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私の中におっさん(魔王)がいる。  作者: 月村伊織
~黒田の章~
39/111

黒田の過去・前編

残酷な表現がありますので、苦手な方はご注意下さい。

書き直しました。

 ぼくは、燕秋に居を置いている少数民族の許に生まれた。

 民族の名は、覚えていない。

 ぼくはそこで、姉と共に暮らしていた。

 両親はぼくが生まれてすぐに流行り病で死んだらしい。ぼくは顔も見た事がない。

 

 姉は穏やかな人で、茶色の瞳に紅い髪をしていた。

 十一歳年が離れていた姉は、ぼくと暮らすために青流酒せいりゅうしゅという薬を作っては外部に売りに出かけていた。


 なんでも青流酒は民族秘蔵の物で、高く売れるらしい。そんなに本数が作れないのが欠点と言ったところだろうか。

 ぼくも手伝いがしたかったけど、村の外には出てはいけないと言われていた。

 村の人達は、親のいないぼくらを可愛がってくれた。何かと目をかけて、世話をしてくれていた。

 村は一つの家族のようだった。

 だけど、ぼくだけが違っていた。


 村のみんなは、その殆どが姉と同じように、茶色の瞳に紅い髪だった。

 ある日どうしてなのか気になって、姉に訊いたら困った顔をされてしまった。それでも聞きたくて、ぼくはせがんだけど、姉は本当は知らないのだと言った。

 それでぼくは村長に尋ねてみた。


 村長は、快く教えてくれた。

 なんでも、ぼくの父方の祖父が功歩の人間で、村に婿にやってきてそれは良く働いたのだそうだ。温厚で真面目な人物だったと語った。

 ぼくは祖父に似たのだろう。

 

 功歩の人間はその殆どがぼくと同じ容姿なのだそうだ。

 ぼくは、祖父の故郷に想いを馳せた。

 いつか行ってみたい。

 そんな馬鹿げた夢まで見た。

 

 六歳のある日――ぼくのそんな愚かしい夢は砕け散った。

 夜、ぼくは悲鳴の中で目覚めた。


 誰かが遠くで叫んでいる。

 朦朧とする意識の中で、ぼんやりとした光を捉えた。

 目を開けると、それは煌々と輝く赤い光だった。

 闇の中で縦に伸びたその光は、ぼくがクローゼットの中に押し込められていたことを教えた。

(なんでぼく、こんなところにいるんだろう?)


 ぼくはぼんやりとそんな事を思って、その光を覗いた。

 そこには、信じられない光景が広がっていた。

 開け放たれた玄関の向こうでは、悲鳴にまみれた村人の逃げ惑う姿。家という家が煌々と燃えている。

 ぼくには何がなんだか分からなかった。

「……うう!」


 ふと、すぐ近くでうめき声が聞こえた。

 視線を下に移すと、姉が裸で床に転がっていた。

(何をしてるんだろう?)


 そう思ったぼくの視界は、もう一人の人物を捕らえた。

 そいつは、その男は、ぼくと同じ金色の髪に、白い肌に、緑の目をして、姉の股に自分の股間を押し付けて、腰を振っていた。

 今のぼくなら、何をしてるのかなんてすぐに分かるけど、その時のぼくには、ちんぷんかんぷんだった。

 ただ、姉のあの目だけは鮮明に覚えている。


 空虚で、絶望しかないような、暗い瞳。

 涙を流した跡だけが頬に残り、もう泣く事も諦めたような、そんな眼だった。

(お姉ちゃんを助けなくちゃ!)

