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らくごもの  作者: 桂正雀
3/13

祖父の入院と引っ越しの打診

そのままその劇場から離れ直進し、不忍通りを一本はずれた所にある根津神社を参拝した二人は、そのまま辺りを見回しました。幸いにも空いているベンチを見つけた二人はそこに腰掛けました。

 「ねえ弘也君、私まだよくわかってないんだけど、どうしてここに来ることになったの?」

 「簡単な話ですよ。」

 おずおずと話しかけた美雪に、弘也は腰をベンチの背もたれに預けて空を仰ぎ、話を始めました。

 「俺、爺さんと一緒に住んでたんすけど、その爺さんが倒れたんです」

 

 

 事の発端は、ほんの数週間前にさかのぼります。

 

学校から帰り、疲れきって横になっていた弘也は、夢を見ていました。

例の、あの悪夢です。

 (またか……何なんだよ、いったい)

 彼は自分の枕元にあった時計を引き寄せ、時間を確認しました。

 「8時か……」

 眠気まなこをこすって背伸びをした弘也は、時計を元の場所に置きなおして水を飲みに階段を下りていきました。

 「そんなとこで寝てんじゃねえよ、爺さん」

 弘也は、台所の近くのテーブルの横に自分の祖父・高橋文也(たかはしふみや)が横になっているのに気がついて、苦笑を浮かべながら歩み寄りました。

 「おい、そうしてると風邪引くぞとかいっつも言ってんのあんただろ、爺さ……」

 と、ソファーの横に着いた時点で弘也は、軽く混乱してしまいました。胸を押さえ、気絶しているその様子を見て、弘也はそのまま文也の名前を呼び続けました。

 しかし呼んでも返事がないとわかった弘也は、舌打ちして電話の子機を手に取り、119番に連絡を入れます。

 「もしもしっ! 早く来てください!」

 あせっていた弘也はその受話器に自分の出せる限りの大声をぶつけました。その大音量にたじろいだオペレーターは動揺した口ぶりで、住所や症状などを聞いてきます。

 その一つ一つを答えているうちに、弘也の頭は冷静を取り戻し始めます。

 「早くお願いしますっ! 早くっ……!」

 そして、あせりきって張り上げた声はいつの間にか懇願するような声になっていました。

 

 「心筋、梗塞?」

 病室に呼ばれた文也の病状が、医師から弘也に告げられます。しかし、弘也はただそれを反芻するようにおうむ返しをするだけでした。

 「そうです。お話を伺います限り、お年を召された方にはよくあることなのですが……」

 それからの医者の説明は、弘也の耳に一切入ってきません。ただ、心筋梗塞と言う言葉が頭の中をぐるぐると巡っていました。

 「数日間は、意識の回復は見られないものと思ってください」

 医者の説明で彼が唯一聞こえたのは、たったその一言のみでした。

 

 (数日間は、意識が回復しない……)

 病院のベッドに横たわる文也を見つめながら、弘也は心の中でずっとその言葉を反芻します。

 そしてそのうち、自分の目から何か熱いものがこみ上げてくるのがわかります。しかし弘也はそれをグッとこらえ、ただ祖父の回復のみを祈って彼の手を取りました。

 面会時間の終了が付き添いの看護婦から告げられ、弘也はすっと立ち上がりドアに手を掛けます。しかし部屋を出る決心がつかない弘也は、文也を振り返って、その様子をじっと見つめていました。

 (爺さん……。俺、帰るぜ)

弘也は、心の奥でそっと呟きました。

 「お時間ですので」

 それを知ってか知らずか、中年の看護婦はあくまで弘也に無機的な対応をします。

 「……はい」

 弘也は文也から視線をはずすと、引き戸を引いて病室から出ました。


 弘也は自宅に戻ると、電気もつけずに父と母が微笑んでいる仏壇の前に座り、顔を上げた瞬間に抑えていたものが込み上げてきました。

 両親が事故で苦しみながら亡くなり、天涯孤独の身となった弘也に手を差し伸べた、育ての親とも言うべき祖父。それが、今こうして病院で苦しんでいる。

 親を二度失うことになると思うだけで、弘也の胸は締め付けられるような思いがしていました。

 

