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部屋に案内してあげなさいと言い残しヘクセさんは依頼品を作るため地下室に引っ込んでしまった。私は二階の部屋に戻るとまだ窓の外を眺めていたシュルトさんに声をかけた。
「シュルトさん、師匠から空き部屋を使ってもいいと言われたので移動をお願いしたいんですが、立てますか?」
「何から何まで申し訳ありません。大丈夫です。伊達に騎士はやってませんから」
シュルトさんはそう言うとゆっくりとベッドから降り、少々痛そうに顔を顰めながらもしっかりと床に足をつけた。ほぼ真隣に位置する隣室の扉を開けると柔らかな日差しが射し込んでいた。
「ここは好きに使ってくれて構いません。必要なものがあれば言ってください」
私の部屋と同じ造りの隣室は誰も使ってないとあって生活感のない殺風景な部屋だ。それこそベッドとクローゼット、一人用の小さなテーブルと椅子があるだけだ。
「ありがとうございます。早速なんですが、剣や魔法の練習をしても問題のない場所はありますか?」
「それでしたらこの下の庭でどうぞ。洗濯物を干すことにしか使ってませんから」
この家には二つの庭がある。一つ目は洗濯物を干すだけの庭で、陽の光が常に降り注ぐ場所。もう一つはこの家の裏側にある裏庭。こちらは薬作りに使う草木や簡単な野菜を育てる場所だ。魔女の魔力で管理されている裏庭は季節関係なく様々な草木や野菜が育っている。
「助かります。怪我をしたとはいえ、剣を振らないでいるのは少々辛いので……」
「無理はしないでください。本来なら治るまで安静にしておいて欲しいんですけど……聞かなそうですね」
「よくお判りで。この容姿のせいかどうも周りから融通の利く人間だと思われがちでして」
本当はとても頑固なんですけどねと、とても頑固には見えない柔らかな笑みを浮かべてベッドに腰掛けた。ベッドは壁に接していて、そこには少々大きめの窓がある。見える景色は緑一色だが、日当たりは良い。シュルトさんはまた窓の外に目を向け柔らかく目を細めた。
「……シュルトさんは景色がお好きなんですか?」
ここから見える風景といえば森のみで、お世辞にも見ていて面白いものではない。どんなに目を凝らしても建物などなく、ましてや街のように活気に溢れ人々が忙しなく行き交うようなこともないーー変化に乏しい景色である。それのどこに眺めたくなる要素があるのか。私の疑問を汲み取ったかのようにシュルトさんは顔をそちらに向けたまま口を開いた。
「いえ。そういうわけではないのですが……」
妙に歯切れの悪いシュルトさんに首を傾げつつも聞いてはいけないことだったかと話題を彼の服に切り替える。今のシュルトさんは、倒れているときに身につけていた豪華な上着と防具を外した格好だが、上のシャツは所々が破け、腕の部分に関しては裂けてしまっている。今日はこれで乗り切ったとしても明日には服を買いに行かなければ着るものがなくなってしまう。しかし私は明日ヘクセさんの代わりに薬を調合しなければならないので時間がとれないし、シュルトさんは現状無理である。
「色々考えた結果、非常に申し訳ないのですが明日まで同じ服でいてもらうことになってしまうのですが、いいですか?」
「野宿で何日も同じ服という事も多々ありますから私の服の事など気にしないでください」
「わかりました。明後日買ってくるのでそれまでその服でお願いします」
有無を言わさずそれだけ告げると何か言われる前に部屋を出た。このままだと互いに譲らず面倒な事になりそうなのでシュルトさんの意見は無視させてもらう。ちょうど必要なものもあったのでそれらを頭の中でリストアップしながら一階に降りる。
「ホッボー」
「ルナ!お帰りなさい!」
窓枠で羽を休めていたルナは私に気がつくと羽をバタバタとさせ、自らの存在を主張した。私は労いの意を込めて大好物の生肉を渡すと足に括り付けられている羊皮紙を取った。
「親愛なる魔女殿へ……。数日後、騎士シュテルツェルト・ボルドリアを引き取りに伺いますので、どうかその間よろしくお願い致します……第三騎士団団長リードヴェルチェ・マスディリアス……」
それで最後かと思ったが、二枚目があることに気がつく。見てみれば羊皮紙いっぱいに魔方陣が描かれていた。魔方陣については学んでもまったく頭に入らなかった私は早々にその勉強を諦めたので、この魔方陣がどういった類のものなのか皆目見当もつかない。
とりあえずシュルトさんなら何かわかるかもしれないと二階へ羊皮紙を握りしめ駆け上がる。そうっと部屋の扉を開けると待ってましたと言わんばかりにシュルトさんがにこにこ顔で私を見ていた。
「階段を上がる音が妙に急いでいたので、なにか急用でもあったのかと思いまして」
「あ、ハイ。これなんですが……」
くしゃくしゃになった羊皮紙を慌てて伸ばしてシュルトさんに手渡す。私を椅子に座るように促して羊皮紙に目を通した。一枚目を読んで軽く頷いたシュルトさんは問題の二枚目を見た。
「これは転移魔方陣です」
「転移魔方陣……」
使ったことはないが、どんなものなのかは覚えている。魔方陣の形自体は覚えられなくとも、どんな種類の魔方陣があるのかという説明は覚えた。その中に転移魔方陣もあった。まず、転移したい場所をA地点とし、今いる場所をB地点とする。それぞれの地点に魔方陣を描き、送りたいものをA地点に置き、魔力を流して転移魔方陣を発動させるとB地点にものが送られるという至極単純というか名前どおりの魔方陣である。
「この転移魔方陣は少々特殊でしてね。転移先の魔方陣に名前が組み込まれてまして……その人間の魔力を流さなければ発動しない代物なんです。こうやって羊皮紙一枚で手軽に持ち運びできるのは便利なのですが、ある程度の魔力がないと扱えないのが欠点なんですよね」
つらつらと私に説明しながら羊皮紙に魔方陣に手をかざした。目には見えないけれど魔力が流れているのだろう。魔方陣が淡く輝き出した。シュルトさんはそれを地面へ放る。床に落ちた途端、パッと光が弾け、羊皮紙が落ちた場所には折り畳んである服が数着と小さな革袋が数個現れた。そしてひらりと一枚の羊皮紙が私の手元に落ちてきた。
「これ、シュルトさん宛てです」
一番上の名前を読んでシュルトさんへ渡す。彼はそれを読んで苦笑いを浮かべ、革袋を指差した。
「その革袋は我が第三騎士団団長から貴女に、との事です」
革袋を拾ってみると見た目の割にずっしりとした重さとともにちゃり、という金属音が聞こえた。まさかと思って中身を確認すると大量の銀貨が入っていた。