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私の中におっさん(魔王)がいる。  作者: 月村伊織
第一部
13/111

泉の夜に。

書き直しました。

 戻った廊下でアニキにお茶に誘われた。でも、部下だと言う男性がやってきて、アニキに用事があるようだったので、私はとっとと退散した。


 部下の男性は少し強持てだった。

 胴の部分にだけ鎧をつけていたから、多分軍人だろう。


 そのまま中央の部屋に戻る気になれなくて、私は西区画からふらっと東区画へ転移した。結さんとはまだ話をしたことがなかったから一度くらいゆっくりと話してみたかったからなんだけど……。


 私は廊下の角からきょろきょろと辺りを見回す。

 雪村くんに見つかって、あの捨てられた子犬みたいな瞳で見られたら、今度こそクロちゃんもいないし、許してしまいそう。


「谷中様?」


 びくっと肩を竦めて振り返ると、訝しい表情で風間さんがこっちを見ていた。


「ふ、風間さん!」

「どうなさったのです?」

「あの、えっと……そのぉ」

「ああ」


 ピンとした様子で呟いて、風間さんは眉尻を下げた。


「申し訳ありません。まだ帰る方法が見つかっておらず……谷中様には大変お寂しい思いをさせてしまっていますよね」

「いいえ! そのことじゃなくて!」


 私は慌てて手を振る。

 そのこともあるっちゃあるけど、今日は催促に来たわけじゃない。だいいち一生懸命かえる方法を探してくれてる人を責めるようなことは出来ないよ。


「ああ……。では」


 新たにピンと来たことがあるみたいで、風間さんは再び申し訳なさそうにする。


「谷中様、お風呂の件、申し訳ありませんでした」


 風間さんは勢いよく頭を下げた。


「そんな、風間さんが謝ることじゃないですよ」

「いいえ。主の不始末は私共の不始末です。ですが、谷中様、ひとつだけ言わせていただきたいのですが、雪村様は覗きや下着泥棒など、そんな卑劣なことは絶対しない方です」

「え?」

「絶対にできません」


 真剣な眼差しで見据えられて、私は思わず頷きかけてしまった。

(イカン、イカン!)

 首を振って、なるべく毅然と風間さんを見る。


「どうして、そんなことわかるんですか?」


 風間さんはなおも真剣な眼差しを向ける。


「谷中様は、覚えておいでですか?」

「なにをですか?」

「雪村様が鼻血を出して倒れたことをです」

「ああ……」


 あったな、そんなこと。


「それがなにか?」

「雪村様は、純情なのです」

「純、情?」


 頬が引きつってしまう――純情って。


「あなたに近づかれただけで、ああです。そんな人が下着など盗んだら即倒するでしょう。ましてや裸体など見れば、即死する勢いで鼻血を撒き散らすに違いありません」


 女性に免疫のない人だったら、まさしく純情であったとしたら、それもそうなのかも知れないけど、雪村くんがそうという確証はどこにもない。

 でも、この一ヶ月の彼の言動を見てると少し納得してしまいそうになる。

 私は腕を組んで、わざとしかめっ面を作った。

 風間さんの白い手袋に覆われた手が、私の腕の上にそっと置かれる。


「信じて下さい」


 風間さんはとても真剣で、どこか必死な瞳で私を見つめた。いつもの、柔和な表情はどこにもない。その表情に、私は思ってしまった。

 嘘じゃないって。


「……はい。信じます」


 とうとう根負けしてしまったけど、なんだか重荷が取れたようでほっとする。ずっと誰かを許さずいるのは、意外とつらいことだったんだ。

(根負けした相手が雪村くんじゃなくて風間さんっていうのが、なんとも言えないけど……)

 ふっと笑いが洩れる。風間さんは、安心したのか胸を撫で下ろした。そして、にこっと笑う。


「良かった!」


 その表情を見て、私はなんだか、不思議な感覚を覚えた。

 はじめて、風間さんの笑顔を見たような気がした。

(変なの、風間さんのすてきな笑顔なんてしょっちゅう見てるのに……。その度に萌えをありがとうと感謝してるくらいなのに)

 

「谷中様は、どうして東の区画に?」

「えっ、ああ。結さんに会いに来たんです」

「結に?」


 風間さんは怪訝に眉を顰める。


「一度も話したことがなかったので。多分年も近いと思うし、友達になれたらなって」

「申し訳ありませんが、結は今仕事で出ているんですよ」

「あ、そうなんですか……」


 残念だけど、仕事ならしょうがない。


「明日ならば戻ってきますが、いかがいたしますか?」


 察したのか、風間さんが提案してくれた。

 やさしいなぁ。あいかわらず美しいお顔だし。


「じゃあ、明日にします」

「伝えておきますね。明日は屋敷の中に居させますので、いつでもきて下さい」

「はい」


(楽しみだな!)

 自然と胸の前で手を組むと、それが視界の隅に入って、はたと気づいた。


 さっきは、風間さんの真剣な表情に意識がいって、あんまり帰してなかったけど、さっきまで風間さん私の腕触ってたんだよね!?

 あ~! おしいことしたっ! もっと腕に意識集中させておけば良かった! 全然感触が思い出せないっ!