 そう思うものの、ぼくは動き出す事が出来なかった。

 なんだかとても、恐ろしかった。


 やがて男の動きが終わって、

「俺で終わりだから、安心しなよ」

 男は確かにそう言った。

 その時のぼくにはやっぱりなんの事なのか分からなかったけど、姉はこの男の前に、幾人かに犯されていたのだ。


 姉は何も言わなかった。

 何か言える状態でもなかった。

 そんな傷つき果てた姉に、男は冷笑を浴びせた。

 そして……剣を振り翳した。

 鈍く、何か重いものが転がる音。

 飛び散る赤い液体。

 姉の、首と胴が切り離された。

 その瞬間、姉はぼくを見た。

 空虚な闇を映す目に、一瞬の懇願が映った。


『……助けて』


 姉が本当は何を思ったのかなんて、分からない。

 でも、ぼくに何かを訴えたのは事実だ。

 ぼくは、その時頭の中で何かが弾けたのを感じた。

 気がついたら、ぼくは獣のように叫び、意味のなさない声を上げていた。

 クローゼットから響いた雄叫びに、男は驚いてクローゼットを開けた。


 その時だ。

 ぼくが自分の能力に気がついたのは――。


 男が踏んだ姉の血液が、突如として針の筵のように突き上がって男を串刺しにした。

 何本も、何本も、男の体に深々と刺さり、男は刹那の悲鳴を上げて地面に伏した。ビクビクと体が痙攣し、すぐに動かなくなった。


 ぼくは、呆然とした。

 頭がまったく働かなかった。


 だけど、その内感情だけが動き出し、喚きだしたくて仕方なくなり、獣のように吠えて、駆け出した。


 姉の血を踏んづけて、床を血の足跡まみれにして、ぼくは外に出た。

 するとそこは、地獄だった。

 そこかしこに転がる、ぼくの〝家族〟

 悲鳴と、笑い声の渦。

 建物を焼き尽くす炎は、地獄を映し出すためだけに夜に輝いている。

 

 ぼくは、片っ端から、出遭う、ぼくと同じ姿の鬼を殺して回った。

 そのうちに、鬼の輝く金色の髪が血に染まるのを見る度に、ぼくがぼくを殺しているような気になった。

 ぼくがこんな酷い事をして、ぼくが自分で裁いている。

 ぼくが会いたいと思った自分と同じ容姿の人間は、こんなにも酷い人達だった。

 だけど、そんな人間を殺していく自分も、同類なのだ。

――違う!

 ぼくは、こんな奴らとは違う。

 これは正義だ。

 ぼくはこの村の人間だ。

 ぼくは、功歩の人間じゃない。

 ぼくは、美章の民だ!


「うわあああああ!」


 ぼくは雄叫びを上げた。

 気が狂ったような叫びに気がついて、鬼は群がってきた。


「なんだこのガキ、能力者か?」

 鬼の一人が唸った。

 そこへ、矢が飛んだ。

 その矢は鬼の一人の眼に当たり、鬼は悶絶して倒れた。

 慌てふためく鬼に、矢が次々に注がれる。

 鬼どもは小さく悲鳴を上げながら逃げ出した。


「大丈夫かい? 坊主」


 振り返ると、そこには大柄な男が立っていた。

 立派な鎧を身につけ、無精ひげを生やした初老の男。


「うるせえ! 邪魔すんな! ぼくは、あの鬼どもをやっつけるんだ! これは正義だ!! 皆殺しにしてやるっ!」


――皆殺しだ!