 その晩、弘也は寝付けることができず、結局夜を明かしてしまいました。

 「うわぁ珍しぃー! キミが早起きなんて」

 家から出ると、今まさにインターホンを押そうとしている女の子がその指をぴたっと止め、目を丸くして弘也の顔を見つめました。

 「もしかして、明日は雨かも」

 「ああ、それも台風級の大雨だ」

 「あ! ちょっと待ってよ、ひろくん!」

 と、軽口を叩くようにあしらいながらその前を通り過ぎて離れていく弘也を、その女の子は呼び止めます。

 「待ってよひろくん!」

 「その名前で呼ぶな。頼むから」

 弘也はその女の子、千崎(ちさき)(あかね)のほうを向きなおし、きっと睨みます。

 後頭部で結んだ長い黒髪や日焼けした小麦色の健康的な肌が快活そうな印象を与える、弘也にとって無二とも言える幼なじみです。

 「よかった。止まってくれた」

 と、茜は微笑みを浮かべてルビーのように濃い赤色をしたその瞳で、弘也を見つめました。

 

バス停までは徒歩で十分以上かかります。その間、スーパーはおろかコンビニすらない道を、二人で歩いていきます。

 「もうちょっとバス停とかコンビ二とか近ければねぇ」

 「田舎に何期待してんだよ」

 「仕方ないじゃん。スーパーまで行くの大変なんだよ?」

 「買い物ん時親の車に乗って移動してる人間が何言ってんだ?」

 えへへ、と照れたように笑いながら頭をかく茜をチラッと横目で見て、弘也は一瞬ふっと笑いました。

 「無駄話してると置いて行っちまうぞ」

 「もう、ちょっとくらい待ってよ」

 「待ってたらバス乗り遅れるだろうが」

 「いや、そうだけどさぁ。もっと幼なじみに配慮とか」

 「ないな」

 「ひどっ」

 そんなやり取りをしているうちに、バス停まであと少し、という距離まで来ましたが、突然その場に止まった茜は黙ってうつむいてしまいました。

 「あの、さ。答えにくかったら、それでいいんだ」

 「なんだよ、いきなり」

 見下ろしていた顔をすっと弘也のほうに向けて、茜はなにやら深刻そうな面持ちで弘也に話しかけます。

 「昨日、救急車が止まってたみたいだけど、何かあった?」

 弘也は一瞬驚いたような顔を浮かべましたが、またいつもどおりの無表情に戻って答えました。

 「……何もねぇよ。お前の思ってるようなことは何も、な」

 弘也は、嘘をつきました。

 「……そか。よかった」

 茜は弘也のその答えにふっと微笑むと、また明るい調子に戻って学校に行こうと弘也を促しました。

 

 「つうか、今更だけどお前朝練なかったのか?」

 「そうだよ。先生が出張になったみたいでさ。自主練しとけーなんて言ってたけどね。キミと学校に行きたかったから。久しぶりに」

 茜は、弘也のほうを見て笑顔を浮かべました。

茜は県内有数の陸上の選手です。弘也と茜の在籍している明王寺(みょうおうじ)高校自体は陸上が盛んではない学校ですが、彼女自身は小学校から続けてきた陸上に情熱をかけて、その分の実績を数多く残していました。

陸上選手として世界大会に出たいという彼女なりの夢を語り、その夢に向かって実績を残していく茜は、小学校の頃から一緒だった弘也にとって誇らしい存在でもあり、また、たいそうな夢などあるわけでもない弘也が気後れする唯一の存在でもありました。

 「でも大会が近いんだろ、確か? 新聞に載ってただろ、全高練、つったか?」

 「はははっ、間違ってるよ。全高会。正式には全国高校陸上競技大会、だね。練、なんて言葉どっから出てきたのさ? はははっ」

 「るっせえな。記憶があいまいだったんだよ、悪かったな」

 弘也は、笑いながら突っ込む茜をきっと睨んでから、そっぽを向いてふてくされたようにそう言いました。

 「……ま、がんばれよ」

 「ありがと。夢の、初舞台だもん。がんばらなきゃ」

 茜は落ち着いた声で自分に言い聞かせるように呟きます。

 

話が一区切りついたそのとき、バスは目的のバス停に着きました。

 「あ、あれぇ? 何で無いの!?」

 定期入れを失ったのか、茜がバックをあさっているうちに弘也は二人分の料金を支払い、茜の背中をそっと押してバスから降りました。

 「あ、ありがとう。ごめんね」

 「あのまま立ち止まられても邪魔だから払っただけだ。俺だって定期あるのに無駄になっちまった」

 謝る茜をよそに、弘也はきびすを返して高校のある方向まで歩いていきました。


 「爺さんの意識が戻った!? 本当ですか!?」

 休日、ありあわせの冷凍食品で作った昼食を食べていた弘也に入り込んだのは、文也の意識が回復したというニュースでした。

 弘也は昼食もそのままに、バスに乗り込んで文也のいる病院まで飛んでいきます。

 

