召還されました
加筆修正しました。
「なんでもっと早く起こしてくれないの!?」
半べそをかきながら、私は家を飛び出した。車に乗り込む途中のお母さんに八つ当たりすると、お母さんは呆れながら、
「何回も起こしたわよ!」
と、口調を強めた。
「気をつけて行くのよ!」
「うるさいなぁ! 分かってるよ! 行ってきまーす! お母さんも気をつけてね」
走りながら手を振ると、お母さんは笑って手を振りかえした。
お母さんは私が高校に入学した年に仕事に復帰した。ってことは、もう一年前になるのか……。バリバリのキャリアウーマンだったらしいお母さんは、今も結構会社に頼りにされてるみたい。もちろん結婚前とは別の会社だけど。
私はそれがわりと誇らしかったりしちゃうんだなぁ。言わないけどね。
「うわああ……。それにしても、また遅刻だよぉ!」
全速力で足を動かす。それこそ、死に物狂い。
私、なんでこんなに寝るのが好きなんだろう。あとが大変って分かってるのに、中々目覚ましどおりに起きれない。この寝坊癖だけは、一生治りそうもない。
「ゆり! まぁた遅刻か?」
突然背後から、からかう声が響いた。振り返りざまに自転車が通り過ぎて行く。
自転車を漕いでいたのは、ショートカットの少女。大島かなこだ。私の、親友。っていうか、悪友?
二人でくだらないことばかりしてる。というよりは、かなこが悪ふざけをして、私が止めて。それを漫才みたいだって、他の友達が周りで爆笑してる。そういう間柄だ。
「自分だって、遅刻ギリギリのくせにー!」
私が声高に言い返すと、かなこは高らかに笑いながら自転車を猛ダッシュで漕いだ。
「ハーッハッハハ! 一足早く、学校で待ってるぞ! さらばだゆりよ!」
「いつの時代の人なの!」
私が突っ込むと、かなこはまた高笑いしながら豆粒みたいに小さくなっていった 。
「まったく、もう!」
私は誰にするでもなく怒って見せて、そのあとすぐにふと笑みがこぼれた。かなこって、本当に面白い。こっちまで元気になっちゃうんだよなぁ。
「おはよう。谷中さん」
可憐な声がして、春の季節にぴったりの桜色の自転車が通り過ぎる。振り返って微笑んだ彼女の薄紅色の頬を、長くてやわらかそうな茶色の髪がなでる。
沢辺さんだ。
「がんばって」
小さくガッツポーズをして、沢辺さんは手を振った。私は反射的に手を振り替えしたけど、小さくなってしまった。
前を向き直り、走り去る沢辺さんを見送る。
「相変わらず、すっごい可愛いなぁ」
沢辺さんはクラスどころか、学校の人気者。美人なのに気取ってなくて、気さくで、優しくて、男子はもちろん女子にも好かれてる。
幸いなことに(?)同じクラスだし、女の子同士で遊びに行ったこともあるけど、どうしても憧れが先行しちゃって友達って感じにはなれない。世界が違うって思っちゃう。だって、女優さんみたいにキラキラしてるんだもん。
「私は必死こいて走ってて、あっちは自転車ですいすいだし?」
誰に言うでもない自嘲ジョークで苦笑いして、私はまたスピードを上げた。そのとき、
「~~~~~」
「え?」
耳元で、誰かが何かを言った気がした。びっくりして振り返るけど、そこには誰の姿もない。
家が規則正しく建ち並び、真っ直ぐに伸びた道路があるだけ。
車は通る気配すらない。まさしく閑静な住宅街ってやつ。
「なんだろう、今の?」
朝起きてすぐに走ったからかな? でもいつもは空耳なんてないのに。男とも、女ともつかない声音だった。
「変なの!」
私がそう吐き捨てた瞬間だった。
前方から、アスファルトの地面が急に黒く暗く染まっていった。
「なに!?」
驚いた私を、前から歩いてきていたスーツ姿の男性が不審な目で見た。
(いやいや、地面、変ですよね!?)
きょろきょろする私を、男性はさらに怪しげに見て通り過ぎてしまう。
「なんで!?」
思わず叫んだ私を、ちらりと振り返り、男性は首を傾げて歩調を速めた。
「完全におかしいやつだと思われた……でも、」
明らかにおかしい。
前方どころか、真っ直ぐに続く後方もすでに真っ黒な地面になってるのに、男性はまるで気にしてない。そのまま住宅の角を曲がっていってしまった。
「……私にしか、見えてないの? 幻覚?」
不安に押しつぶされそうになった瞬間、あっという間に闇は横に広がり、それまでもが黒く塗りつぶされた。
「やだ……なんなの?」
恐怖ですくんだ私の足を、何かが掴んだ。
「キャア!」
地面の闇が蠢く影のようになり、私の足に絡みついてくる。
「いやぁー! 助けて!」
叫んだ途端、影に全身を捕まれてしまった。
* * *
頭がぼうっとする。
まるで、眠ってる途中で起こされたみたい。
「う、ん」
まだ寝てたいんだってば。
私は、寝返りをうとうとして、ハッとした。私、立ってる。寝転んでるわけじゃない。
ばっと目を開けると、そこは真っ白な空間だった。
あたり一面、真っ白な世界。どこまでもどこまでも、白が続いている。
「まるで、果てがないみたい……」
ぽつりと口にして、ぞっとした。
「ここ、どこ? どういうこと?」
混乱して、辺りを見回す。振向いた瞬間、思わず悲鳴を上げた。目の前に、顔があったから。
「キャアア!」
目を強く閉じて、後退した途端、腰が抜けた。尻餅をつく。バクバクと音をたてる心臓。騒ぎ出したい唇を両手で押さえつけて、パニックなまま、目を開けた。
恐る恐る見上げた目の前の誰かは、男だった。
銀色の鎧、中世のフランスだかイギリスだかの人が着ていたような鎧に、真っ赤なマントを羽織った中年の男性。
少し細めの鎧兜からは、口髭を蓄えた、どこにでもいそうなおじさんの顔。西洋の鎧だからといって、外国人なわけではなさそうだった。
(コスプレ?)