 そう叫んだぼくに、男は落ち着いた表情で肩に手を置いた。


「でもね、キミ。血だらけじゃないか」

 そう言われて、ぼくはハッと気がついた。

 腕はぱっくりと切られ、脚にも幾つも切り傷がついていた。


「平気だ、こんなの! ぼくは血が操れるんだ、さっき気づいたんだ! だから、こんなのすぐに止められる!」

「ほう……そうかい。ならば、やってみなさい」

「言われなくてもやってやるよ!」


 ぼくはふんぞり返って、力を込めた。

 でも、血は止まるどころか、どんどんとあふれ出ていく。


「さっき気づいたと言ったね? 能力は発動したばかりだと、操りきれないことが多いんだよ」

 男はぼくにそう告げた。

 ぼくはこの時、血を操れるから、切れた血管もくっつけられると思っていたけど、そんな事は出来なかった。

 ぼくが操れるのは血液だけで、修復能力があるわけじゃない。

 切られて流れ出た血を操れても、止める術はない。

 男は振り返って、後ろで待機していた部下達に声を張り上げた。


「さ、この子の手当てをしてあげて!」

「ですが、三関……この子は白星じゃ……?」

 部下の一人から、戸惑った声が聞こえた。

「この子は国民ですよ。見たでしょ? 勇ましく敵国と戦っていた姿を」

 男は平然とそう言ってのけ、ぼくを部下達の許へ押し出した。

「さあ、私達は殲滅作戦と行きますよ!」


 男が声を張り上げると、部下達は「おお!」とそれに続いた。

 ぼくは部下の一人から陣営で手当てを受けた。

 ここに留まるようにと言われたけど、ぼくの感情は治まる気配を見せず、ぼくは監視の目をすり抜けて村へと戻った。


――鬼どもを殺してやる!


 だけど、村に戻ると全てが終わっていた。

 鬼どもの死骸も村人の死骸も、同じように横たわり、あの男が勝利したのだと報せていた。


 後から知った話だが、ぼくの村は功歩軍の通り道だった。

 村に残ったやつらはその残党で、本隊はすでに北上していたのだ。

 男の隊もそれを追ってすぐに消えた。

 残されたのは、ぼく一人。

 そう――廃墟となった村には、ぼくだけが立っていた。


 * * *


 村は全滅した。生き残りは、ぼくだけだった。

 姉の首を持ち上げた時の消失間は、今でも良く覚えている。

 姉の首を抱きしめて泣いた。

 人間は、泣いても泣いても、涙が溢れてきて、枯れる事などないんだと、その時は思っていた。


 村人全員の遺体を掻き集め、ドラゴンに引かせて穴の中へ吊るした。紐を切って、穴の中へ落下させるしかなかった時の不甲斐なさ。

 ぼくがもっと力持ちなら、もっと丁寧に、一人一人のお墓を作り、きちんと棺おけに入れてあげられたのに。

 こんな、大きな窪地に投げ入れることなんてなかったのに。

 ぼくは申し訳ない気持ちでドラゴンと一緒に穴を埋め続けた。


 穴がようやく塞がったころ、ふと、鬼どもの死体が目の端に映った。

 鬼どもに墓を作ってやるつもりなど毛頭ない。

 全員燃やして消し炭にしてやろうと思ったが、火を起こす火打ち竜は死に絶えていて、火が起こせなかった。


 放置して、野生ドラゴンに食わせようとも思ったけど、村にあいつらの死体を置いておきたくなかった。

 どうしようかと思案している時、ドラゴンの遠吠えが聞こえた。

 頭上を見上げると、五匹の騎乗翼竜が旋回して降りてきた。


「我々は、東條様より使わされた者だ。子供、私達と一緒に来い!」

 鎧を着た女が声を張り上げた。

 五人中二人が女だった。みんな同じ鎧を着ているので、こいつらは美章の兵なのだとわかった。とすると、東條とはあの初老の大男か、とぼくは直感した。


「嫌だ。ぼくはあの鬼どもの死体を八つ裂きにして森に放り投げてやるんだ。そうすれば、村に置かなくて済むからな!」

「何を言っている? あの人数をなんて無理だろうが。これだからガキは……。何人いると思ってんだ」

 女が呆れた様子で口汚く言うと、もう一人の女が驚いた声を出した。


「ねえ、村人の遺体がないんだけど……もしかして」

 五人はまさかといったようすでぼくを見た。

 ぼくは、

「埋葬したよ。当たり前だろ!」


「村人百五十人余りを全部? 幾ら少数民族の小さな村だって言ったって、子供一人で……まさか、あなた三日も不眠不休だったわけじゃないわよね?」


 そんなに経ってたのか、とぼくはぼんやりと思った。

 確かに寝てないし、何も口にしていなかった。

 だけど、何も口にしたくないし、寝たくもない。

 ぼくがもっと早く起きていれば、お姉ちゃんはあんな目に遭わなかったかも知れないんだ。


「いけないわ! すぐに連れて行きましょう」

 口が悪くない方の女がぼくの手をひっぱた。

「放せよ! ぼくは行かない! ぼくの家はここだ!」

 ぼくはここにいるんだ!

