汐里 中三
今日、あたしは中学校を卒業する。
裕也は、朝から不機嫌だ。あたしが先に卒業することが、どうもおもしろくないらしい。
小学校の入学式の時に、「僕も汐里と一緒に小学校に行くーっ!!」と泣かれたことを思い出した。あの時は家族みんなでなだめたけれど、今日はそんなことしなくていいよねぇと制服のネクタイを締めている裕也を見る。
「何?」
あたしの視線に気づいた裕也が、こっちを見下ろしてくる。声は落ち着いたテノール。小学生の頃の、女の子と見紛うばかりのキラキラおめめの裕也からすれば、すごい違和感だ。
大きくなっちゃったなぁ、と思う。
クラスの中でも背の低い方だった小学生の頃、喧嘩して怪我ばかりしていたのが嘘みたいだ。でもあの頃、毎日傷の手当をしていたあたしには、わかっていた。だんだん傷が小さく軽くなっていき、いつか裕也が自力で勝つ日が来ることを。そしてある日、裕也は傷だらけで、でも誇らしげに「やったよ!汐里!!」と叫びながら帰ってきた。「あいつら、俺のことすげえって認めてくれたんだ!」って、お日様みたいな笑顔で。
あの日から、裕也は自分のことを「俺」と言うようになった。それからぐんぐん背が伸びて、「かわいい」と言われるよりも「かっこいい」と言われることが増えていき、気づいたらあたしの背を追い越していた。クラスのやんちゃな男子たちとも付き合い方を覚えたようで、それなりに仲良くやっているみたいだ。
ただ大きくなったのは見た目だけのようで、まだネクタイがうまく結べないのか、さっきから何度もやりなおしている。
「裕也。」
見るに見かねて、あたしは苦笑しながら裕也に歩み寄った。うちの学校の制服は男女おそろいのブレザータイプで、男子はネクタイを自分で結ばなければいけないが、女子はリボンを留めるだけでいいので簡単なのだ。何でもわりと器用にこなす裕也だが、ネクタイを結ぶことだけは苦手のようで、たいてい朝の準備はあたしの方が早く済んでいる。
あたしは裕也の結びかけのネクタイをほどくと、長さのバランスをみてネクタイを結んだ。裕也が中学に入ってから2年間、週に1回はあたしが結んでいるので、慣れたものだ。首元へきゅっと締めたネクタイの結び目を、仕上げにポンと軽くたたく。
「さぁ、学校行くよ。」
裕也はすらりとした長い指で、ネクタイの結び目を少しゆるめながら、まだ不機嫌な顔をしている。
「・・・一緒に学校行けるのも、今日が最後なんだけどな。」
少し寂しそうにそう言ってみると、やっと裕也が顔を上げてあたしを見た。
「高校って言ったって、隣に行くだけだろ? 一緒に行ける。」
あたしはちょっとびっくりして、裕也を見つめてしまった。あたしたちが通っているのは私立の中高一貫校で、高等部は中等部の隣の敷地に建っている。家からだと中等部を通り過ぎた位置に高等部の校門があるので、途中までは一緒に行くこともできる。裕也が中学に入学してから、どちらかの体調が悪くて休んだり遅刻したりする以外は、毎日一緒に登校していた。友達からはありえない姉弟だとからかわれている。まさか、あたしが高校生になっても一緒に登校してくれるつもりだとは思わなかった。
「・・・一緒に行ってくれるの?」
思わず口に出した一言に、裕也がやっと笑ってくれた。
「ずっと、一緒に行くよ?」
そう言って指先をあたしの胸元にのばす。長い指がリボンに触れ、軽く向きを整えてくれる。
「ほら、行くよ。」
いつの間にか機嫌がなおったようで、あたしのバッグまで持って、先に玄関へと歩き始めた。
「あ、ちょっと待ってよ。」
慌てて裕也の後を追いかけながら、あたしはふと思う。さっき、胸元にきた裕也の指に、一瞬どきっとした。裕也があたしに手をのばすのって、いつ以来だろう?いつからか、近くにはいるんだけど、裕也からは近づいてはくれなくなっていた。またちょっと近づき始めた距離に、まだお姉ちゃんでいてもいいのかな、ってうれしくてつい笑っていた。