姉と弟と桃太郎
「優鬼、ちょっといい?」
「どーした姉ちゃん」
「いや、ちょろっと相談があるんだけどさ」
机に向かって執筆していた優鬼は、言いながら部屋に入って来る姉の桃華に振り向いた。その際、さりげなく教科書をノートの上に置いて隠す事を忘れない。
早めに帰宅した優鬼はスウェットに着替えているが、桃華はたった今帰ってきた所らしく、高校の制服のままだった。同じ高校に通っているので、優鬼が姉の制服姿に思う事など特にないが。
困ったような、それでいて乾いた笑みを浮かべている姉を見て、優鬼はろくでもない相談をされるのだと察して身構えた。
「バイト代なら貸さないからな」
「ばっ、ちがうって! ほらうちのクラス、今度の文化祭で演劇やるじゃん?」
「初耳だけど」
「今日決まったんだよ! んで、その脚本を作んなきゃなんないんだけどさ……
頼む優鬼! 私の代わりに書いてくれ!」
「……はぁ!?」
両手を合わせて拝みながら突拍子もないお願いをする姉に、優鬼は思わず声をあげた。何故優鬼が姉のクラスの演劇の脚本を作らねばならないのか。日頃から理解しがたい姉ではあるが、今回は群を抜いている。
「そんな顔しないでくれよ、あたしも押し付けられて困ってんだから」
「なんで姉ちゃんが押し付けられてんの? 二年B組ってそろって馬鹿なの?」
「おいおい、同じ高校の先輩を馬鹿とか言うなよ? ……否定できないけど。
いや、文化祭の出し物決めの時に何にも意見が出なくてさ、あたしが『演劇でいいじゃん』って言ったらそのまま決まっちゃて」
「やる気ないな、二年B組」
「そうなんだよ。誰も監督に手を挙げなくて、立案者がやれよって話にされた。
しかも監督と脚本は兼任が当たり前だろとか言いやがって……」
「大丈夫、姉ちゃんならきっとできる。やれるやれる」
「てめっ、今さっき馬鹿とか言ったじゃねえか!?」
桃華は椅子に座っている優鬼に飛びかかり、その胸倉を掴んで前後に揺らし始めた。
「文芸部だろぉ!
頼むよっ、後生だからっ、助けてくれよぉ!」
「わ、わかった、わかったから! 手伝うから!」
桃華に体を激しく前後に揺らされ始めると、優鬼はあっさりと承諾した。
優鬼は揺らされるのが苦しかったわけではない。姉の性格を考えれば、ここでごねても最終的には手伝う破目になると知っていたのだ。
我慢しても姉に絡まれ続けて面倒くさいだけなのだと理解していた。
「そうかやってくれるか! それでこそ文芸部のエース、未来の小説家!」
「少し手伝うだけだからな? 最終的には姉ちゃんが自分で理解して脚本を作らないと、監督する時に困るだろうし」
「わーかってるって」
手伝うだけを強調する優鬼に、桃華はへらへらと笑いながら返事をする。何を言っても九割がたやらされるのだろうと察し、優鬼は深くため息をついた。
――ただし実際はそこまで嫌なわけではなく、姉へのアピールとして露骨にため息をついてみせたのだが。
「はぁぁ。――それで、演目くらいは決まってるんだよな? あんまり長いのは無理だぞ?」
「ああ、大丈夫大丈夫。『桃太郎』だから」
「…………は?」
目を丸くして間の抜けた声を出す弟が面白くて、桃華はニヤリと笑って答えた。
「だから桃太郎だよ、モ・モ・タ・ロ・ウ。
短いし、話わかってるし、今更勉強しなくても書けるだろ? 『あたしがやるなら桃太郎しか書かないぞ!』って宣言したらそれでいいって……」
桃太郎になった経緯を嬉々として語り出した桃華だったが、弟が俯いてわなわなと震え始めたのに気づき中断する。
「ゆ、優鬼? 優鬼さん?」
「馬鹿野郎!」
「ひゃう!?」
それまで椅子に座っていた優鬼が突然、立ち上がって桃華に怒鳴る。
桃華は豹変した弟に驚いて、一歩後ずさった。
「おま、桃太郎って……桃太郎って!」
「な、なんだよ!? ……もしかして簡単すぎるのが不満とか?