 そう叫びだす前に、女に首を叩かれて気絶した。

 この女も口が悪くないだけで、十分に乱暴だった。


 * * *


 ぼくは広い寝室で目覚めた。

 そこは、東條というあの初老の大男の別宅だった。ぼくはどうやら三日もの間、昏々と眠り続けていたらしい。

 ぼくが目覚めてすぐにやつは顔を出した。

 にこにこと笑い、

『何故ぼくを連れてきた!』

『あの鬼どもの死体をドラゴンに食わしてやろうとしたのに、邪魔しやがって、このクソジジイが!』と、東條を罵るぼくを黙って見ていた。

 穏やかに笑みながら。

「あやつらの遺体は埋葬したよ。大丈夫、キミの村には埋めていないから安心なさい」

 そんな事を言われても、ぼくは治まりが利かなかった。

 ぼくはさらに東條を罵り、やつは黙ってそれを聞いていた。

 やっとぼくの気持ちが落ち着いた頃、東條はぼくを抱きしめた。

 大男とは思えないほど、そっと優しく抱きしめられた。

 ぼくは気持ちが定まらず、また泣いた。


 * * *


 ぼくはそれから、二年余りをそこで過ごした。

 別宅は、小高い丘の上にあり、丘のふもとには小さな集落があった。

 ぼくはその二年、集落に下りることはなかった。

 降りる必要性を感じなかったし、人と会いたいとも思わなかったからだ。

 ぼくの世話をしていたのは、あの二人の女達だった。

 

 ぼくは最初女達が好きになれず、懐きもしなかったし、女達も深入りしようとはしなかった。

 でもその内、口汚くない方の女――レンは口喧しくあれをやりなさいだの、これをしなさいだの言うようになり、口汚い女――あずさとは、自然と戦いの稽古をするようになった。


 梓は剣がそこそこ使えて能力者でもあった。

 だから、能力のうんぬんは彼女から教わった。


 功歩軍はすでに岐附に侵攻し、美章から背後をとられないようにするためか美章の町や村を占拠したり、支配しようと攻撃を仕掛けたりしてきている。

 東條は戦いが終わるたびにたずねてきては、ぼくに兵法を叩き込んだ。

 

 東條は正攻法を好んだが、ぼくは奇襲の方が好きだった。

 ぼくは最初のほうこそ、鬼どもの進行状況を訊いたが、その内段々と訊ねなくなった。

 鬼どもの話を聞くたびに、憎しみがどっと沸いて、苦しくて仕方がなくなったからだ。

 苦しいのはもう嫌だった。

 

 ぼくは、それなりの幸せに浸っていた。

 姉代わりの蓮と梓と言い合いながら日々をすごし、父親の知らないぼくは、たまに訪ねて来る東條に父の姿を重ねた。

――でも、それも二年で終わりだ。


 * * *


 二年後のある日、功歩軍の侵略があった。

 あの集落にだ。

 食べ物を奪うために襲ったらしく、蓮と梓は村人の救助に向った。

 お前は来るなと言われ、部屋に鍵をかけられて閉じ込められた。

 ぼくはその意味を深くは考えなかった。

 

 だから、窓からこっそりと逃げ出し、二人の後について行った。

 ぼくだって能力者だし、二年修行した。自信があったのだ。

 二人の役に立ちたかった。

 

 梓と蓮は集落に入り、残党がいないかを慎重に確認しては、出会った人々へ別宅へ非難するように促した。

 ぼくも手伝おうと一歩踏み出した時だった。


 一軒の家からうめき声が聞こえた。

 慎重に辺りを確認しながら、家の中へ足を踏み入れた。

 するとすぐに、人影を発見した。

 玄関で、女がうつ伏せで倒れていた。

 頭から血を流し、苦しそうに呻いている。


「大丈夫ですか?」

 声をかけると、女は顔を上げた。

「ああ……ありが――」

――え?