 病室に着くとそこには、眼鏡を掛けて手紙をしたためている文也の姿がありました。弘也の姿を認めた文也は手紙をたたみ、眼鏡をしまいます。

 「お、来やがったな(ひろ)(ぼう)。まあ、そこ座れや」

 汗をかき、肩で息をしながら病室に入った弘也に、文也はそう声をかけました。呼吸を整え、言われたとおりにベッドの近くの椅子に座った弘也は、苦笑を浮かべながら文也に声をかけます。

 「結構元気じゃねえか。爺さん」

 「ああ。まだ死んでたまるかい」

 文也のその言葉を聴いて、弘也はふっと笑みを浮かべました。

 「その様子だったらあと三十年は生きるだろうな」

 「小僧のクセに生意気言いやがって。爺をこれ以上生かせてどうしようってんだ?」

 「孫の成長でも見守っててくれよ」

 「ははは、そいつは楽しみだ。せいぜい大物になって爺を喜ばせてくれ」

 大きな声で笑いながら弘也のほうを向き、文也は満面の笑みを浮かべながら話しかけました。

 「どうだ? りんごでも食うか?」

 誰が持ってきたのか、ベッドの近くには果物の盛り合わせが置いてあり、すでに何個か食べられたあとがあります。

 「むいて欲しいなら正直に言えよ」

 「へへ、ばれたかい?」

 口元を笑みを浮かべながら弘也はサイドテーブルまで歩いていき、りんごを2、3個取ると慣れた手つきでむいていきます。そして、きれいにむけたそれを文也の机の上に置いて、二人で食べながらしばらく話をしていました。

 そして最後のりんごが弘也の口に入り、飲み込むのを見届けた文也は、弘也にテラスへ行こうと提案します。


 テラスに着くと二人はベンチを探し、そこに腰掛けました。ベンチには斜陽が降り注ぎ、その温かい日差しを浴びながら二人は自販機で買った飲み物を飲みます。

紺色の作務衣をまとい、ベンチに腰掛け緑茶をすするその姿はいつもの祖父・文也の姿と寸分たがわず、弘也を安心させました。が、その反面、病室からここに移動した意味がどう考えてもわからず、彼は不安にもなりました。

「弘坊、引っ越してくれ。俺の家は他の奴に譲る。そんで、その金を入院費にあてる」

その言葉から始まった文也の話は、弘也を激怒させうるに足るものでした。弘也はすっと立ち上がってその怒りを文也にぶつけます。

「は? ふざけんじゃねえよ! 俺はなぁ!」

「弘也!」

どすの利いたその一喝が、弘也の言葉を止めます。

「俺を困らせて、楽しいか?」

そう言って弘也を見つめる文也の目はあくまで透き通っており、その目で見られ、萎縮しきった弘也はそのまま腰を下ろし缶コーヒーをがぶ飲みしました。

「ざけんじゃねえ、なんの相談もなしに決めやがって!」

頭を抱え、大きな声で弘也は呟きます。そして、文也はそんな弘也の頭に手をぽんと置き、その頭をさすりました。

その手には、小指がありませんでした。

 「弘坊。お前が俺に噛みついたのはのはこれで二回目だな」

 「……」

 「一回目は、お前の親父とお袋とが死んで、こっちに来るように声をかけたときだ。引き取ると言った俺の手を血がにじむまで噛んでな。アレは痛かったぞ、ははは」

 (そんな昔のことなんて覚えてっかよ……)

 声にしようと思って口を動かしますが、声に出せずに口だけがパクパクと動いてしまいます。

 「そんで、これが二回目だ。大きくなってもあんまり変わんねぇな」

 弘也は顔を文也のほうに向けます。それに気がついた文也は笑顔を浮かべました。

「……お前がここを愛しているってのは充分理解しているつもりだ。だからこいつを言うかどうかは迷った。迷った末の、結論だ。俺は、お前が無事でいてくれることが何よりも嬉しいんだ」

 弘也は、何も言えませんでした。

 「もう一度言うぜ、弘也。……この話、受けてくれるか?」

 先ほどと同じように澄んだ目をした文也は、その目で弘也を見据えました。

 「……考えさせてくれ」

 弘也は言葉に詰まりながら、かすれた声でそう呟くように言いました。

 