「どうかなさいました?」

「へ?」


 不意に我に帰ると、風間さんはくすっと小さく笑った。


「お顔がくるくると変わっておいででしたよ。何か残念なことでもございましたか?」


 どことなく意地悪そうな口調に、ボッと火のように頬が熱くなる。


「いえ、あの、そんなことは全然ありません!」

「そうですか」


 風間さんは、にこりと爽やかに笑んだ。

 もっと頬が熱くなりそうになって、私は話を切り替えた。


「あ、あの。雪村くんって、女の人が苦手なんですか?」

「……はい?」


 風間さんは明らかに怪訝な表情で首を傾げた。


「……雪村様は、女性が苦手なわけではありません」

「そうなんですか?」

「ええ」

「でも、女性が苦手だから覗かないとか、鼻血を出すっていう話でしたよね?」


 風間さんは何故か一瞬だけ固まったようになって、ふと真剣な瞳を向けた。その眼差しに、私の胸は自然と高鳴った。


「よく聴いてくださいね」

「……え?」

「貴女が、好きなんです」


 目の前が真っ白になる。

 ドキドキと高鳴る鼓動が、煩いくらいに耳を騒がせた。

 信じられない。


「えっ……あの、えっと」


 言葉がバカみたいに出てこない。

 あの優しくて、かっこよくて、紳士的で、笑顔がステキ過ぎる風間さんが私を好きだなんて――。


「雪村様が」

「……え?」


 今、なんて言った? 


「雪村様は仰いませんでしたが、一目惚れでしょうね。その後の態度を見ていても解ります。谷中様にしか、あのような態度は取られません」


 …………。


「どうかなさいましたか?」

「……えっと、あまりのことに、ちょっと……」

「そうですよね。申し訳ございません。突然そのようなことを言われれば、戸惑わせてしまいますよね。ましてや、主の気持ちを吐露するなど……執事失格でした」


 バッと頭を下げる風間さんのつむじを見下ろす。風間さんって、つむじが二つある。めずらしいなぁ。


「気にしないで下さい。私、すいません。用事があったのを思い出したので、戻りますね」


 なるべく明るく言ったつもりだけど、自分の耳にもその声は棒読みに聞こえた。



 * * *



 ああああああああ。恥ずかしいっ。

 なんつーやらかしだよぉおぉ!


「そもそも、あの完璧な風間さんが私を好きなわけないじゃんっ! バカじゃないの、ゆり!」


 ぐすっと鼻を啜る。溜まった涙を目を瞑ってこぼして、力強く袖で拭った。

 近くでラングルが心配そうに鼻を鳴らした。私は近寄って灰色のラングルを恐る恐るなでる。ラングルは嬉しそうに私の手のひらに顔を埋めた。


「本当に人懐っこいんだ」


 ふふっと笑みがこぼれる。

 私は収容小屋にいた。なんとなく、あのまま中央に戻ったら、誰かしらがいるんじゃないかと思って、おもいきり落ち込めるところを思い浮かべたらここに転移してた。

 もしかしたらさっきアニキに連れてきてもらったからかも知れないけど。


 ふと、アニキの顔が思い浮かんだ。たくましい背中、大きな手のひら、厚い胸板に包まれたならおもいきり泣けそう。でも、アニキにこんなことで迷惑をかけるわけにもいかないし。


「あ~あ! 恥ずかしすぎる……穴があったら入りたい。一生出てきたくない」


 風間さんに勘違いしたってばれなかったことが救いだよ。


「私、こんなことで泣くなんて、風間さんのこと好きだったんだなぁ」


 ぽつりとこぼして、ラングルのおでこに頬をくっつけるとひんやりして気持ちが良かった。

 一目惚れだったのかも。だってあんなに美しい男の人きっとこの世界にだって、私のいた世界にだっていないよ。

 アイドルや俳優に憧れるクラスの女子を今まで、理解出来ないなぁなんて見てたけど、やっと理解した気がする。

 きっと大好きなアイドルの結婚話を聞いた女子はこんな感じよ。

 ショックだったの。

 自覚した途端にフラれた。そんな気分だった。

 だって、風間さんの恋愛感情が、私には微塵もないということが判明したんだもん。あの言い方、絶対異性として意識してない。

 でも速めに判明してよかった。

 傷は負うのなら、浅いうちの方が良い。


「もしかして、毛利さんの告白も勘違いなんじゃない?」


 自嘲して、ため息をこぼす。

 本当にそれも勘違いだったら恥の上塗り過ぎる。

 そもそも私、毛利さんのことどう思ってるんだろ?