 ぼくは、急に不安に駆られた。

 今覚えば、本能からの警告のようなものだったのかもしれない。

 女の顔が急速に歪む。

 恐怖と嫌悪で、今にも泣き出しそうだ。


「キャアアアアア! 白星、白星よぉお!」


 女はあらん限りの悲鳴を上げた。

 ぼくは呆気にとられてしまった。

 この女が、何に対して怯えているのか、分からなかった。

 白星という意味も知らなかった。

 だって今まで美章の人間で、ぼくを憎悪する者も恐れる者もいなかったのだ。


 ぼくはすっかり意味が分からなくて、ただただ狼狽した。

 そこへ、別宅に向う集落の者達が駆け付けて来た。

 皆一様に、手に武器を持っていた。

 鍬や包丁や、棍棒や、鎌。

 

 ぼくはそれでも戸惑うばかりで、何がなんだか分からなかった。

 だけど、ぼくに降り注がれる村民の目は明らかに憎しみと軽蔑に満ちていた。

 やつらは、口々にぼくを罵倒し、恫喝の声を浴びせた。

 正直、ぼくはその時何を言われたのかよく覚えていない。

 ただ、口々に「白星」と投げ捨てられるように言われた事だけは鮮明に覚えている。


「やめて! やめて下さい!」

 気がついたら、ぼくは蓮の背の影にいた。

 蓮の隣には、むすっとした梓が立っている。


「この子は、白星ではありません! 誤解です!」

「誤解なもんか! その容姿、どう見たって白星じゃねえか!」

「違うって言ってんだろ! よく見ろ! 本物はもっと、白っちいし、髪ももっとドハデな色だっつーんだよ!」

「功歩のやつらなんかまじまじと見たことなんかねんだ! そんなこと誰が分かるもんか! 白星を庇うなんてどうかしとる!」

「こいつらも同罪だ!」

「ああ、そうかよ!」

 梓が吠えて、ぼくの腕を掴んだ。


「逃げるぞ!」

 梓はぼくを強く引いて立たせ、走り出した。

 その後を蓮が追う。

「逃がすな!」

 という誰かの怒号が聞こえたが、追ってくる気配はなかった。

 残党狩りよりも、非難と救助を優先させたのだろう。


 ぼくらは近くの森へ入った。

 もう別宅へは帰れなかったから……。

 警戒して目を鋭く光らせている梓に、白星とはなんなのか聞き出そうとして向き直った。

 その時だ。

 物凄い突風が吹き、ぼくは吹き飛んだ。

 一メートルくらい飛ばされ、着地しようとして力を入れた足を地面が拒絶した。土が崩れ、バランスを崩して、そのまま、崖下に転げ落ちて行った。

 最後に見たのは、梓のよろける姿と、蓮がぼくに手を差し伸べる姿、そして、二人の向こうで風にはためく紅い旗だった。


 * * *


 ぼくは、ゆっくりと目を覚ました。

 太陽が沈みかけていたのに、すっかり昇っている。

「イタッ!」

 体中のあちこちが痛み、少し動かすだけで激痛が走る。それでも暫く動かずにいたら、歩ける程度にはなった。

 ぼくは、時間をかけて崖を上った。

 崖から落ちる前、あの梓と蓮の後ろに、紅い旗が立っていた。紅い旗は、功歩軍の証だと蓮に習ったことがある。だけど離れていたし、確信はない。

 もし万が一功歩軍だとしても、梓は強い。

 能力者でもあるし、蓮だって槍の腕はピカイチで男にだって負けないんだ。

 旗の近くに立っていたのはせいぜい五、六人に見えた。

