汐里 10歳
「ただいまぁ」
小さな声でうかがうように玄関を開けても、先に帰っているはずの裕也から返事はない。あるのは玄関に放り投げてある黒いランドセル。拾い上げると細かな砂がこぼれ落ちてきて、表面も泥で汚れている。どんな扱いがされたかが想像できて、あたしは小さなため息をついた。
「裕也、また喧嘩してきたんだ・・・。」
見た目は女の子のようにかわいらしい弟・裕也だが、実は気が強くて口が悪い。4年生になってから、学校帰りに小さな怪我をして帰ってくるようになった。同じクラスの男の子たちとうまくいっていないらしい。
救急箱を開けて、消毒薬とガーゼと・・・と必要なものがそろっているか確認する。両親は共働き、二人の姉は専門学校と高校で帰りはまだ遅いとなると、裕也の傷の手当はあたしの仕事だ。裕也は、喧嘩して帰ってくると気まずいらしく、いつもどこかに隠れている。最初はベランダ、この前はお風呂場。今日は庭あたりかなとリビングから外を眺めると、庭の隅に建っている物置の戸がかすかに開いている。きっとあそこだ。昔から裕也とかくれんぼをすると、なぜか裕也の隠れるところはあたしにはすぐにわかった。こんなに大きくなってから役に立つとは思わなかったけど。
「みいつけた。」
物置の戸をガラガラと開けると、ひざ小僧を抱えていた裕也が、まぶしそうに目を細めた。
物置は自転車やバイクが入るくらい大きくて、裕也は一番奥に座りこんでいる。そこから動く様子がないので、あたしが中に入っていく。
今日の傷はひざこぞうに大きめのが一つ、それと右腕のあざと、頬のすり傷、くらいかな。
大きなけががないことを確認して救急箱を開け、いつものように手当を始めた。
裕也はだまって消毒液を塗られている。しみるだろうに、声一つ出さない。小さい頃はよく泣く子だったのに、いつの間にこんなに我慢強くなったのかなと思う。
あたしだってクラスの男の子たちに負けないくらい気が強いつもりだ。1つ年下の男子にだって、何か言ってやるくらいのことはできるし、裕也を助けに行こうと何度も思った。でも、お姉ちゃんじゃダメなんだよね。お姉ちゃんにかばわれたって、バカにされるだけだし、何より裕也が望んでいない。こんなときあたしがお兄ちゃんだったら、男友達とうまくやるコツがわかったのかな。喧嘩のしかたを教えてあげることもできたのかな。
でもあたしはお姉ちゃんで、怪我の手当をすることしかできなくって。
だからせめて、裕也の傷が早く治りますように。心についた傷も一緒に消えてくれますように。
そんな願いをこめて、あたしはばんそうこうを貼り続けた。