襲われたことは、怖かったし……。あれ以上何もなかったぽいのは良かったし……。でも告白されたときは、悪い気はしなかったし……。


「っていうか、告白されたのなんて初めてだったし。それで舞い上がっただけなんじゃない?」


 自問して頷く。


「……はあ」


 深いため息をこぼした。手のひらの下で、もっとなでてくれよ~とラングルが揺れる。わしゃわしゃとなでながら、はっとした。


「そういえば私、間接的に雪村くんに告白されたってことなのかな?」


 そうだとしたら、嬉しい気持ちはあるけど……。


「でも、それって多分、風間さんの勘違いだと思う」


 私に一目惚れなんて、犬くらいしかしないでしょ。沢辺さんじゃあるまいし。

 不意に庭を見ると、もう日が暮れ始めていた。


「そろそろ戻るか。――ありがとね。ラングル。元気でたよ」


 私はもう一度ラングルを撫で回し、呪符を取り出した。



 * * *



 淡いオレンジの光が、中央の縁側に差し込んでいた。そこに突如男が現われた。つま先を縁側につけて着地する。

 栗色の髪が風に揺れた。

 目線を上げると、角のついたフードを被った少年が腕を組んで柱にもたれていた。


「やあ、毛利さん」


 もたれていた背を離し、少年は片手を上げた。

 毛利は不審そうに小さく呟く。


「……黒田」

「毛利さん、彼女のこと襲ったんだって?」

「……」


 にやらと笑いながら、不躾に言った黒田は毛利に近寄った。

 毛利は能面のような表情を崩す事はなかったが、微妙に片方の眉を跳ね上げた。


「どこで聞いた?」

「小娘だよ」


 わざと毛利が呼称している呼び方で言って、黒田は嘲笑を浮かべた。毛利は感情のない瞳を向ける。


(こんな時でもそれですか)


 黒田は内心感心したが、面白くないという思いも混じる。


「あれですか、やっぱお堅い仕事だし、毛利さん独身だから溜まってたの? 遊びとかしなそうだもんね、アンタ」


 からかいと軽蔑が混じった笑みを浮かべる黒田に、毛利はやはり能面のような目を向けた。


「――ああ。それとも、試しに行ったの?」

「……」


 冗談めいた声色だったが、黒田の瞳は核心を得るように燃えた。僅かに毛利の眉尻が上がった。黒田はそれを見逃さなかった。

 毛利が恋愛以外の他の方法がないかと試しに行った事を黒田は推測していた。そしてそれは今、確信へと変わった。


(案外わかりやすいんだなぁ、この人)


 心の奥で密かに笑う。勝利のような優越感が黒田の中にあった。思えば、案外情に優しいんだねと、毛利を揶揄した時、毛利は怒りをあらわにした。


 その人が何に対して怒りを覚えるのかを知ることは、とても重要な事だと黒田は考えていた。

 毛利が怒りを示したのは、優しいと言われたことに対してだ。


 ともすれば、この人は『優しい』と思われたくないということだ。能面のような表情も、それしか出来ないわけではない。僅かながらに表情がある。

 それから察するに、毛利は是が非でも知られたくないのだ。自分の内面を――。


 そう確信して、黒田は哂う。

 毛利の内情を知れた喜びを、確定した事柄を、表情に出さずに実に愉しく笑んだ。だが、黒田の優越は長くは続かなかった。


「では、これは聞いたか?」

「ん?」

「口付けをしたぞ」

「だから、それは――」

「今朝な」

「……今朝?」


 急に真顔になった黒田に、今度は毛利がごく僅かに口の端を持ち上げた。


「一度目はともかく、二度目は〝ゆり〟もその気だったみたいだな」

「……」


(――ゆり……)


 その名を毛利から発せられた途端、黒田の内で渦巻く物があった。

 それが何なのかはすぐには解らなかったが、彼の顔に怒りの色が漏れ始める。


 それを見て、毛利は「ふっ」と鼻で笑ったように見えた。

 黒田は一瞬ムッとした表情をし、すぐに興味をなくしたように振舞った。


「あっそ」


 毛利は黒田を一瞥して、その場を無言で立ち去った。

 残された黒田は、苛つかせた表情を浮かべながら留まっていた。


「ミイラ取りがミイラになったな」


 にやりと口の端を持ち上げた毛利を黒田は知らない。



 * * *



 空間が歪んで、縁側が映った。足を出した先に、クロちゃんが立っていた。眉根を寄せて不機嫌そう。だけど、私に気づいた途端に和らいだ。


「どうしたの?」

「うん。待ってた」

「うん?」


 小首を傾げる私に、クロちゃんは無邪気に笑いかけた。


「どこ行ってたの?」

「ドラゴンの収容小屋だよ」

「あそこか。あんなとこ楽しい?」

「楽しいよ。可愛かったし」

「そ」

「あっ、昼間クロちゃんのラングルも見たよ。シンディ」

「シンディは美人だろ」


 ふと優しい顔で微笑んだ。

(へえ、クロちゃんってこんな顔もするんだ)


「うん。シンディって赤くてキレイだよね」

「まあね。それに気高いんだよ」


 誇らしげに言ってクロちゃんは、にこっと笑った。


「これ、あげるよ」


 ポケットから取り出したのは、黄色い小さな石がついたペンダントだった。余光の淡い光が僅かに反射して、きらりと光る。


「良いの?」

「うん。これ渡そうと思って。これね、ウチの国では有名な石で、福護石ふくごせきっていうんだ。これを持ってる人は、不幸から護られるんだって。代々大切な人に渡すならわしなんだ」

「へえ」

(ん? 大切な人?) 