 それくらいの相手なら、あの二人が負けるはずがない。

 今頃ぼくを探してくれている――。

 ぼくはそう信じて疑わなかった。


 崖の上に手をかけた時、嫌な予感がした。

 ぬるっとした液体に触れたんだ。

 恐る恐る、手を戻して窺い見ると、手のひらは真っ赤な色をしていた。

 だけど、ぼくはそんなはずはないと言い聞かせた。

 これはきっと鬼どもの血なのだ――と。

 

 早鐘が鳴る。心臓がドキドキと脈打った。

 嫌な予感がした。とても嫌な感じだった。

 ぼくは振り切るように頭を振って、意を決して崖の上に躍り出た。

(ああ――)

 蓮はぼくの目の前にいた。

 

 自分の愛槍で首を貫かれ、木に打ち付けられるようにして、蓮はぼくを見ていた。

 空ろな、なんの光も映していない眼で。

 梓はぼくの足元に、投げ出されたように転がっていた。

 梓は滅多打ちにされたように、体中に切り傷をつけて、顔までズタズタで、胸にぽっかりと穴を開けていた。

 梓は鎧を身に着けていたけど、蓮は裸だった。

 姉と同じだ。

 

 きっと、梓は手に負えないから先にさっさと殺してしまい、連は鬼どもの慰み者にされたのだ。

 その後、首を一突きに……。

 二人のそばに、三体の鬼の死骸が転がっていた。

 二人が抵抗した跡だろう。

 ぼくはしばらく黙ってその光景を見ていた。

 涙も出なかった。

 ぼくの中に在ったものは、自分への怒りと、鬼どもへの執着だけだった。


――功歩の人間を根絶やしにしてやる。


 ぼくは、再び復讐を誓った。


 * * *


 それから二年、ぼくは美章中を旅して回った。

 功歩軍の進行状況を調べては、鉢合わせするように出向き、片っ端から殺して回った。と言っても、軍本部とぶつかる事はしなかった。

 そんな事をすれば、根絶やしにする前に自分が死ぬ事ぐらい分かっていたから。


 ぼくの能力は、それは便利な物だった。

 自分の意思で自分の血液を操る場合、切り傷をつけなくても体から出し入れができ、その際体が傷つく事はない。

 形状も自由に変える事が出来た。

 自分の血液のみならず、他人の血液も操れる。

 少し負傷させれば、そこから出血多量になるまで血を引き出したり、その血を使って人体を貫いたりもできる。

 つくづく人殺しに向く能力だ。

 

 それでも死ぬような思いも何度かした事があった。

 特に、能力者同士の戦いの時は注意が必要だった。

 旅する過程で、ぼくは白星がなんなのかも知った。

 

 初めは、ぼくは功歩の人間じゃない! 一緒にするな! という思いが強かったけど、段々どうでも良くなっていった。

 美章の人間も大嫌いになったからだ。

 大嫌いな人間に、何を思われようが言われようがどうでも良かった。

 それでも容姿をさらしていると罵倒され、情報収集に支障が出るから、ぼくはフードを目深に被るようになった。

 時には明確な殺意で刃物を振り下ろされたこともあったしね。

 

 ところで、ぼくは旅をして気づいたことがある。

 ぼくはとんだ〝坊ちゃん〟だったんだってことだ。

 ぼくは、姉と村の皆に愛情を注がれて、差別されることなく暮らし、村から出てはいけないと規則を作って守られ、蓮と梓と東條に匿われ、大切にされて生きてきた箱入り息子だった。