 バス停からの帰り道、弘也は自分の育った町並みを踏みしめて帰路に着きました。いつからこうなったのか、寂れた商店街の広がるそこはいたって静かで、自転車の通る気配すら感じません。

その途中、大きな公園に差し掛かりました。佐久(さく)()児童公園というその公園は、弘也と茜が小学生の頃に遊んだ思い出のある公園です。

 弘也は少しの間立ち止まって公園の中を見ていました。公園の中では公園の名前の通り見事な桜が咲いていましたが、誰も見向きもしません。井戸端会議をする主婦や、ベンチに横になる大学生など、人々が思い思いのことをして休日を楽しんでいました。

 そして、そのうちの一人に茜を見つけた弘也の目線は、それに釘付けになりました。

 (がんばれよ、茜……)

長袖・長ズボンのジャージを身にまとい、ストレッチをしていた茜を見て、弘也は内心でその様子を応援していました。

 

 家へ帰るとそのままソファの上に寝転がった弘也は、腕を目に当て思案にふけました。

 「分かってんだよ、このままでいられねぇってのは……」

 弘也はそのまま誰に聞かせるでもなく、そう小声で呟きました。そして、後に出てくるのは、自分自身を否定し、卑下する言葉でした。

 (結局、俺は何がしてぇんだろうな。ここで生活できないことは分かってんのに、自分のわがまま押し通そうとして。……ふざけんなとか言ったけど、ふざけてんのは俺自身、か)

 ため息をひとつついて、ソファーにしっかり座りなおし、弘也は天井を見上げました。

 (それでも、俺は……)

 弘也は無意識に自分の気持ちを整理する助けを求めたのか、弘也は携帯電話を手に取りました。が、顔を横に振って携帯を置きました。

 (自分の問題だ、自分で解決しろよ。弘也)

 自分自身にそう声をかけ、再び天井を見上げます。電気の通ったその電灯は、ただその無機的な光を弘也に当てるだけでした。

 自分の部屋に戻り、ベッドに横になった弘也の目に入ったのは、勉強机の上に飾ってある写真立てでした。

 ベッドから起き上がり、写真立てを手に取った弘也に、写真に写っている弘也少年と両親が満面の笑みで笑いかけてきます。そして、もうひとつの写真立て。そこにはその弘也少年とはまた違った笑みを浮かべている弘也の姿が映っておりました。

(そう、だよな。いつまでも「このまま」ってわけにゃいけねぇんだ)

 二つの写真から離れテラスに出た弘也は、満月の浮かぶ夜空を見上げました。

 (行くか、東京)

 

 弘也は携帯電話を広げ、文也に電話をかけました。

「もしもし」

『弘坊、もしかして……』

昼間会ったときとは対称的に、暗い声で文也は電話に出ました。

 「……俺、行くよ」

 『そうか……すまん』

 「謝るくらいなら、こんな提案すんなよ」

 『……本当に、いいのか?』

 「何いまさら弱気になってんだ。きっと大丈夫だよ、きっとな」

 自分自身に言い聞かせるように、弘也は答えました。

 瞬間、そよ風が吹き、どこからかやってきた花びらが弘也の手に落ちました。

 (これで、いいんだよな。きっと)

 弘也はその花びらをそっと握り、そしてまた結んだ手を開いて花びらを風になびかせ、その行く先を見つめました。


 「そう、そんなことが……」

 美雪が悲しそうな表情で弘也を見つめました。

 「そうです。もっと簡単に言やあ爺さんが倒れたから、ってとこですか」

 缶ジュースをぐっと仰ぎ、空を見上げるその顔は相変わらず表情がありませんでした。

 「ねぇ」

 美雪は、弘也の肩に軽く手を乗せて言います。

 「私、君のお姉さん代わりになれないかしら?」

 「お姉さん代わりって……。どういう意味です、それ?」

 「ううん……。君の力になってあげられたらなって」

 「すいません、気遣ってもらっちゃって」

 小首をかしげてそう言う美雪に、弘也は笑みを浮かべて缶コーヒーを飲みました。そんな弘也の横顔を見つめ、美雪は微笑みを浮かべました。

 「弘也君の笑ったところ、初めて見たかもしれないわね」

 「どういう意味ですか、それ」

 「特に深い意味なんてないわ……さ、帰りましょ」

 にっこりと笑いを浮かべながら美雪はそう話を持ちかけました。

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