「キミがちゃんと帰れるように」


 ふわっと笑ったクロちゃんの言葉に、心がわっと温かくなった。

 嬉しい。自分が帰れることを願ってくれる人が、自分意外にもいることがたまらなく嬉しかった。


「……それでね、あの……言いにくいんだけどさ」

「うん?」

「もしかして、毛利さんがキミのこと好きだとかって思ってたりする?」

「え?」


 図星を点かれて、胸が高鳴る。


「――あのね」


 クロちゃんは突然声のトーンを落とした。窺うような目線からは、詫びるような感情が窺えた気がした。


「そういうことじゃ、ないんだよ」

「……え?」


 クロちゃんはすがるような瞳で見て、私の両腕を抑えた。覗き込んで、眉根を寄せる。


「毛利さんは、キミの中の魔王が欲しいだけなんだ」


(は? どうして? どういうこと? えっ、あれって告白じゃないの?)


 頭が追いつかない。


(私、また勘違いしたってこと?)

「あのね。冷静に聴いて欲しいんだ」


 宥めるように言って、クロちゃんは真剣な表情で私を見据える。真っ直ぐな瞳に射抜かた気分になる。


「ぼくらは、はじめキミが白い空間の中で見たって言うおっさんの死体の中に魔王を入れようとしたんだ。でも、何故かキミの中に入っちゃって」

「それは知ってる」


 口を挟んだ私に相槌を打って、クロちゃんはとんでもない話をした。


「それでね。じゃあ、キミを手に入れて思うように動かそうって。キミを恋に落とした者が魔王を手に入れるんだって――風間さんが」


 まさか。あの温和でやさしい風間さんが、人を弄ぶような提案なんてするはずない。クロちゃんってば、何の冗談なの?


「だからね、毛利さんのことも、そういうことなんだよ」


 クロちゃんは強い瞳で私を見据えた。

 頭が真っ白だ。なんて言ったら良いのか分からない。冗談じゃない? 本当のことなの?でも、風間さんは――。


「風間さんは私に全然恋愛感情なんてないみたいだったよ? クロちゃんが嘘を言ってるとは思わないけど、でも、そんな話信じられない。それにみんな私を元の世界へ帰そうとしてくれてるじゃない」


 クロちゃんから目をそらした。掴まれている腕に力が入って、無理矢理目線を合わせられる。真剣で、必死な目。私はまた、目を逸らす。


「風間さんはそうだよ。風間さんは三条雪村の執事だよ? 執事が主を差し置いて賭け事に興じたりする?」

「賭け事……?」


 思わずクロちゃんを見た。


「そうだよ。キミを一番に落とした人が魔王を手にするってことは、そういうことでしょ?」

「ゲームってこと……?」


 ぽつりと呟いた途端、改めてショックが襲う。


「それに、言い辛いんだけど」


 クロちゃんは言葉を濁して、不意に目線を下げた。

(なに? なんなの? これ以上何があるって言うの?)

 不安が渦を巻く。


「キミは、一度でも風間さんや他のみんながキミを元の世界へ戻すために何かをしてるところを見たことがある?」

「……それは」


 たしかに、一度もない。


「風間さんは口で探してるっていうばっかりじゃなかった?」

「そう……そうだった」

「でしょう? 帰すつもりなんて、最初っからなかったからだよ」

「そんな……!」


 声が悲痛に歪む。


「じゃあ、私は最初から騙されてたってこと?」


 パニックになりそうな私の腕を、さらに強くクロちゃんは握りしめる。そして、残酷なほどはっきりと頷いた。

 ショックが全身を駆け抜けて、空になった頭に血が上る。


「じゃあ、クロちゃんもそうなの!? 親切にしてくれたのも、このペンダントをくれたのも――そのため!?」

「違うよ! そんなわけないだろ! もしそうなら、こんなこと言ったりしない!」


 握っていた腕を引き寄せられて、力強く抱きしめられた。回された背中が痛いくらいで、押し付けられた胸板が硬くて、まだ子供で、線が細くて、力なんて全然ないと思ってたクロちゃんは、しっかりと男性だった。


「そうだろ?」


 耳元で、懇願するように囁く。

(そうだよね。私を騙して魔王の力を思うようにしたいなら、そんなことを告げるわけがない)

 ほっとして、目を閉じる。

(クロちゃんだけは、信じても良いんだ)


「乗せられるな、馬鹿者」


 突然響いた険のある声が背中を振るわせた。クロちゃんから離れて振向くと、そこには無表情の毛利さんがいた。


(なんなの、何しにきたのよ?)


 騒いで押し帰したくなったけど、ぐっと堪える。

 握り締めた手のひらが痛い。


「部屋で待っていたが、中々来ないので出てみたら……なに黒田の口車に乗ろうとしている。小娘、貴様は馬鹿か」


 はあ!?


「馬鹿とはなんなのよ! じゃあ、今のクロちゃんの話は嘘だって言うの!? 私を騙して、魔王の力を思うようにしようとしてたって!」

「その通りだ」

「――そ……」


 その通り――?

(開き直るつもり!?)


 唖然とする私に向って、毛利さんは大げさにため息をついた。

 めずらしく、能面のようには見えないけど、今はそんなことどうだって良い!