高校生がやる事じゃないって言いたいんなら、ちょっとひねれば――」
「違う、逆だ! どうしてそんな、そんな難しい演目にしたんだよ馬鹿」
「……難しい?」
桃華は弟の興奮している理由が更にわからなくなり、混乱して首を捻った。
『桃太郎』とは――今更説明する必要もないが――日本のおとぎ話の一つである。
桃から生まれた桃太郎が犬猿雉をお供に引き連れて、鬼ヶ島の鬼を退治する物語だ。勧善懲悪の代表例とされ、おそらく日本で一番有名なおとぎ話である。日本における桃太郎の知名度は金太郎や浦島太郎の追随を許さない。
それだけに桃太郎の歴史や成り立ちは多くの学者によって調べられ、さらには優鬼が尊敬するような著名な作家達もこぞって桃太郎を題材にした小説やエッセイを書いていた。中には桃太郎を勧善懲悪の物語ではなく、乱暴者が鬼をいじめるだけのつまらない話だと批判した作家もいる。
そんな桃太郎の細かいストーリーは、時代や地方によって差が出てくる。桃を食べて若返ったおじいさん達の実の息子の場合もあれば、主人公の桃太郎は不真面目で家を追い出される様に旅に出る事もある。
そして桃太郎は著作権フリーのため、現代においてもゲームや漫画のキャラに引っ張りだこだ。時に漫画の中で強敵として主人公の前に立ち塞がり、時にソーシャルゲームの課金ガチャの景品になったりしながらも、全年齢層の日本人に愛され続けていた。
「だから、何だよ」
「結論から言うけど、桃太郎をなめるな」
「な、なんでさ? 桃太郎だろ?」
「桃太郎だから、だよ。
――まず、絵本の内容そのままだと幼稚園児のお遊戯会になっちゃうよな?」
優鬼の問いかけに、桃華はコクコクと頷いた。
高校二年生が桃太郎を幼稚園のお遊戯のように演じた日には、失笑すらされないだろう。文化祭を汚した存在として学校全体から白い目で睨まれ、監督や脚本担当はテロリストの主導者のごとく教師や生徒会らマークされる事になる。かもしれない。
「そ、それくらいはわかってるって。
だから優鬼に頼んでんだろ? 優鬼が桃太郎の物語をちょこちょこっと面白おかしくしてくれればいいんだって」
「どうやって?」
「だから、あたしがそれをやると空回りしそうだから優鬼に頼んでるんだろ」
「それでも、アイディア位は出してもらわないと。例えばどうしたらいいと思う?」
「例えばって言われても……」
問われて桃華は少し考えて。
「桃太郎が実は女――」
「却下。それ、もうあるから」
思いついた事は優鬼に一瞬で却下された。
「え? まじで? あるの?」
「あるよ。鬼にさらわれないように、女であることを隠すパターンの桃太郎」
「べ、別にあってもいいじゃんか」
「まあ、○○のパクリって周囲に非難されるのは姉ちゃんだからいいけど」
「よしわかった。他の所で何かひねろう」
腕を組んで本格的に悩み始めた桃華の事を、優鬼は冷ややかな目で眺めている。
その目は姉に対して何も期待していないと物語っていた。
「桃太郎が実は悪い奴で」
「それももうある」
「鬼の方が主人公」
「それももうある」
「桃次郎」
「いる」
「も、桃三郎」
「いる。桃四郎も桃五郎もいるし、真桃太郎も黒桃太郎もいるから。
そもそも桃太郎の兄妹子孫系の小説や漫画は把握できないくらいあるから確実にネタが被る。却下」
「うっそん……」
ここに来てようやく、桃華は優鬼の言った『桃太郎は難しい』という言葉の意味を理解する。
高校生が桃太郎を演じる以上はそのままではなく、何かしら工夫を凝らした脚本でなければいけない。いけないのだが、とっさに思いつくような事は既に誰かにやりつくされているのだ。
優鬼は桃華に、きちんと調べずに桃太郎を題材にした脚本を書けば『○○のパクリじゃねーか』と非難される事は避けられないと諭す。例えそれが聞いたこともないマイナー作品だったとしても言われかねないのだと言う優鬼の主張に、桃華は震え上がった。
「あれ? マジで桃太郎ってムズくね?」
「だからそう言ってるじゃないか。素直にシェークスピアとかにしとけば良かったのに……」
高校生がシェイクスピアを演じておかしな事などないので、変に脚本をひねる必要が無い。『桃太郎』だからこそ、脚本は力を入れてオリジナリティーに溢れたものを作らなければならないのだ。
「まじかよ……」
桃太郎がどれほどの強敵なのか、桃華はここに来てようやく完全に理解した。
桃華は顔がひきつっていた。想定外の強さで目の前に立ちふさがる桃太郎に、おそらくは鬼ヶ島の鬼達も今の桃華と同じ顔をしていただろう。
「今からでも、ロミジュリにでもしたら?」
「ロミジュリだったら全部任せてもいい?」
「駄目」
「うーん、ロミジュリ何となーく知ってるけど、読んだことないからなぁ。
確か『おおロミオ』って言った後、うっかり毒飲んで死ぬんだよね」
「……それで大体あってるけど。
俺は原文和訳を読んだけど、姉ちゃんは短く編集したやつとか読めばいいんじゃない?」
「でも、桃太郎にするって言っちゃったしなぁ」
優鬼のあずかり知らぬ事であるが、桃華は脚本になった時にクラスでひと悶着あったので、今更桃太郎はやめるとは言いづらいのだ。
本当に桃太郎を演じさせることが、桃華の二年B組の面々へのささやかな復讐なのである。
「……あ! これならどうだ!
