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時計

作者: 竹仲法順

     *

「あなた、起きて。朝よ」

「うーん……」

 僕も朝が辛いと感じることがある。ベッドの上にしばらく佇んでいると、妻の朝芽(あさか)が、

「会社遅刻しちゃうわよ。今日が今年最後のお仕事でしょ?」

 と言ってきた。

「ああ。起きないとな」

 そう言ってベッドから這い出る。妻がコーヒーを一杯用意してくれていた。いつも嵌めているデジタル時計を見ると、午前七時半過ぎだ。通勤には電車で片道三十分なのだけれど、いつも余裕を持ち、始業時刻前には来ている。

「いつも通り、コーヒーだけでいいよ。朝は腹減らないしさ」

「そう?あなた、栄養大丈夫?仕事で頭働く?」

「ああ」

 端的にそう言って上下ともスーツに着替え、ネクタイを締めた後、コーヒーを飲み、カバンを持つ。そして歩き出した。自宅マンションを出てすぐに、右腕に嵌めていた時計を見る。午前七時五十分過ぎだったから、午前九時の始業時刻には余裕で着きそうだ。

     *

 朝芽とは恋愛結婚だった。お互い知り合ってから結婚するまで早かったのである。ちょうど今から六年前の二〇〇七年夏に知り合い、意気投合して一緒になった。子供はいなかったのだけれど、それでもよかったのである。十分幸せだった。

 普段、仕事に追われている。勤務先の商社でも分刻みのスケジュールがあった。忙しい。特に今歳末だし、仕事納めだから、処理する案件が山ほどあった。係長なのでとにかく一つの係をまとめるのに必死だったのである。

 今持っている時計は朝芽の父親――つまり義父の健司(けんじ)からもらった。結婚記念に、である。健司からも、

「娘を頼むよ、真一郎(しんいちろう)(くん)

 と言われた。きっと義父も愛娘のことが心配なのだろう。だから、僕も裏切ることは出来なかった。夫婦として、必ず幸せになるつもりでいたのである。実際、仕事が終わったら会社からまっすぐに帰ってきて、夕食は一緒に食べるのである。その後、混浴し、風呂上りにベッドの上で熱く抱き合う。必ず毎日性交していた。僕も妻を喜ばせられるかどうか、自信はなかったのだけれど……。

     *

 ちょうど仕事納めで一年の業務が終わる。午後八時過ぎに仕事し終え、カバンを持って歩き出す。フロアを出ようとすると、

「小野田係長、一杯どうです?」

 と部下の今村が誘ってきた。

「いや。嫁さんが待ってるから、帰らないと。じゃあまたな。お疲れ様」

「そうですか。ではよいお年を」

「ああ、君もな」

 一言返してフロアを出、歩き出す。そして電車の駅へと向かった。確かに僕も走り続けることには慣れている。だけど、年末年始ぐらいはゆっくりしたい。もちろん三箇日でもパソコンを弄ることはあった。極力IT機器は避けるつもりでいたのだけれど、元日などにメールが大量に入ってくるのだ。朝芽とは別に一台持っている。お互いノートパソコンなのだけれど、妻はエクセルで家計簿などを付けているようだったし、動画サイトなども見ているようだった。

     *

「ただ今」

「ああ、お帰り。……食事出来てるわよ」

「済まないね。俺の分まで用意してくれてて」

「何言ってるのよ。お互い夫婦なんだし」

 朝芽がそう言って玄関口で出迎え、扉を閉めてリビングへ歩き出す。テーブルに料理が並べてあった。満更悪い気はしない。ネクタイを緩め、嵌め慣れている時計を取ってテーブルに置いてから、部屋着に着替える。

「あなた、一年間お仕事お疲れ様」

「ああ、お疲れ。……正月はゆっくりしような」

「ええ。多分いつも通りになると思うけど。おせち料理とお酒買ってあるし」

 妻はちゃんと正月を迎える準備を整えてくれるのだ。毎年のことだったけれど、いいと思っていた。朝芽もしっかりしている。お互いここ数日間はゆっくりするつもりでいた。正月気分も三箇日が過ぎれば覚めてしまって、また新たな一年が始まるのだから……。

 朝芽は年越し蕎麦も用意しているようだった。案外手抜きで、カップ麺の蕎麦を二人前準備してくれている。毎年そうだった。妻も料理はするのだけれど、手を抜くことは大いにあるのだ。僕もそれに慣れていた。おまけに昼はいつも牛丼やハンバーガーなど、ファーストフードが多かったのだし……。

     *

 夕食を取り終えてから混浴し、髪や体を洗い合う。バスルームの中にはシャンプーやコンディショナー、洗顔フォーム、ボディーソープなどの香りが混じって漂っている。別にいつものことなので、気にしてなかった。

 入浴後、タオルで髪を拭いた後、朝芽の方は長い髪をドライヤーで乾かし、乳液などを付けてベッドに横になる。そして抱き合った。腕同士を絡め合って、だ。お互い、昼間の憂さを忘れようとでもするように体を重ね合う。何度も繰り返し、だ。

 そして眠りに落ちる。明日から年初の仕事始めまで休みだ。長期休暇になるのだけれど、返ってよかった。ずっと走り続けているので、気を抜きたいと思うことはある。二人きりで、だ。愛し合えているのでよかった。互いに何も持たないのだけれど、そっちの方がいいと思う。

「あなた」

「何?」

「来年もいい年になるといいわね」

「ああ。……君も健康には気を付けろよ。一日中家にいるんだからさ。運動不足とか」

「まあ、そうね」

 朝芽がそう言ってフフフと笑い、僕に抱きついてくる。半裸のままで、だ。ゆっくりするつもりでいた。夜は夫婦の時間なのだし、互いに素直になれる。別に気取る必要は一切ないのだ。愛し合えているのだし……。

 冬の夜が更けていく。長い夜だったけれど、二人で過ごせば何とか越せる。リビングのテーブルの上に時計を置きっぱなしにしていたことに気付いたのだけれど、別にいいやと思っていた。明日からしばらく寝坊できるのだし、時を気にする必要はないのだから……。

                                  (了)


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