「貴様の中に魔王があって、それで貴様はどうするつもりだ? 何に使う? お遊戯か?」

「お遊――」

「そもそも、魔王を呼び出すはずだったと最初に告げてある。それぞれの願いのためにだとも、風間は言っていたな? 願いがあって、危険を承知で魔王を呼び出して、貴様に憑依した。事故で貴様の身体に入ったから、はい、諦めますなんてなるはずがなかろうが」


 だからって、だからって――!


「少し考えれば、解ることだろう。何故、事故で呼んだとはいえ、貴様の面倒を献身的にみると思う。見返りが、何故ないと思う。もう一度言う、貴様は馬鹿か」


 絶句した。口があんぐりと開いてしまう。

 頭に血が上り過ぎて、二の句が告げない。


「ちょっと言い過ぎだろ! 大体、ぼくはそんなことに賛成なんてしてないよ!」

「……ほう」


 クロちゃん……。


「大した嘘つきだな。ぼく、あんなん好みじゃないよ。せっかくの魔王帰しちゃって良いわけ? だったか」


 ごく僅かに笑んだだけだったけど、それは明らかに嘲笑だとわかった。


「ぼくはそんなこと言ってないからね。信じて」


 クロちゃんは強く私を見据えた。私はこくりと頷き、毛利さんを睨んだ。


「私は、クロちゃんを信じます!」


 毛利さんは、ほとほと呆れたように深くため息をつく。


「小娘。黒田の戦場での呼び名を知っているか?」

「え?」


(なんなのいきなり)


 戸惑う私に、毛利さんが早く答えろという目線を送った。


「たしか、知将とか、英雄って」

「それは美章での呼び名だ。列国では〝残虐非道の悪軍師〟だ」

「残……悪軍師?」

「ああ。嘘の情報をわざと流し、敵の混乱に乗ず。それは基本ではあるが、こやつはそれだけに止まらない。乗じ襲った敵の死体の耳や目や、鼻を切り落とし、袋に詰め敵方に送る。しかも送らせるのは、鼻をそげ落とした敵方の兵にだ。それが、やつの初陣だ。だがやつの非道はそれだけではない。敵方の商――」

「おい!」


 突如響いたあまりの怒声に身がすくんだ。


(今の声……クロちゃん?)


 恐る恐るクロちゃんを振り返って、思わず固まってしまった。

 怒りに満ちた表情。ナイフのように、鋭い瞳。怖い、これがあの、クロちゃんなの?


「殺すぞ」


 ぞっとした。

 あまりに憎々しげな声音だったから。

(クロちゃん、どうしたの?)


「今のは問題発言だな。貴様が外交という名目でここに居る事を忘れるなよ。また戦争を起こす気か?」


 毛利さんは極めて冷静だった。対照的に、荒れ荒んだ表情で、クロちゃんは叫んだ。

 

「ハッ! 戦争どころかこの世界全てをぶっ壊してやるよ!」


 なんでそんなこと言うの? 意味わかんない。本当に、どうしたの?


「それが、貴様の願いか」


 短く言って、毛利さんは私を見据えた。


「これが、こいつの本性だ。好戦的で、嘘つき。相手より有利に立つことだけが、こいつの欲を満たす」

「うっせえよ、おっさん! わかった口きいてんじゃねぇよ!」


 まるで獣が吠えているように、クロちゃんは叫んだ。苦々しく毛利さんを睨む。


(もう、わけわかんない。これが本当のクロちゃんの姿なの? っていうことは、毛利さんが言うようにクロちゃんも私を騙してたってこと? 何が真実なの? 何を信じたら良いの?)


 クロちゃんを窺い見たけど、毛利さんへの怒りしか読み取れない。全然こっちを見てくれない。


「我々は貴様の中の魔王を狙っている。それを知った以上、どうするか、どうなるかは、我々次第ではない。貴様次第だ」


 毛利さんは踵を返し、歩きかけて振り返った。


「だが、言っておくぞ。俺は必ず貴様を手に入れる」


 決意のような声だった。

 毛利さんはそう言い残して姿を消した。

 おそらく、南の区画に帰ったんだろう。


(あの時の、貴様を手に入れるってそういうこと)


 私は妙な納得をしてしまった。


(貴様って、私の中の魔王って意味だったのね)


 虚しいような、ほっとしたような、なんだかよくわかんない気持ちになって、私はふと苦笑をこぼした。


「なんか、ごめんね」


 不意にクロちゃんが落ち着いた口調で言った。視線を向けると、クロちゃんにはさっきまでの殺気はなかった。


「怖かったでしょ?」

「えっ、ううん!」

「無理しないで良いよ。あははっ、変なとこ見られちゃったなぁ」


 フード越しに頭を掻きながら困ったようにクロちゃんは笑った。


「……あのさ。さっきの話なんだけど」

「……うん」

「本当だよ」

「え?」

「ぼくも賛成してたって話」


 頭が真っ白になる。


「どうせ他のやつに聞いたらばれちゃうんだろうし、先に言っておくよ。最初はたしかに賛成してたし乗り気だった。でも、今はそうじゃない。それだけは、信じて欲しい」


 クロちゃんは強く私を見て、切なそうに笑った。

(信じて欲しい? 一体何を信じろって言うの?)