 外の世界は、醜く過酷だ。

 戦争孤児が溢れ、町ではお稚児が客を引いていく。

 ぼくが東條に保護されていなかったら、能力者じゃなかったら、きっと同じ道を歩んでた。

 そして、ケツの穴を広げられるよりもひどい目に遭わされ、いつかは殺されていただろう。――この容姿のために。


 ぼくは、皆に守られていた弱くて甘ったれた坊ちゃんだった。

 姉にクローゼットの中に隠され、庇われ、蓮と梓の足を引っ張った。

 ぼくはクソみたいな人間だ。

 そんなクソみたいな人間でも、できる事がある。

 

 ぼくは美章を旅して回りながら、功歩軍の風使いの情報も掻き集めた。

 そいつがいる隊が蓮と梓の仇だからだ。

 必ず仇をとって、そして功歩の全てを壊してやる。

 

 そして、その時はついにやってきた。

 風使いの男が見つかったのだ。

 

 ぼくは年齢を偽り、美章の募兵に志願した。

 そして希望通りにその戦地へと配属された。

 

 見裂ヶ原――。

 そこが、ぼくの復讐の舞台だ。



 * * *



 黒田の話を聞いて、ゆりは茫然としてしまった。あまりにも壮絶で、あまりにも哀しくて。

 黒田は、黙って遠くを見ていた。ゆりには、昔を想い出しているようだったし、何も考えていないようにも見えた。その表情からは、辛さは感じられない。でも、きっと辛いとゆりは思う。


 思わずゆりは、泣きたくなった。だが、泣いたら黒田に失礼な気がして、彼女はぐっと気持ちを堪えた。

 私がもし、お姉さんや梓さんのような目に遭ったら、考えただけでもおぞましいし、怖いとゆりは追想して、同時にこの世界ではそれは三年前まで当たり前の光景だったのだと自覚した。

 そしてそれは、この世界だけじゃない。

 ゆりがいた世界にも、内紛があって多くの人が虐殺されたことがある。それは今も続いている。ゆりは、イヤだな。戦争なんてと思っただけで、そこでどんな目に遭った人がいるかなんて今の今まで考えたこともなかった。


 その事実に気づいて、ゆりは急に後ろめたい気分になった。

この世界に来て、今日まで、戦争のセの字も感じずに来た。ここでの暗しは、勝手は違えど平和そのものだったからだ。

 だが、凛章は治安が良いだけで、いまだに復興できていない町や村があるかもしれない。

 そして、そこに住む人々の中にも、心や体が癒されていない者がいるんだと、ゆりは黒田を見つめた。


(そう……。クロちゃんのように……)


 大切な人を目の前で失った黒田は、どんなに苦しかっただろう。

 稲里の集落の者に差別され、罵倒された『白星』という意味を知った時の彼の気持ちは、どんなものだっただろう?

(きっと、私だったら、哀しくて、怒ったと思う。自分が心底憎いと思う人と同じだなんて言われたら……)

 ゆりはそう考えて、ハッとした。

(ああ、そっか……)

 そしてまた泣き出したくなった。涙で視界が滲む。でも、上を向いて堪えた。


「ごめんね」


 声が震えなかったのが、なんだか少し救いに思えた。

 突然の謝罪に、黒田は意識を戻したように、ゆりを振り返った。


「え?」

「私、クロちゃんに酷いこと言った。クロちゃんの容姿が好きだって」

「ああ」


 黒田は思い出したような声を上げた。

 まるで全然気にしていなかったようだった。

 思わず訝るゆりに、黒田はちょっと苦笑して、


「ぼくはさ、確かに自分の姿形は嫌いだけど、美章の人間に罵倒されるのはもう何とも思わないんだよ」

「え?」

「だってぼく、美章の人間のこと、何とも思ってないから。何とも思ってないやつに何を言われたって何にも響かないよ。虫に何か言われたとしても、別に腹は立たないだろ? ああ、虫が何か言ってるや~。話せるなんて立派だね。って、そんな感じに思うだけでしょ?」


