7
陽光を浴びて白亜に輝く王宮をぐるりと囲う灰色の壁は外からの侵入者を拒むようにそびえている。唯一の入り口である城門の前には窮屈そうに鎧を着た屈強な衛兵が二人立ち、周りに目を光らせていた。シュテルツェルトは栗毛の馬を徐行させ、衛兵の一人に話しかけた。
「おかえりなさいませ騎士様!お手数ですがお名前と、この水晶にお手をかざしてください」
「第三騎士団隊長のシュテルツェルト・ボルドリアだ」
衛兵が差し出した水晶に手をかざせば、登録されている魔力だと水晶が水色に光った。衛兵はそれを確認すると城門より一回り小さい門を開ける。これは普段出入りするときの通行用の門であり、大きな城門は催し事や祭りのときにしか開かれない。
通行用の門を抜け、厩舎に馬を戻してそこから王宮から少し行った先にある騎士団の宿舎へと戻る。騎士団の宿舎は廊下で王宮と繋がっており、緊急時はいつでも駆けつけられるようになっている。普段は厳重に閉じられていて、シュテルツェルトはまだ一度もそこを使ったことはない。
「珍しいな。お前が外に出てたなんて」
「……ウェルズか。まあね」
膨大な仕事は午前中に終わらせたので、この後は剣の稽古でもしようかと騎士服からもう少し動きやすい格好に着替えて自室を出るとちょうど書類を持った騎士と鉢合わせした。名をウェルズ・リーテンヴァと言い、男爵家の長男。リーテンヴァ家は優秀な騎士を多く輩出することで有名だ。ゆえに彼も第二騎士団隊長という地位に若くして就いている。精悍な顔立ちに、リードヴェルチェとまではいかないが逞しい筋肉がついた身体はどんな刃も届かないと錯覚させるほど厚みがある。当然剣の腕も立ち、硬派な雰囲気を醸し出すウェルズに好意を寄せる娘は多い。
「魔女はそんなに美人なのか? 俺もお目にかかりたいね」
しかし、ニヤリと口角をあげて意地悪く笑う顔はそれらすべての印象を粉々に破壊する威力があった。その見た目からは大そよ想像もつかないくらいに女にだらしがなく、身分問わず所構わず女性がいれば口説き始める。この女好きの性格さえ抜けば教養も深く知見も広い彼は良き友人なのだが、と深いため息をついたシュテルツェルトは違うと首を振った。
「残念ながら老女だよ。助けてもらった時に腰を痛めてしまったから手伝いに行っているんだ。ウェルズが考えているような美女じゃない」
「なんだ、つまらんな」
心底残念そうに肩を落とす友人を見てほそく笑む。この男に彼女の存在を知られたら物珍しさから絶対に執拗に構うに決まっている。
「それよりその書類は?」
「ああ、これは団長に頼まれたやつだよ。最近やたらめったら魔物が出るからな。それの報告だ」
ウェルズは面倒臭そうに書類を眺めてわざとらしくため息をついた。シュテルツェルトはただ頑張れとだけ言って鍛錬場へ向かった。
鍛錬場に足を踏み入れるなり、下位騎士達がわらわらとシュテルツェルトを取り囲み、そこかしこから稽古をして欲しいと声が上がる。それらにシュテルツェルトは笑顔で対応し、総勢三十名の相手を引き受けた。
「さて、はじめは誰からかな?」
ぞっとするほど美しい微笑みに恐れをなした下位騎士達は一斉に一歩下がる。しかし一人の騎士が己を奮い立たせるために声をあげシュテルツェルトへ斬撃を浴びせんと迫った。
「りゃあああああ!!」
「一撃の重さはあるけど、遅いね」
上から振り下ろされた剣を悠々と剣で迎え、弾く。そしてがら空きの胴に蹴りを入れて騎士を吹っ飛ばす。勢いよく吹っ飛んだ騎士は壁に激突し気絶した。
「次は?」
呼吸ひとつ乱れていないシュテルツェルトは神々しい笑顔を浮かべて、呆然とする騎士達を振り向いた。
「まず全体的に基礎体力と筋力が不足してるね。あとは瞬発力と反射神経をどうにかしないと僕はおろか魔物すら倒せないよ」
「「は……はいっ……!」」
屍のように地面に這いつくばる下位騎士達は荒い息を繰り返して、その中心に立つ美貌の騎士に全力を振り絞って返事を返した。
その返事に満足そうに頷いたシュテルツェルトは一人一人騎士を立たせて個人に助言をしていく。ほぼ一瞬と言ってもいい打ち合いの中で全員の顔と欠点を覚えていた頭脳もさることながら、騎士達は彼の底なしの体力と強さに驚きを隠せないでいた。
ダングストス国随一の騎士と言っても差し支えないシュテルツェルトの噂は騎士達の中でも有名だった。十人がかりでもやっとの魔物討伐を一人で行った、盗賊団をいくつも壊滅させた、など彼に関する噂は尽きない。いくつかは眉唾ものだろうと軽く考えていた。しかし下位とは言え、大陸の中では強い部類に入る彼らを三十人相手取っても一太刀を浴びせるどころか全て返り討ちにし、汗ひとつかかずに涼しい顔でいるのを見ていると噂は本当なのではないかと思えてくる。
「……少し聞きたいことがあるんだけれど、城下町で有名な菓子を知らないかな?」
革水筒に口をつけている下位騎士達に尋ねると、揃って同じ店の名を挙げた。どうもそこは菓子店ではなくパン屋のようで、そこの菓子は甘味好きな人間にとって隠れ家的な名店らしい。意外にも甘いもの好きが多い騎士団の人間にとっては有名なようだ。
「その店はちょっと入った裏路地にあるので女性にはあまり知られてません」
「そんな店が……。ありがとう助かったよ」
礼を言って鍛錬場を後にする。背後では、稽古をつけてもらった騎士たちが騎士の礼をして見送っていた。
パン屋の情報を収集した数日後、いつものごとく早めに仕事を終わらせたシュテルツェルトはそのパン屋の菓子を持って馬を走らせていた。目的は森に住む魔女見習いの少女に会いに行くことだ。この世界ではとても珍しい黒髪に黒目の娘は、シュテルツェルトにとって新鮮だった。自分の顔に見惚れることはあっても媚を売ったりせず適度な距離感で接してくれる。それが嬉しくて何度も彼女の元を訪れては、取り留めもない話をしてしまう。
「こんにちは、アンジェさん」
「こんにちは! 見てください! 今日はたくさんアママンダの実が採れたんですよー」
今日もアンジェはシュテルツェルトに気がつくと小動物のように駆け寄ってきた。黒曜石にも似た瞳を輝かせ、抱えていた籐籠の中身を披露する。橙色のつるりとした丸い実は思わずひとつ手にとって齧り付きたくなるほど瑞々しいが、見た目に反してとても苦い。一度知らずに食べて悶絶したシュテルツェルトは思わず一歩後ずさった。
「よかったですね。それは乾燥させるのですか?」
「半分はそうします。もう半分は搾って別の薬に使います」
嬉しそうに鼻歌を歌っているアンジェから籠を奪い取り、運ぶ場所を尋ねる。突然のことに小さな口をぽかんと開けていたが我にかえると渋々ながら歩き出した。その後ろを楽しげに微笑むシュテルツェルトが追った。