 本当に、みんな私を騙そうとしてたの?


「……アニキも?」

「アニキ?」

「……なんでもない」


 クロちゃんは怪訝そうに眉を寄せたけど、そっけなく返した。

 もうなにも聞きたくなかった。

 クロちゃんのこと、今は違うんだって信じたいけど、信じられない。信じて良いのか判らない。


 私は、当てもなく駆け出した。

 背後で、クロちゃんが何か言おうとしたのを感じたけど、振り返るつもりはなかった。



 * * *



 私はどこかの区画の廊下に転移した。

 なにも考えてなかったから、どこかはわからない。でも、転移できたということは、無意識にどこかを思い浮かべてはいたんだろう。


 辺りを見回す。

 なんとなく見覚えがある。

 記憶を頼りに移動すると、縁側があって、すぐにドラゴンの収容小屋が姿を現した。

 西の区画だ。


「どうした?」


 不意に声がして振り返るとアニキが不思議そうな表情で立っていた。

 私は思わず顔を伏せる。

 

「もう夜だぞ」


 子供を叱るような声でアニキが言った。

 そこで、ふと気がついた。

 日が沈み、辺りはもうすっかり暗闇に覆われていた。


「……本当に、どうしたんだ?」


 一度もアニキを見ない私を心配したのか、声が不安そうに揺れる。


「……アニキ」


 一言呟いた途端に、涙が溢れそうになった。

(アニキは違うよね?)


「なんだ、どうしたんだ?」


 狼狽する声が背中から聞こえた。


「……本当なんですか?」

「え?」

「私を、恋に落として魔王を手に入れるんだって」


 意を決して振り返った。せっかく堪えた涙が、一滴頬を伝った。


「アニキも?」


 最後の言葉は、震えてしまった。

 アニキは驚いた顔をして、一瞬だけ哀しげに口元を歪ませて、覚悟を決めたように私を見据えた。


「ああ」


 聞きたくなかった。

(そんな肯定、いらない。こんな時にこそ、嘘をついて騙してくれれば良いのに。なんでバカ正直に答えちゃうの)

 そんな風に思う私が、なんだか無性に嫌だった。


 アニキはゆっくりと歩き出し、そして私の横を通り過ぎた。角を曲がって、姿が見えなくなる。


(謝罪も、弁明もしないつもり? それが、男だって、かっこいいって、思ってるわけ?)


 信じらんない。

 ごめんな、その一言があったら、きっとアニキのことは許した。尊敬みたいな感情もあったし、それに……。

 不意に気づいた。


「私、あの人達がいなきゃ、この世界で生きていけないじゃん」


 そうか。だから、謝ってくれたらアニキのことを許そうってどっかで思ってたんだ。

 でも、あの人達は私を元の世界に帰すつもりはない。あの人達の目当ては私の中にある魔王なんだから。


 だけど、このまま許すの? 生きられないから許すの? それで、いつか誰かに心ごと魔王をあげるの? そんなのバカみたい。


「……ふっ、ふっふっふ」


 不意に口から笑い声が洩れる。



「そんなのイヤ! 帰れないなら、せめて魔王はやつらに渡さない! こんなところ出てってやる!」


 呪符で東の区画へ移動し、私は一度潜り抜けたことのある門の前へ立った。ここを通り抜けたらゴンゴドーラのいる危険な森だ。

 でも、ここにいたくない。

 私は門を睨みつけた。右足に力を込めて、走り出す。門に張られた結界は僅かな抵抗を見せたけど、最初に潜った時のような小さな破裂音はしなかった。


 シャボン玉を割れずに通り抜けたような感覚がして、私は門の外に勢いよく駆け出す。坂をあらん限りのスピードで走りながら、不意に笑えて来る。


「ふふっ、うふふ、あーはっはっはっは! 絶対、やつらに魔王はやんねーよぉ! なんならゴンゴドーラにでも食われてやるわよ!」


 坂を走り下りながら、笑い転げる女……傍から見たら不気味そのものだろうけど、でもそれでも良い。

 誰も見てやしないんだから。



 * * *



 坂を下り終わると、湖が広がっている。

 最初にこの森に入った時は、ここに突き当たって獣道へ進んだけど、私は何故か湖のほとりにいた。


 前に見たときは、大きな湖だなって思っただけだったけど、夜に見た湖は幻想的で美しかった。青白いと言っても良いくらいの輝く銀色の月が、湖面に反射してとてもきれい。湖を囲う森は真っ黒で不気味だけど、湖に映るとまるで絵のようだった。現実の世界にいる気がしないくらい。


 しばらく見惚れていると移動する気が失せて、私はその場に座り込んだ。踏んだ草や土が冷たい。白い息に導かれるように空を見上げると、見たことのない景色が広がっている。


 無数の星々の連なりが、夜景なんて目じゃないほど輝いている。そして、少し欠け始めているのか、数日で満月になるのか、そんな状態の大きな月。


(きっと、ブルームーンってこんな色の月のことをいうんだな)


 見たことのない月の色。見たことのないミルキーウェイ。そういえば、月はいつ見ても大きい。


(空から落ちた日も大きかったっけ……)


 もう随分昔のような気がする。この世界に来て、約一ヶ月。一ヶ月で、その人間の何がわかるって言うんだろう。私は、彼らの何をわかった気でいたんだろう。

 一体何を信じたっていうんだろう。

 

 きっと寄る辺がなかったから、彼らを良い人だと信じたかったんだ。

 多分、ただ、それだけだ。


「……ふう」


 大きく息を吐き出した途端、草陰からガサっと物音が響いてきた。びっくりして勢い良く立ち上がる。


「なに?」


(もしかして、ゴンゴドーラ?)