ロミジュリと混ぜて『おお桃太郎、どうしてあなたは桃太郎なの?』とか」
「なるほど、それは新しい、のかな? それでどうなるの?」
「えーと、ロミオのセリフが……
『あなたが恋人と呼んでくれるなら、桃など捨ててしまいましょう』」
「食べ物を粗末にするな」
「『ああ桃太郎! 黍団子をのどに詰まらせて死んでしまうなんて!』」
「食べ物で遊ぶな」
突っ込みを入れつつも、優鬼は『桃太郎とジュリエット?』が演劇の脚本に使えるかどうか、真面目に思案する。
ロミオが桃太郎なら、ジュリエットは鬼娘だろうか? おじいさんとおばあさんと犬猿雉は全員モンタギュー家側になり、キャピュレット家側はもれなく鬼だろう。配役的にどう見てもキャピュレット側が討伐されるべき悪役である。
さらに思案してみるが、配役の名前が桃太郎になっただけで桃太郎要素の一切ない『ロミオとジュリエット』にしかならなかったので、この案は没となった。
姉弟はため息をつき、桃太郎について話し合いを続ける。
「いっそ異世界転生ものにしちゃう?
『桃太郎に転生した俺はチートアイテム黍団子で獣人ハーレム作るぜ』とか、『鬼ヶ島の鬼役令嬢になった私は桃太郎が来る前に島を脱出します』とか」
「いや、小説家になろうでネット小説書くわけじゃないんだから。今作ってるのは演劇の脚本だから」
「うーん、桃太郎桃太郎……栗太郎、柿太郎、お供に臼蜂栗を引き連れて蟹ヶ島に……」
「姉ちゃん、それだと猿と蟹が逆だよ。あと牛糞も連れて行ってあげて」
「知るか!
てかさっきからあたしばっかり考えてんじゃん! 優鬼もなんか意見出せよ!」
「だから、そんな簡単にネタが出せたらこんなに悩んでないんだけど……」
文句を言いながらも、優鬼はネタを絞り出す。
「えっと、現代風刺を織り交ぜるとか?」
「現代風刺?」
「例えば……桃太郎を産んだおじいさんとおばあさんだけど、おじいさんの芝刈りだけじゃ生活できない。
おばあさんも黍団子屋で働いていたんだけど、保育園がいっぱいで桃太郎を預けられなくて」
「あー、なんとなくわかった」
「おばあさんは育児に追われて、昔の様にたくさんの黍団子は作れない。
そこで社長に提案して、黍団子の生産量を減らす代わりに黍を純国産品にして、プレミアム価格で売り始めたんだ。作戦は上手くいって、おばあさんはそこの責任者に大抜擢」
「お、やるじゃないかおばあさん」
「けれど、ある年エルニーニョの影響で国産黍が不作になり、どうしても手に入らなかった。
社長の指示で、仕方なく中国産の黍でつくった黍団子を国産黍使用と偽って売り出したけど、バレて謝罪会見を開く事に」
「おおお……なんか、えぐいな?」
「黍の産地偽装はおばあさんの一任で行われた事になり、トカゲのしっぽとして全責任を押し付けられた。
そんなおばあさんの目には、政治家もマスコミも社長も、すべて鬼に見えていたのでした」
「さすが優鬼、見事なオチもついたな。
よし、それでいこう」
「いかないから。これならまだ幼稚園のお遊戯の方がましだから」
「そうかなー? 面白いと思うけど」
「それにうちの校長は確か、与党議員の弟だろ?」
「馬鹿な事言ってんなよ優鬼。さあ、真面目に桃太郎について考えてみようか」
あっさりと手の平を返す桃華に、優鬼は今日何度目かのため息を吐く。
一見すると短絡的に見えるこの姉は、実は意外にしたたかなのかもしれないと思いながら。
「…………もう普通の桃太郎のストーリーでいいかな」
「おい! 優鬼が駄目だっていい始めたんだろうが」
「え? ああ、もちろんお遊戯会は駄目だからな。ストーリーで勝負するのはやめて、別のところで勝負しようかなと」
「なんだよ、別のところって?」
「例えば……鬼との対決で、カッコイイ殺陣をやるとか」
「タテ?」
「分かりやすく言うと時代劇の戦闘シーンの事だよ。前半のストーリーは流し気味にして、戦闘シーンに時間を使うんだ」
「おお、斬新……なのか?」
「全然斬新じゃないね。どこでもやっているし、なんなら戦闘シーンがプロレスだったり対バンだったりも既にある」
「じゃあ駄目なんじゃ……」
「いや、これは戦闘シーンの内容に全力を尽くしてるからありになるんだよ。殺陣が全部かぶる事なんてそうそうないし、対バンなら楽曲が被らなければ問題ない」
「プロレスやボクシングなら、もう私はなんも考えなくていいな」
「文化祭で格闘技は無理だから」
組体操すら危険だからとなくなる時代に、プロレスやボクシングが認められるわけがなかった。
柔道や剣道ならば通るかもしれないが。
「じゃあ、無難なのは殺陣?」
「んー、そこは姉ちゃんのクラスメイト次第かな?