心の中で呟いて、私は震える足で立ち上がった。まだ、心臓がバクバクしてる……。
「あ、あの……こんにちは」
「……」
おじさんから反応はない。虚ろな瞳で遠くを見ている。
あいさつくらい返してよ。内心、ちょっと拗ねながら、私はもう一度話しかけた。
「あの、ここってどこかご存知ですか? 私、いつの間にかここにいて」
「……」
「あの……? すいません……?」
「……」
やっぱり返事はない。
(なんなの……)
おじさんをじろじろと見た。
「あれ?」
妙な違和感が芽生えた。
おじさん、さっきから瞬きを一度もしない。それに、息を吸ったり吐いたりしてる様子が微塵もない。
「え……もしかして、死んでる?」
そんなわけない! 否定しながらも、不安が胸を過ぎる。そういえば、血色も物凄く悪い。まるで、血が一滴も血管を巡ってない見たい。
「いやいや、そんな! 気のせい気のせい!」
(でも、普通、これだけ目の前で騒いでたら何か反応するよね?)
私は唾を飲み込んで、改めておじさんをちゃんと見る。そして、意を決して話しかけた。
「こんにちは!」
お願い! 反応して!
だけど、おじさんは微動だにしなかった。虚ろな目は、何も映してないみたい。
「どうしよう……やっぱ死んでる。――そうだ! 救急車! 警察!」
慌ててガサゴソと鞄を探る。その時だった。ゆらりと、おじさんの体が動いた。
「へ?」
顔を上げると同時におじさんが私に向って倒れこんでくる。髭が目の前に迫る。
「わわわっ! ちょっと!」
いやぁ! ――ぶつかる!
「死体のおっさんとぶつかるなんてヤダァ!」
思わず叫んで、強く目を瞑った。でも、いつまで経っても体に衝撃が来ない。
「……あれ?」
目を開けると、白い空間が現れた。おじさんが、いない。
「え? なに、どういうこと?」
白い空間には誰もいない。目が眩む白だけが広がる。そこに、私ひとりだけ……。急に、不安がどっと押し寄せてきた。
こんなとこで、私、たった一人で、どうしたら良いの?
「誰か、誰か、いませんか!」
叫び声は白い空間に吸い込まれ、反響すらしない。反響しないってことは、跳ね返るものがないってことで……。
ぞっと背筋が凍る。
ここ、どこまで続いてるの? 本当に、果てがないの?
泣き出しそうになって、私は叫んだ。
「助けて! 助けてください!」
さっきのおじさんでも良いから、出てきてよ! いや、でも、死体は嫌だけどっ!
「誰かい――」
――ませんか。
口にしたつもりの言葉は、胸が痞えて出なかった。ずるりと足元を何かが這ったから。ぎゅっとした緊張が走る。
ただ白いだけだった空間、地面は確かにアスファルトみたいに硬かった。なのに、今は煙が立ち昇り、どこかに向って動いている。足元が波打ち際の砂の上みたいに揺れる。
まるで、生きてるみたい。
あっという間に煙は渦を巻き始めた。そして、白い渦は私の目の前でぴたっと止まる。嫌な予感がして、私はやっと、足を後退させる。振り返って、呼吸が止まった。後ろの空間もすでに白い渦となって、私のほうを向いていた。
気がつくと、左右も同じだ。
「なに、なに、なに、なに――」
パニックった瞬間、白い渦が私に向って突進してきた。
「キャアア!」
悲鳴と同時に四方の白い渦は、私に体当たりした。
あっという間だった。瞬く間もなかった。全ての渦は私の身体に〝侵入〟した。次ぎの瞬間、目の前が急に真っ暗になった。
(え? 気絶した?)
一瞬、混乱が頭を支配した。
(……違う)
きらっと何かが光ったと思うと、のっぺりとした巨大な月が私の真横に現れた。
(月? 夜? だって、朝じゃ……)
月は、どんどん遠ざかっていく。それでやっと、叩きつける強風が意識の中に入ってきた。猛烈な風が頬を引き上げて行く。髪が月に向かって昇ってる。
どういうこと?
(――え、私、落ちてる!?)
私は自分が空から落下していることに、やっと気がついた。
「キャアアアアア!」
発狂した途端、ぐるりと世界が回った。見上げていた月がいなくなり、代わりに真っ暗な景色が目に飛び込む。目を凝らしてよく見ると、それは広大な森だ。
叫ぼうとして、息が詰まる。風が喉に侵入してくる。苦しい。叫べない。
(どうしよう、どうしよう、どうしたら良い!? このままじゃ、死んじゃう!)
涙が、零れるそばから天に舞う。
(誰か、神様、助けて!)
祈ったとき、何かが地面できらきらと光った。
(なんだろう)
私はぐんぐんそれに近づいていく。
(あれ、あれは……)
気づいたときには、絶望が胸を占めていた。
それは、月明かりに照らされた瓦屋根だった。
神社かお寺か、日本風の広い屋敷。広大な庭。それらを囲む石垣。暗闇の中で、はっきりと見える。私は、そこに向かって落ちている。
もう、地面は目前だ。
(いや、死にたくない! 神様でも、悪魔でも、魔王でも、何でもいい、助けて!)
助けて!