 一気に血の気が引く。


(食われて死んでやる! なんて、ただのやっつけだよ!)


 逃げよう。踵を返したとき、草陰から何が飛び出してきた。


「キャア!」


 悲鳴を上げた。体が硬直して動けないかわりにそれを凝視した。飛び出してきたものは、人の形をしていた。


「ドラゴンじゃない?」


 ぎゅっと目を凝らしていると、ザク、ザクと、草を踏みしめて、その影は近づいてくる。ドラゴンじゃなくても、これはこれで超怖い!


 逃げようと後ずさると同時に、その人物は月明かりの届く地面へと足を踏み出した。


「女の子?」


 呟いて、少女を凝視する。

 モンゴルの民族衣装のような服を着た少女。あれ、見覚えがある。


「結さん?」


 少女はこくりと頷いた。ああ、やっぱり服は違うけど、結さんだ。


「どうしてこんなところに?」

「偵察」

「偵察? って、どこの?」

「この部族、結構危ない。だから気づいてないか、偵察」


 服の裾を引っ張って、何故か結さんは片言で答えた。

 良くわかんないけど、風間さんが言ってた仕事かな?


「あの――」


 声をかけようとした瞬間、結さんがピクリと跳びはねるように動いた。


「……主」

「え?」


 呟いて、結さんはジャンプの姿勢をとると、そのまま上に向って跳ねる残像を残して消えてしまった。

それと同時に、坂の方から声が飛んできた。


「お~い!」


 声の主は手を振りながら坂を駆けてくる。

 悪びれもしない無邪気な顔で、私の前でスピードを落として止った。私は瞬間、ムッとした。おかげで、結さんがどこに消えたのか、どうやっていなくなったのか考える間もなかったくらい。


「雪村くん。なにか用?」

「え? えっと、東の門の結界が一瞬だけ緩んだからさ、なんかあったのかなって」


 私の険まみれの声に、雪村くんは戸惑ったみたでしどろもどろだ。


「私を恋に落として、魔王を手に入れる算段だったんでしょ」

「ああ、そのことか」


 思いっきり睨み付けた私に、あまりにもあっけらかんと雪村くんは返した。

(はあ!?)

 二の句が告げない私にかまわず、雪村くんは続ける。


「風間は一族のためにって躍起になってるし、黒田くんは先の大戦の時に、功歩の岐附への侵略の道沿いに彼の村が入ってて、大分被害が出たんだって。考えてみたら、俺が八歳のときだから、彼が六歳の頃なのか。進軍があったのって」


(六歳?)

私は密かに絶句した。それと同時に、クロちゃんのあの怒りを思い出していた。

 彼の過去に、どれほどのことがあったんだろう。でも、私を騙そうとしたことと、そのことは別の話よ。


「花野井さんも、なんか事情があるみたいだしね」

「え?」

「っていうか、あそこにいる人達はみんな事情がある人ばっかだよ。なんせ、魔王なんてもんにすがってまで、叶えたい願いがあるんだからさ」


(まるで他人事みたいな言いようね)


 私は怪訝と同時に怒りを覚えた。


「雪村くんだって、願いがあってこんなことしたんじゃないの?」

「俺? 俺はなぁ……風間に押し切られた感じだからなぁ……」

「……それで、私を騙したわけ? 信念もなく、なんとなく押し切られたから?」

「い、いや、そういうわけじゃ……」


 そんなの、一番最低じゃない! 


「冗談じゃない!」

「わっ!」


 突然の怒声に、雪村くんは驚いて若干飛び跳ねた。

 私は彼を鋭く睨み付ける。


「私はね、こんな世界に突然連れて来られて、おまけに身体に変な物まで入れられて、『なんだよ話が違うよ。だったら、こいつで良いから中身のもん手に入れようぜ。なんだったら恋に落として惚れさせて言う事きかそうぜ』って勝手に賭け事の対象にされたのよ!?」

「そ、そこまでは――」

「そうじゃない! どこが違うのよ、言って見なさいよ!」


 詰め寄ると、雪村くんはあたふたしつつ、顔を赤らめた。

(こんな時まで演技なの!?)


「純情ぶってんじゃないわよ!」

「ごめんなさい!」


 雪村くんが私を好き? 信じさせておいて、後でどうこうするつもりだったのよ! なにが、信じてくださいだ。信じた私がバカだった! 