軽音部が多ければ対バンもいいし、体操部の人に協力して貰えればアクロバティックでサラサラなヒーローショーも作れるかも」
「なるほど。ひとまずその方向で、明日確認してみるかな?」
「うん、駄目ならまた明日考えれば? 今日はこれ以上考えても案は出ないよ」
「それもそーだな。ありがとよ優鬼!」
桃華はひとまず方向性が決まった事に安堵して、優鬼の部屋を後にした。
「――わるいな姉ちゃん。
本当は、高校生の演劇でちょっとネタが被るくらいで誰も問題にはしないんだ」
優鬼はボソリとつぶやき、そして机に向かいなおした。
そして教科書の下に隠しておいた、中断していた自分のクラスの脚本 を仕上げにかかる。
優鬼の一年A組もまた演劇であり、優鬼はその監督兼脚本担当だったのだ。
桃華とはライバル同士であり、桃華の二年B組に本当に面白い桃太郎など演じさせるつもりはまるでなかった。
優鬼は高校生に殺陣を作れと言って、上手くいくとは露程も思っていなかった。ヒーローショーも同様で、精々体操部がバク転を披露する位しかできないだろう。
そして対バンが採用される事はないだろう。軽音部も吹奏楽部も、文化祭は忙しいのだから。
本当は、少しくらい既存作品とネタが被ったとしても、桃華はストーリーで勝負するべきだったのだ。それこそ女体化でもいいし、桃次郎でもかまわない。社会風刺だって、ハッピーエンドに収めるならやっても良かったのだ。桃太郎には脚本次第で十分に面白くなる可能性があるのだが、優鬼の思考誘導に引っ掛かった桃華にその決断は今後もできないだろう。
姉を迷走させることに成功した優鬼は、満足気に机に向かい、自分の作業を再開した。彼のクラスの演目は『新撰組』で、新撰組の隊士が攘夷志士の妹と恋に落ちるというよくあるラブストーリーだった。その展開もそれほど奇をてらったものではない。
しかし優鬼は自分の脚本に満足していた。
優鬼はテンプレの面白さをよく理解している。面白いからこそみんなが真似し、それがテンプレへと変わっていくのだと知っていた。桃華の様にパクりを全て避けようとしてテンプレを無視すれば、小説も演劇も――簡単には――面白くならないし、面白くても評価されにくい。
優鬼が普段書いている小説は、テンプレの重要性を踏まえた上で、どれだけテンプレから脱却できるかに挑戦し続けている。
しかし、クラス演劇に関しては優鬼一人の作品ではない。無理な挑戦はせず、確実に受けるであろう脚本を書き上げた。既に一度クラスメイトにも発表したが好評で、桃華が飛び込んできたのは脚本の細かい修正をしていた最中であった。
「まあやる気のない二年B組なんて、敵じゃないけどね」
文化祭は演劇系や食べ物系など出し物ごとに分かれてポイントを競う。優鬼の目下の敵は文芸部部長が脚本を務め、他の生徒達もやる気に満ちているらしい三年E組である。
演劇部は特別枠のためポイントを競う相手ではないが、観客に一年A組の方が面白かったと言わせてやりたいという野心も持っていた。
そんな上位争いの横で、微妙な桃太郎を演じる姉の二年B組を想像する。
優鬼は思わず吹き出しそうになったが、隣の部屋の姉に聴かれぬように噛み殺し、クツクツと笑った。