じ、笑顔がひきつっていく。
「そっか、ちょっとだけで良かったよ。
もし優鬼君が作っていたら、僕らは後輩が作った脚本演じなくちゃいけないのかと思ったから心配でさ。
しかもその場合、まず間違いなく一年A組の出し物より劣るものをやらされるだろうからね」
その言葉で締めくくった鬼島の笑みに、莉乃はしてやられたと下唇を噛んだ。
今なら鬼島が嬉しそうに桃華の発表を聞いていた理由もわかる。久美子が手芸部で優鬼の情報を仕入れてきた様に、鬼島もまたカードゲーム同好会経由で調べてきたのだろう。
鬼島も断言こそできなかったが、桃華の発表が緻密なら緻密なほど、鬼島の話に信憑性が発生する仕組みだったのだ。
事実としてほぼ優鬼が考えているので桃華はぐうの音も出ず、その様子がクラスメイト達に真実を教えてしまった。悔やむならば優鬼の冷静で緻密な案を、桃華に合わせてもう少しぼやかし、そして桃華らしく情熱的に発表するべきだった。
着席して縮こまる桃華に、鬼島はそれ以上の追撃はしなかった。鬼島もまた桃華に恨みがあるわけでもないので、これ以上の攻撃は必要ない。
莉乃は苦い顔をしながらも、司会として会議を進めた。『剣道』から順番に意見を聞いていったが、発言する人は誰もいない。昨日それらの案を出した人間も、特別やりたかったわけでもなく何となく言っただけだった。レースに関しては意味不明としてその場で『×』がつけられる。
『決闘、そして芽生える愛』に関しては莉乃がささっと流したが、卓郎が黄色のチョークで丸く囲んで矢印をつけ、『後で考える』と付け加えた。卓郎の悪意が一人のいたいけな腐女子を抉る。
ちなみにこの二人、喧嘩するほど仲が良いを地で行く幼馴染である。
今日子が莉乃の事を鬼の形相で睨みつけてくるが、莉乃は痴話喧嘩に巻き込まないでくれと目を逸らした。
続くカードバトル案での鬼嶋の発表は見事だった。まずは鬼島がカードゲームのルールが初見でも比較的理解しやすいものである事を強調し、さらに桃太郎を元にしたカードや鬼系のカードも揃っていてデッキもすぐに作れるのだと説明した。さらに一試合の時間が程よい事、プロジェクターを用いれば観客にも見やすいことなどを謳う。
鬼島の説明を聞いて喰い喰いに興味を持ったらしい生徒もいて、そのカリスマ性に莉乃は戦慄した。莉乃は桃華に目配せするが、桃華はさっきのダメージが大きく鬼島の案に対して反論を返す気力が残っていなかった。
桃華の援護は諦めて、莉乃は他の友人達に視線を向ける。
にいなを見つめるが、にいなは微笑むだけで何も言わない。
久美子はポン太の尻尾作りに夢中だった。
「こ、この役立たず共め……」
莉乃は小さくつぶやくが、司会の自分が鬼島とやり合うわけにはいかず、渋々先へと進めていく。
ブラックジャックに花札と、昨日の話し合いの流れで出てきた案が続くが、やはり有力な意見の出ないまま終わっていった。
「はぁ――
それでは昨日の案はここまでですが、他に何か案のある人はいますか?
…………なければもうさっさと採決しますけど」
莉乃は敗北を認め、鬼島はその様子に歓喜した。
鬼島の目的は勿論カードゲーム同好会への勧誘であるが、そのために演劇をより良いものにしようなどとは微塵も思ってはいない。
そもそも演劇が勧誘につながる事も期待してはいない。一応はカードゲーム特有の販促アニメを元にした脚本を用意するつもりであったが、それで会員が増える可能性は低いとみていた。
鬼島の本当のターゲットは二年B組のクラスメイト達である。演劇を作るにあたって、まずはクラスメイト達に強制的にカードゲームのルールを理解させる。その中で見どころのある人間にはカードを無料で提供するなどして接待していけば、さらに数人の会員が確保できるだろうと見込んでいたのだ。
現状はどうしても男子会員ばかりなので、一人でも女子会員を増やしたい所と思っている。特に桃華などは乗せやすく狙い目だと思っていたので、優鬼の件について厳しい追及や尋問まではしなかったのだ。
「はいはーい! りっちゃんいいかな?」
そんな風に妄想に浸っていた鬼島を、一人の女子生徒の高い声が引き戻す。
「え、にいな!? 何?」
「何って、演劇の案だよ?」
「え……あ、そうか。それじゃあ、にいなさん意見をどうぞ?」
「なんで疑問形かなー? まあいいけどさー。
なんていうか、そんな難しく考えないで、桃太郎なんだから桃太郎しようよっていうか、犬猿雉は犬猿雉のままでいいんじゃないかなって思うんだ」
にいなの発言に、クラスメイト全員の頭にハテナマークが浮かぶ。
ポン太に夢中の久美子は除いて。
「だからさ、ももちゃんそんな脚本作ってよ!」
「え、あたし!? てか、どんな脚本!?」
「もー! ちゃんと聞いてたの!?」
突然指名され動揺する桃華に、にいなが満面の笑みでえげつない要求を突き付けた。
「普通の人間とただの動物が、最強の鬼を退治する脚本を作ってよ!」
こうして、山川桃華と猿尾にいなの戦いの火蓋が切って落とされた。