 悔しくて、泣きそう。


「そうよ」

「え?」

「信じたの。信じたのよ。理由はなんであれ、あなた達のこと、信じてたのよ!」


 裏があったのかも知れないけれど、親切にしてくれた。

 こんな寄る辺もない世界で、居場所をくれた。

 ゴンゴドーラから、助けてくれた。


「あなた達の優しさを、信じたのに」


 呟いてた途端、堰を切って涙があふれ出した。

(よりにもよって、詐欺師の前で泣くなんて!)

 悔しい思いが胸を突いて、それが更に涙を促してしまう。


「……はっははは……」


 不意に笑いが漏れた。

 噎び泣きながら、今の自分が、何かに似ていると思った。そして気づいた。気づいたら、なんだか笑ってしまっていた。


 薄目を開けると、雪村くんが心配そうにあたふたしているようすが見えた。

 そりゃそうだ。号泣していた人間が突然笑い出すんだから。私は、どこか暢気にそんな風に思っていた。


「……ラングル」

「へ?」


 低声に、雪村くんは耳をそばだてた。

 聞き取れたのか、聞き取れなかったのかはわからないけど、彼はそれ以上なにも言わなかった。

 なにも言わず、ただ、狼狽していた。



 * * *



 どれくらい、泣き続けただろう。

 目がじんじんと痛い。泣きすぎて頭がふらついた。星空を見上げると、満天の星が明日への希望のように輝いている。

(なんか、たくさん泣いたらすっきりした)

 ふと、目線を戻すと雪村くんが、どうしたら良いかわからないのか、引きつった笑みで立っていた。

 いまだに狼狽中みたい。


「ねえ、普通さ、女の子が泣いてたら肩を抱くくらいしない?」

「へ!?」


 泣いたからか喉がやられてしまって、声は若干しわ枯れてる。

 雪村くんは驚いた声を上げたっきり顔を真っ赤にしたまま硬直していた。私を好きかどうかは別として、彼が純情というのだけはどうやら本当みたい。ということは、下着を盗んだのは彼じゃないっていうのも、なんだか真実味を帯びる気もする。

 そうなると、一番妖しいのはクロちゃんね。現場にいたし、服の場所見つけたのも彼だし。


「ごめんね」

「え!?」

「雪村くんじゃなかったんだね。下着ドロと、覗き」

「え、ああ、うん。えっ――でも」


 どうして、と訊きたいんだろうけど、残念ながら私は答えないよ。そんなつもり毛頭ないもん。


「ごめんな」


 不意に、雪村くんが頭を深く下げた。顔を上げたときの彼は今にも泣き出しそうな表情で、私はそれに見覚えがあった。


 ゴンゴドーラから救出されて戻ったとき、気分が悪くなって(あと空腹もあって)アニキに運ばれる途中に、あんな顔をしていた。


『いや、俺達の方こそ、ごめんな』


 そう言って、俯いてた。

 あれは、こういうことも含んでいたのかな?


「なんだ、最初に謝ってたんじゃん」

「え?」


 ぼそっと呟いた言葉を聞き取ろうとして、雪村くんは耳に手をやった。


「あの、なに?」

「教えない」

「えっ」


 残念そうに小さく悲鳴が上がる。

 そんな雪村くんが、なんだか可笑しくてくすくすと笑う。


「あの、さ。これからどうするの?」


 気まずそうに訊いて、雪村くんは真っ直ぐに私を見た。そして、早口で捲くし立てる。


「屋敷には居づらいだろ? なんだったら、俺、面倒見るよ。一族とかも関係ないとこ行ってさ、帰る方法見つけるの手伝うよ。と、友達として!」


 鼻息荒く言い終えると、真っ赤な茹蛸みたいな顔で私を凝視する。なんとなく笑えてくるけど、真剣なのはわかった。でも、私は首を振る。


「ううん、行かない」

「え……」

「私、決めたの。魔王をあの人達に渡さないって」

「だったらなおさら――」

「うん。でもさ、このまま逃げたら悔しいじゃない。私、もっとふてぶてしくなっても良いと思うの。だって、魔王を持ってるんだから。あの人達の欲しいもの持ってるんだから」

「えっと、それって?」

「うふふ」


 答える代わりに私は笑った。今度も教えるつもりはない。

 私は、散々泣いて、ふてぶてしくなる覚悟を決めていた。


 出て行くことで魔王を渡さないっていうあてつけをしようと思ってたけど、そんな必要ない。そんな私が一方的に負けを認めるみたいな方法とることない。

 利用すれば良いのよ。

 あの人達が私を騙して利用しようとしたみたく。


 魔王を餌に、屋敷と食事を提供し続けてもらって、私は自分で帰る方法を探すわ。もちろん、魔王をやつらにあげるつもりなんて微塵もない。


 この森が危険だって関係ない。そんなの護衛についてもらうわよ。だって、私が死んだら魔王がどうなるかわからないはずだもん。


 あるもの皆、利用する。ふてぶてしくならなければ、世の中生きてなんていけない。

 ましてや、勝手の違う異世界だもの。


 せいぜい、利用してやるから、楽しみにしとけよ! 

心の中で盛大に毒づいて、満天の星空を見上げた。


――女なめんな!






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