 明るく飄々とした調子の黒田だが、本音を言えば、別の感情もあった。

 美章の人間に差別されても気にしなくなったわけではない。


 黒田は、いつか復讐してやると心根で決めていた。

 だからこそ、世界を壊してやる――という本音が、あの時に漏れたのだ。

 それを、彼はゆりに語りながら自覚した。

 今までは、漠然とした思いがあっただけで、本当はずっと人間自体に憎悪していたのだ。


「でも、私が初めてクロちゃんのフードとった姿見た時……」

「うん。だからさ、キミは違ったって事なんだよ」

「え?」

「……ぼくがあの時、キミが踏み込んで来るのを拒んだのは、キミが白星という意味を知って、ぼくを否定したら……。そう思うと、ちょっと怖かったんだよね」


 そう言って、黒田は少し恥ずかしそうに笑んだ。

 視線を外して、罰が悪そうに耳を掻く。

 ゆりに、他の者達と同じように白い目を向けられたら、同情されたら……そうなるのが怖かった。

 だから黒田はあの時、自分の話題を出して欲しくはなかったのだ。


「何も知らないままでいて欲しかったんだ。ぼくの事も、この世界の事も、何も知らないままで……」


 だけど、ゆりは踏み込んできた。

 同情ではない――黒田を好きだから関わりたいのだと言ってくれた。

 だから、黒田はゆりを受け入れた。

 それでも、自分のしてきた事を全部話せば、ゆりは逃げて行ってしまうのではないかという恐れがあった。


 平和な世界からやってきた少女は、自分の戦歴をどう思うだろうか?

 恐ろしい、汚らわしいとは思わないだろうか?

 今も、そんな不安は尽きない。


「私、クロちゃんには悪いけど、この世界の事もクロちゃんの事も、もっと知りたいと思ってるよ」


 突然、意志の強い声が黒田の耳に届いた。


「知った上で、この世界も、クロちゃんも好きだって言いたいもん。

 そりゃ、知ってどうなるかなんて分かんないよ? でも、少なくとも今の話を聞いて、クロちゃんを嫌いになる要素はどこにもなかったよ」


 黒田の中で、暖かいものがわっと湧き出た。ぎゅっと口を結んで、泣き出しそうになるのを堪える。

 ゆりの胸にぶら下がった黄色い石を見つめた。

 その視線に気がついて、ゆりは石を手に取った。


「それさ、姉ちゃんがくれたんだ」

「え?」

「行商に行く時に皆がぼくの面倒を見てくれたけど、ぼくはやっぱり寂しくてさ。駄々を捏ねた日があったんだ。その時にくれたんだよ。これで、いつも一緒だねって。お母さんから貰った物だから大切にしなさいよって」


 姉の形見だなんて重いかなと、ゆりを慮ってずっと言わなかった事を自分でも驚くほど、明るく懐かしんで告げられた事に、黒田は内心で驚いていた。

 ゆりは、まじまじとペンダントを見つめた。


(そうか、これはお姉さんの形見だったんだ……。あの時捨てなくて良かった)


 ゆりは泉で泣いた後、福護石を泉に投げ捨てようと思った事がある。

 だが、思い留まって止めたのだ。

 心底安堵した。

 あの時捨ててしまっていたら、悔やんでも悔やみきれなかっただろう。

 

 同時に、あの時の黒田の自分への思いは、自覚していないながらも本物だったのだと知って嬉しさがこみ上げた。


「私、大切にする」


 ペンダントを見つめながら、噛み締めるように呟いたゆりに、黒田は静かに頷いた。


「うん」


 やっぱり自分は、この娘が好きだと、ぽつりと思った。

(もしもあの人に、好きな人が出来たんだと報告したらどんな顔するのかな?)

 黒田はふと思った。

 そして、少しだけ切ない気持ちで、自身の〝父〟を追想したのである――。






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