裕也 中三
今日俺は、中学を卒業する。
この1年はとても長かった。今日の卒業式をどれだけ待ち望んでいたことか。
汐里が隣の高等部に行き、自分だけが中等部に取り残される1年。隣とはいえ、間には高いフェンスがそびえ立ち、校門を回らないと行き来ができないようになっている、まだ中学生の自分にとっては敷居の高い場所。何とか高等部へ入り込む方法がないものかと思っていたら、うってつけの手段があった。生徒会役員だ。月に1回は高等部で合同生徒会が行われるため、堂々と出入りができる。前期に副会長をして、後期は会計でも・・・と思っていたら、後期は会長に祭り上げられてしまった。おかげで今日の卒業式では、卒業生代表として答辞を読むという最後の仕事が残っている。
「裕也、忘れ物ないよね? 答辞の原稿、ちゃんと持った?」
今朝の汐里は、落ち着きがない。数日前から「裕也が答辞を読むなんて、私の方が緊張するよ~」と心配をはじめ、昨日なんか「在校生だったら裕也の卒業式に出れたのに」とまで言っていた。
「汐里は今日、普通に授業あるんだろ? 心配しなくてもちゃんとやるよ。」
苦笑いして制服のネクタイを差し出すと、受け取った汐里が、もう少し頭を低くしてという手ぶりをするので、素直に頭を下げる。汐里が背伸びをして、俺の首にネクタイをかける。汐里の髪がすぐそばで揺れて、シャンプーの香りがする。同じものを使っているはずなのに、汐里から感じる香りはもっと甘い。
「高校生になったら、ネクタイくらい自分で結べるようにならないとね。」
大人ぶった口調で汐里が言うが、学校でも体育や部活で着替えたりするのだ、ネクタイが結べないクラスメートなんて一人もいない。何回か結びなおしていると見かねた汐里がやってくれることがわかったので、できないふりをしてやってもらっているだけだ。結果、この1年は毎朝汐里が当たり前のように俺のネクタイを結んでくれていた。
「今日は中等部まででいいからね。あたしが裕也を見送るんだから。」
一緒に登校した汐里が、中等部の校門で立ち止まってそんなことを言ったので、汐里のかばんを奪ってさっさと校門前を通り過ぎた。汐里が高校生になってからも、毎日一緒に登校している。いつも中等部を通り過ぎて、高等部の校門前まで汐里を送っていく。最初は、見送られるなんて恥ずかしいと汐里がごねたが、荷物を奪って高等部前まで来ることを繰り返しているうちに、それが当たり前になった。
高等部の校門近くになると、高校生が増えてくる。制服は同じブレザーだけど、1つだけ決定的な違いがある。男子のネクタイと女子のリボンの色だ。中等部の俺は赤、高等部の汐里は青。汐里が同じ赤いリボンをしていた頃は気にならなかったが、青いリボンにかわったとたん、自分の赤いネクタイが子供っぽく思えた。
「卒業式の日くらい、あたしが見送るつもりだったのに。」
もう着いてしまった高等部の校門前で、まだ汐里がそんなことを言っている。汐里にかばんを渡すと、胸元の青いリボンに触れた。別に曲がっているわけではないが、これも毎日のこと。自分の目の届かない所で、変な男に目をつけられないように。
いつもより触れている時間が長かったのだろうか、汐里が心配そうにのぞきこんでくる。
「裕也、もしかして緊張してる?
あ、手のひらに犬って書いて3回まわるといいんだって。」
「なんだよ、それ!」
思わず吹きだしたところで、友達を見つけた汐里が駆け出した。
「送ってくれてありがと!じゃあね。」
笑って手を振る汐里を見送る。それから見上げる、中等部より一回り大きく見える校舎。
赤いネクタイは、今日でもう終わりだ。来月からは、汐里と同じ青いネクタイをして、この校門を入ることができる。待ちに待った日々がようやく始まるんだ。